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1月16日 〝ケン〟する人々

 共通テストが一夜明けた月曜日は、冬の空みたいな清涼感と無力感に包まれていた。

 クラスメイトたちの眉間に刻まれていた皺はいつの間にか消えさって、目元もばっちり化粧した後みたいにスッキリとしている。

 まるで菩薩のよう。

 それこそ、後光でも見えそうな雰囲気だ。


「昨日のうちに自己採点を済ませた人も、これから行う人も、今日はじっくりと良かったところ悪かったところを見つめ直してください」


 朝のホームルームでは、担任によるこれから二次試験に向けてのスケジュールが共有されていた。

 ひとまず今日は自己採点を含む自習時間。

 明日からもそれは変わらないが、これから二次試験を受ける生徒を対象に、ひとり三○分ずつ程度の二者面談が設けられることになっている。


 共通テストが思ったよりできた、逆にできなかった。

 人によって、差はあるだろう。

 その結果をもとに、どの大学を受けるのか。

 挑戦するのか、妥協するのか。

 その最終確認をサシで行うというわけだ。


 国立大学の二次試験の出願は来週から始まる。

 つまり、今から予定変更も効く。

 しかしながら、今から上のランクに挑戦するという話はあまり聞いたことがない。

 予定変更の大半は、共通テストが思ったより振わなくって、ランクを下げる決断をするものだ。

 もちろん、出願するだけタダなわけだが、一次試験の結果によって足きりラインが存在する。

 どう考えても無理、もしくはデッド・オア・アライブの瀬戸際になりそうだから安全圏を狙ってランクを下げるなんて考えに至るのも、致し方ないわけである。


 そして私はと言えば――学校で受験生の分だけプリントしてくれた公式の解答と、土日に書き残した自分の答案とを机の上に出して。

 出したまま、指先ひとつ動かせずに睨みつけていた。


 正直に言おう。

 怖い。

 採点をしてしまえば、一次試験の結果が――あくまで予測ではあるけれど――決まってしまう。

 もちろん、提出してしまった解答を変えることなんてできないわけだから、私がここで自己採点をしようがしまいが結果は変わらない。

 でも現実と真っ向から向き合うのは、それなりの勇気がいる。


「お、狩谷もケンか」


 声がして顔を上げると、私の席の前で雲類鷲さんが仁王立ちしていた。


「ケンってなに」

「〝見〟るの〝ケン〟だ」

「様子見ってこと?」

「そんな感じ。ニュアンスで察せ」


 んな乱暴な。

 とはいえ「も」ってことは、雲類鷲さんも〝見〟ってやつなんだろう。


「いや、だってこえーじゃん。自分で自分の首絞めるみたいで」


 流石はヘタレヤンキーだ。

 口ぶりに迷いが無い。


「私はそろそろ始めようかな」


 だけど人間、自分よりビビってる人を見ると、逆に冷静になるものである。

 ある意味で母性本能というか、育児本能とでも言うべきなんだろうか。

 きっと、自分がしっかりしなきゃっていう脳内麻薬がドバドバと分泌されているに違いない。

 それは恐怖をマヒさせる、危険な物質だ。


 それでも今しかないと思ったので、赤ペンを手に解答に向かう。

 すると、雲類鷲さんの平手が遮るように机の上に叩きつけられた。


「まあ待て狩谷よ」


 ビビってる割に偉そうな彼女は、そのまま私の答案を摘まんで取り上げる。


「ちょっと、何すんの」

「こっちやって」


 入れ違いに放り投げられたのは、おそらく彼女自身のものと思われる答案だった。


「互いのをそれぞれ採点しようってこと?」

「自分の採点するよりは気が楽だろ」

「そりゃそうかもしれないけど」


 だからと言って、他人の答案をってのはどうなんだろうか。


「それに、バツだらけの答案で吐き気を催すより、マルばっかりの答案で気持ちよくなりたい」

「それが本音か」


 そうは言っても、私だって学校の定期テストのように点が取れているとは思っていない。

 共通テストだし。

 もちろん、点は取らなきゃいけないんだけど!


「いいよ。他人の答案の方が雑に採点できるのは確かだし」

「雑とか言うなよ」

「ちなみに、何割取れてたら合格ラインなの?」

「六割超えたら圏内だな」

「なんだ、そこの大学?」


 尋ねると、雲類鷲さんはちょっと驚いた様子で頷く。

 あのランクの大学は全国に他にもあるけど、よほどお目当ての学科があるか、単純に他県に出たいという希望が無い限りは、普通は近場を選ぶだろう。


「流石は元生徒会長。古今東西の合格ボーダーが頭に入ってるのか」

「別にそういうわけじゃ……たまたま周りにも受けるヤツがいるだけだよ」

「ふぅん。そういう狩谷は、ボーダー何割?」

「八割五分くらいかな。安全圏は九割だと思う」

「その情報だけで吐きそう」

「飲み込め」


 とにもかくにも答案を交換して、それぞれの採点を開始する。

 流石に一時間じゃ終わらないので、午前中いっぱいくらいかけるつもりで。


 実際のところ、他人の答案に赤ペンを入れるのは、全くためらいがなくていい。

 少なくともこのマルひとつ、バツひとつに、自分の将来がかかってないっていうのがでかい。

 雲類鷲さんも、結構解けてるじゃないか。

 文系のくせに国語はそこそこ。

 でも英語はすこぶるいい。

 日本史と倫理もなかなか。

 数学はちょっと悪いかな。

 選択が被ってない地学に関しては、良いのか悪いのか判断もつかない。


 点数までバッチリ出して、ついでなので合計点も出してやる。

 六割六分六厘。

 うーん、オーメン。

 とはいえ、これなら十分に目があるんじゃないかな。

 ユリも同じくらい取れていたら良いけど。


 そうして、雲類鷲さんがまた机までやってきたのはお昼休みに入るころだった。


「終わったか?」

「終わってるよ」


 互いに確かめ合って、答案を交換する。

 この瞬間は流石に緊張する。

 それでも意を決して用紙を確認すると――マルバツは済んでいるものの、肝心の点数は記されていなかった。


「おい」


 手身近にツッコミを入れると、雲類鷲さんは申し訳なさそうに頭をかく。


「いや、マル付けんのは全然良かったんだけどよ。いざ点数数えるってなったら……な!」


 ごり押し気味に同意を求められたけど、とても頷けるわけがない。

 このヘタレヤンキーめ。


「これじゃあ、自分で採点するのと変わらないじゃん」

「いや、それな。八割五分って恐怖」

「だから交換したのに」


 まあ仕方ない。

 こうなったら自分で数えるほかない。

 ぱっと見、マルの割合は多く見えるけど……逆にバツが浮き上がって見えて、妙に心臓が跳ね上がる。


 気持ちを整えて、現実と向き合おう。

 そうだな……放課後までには。

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