じっと天井を見つめる。
見ているというよりは、眼球を動かすのも煩わしいからただ目の前の景色に身を委ねている、と言った方が正しい。
見上げる天井は、この間ぶりの保健室のものだった。
「そろそろ授業が終わるけど、どうする?」
締め切られたカーテンの端から、養護教諭が顔を出す。
「三年生は自習だろうし、友達に道具持って来てもらって、ここで勉強しててもいいよ」
「そうさせてもらえると助かります」
どんな状態であろうと、勉強をしないという選択肢はない。
もっと言えば、寝ている暇すらないはずなのだけど、今はじっと痛み止めが効くのを待つしかなかった。
「失礼します」
しばらくして、心炉が保健室に入って来た気配を感じる。
彼女は養護教諭に手早く挨拶を済ませると、カーテンごしにベッドの前で立ち止まる。
「開けますよ」
「どうぞ」
律儀な確認に返事して、中に入って来る彼女を出迎える。
その手には、道具をまとめて貰った私のスクールバッグが握られていた。
「お加減どうですか。あ、寝たままでいいですよ」
「やっと薬が効き始めて来たところ」
肩で息をついて、私は額に浮かんだ汗をぬぐう。
やせ我慢しないで、強いやつを飲んどけばよかったかな。
でもあれ、消化器が荒れたり、眠くなったりしちゃう時あるし……やっぱりここは、弱いので様子を見ておくので得策だったと思う。
「ここ数ヶ月酷いですね。しかも、何もこのタイミングで……」
「そればかりは仕方ないよ。可能性自体は、自分でも分かってたし」
「そういう時は、病院に行って低用量のお薬貰っておくといいよ」
カーテンの向こうから、養護教諭の声が響く。
「どうしても被ると困るって時は、それで遅らせることができるから」
「忙しさにかまけて、すっかり頭から抜け落ちてました」
自分が重めなのは知ってるから、一応薬自体は持ってる。
でも遅らせるには何日か前から飲み始めなきゃいけないし……そのタイミングを逃してしまった以上、場当たりでどうにかするしかない。
心炉は心配そうに眉尻を下げる。
「今日が山場って感じですか?」
「感覚的にはそうだね。たぶん、明後日にはマシになってると思うけど……」
その辺もここしばらく乱れがちなので、微妙に歯切れが悪くなってしまう。
統括すると、不健康のひと言に尽きるんだろうけど。
「無理せず、明日は休むことも考えてくださいね。どうせ自習なんですから」
「そうだね……でも、ユリの追い込みも心配だし」
「ユリさんが受かっても、星さんが落ちたら意味ないじゃないですか」
「そりゃそうだけど、今まで見て来た責任があるというか」
「私が代わりに見ておきますよ」
「うーん」
返事ができずに、小さく唸ってしまった。
「ほんと、好きですよね」
そう口にした心炉の声は、ため息交じりでもなく、どこか寂し気だった。
揺れる視線を向けると、彼女はちょうど背を向けてカーテンに手をかけたところだった。
「もし早退をするなら声をかけてくださいね」
「わかった、ありがとう」
彼女が出て行った後のカーテンが、シャッと勢いよく締め切られる。
その足音が部屋を出て行くのを聞きながら、私はだるい身体を起こして、持って来てもらった鞄を手に取った。
いつもと変わらないスクールバッグが、ダンベルのように重く感じる。
正直、頭なんて使いたくないけど、起きられるようになるまで単語帳くらいは読んでおかないと。
気だるさを一心に背負ってファスナーを開けると、一番上に未開封の鉄分入りフルーツキャンディが詰められていた。
確か、購買で売ってるやつ。
もしかして、ついでに買って来てくれたのかな。
仔細は分からないけど、ありがたく封を切って、一個口の中に放り込む。
「あ」
放り込んでから、しまったと思う。
飴舐めてたら横になれないじゃん。
いや、なれるけど、なんかの拍子に飴が喉の奥に落ちて行きそうなのが不安で、寝ながら飴を舐めることができない。
仕方なく、舐め終わるまでベッド端の壁を背もたれ代わりにして、単語帳をめくる。
受験用の英単語は読めればいいっていうのが大きい気がする。
マークシートだから、正しく記述できるのかは気にしなくていい。
単語と文法さえ覚えたら、解けない問題なんてないって言うし……その点の準備は、もう十分に済んでいると思う。
数学は比較的ニガテだけど、どうにか折り合いは付けられている。
最悪、一番ニガテな確率と図形は捨てて、他の問題で確実に点を取ればいい。
古文も英語と似たようなものだけど、ユリと過ごした時間が長いおかげか、それほど大変な意識はない。
ほかの暗記教科たちは、ほとんど出たとこ勝負の感覚だ。
運悪く網羅してないパターンの問題が来たら負け。
会話形式の正誤を答えるやつとかちょっと苦手だけど、結局は覚えているかどうかだからこれと言った対策もないし。
結局のところ、当たって砕――けないように頑張るしかないんだ。
「あ、起きられた?」
しばらくして、養護教諭が再びカーテンから顔を出す。
「はい、どうにか」
「薬が効いてきたんだね。じゃあ、動けるうちに利用記録だけ書いてもらっていいかな?」
「分かりました」
申し訳なさそうに手渡された利用記録簿を膝の上に広げて、鞄からペンケースを取り出す。
すると、そこに見慣れないシャー芯のケースがあった。
こんなの持ってたっけと思って摘まみ上げると、小さなケースの表面に、油性ペンの気宇帳面な字で「お大事に」と記されているのが見えた。
心炉の字だ。
そう言えば、昨日シャーペンの芯を貰うとどうこうとかいう話をクラスでしてたっけ。
そしてちゃかり、私の残り二~三本しか入ってなかったシャー芯ケースが無くなっていた。
心炉のは半分くらい残っている。
一応ちゃんと、ゲン担ぎになりそうな「使いかけ」をくれたらしい。
「普通に言ってくれたらいいのに」
くれって言われると「嫌だ」って答えたくなるけど、交換くらいなら考えるよ。
だけどまあ、鉄分キャンディと鞄を持って来てくれたお礼に、そこは不問にしておこう。
私も、ゲン担ぎのアイテムを手に入れたわけだしね。
私は、さっそくペンの芯を入れ替えて、それで利用記録簿に名前を描いた。
普段使ってるのよりも柔らかい書き心地が、妙に気持ちが良かった。