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1月21 あえての勝負

 思えば、お風呂のジャグジーって完全に廃れたよね。

 昔ながらの銭湯とか、こういうプールには残っているけど、温泉につくことは無くなってしまったような気がする。

 たまに、湯船の底に「たぶんジャグジーなんだろうな」っていう穴があるところはあるけど、稼働はしてなかったり。

 電気代とかいろいろあるんだろうけど、それで止めてしまうくらいには、求められていないってことなんだろう。


 でも、ジャグジーの効果を侮っちゃいけない。

 泡によるマッサージ効果とリラックス効果は、半分くらいはプラシーボだろうけど、とても気持ちが良い。

 一度は流行ったものなんだから、ちゃんと流行ったなりの理由があるというものだ。

 そんな泡の力も、ラッシュガードごしではどれくらいの効果があるのか分からないけれど。


「ふぅ……」


 プールに遊びに来てお風呂に浸かる。

 この幸せは何物にも代えがたい。

 プール併設のお風呂は大抵、ちょっとぬるめになっている。

 だから長く入っても疲れないし、汗だくにもならない。

 このままひと心地、眠ってしまいたいくらいだ。


「まだ居るよ。ほんと飽きねーのな」


 視線を真上にあげると、真後ろから見下ろすアヤセと目が合った。

 身に着けたホルターネックのビキニは、この角度から見ると非常にきわどいアングルだ。


「お風呂に飽きるとか無いから」

「ユリのやつが『スライダー乗ろう』って探してたけど?」

「適当に相手しておいてあげて。屋内プールのスライダーって、ひとりで滑るやつでしょ?」

「来た甲斐のねーやつだなぁ」


 悪態をつきながらも、アヤセは「よっこいしょ」とオッサンくさい声をあげて、私の隣に腰を下ろした。


「スライダーはいいの?」

「私はもう滑って来た――つーか、温水プールつってもちょっと寒くなってきたところだしな。あー、ぬくい」

「我々も、順当に歳をとっていってるね」


 子供のころは、休憩なんて考えられないってないきおいで泳ぎ回って、このお風呂コーナーもそれはそれで好きだったけど、ここでも泳ぎ回って。

 そんな感じ。

 動よりも静を楽しむようになったのは、歳をとった証だと思う。


「あー! ふたりしてお風呂にいるー!」


 壁や天井に反響する声で、うとうとしかけた頭がまた叩き起こされる。

 ひたひたと歩み寄って来たユリは、そのまま滑り込むようにプールみたいな湯船に入り込んだ。


「はー……あったか」


 そのまま軽く泳ぐようにアヤセと逆側の隣までやってくると、身を返してぷかぷか浮かび上がった。

 昨晩「秘密」と言われたユリの水着は、南国風デザインのフリフリしたハイネックビキニだった。

 なんでも、卒業旅行用に先に買ってたものらしい。

 ここで着ていいんだろうかと思ったけど、つっこむのはやめておいてあげた。


「スライダー行くんじゃないの?」

「休憩タイムだって。だから、関係ないこっちのコーナーに来たの」


 プールにくると、一時間に一回くらい、十分程度の休憩時間が設けられている。

 その時間はお客は全員、水から上がらなきゃいけなくって、強制的に休まされるというわけだ。

 そう言えば、お風呂コーナーの人が急に増えたなと思っていた。

 他のお客もみんな流れて来たってことなんだろう。

 とか考察していると、温水プールコーナーの方から心炉がやって来るのが見えた。


「お手洗いに行って来たら、誰もいなくって。みんなこっちに来てたんですね」

「休憩タイムなんだって」

「そうですか。じゃあ、しばらくはこっちですね」


 言いながら、心炉も当たり前のように湯船に浸かって、私の向かいに腰かける。

 すると、ユリがすいすいと心炉の隣に移動した。


「それはどういう移動なの?」

「なんか、バランス悪いなーって思って」

「バランスって……二対二的な?」

「そーそー」


 ユリの謎のこだわりは置いておいて、四人ともすっかりまったりモードでため息を溢した。

 ちなみに、心炉の『普通の水着』は、ちょっと小洒落たデザインの白ワンピだった。

 本当に普通だった。

 少しだけ残念な気持ちになる。

 ビーチリゾート風なら、ユリとふたりで常夏ハワイアンな感じでひとネタになったのに。


「星、プールあんまり来たくなかった?」


 ユリが唐突にそんなことを言うので、私はふと視線を向ける。


「そんなことないよ。実際、お風呂楽しんでるし」

「だったらいいんだけどー」

「私、楽しくなさそうに見える?」


 問いかけながら、みんなの顔を見渡してみる。


「存分に楽しんでるな」

「プールを楽しんでるかって言われると疑問はありますけど」


 それは確かにそうだけど、かといって全力でプール遊びをする気力が無いのも確かなところだ。

 私はリフレッシュ――ようは回復をしに来ている。


「てかみんなもさ、ここ入っちゃったら温水プール超寒いと思うよ」

「うわっ、それ考えて無かった!」


 ユリが、叫びながら勢いよく立ち上がる。

 水着がポロリしないか心配になるくらいの勢いだった。


「ほら、ほら、みんな出よ! ガクブルになっちゃう!」

「いやぁ、なんかもう、ここでゆっくりしても良いなって」


 アヤセが完全にまったりしながら、ずぶずぶと首までお風呂に沈む。


「えー。心炉ちゃんは?」

「私は、単純に温水でも寒くなって来たので、そろそろ見ているだけにしようかなと」

「えー!」


 二段落ちしたみたいに、ユリがガクガクと膝から崩れてまたお風呂に浸かった。

 そのまま首どころか口元まで沈んで行って、ブクブクと抗議の泡を吹く。

 仕方がない。

 少しくらい相手をしてやるか。

 私はうんと背伸びをするように立ち上がる。


「次の休憩時間までくらい温水の方に行くか」


 すると、ユリもまた嬉しそうに立ち上がる。


「ほんと? じゃあ、勝負しよ勝負!」

「二十五メートル? 負けた方がラーメン奢りなら」

「おっけー!」


 そんなやり取りに、心炉があっけにとられたように目蓋をぱちくりさせた。


「……いや、冷静に考えて勝負にならないでしょう。ユリさん相手じゃ」

「それがな、水泳だけはそれなりにいい勝負になるんだ。星がそこそこ得意で、ユリも人並みなのとで」


 アヤセが訳知り顔で語り、心炉は納得したようなしないような、曖昧な顔で私とユリとを見比べる。

 そんな彼女をよそに、湯船から上がった私はラッシュガードのジッパーに手をかけた。

 アヤセが、ひゅうと下手な口笛を鳴らす。


「本気と書くマジじゃん」

「ラーメンかかってるから」


 私はラッシュガードを脱ぎ捨てて、中に来ていたブルーのビキニを露にした。

 さすがに、勝負するのに安物のラッシュガードじゃ水の抵抗がね。


「よーし、それじゃあ私らはどっちが勝つかで賭けるか」

「え!?」


 どこか呆けた様子だった心炉が、アヤセの言葉にぎょっとして振り向く。


「私は優しいから、どっちか選ばせてやんよ」

「え……じゃあ……あえての星さんで」

「あえての星な。じゃあ、私はユリだな」


 あえてで勝つのはなんかシャクだけど……ラッシュガードのボトムも脱ぎ終えて、トップと一緒に小脇に抱える。

 これを泳ぎ終わったら、もっかいお風呂に入ってから、私もプールサイドでゆっくりしよう。


 そして――次の休憩タイムになって、ユリとアヤセがフードコートのやっすい醤油ラーメンを美味しそうに啜っていた。


「寒くて身体がすくんだ……」

「ずっと風呂に入ってたからだろ」


 ずるずると麺を啜るアヤセに返す言葉もない。

 私も、自腹で買った自分の分のラーメンを啜って、その温かさにほっと一息ついた。


「でも、これでユリも満足した?」

「うむ。余は満足じゃ」

「なぜ急に王家」


 満足してくれたのなら、王家でも公家でもなんでもいいけどさ。


「ところで、二次の願書明後日からだからね。忘れずに出すんだよ」

「大丈夫! 絶対忘れると思ったから机に紙張ってる」

「だったら良いけど」

「星と心炉ちゃんも、もう出したの?」

「私は――」

「私たちは、明日準備する予定ですよね」

「え?」


 全く身に覚えのない言葉に、私は驚いて心炉を見る。


「ね?」


 彼女は、睨むような瞳で私を見つめて強く推す。

 その威圧感に、つい頷かされてしまった。


「そっかー。二次は一か月後だね。頑張ろうね」


 ユリは何の心配もない様子で、美味しそうにラーメンを食べていた。

 一方で、やっぱり状況は理解できない私は、少しだけ伸びてしまったラーメンを遅れて食べ終えた。


 ――明日、時間をください。


 心炉からそうメッセージが来たのは、解散して家に帰った夜になってからのことだった。

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