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1月17日 行くも退くも

 放課後の空き教室で担任とふたり向かい合って座ると、何やら生徒指導を受けているような気分になる。

 とは言え、実際にそういう指導を受けたことはない。

 まあ、これも指導であることに変わりはないんだろうけど。


「自己採点の結果は確認しました。おおむね八割七分といったところですね」

「はい」


 今日の二者面談の要点は、共通テストの自己採点結果から、二次試験に向けての作戦を練ることだ。

 ビビりはしたけど、流石の私も昨日のうちに、採点までを済ませている。


「平均点は出ておりませんが、昨年と同程度の難易度であるとすれば一次は合格圏だと捉えることができます。ですが、昨年は特に難易度の高いテストでしたので、今年はいくらかボトムアップしていると考えるべきです」

「安全圏ではないだろう……ということですね」


 担任は取り繕うことなく、ハッキリと頷く。


「大学受験の採点方法は理解していますか?」

「共通テストを百何十点だかに圧縮して、二次試験の点数と合計して――というやつですか?」

「はい、それです。理解されているのであれば問題ありません」


 担任は、傍らに置いたタブレット端末のスリープを解除すると、さらさらと指を走らせる。


「残念ながら、まだ平均点は出ていませんね。おそらく明日くらいには速報が出ると思うんですが……」

「そういうアプリがあるんですか?」

「いえ、グーグルで検索しているだけです」


 ああ、そう。

 でもそれで出るんなら、あとで私でも簡単に確認ができそうだ。

 担任はタブレットを再びスリープにすると、机の端の元の位置に戻す。


「本来であれば、教師である私はここで多様なパターンを示すべきなのですが……狩谷さんに限っては、余計なことは言いません。挑戦するかどうか。自身の将来に対して、納得のできる決断をしてください」

「はい」

「判断材料として、必要な情報があれば言ってください。必ず用意します」

「はい」

「各教科の担当教員も上手に使ってください。二次試験は強化が限定される分、より専門性が求められます。思考力も、共通テストとはまた違った視点を要求されます。文字通り〝落とす〟ための試験です」

「どうしても選択に迷った場合は、もちろんアドバイスを行います。いつでも相談してください」

「そのお言葉で十分です」

「ですが――」


 そこまで口にして、担任は一息入れるように息を吐く。それから、真っすぐに私を見つめる。


「狩谷さんは、挑戦するべきだと思います。これは私個人の意見としてですが」

「それは、どうしてですか?」

「私が、妥協した側の人間だからです」


 彼女が静かに語る。


「後悔はありませんが、ベストな道であったのかどうかは、たびたび疑問に思います」

「例えば、どんな時にですか?」


 それは意地悪をしたわけではなく、純粋な興味から出た質問だ。

 担任は自重するように小さく笑みを浮かべて、ため息交じりに答える。


「こうして、卒業生の担当をしている時でしょうか」

「なるほど」


 過ぎ去ったあの日に、あったかもしれない自分の可能性に年毎向き合う。

 教師ってやつは、つくづく大変そうな仕事だと思う。


「それで、結局のところ目標は変えずに行くんですか?」


 放課後になって、いつもの勉強会は続く。

 その中で発せられた心炉の問いに、私は曖昧に頷く。


「たぶん」

「なんだよそれ。一応、ボーダーは越えてたんだろ?」

「一応とか言わないでよ」


 なんとも他人事なアヤセに、多少むすっとしたイントネーションで返す。


「ちなみに心炉はどうだったの」

「私ですか? 星さんと同じくらい。暫定でボーダーやや上です」

「そっか」


 聞いてどうするんだって話ではあるんだけど。

 でも、もし心炉がボーダーを下回ってたら……そしたら一緒にランクを下げても良いかななんて。

 実行するわけはないけれど、思うだけはタダである。


「ユリも六割取れたんだもんね」

「うん。おかげさまでバッチリ!」


 昨日の夜に送られて来たメッセージでは、ギリギリ乗ったっぽいってこと。

 よかったじゃないって自分のことみたいに喜んだもんだけど、なぜだか妙にブルーな気分が押し寄せる。


「ユリと同じ大学にしたら、余裕で受かるのかな」

「えー! もったいないよ! もっと上目指しなよ! てか一番上目指してよ!」


 ユリは簡単に言うけどさ、いくらボーダーに乗ったって言っても、この決断にはさらなる勇気が必要なんだよ。

 安全圏ではないと予想できる以上は、二次試験だってベストな結果を出さなきゃいけない。

 はたしてそれができるのか。

 覚悟はある。

 でも自信はない。


「いや、受けるよ。受けるけどさ」


 それこそ心炉に答えた通り「たぶん」、私は目標の願書を提出するんだろう。

 だけど期限ギリギリまでは、決断を引き延ばしたいような。


 一言で言えば、行くも退く億劫。

 典型的な受験ブルーで笑いすらもこぼれない。


「はぁ……癒されたい。この辺、猫カフェとかないの」

「商工会じゃ聞いたことねぇな」


 はー、つっかえ。

 なんてアヤセに愚痴を言っても仕方がない。


「じゃあ、あたしが猫ちゃんになろうか。にゃんにゃんって」

「うーん……遠慮しておく」


 ユリが両手を猫の手にして振ってみせたのにちょっと心が揺れたけど、そこは煩悩として打ち払う。

 それじゃ癒しというより、いやらしいばかりだ。


「ええー。じゃあ、身体動かそ! スッキリするよ!」

「運動って、何するのさ」

「相撲とか?」

「……そう言えばあんた、クラスマッチ出るつもりだったね」


 前に言っていたことを思い出していると、ユリは力いっぱい頷き返した。


「毎日、単語帳めくりながら四股踏んでるよ」

「それははたして集中できるてるの?」


 結果は出してるんだから、それなりに集中はできてるんだろうけど。


「そういや、去年はプールも海も行かなかったな」


 アヤセがぼんやり口にする。

 夏はユリは大会があったし、アヤセは受験の準備があったし、私と心炉は学園祭の準備で忙しかったし。


「じゃあ行こか、プール!」


 それからユリが食いつくのには、ほとんど時間がいらなかった。

 流石にちょっと落ち着けと、手のひらを向けてユリを制す。


「流石に時期じゃないでしょ」

「屋内なら年中やってるよー。チア部でよく行ってたし」


 そうなの?

 スイミングスクールでもなければ、夏以外にプールや海に行こうと思ったことがないから、全然ピンと来ないけど。


「これが最後と思って行こうよ!」

「ユリは遊びたいだけでしょ。クリスマスの時も似たようなこと言ってた気がするし」

「でもほら、アヤセのお疲れ様会もしてないし。半日でいいから! なんなら午前中だけでも良いから!」

「私は行くこと決定なのな。まあ、行くなら行くけど」

「心炉はどう思う?」


 話を振ってみると、心炉はきっぱりと首を横に振る。


「冷静に考えてナシです」

「だよね」

「でも、プールサイドで勉強していて良いなら行きますよ」

「それって行く意味あるの?」

「あくまで勉強がメインで、ほんのちょっと息抜きで泳ぐくらいなら」


 つまり行きたいのね。

 でも心炉の案はありっちゃありかも。

 そもそも昔からプールや海に行っても、そんなに沢山泳がないし……ちょっとだけ足元に水を浴びたら、割と満足できる人間だ、私は。


 もしも受験ブルーを、文字通り水に流せるのなら、案外ありなのかもしれない。

 たとえそれが、遊びたいだけの口車に乗せられているのだとしても。

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