思えば、お風呂のジャグジーって完全に廃れたよね。
昔ながらの銭湯とか、こういうプールには残っているけど、温泉につくことは無くなってしまったような気がする。
たまに、湯船の底に「たぶんジャグジーなんだろうな」っていう穴があるところはあるけど、稼働はしてなかったり。
電気代とかいろいろあるんだろうけど、それで止めてしまうくらいには、求められていないってことなんだろう。
でも、ジャグジーの効果を侮っちゃいけない。
泡によるマッサージ効果とリラックス効果は、半分くらいはプラシーボだろうけど、とても気持ちが良い。
一度は流行ったものなんだから、ちゃんと流行ったなりの理由があるというものだ。
そんな泡の力も、ラッシュガードごしではどれくらいの効果があるのか分からないけれど。
「ふぅ……」
プールに遊びに来てお風呂に浸かる。
この幸せは何物にも代えがたい。
プール併設のお風呂は大抵、ちょっとぬるめになっている。
だから長く入っても疲れないし、汗だくにもならない。
このままひと心地、眠ってしまいたいくらいだ。
「まだ居るよ。ほんと飽きねーのな」
視線を真上にあげると、真後ろから見下ろすアヤセと目が合った。
身に着けたホルターネックのビキニは、この角度から見ると非常にきわどいアングルだ。
「お風呂に飽きるとか無いから」
「ユリのやつが『スライダー乗ろう』って探してたけど?」
「適当に相手しておいてあげて。屋内プールのスライダーって、ひとりで滑るやつでしょ?」
「来た甲斐のねーやつだなぁ」
悪態をつきながらも、アヤセは「よっこいしょ」とオッサンくさい声をあげて、私の隣に腰を下ろした。
「スライダーはいいの?」
「私はもう滑って来た――つーか、温水プールつってもちょっと寒くなってきたところだしな。あー、ぬくい」
「我々も、順当に歳をとっていってるね」
子供のころは、休憩なんて考えられないってないきおいで泳ぎ回って、このお風呂コーナーもそれはそれで好きだったけど、ここでも泳ぎ回って。
そんな感じ。
動よりも静を楽しむようになったのは、歳をとった証だと思う。
「あー! ふたりしてお風呂にいるー!」
壁や天井に反響する声で、うとうとしかけた頭がまた叩き起こされる。
ひたひたと歩み寄って来たユリは、そのまま滑り込むようにプールみたいな湯船に入り込んだ。
「はー……あったか」
そのまま軽く泳ぐようにアヤセと逆側の隣までやってくると、身を返してぷかぷか浮かび上がった。
昨晩「秘密」と言われたユリの水着は、南国風デザインのフリフリしたハイネックビキニだった。
なんでも、卒業旅行用に先に買ってたものらしい。
ここで着ていいんだろうかと思ったけど、つっこむのはやめておいてあげた。
「スライダー行くんじゃないの?」
「休憩タイムだって。だから、関係ないこっちのコーナーに来たの」
プールにくると、一時間に一回くらい、十分程度の休憩時間が設けられている。
その時間はお客は全員、水から上がらなきゃいけなくって、強制的に休まされるというわけだ。
そう言えば、お風呂コーナーの人が急に増えたなと思っていた。
他のお客もみんな流れて来たってことなんだろう。
とか考察していると、温水プールコーナーの方から心炉がやって来るのが見えた。
「お手洗いに行って来たら、誰もいなくって。みんなこっちに来てたんですね」
「休憩タイムなんだって」
「そうですか。じゃあ、しばらくはこっちですね」
言いながら、心炉も当たり前のように湯船に浸かって、私の向かいに腰かける。
すると、ユリがすいすいと心炉の隣に移動した。
「それはどういう移動なの?」
「なんか、バランス悪いなーって思って」
「バランスって……二対二的な?」
「そーそー」
ユリの謎のこだわりは置いておいて、四人ともすっかりまったりモードでため息を溢した。
ちなみに、心炉の『普通の水着』は、ちょっと小洒落たデザインの白ワンピだった。
本当に普通だった。
少しだけ残念な気持ちになる。
ビーチリゾート風なら、ユリとふたりで常夏ハワイアンな感じでひとネタになったのに。
「星、プールあんまり来たくなかった?」
ユリが唐突にそんなことを言うので、私はふと視線を向ける。
「そんなことないよ。実際、お風呂楽しんでるし」
「だったらいいんだけどー」
「私、楽しくなさそうに見える?」
問いかけながら、みんなの顔を見渡してみる。
「存分に楽しんでるな」
「プールを楽しんでるかって言われると疑問はありますけど」
それは確かにそうだけど、かといって全力でプール遊びをする気力が無いのも確かなところだ。
私はリフレッシュ――ようは回復をしに来ている。
「てかみんなもさ、ここ入っちゃったら温水プール超寒いと思うよ」
「うわっ、それ考えて無かった!」
ユリが、叫びながら勢いよく立ち上がる。
水着がポロリしないか心配になるくらいの勢いだった。
「ほら、ほら、みんな出よ! ガクブルになっちゃう!」
「いやぁ、なんかもう、ここでゆっくりしても良いなって」
アヤセが完全にまったりしながら、ずぶずぶと首までお風呂に沈む。
「えー。心炉ちゃんは?」
「私は、単純に温水でも寒くなって来たので、そろそろ見ているだけにしようかなと」
「えー!」
二段落ちしたみたいに、ユリがガクガクと膝から崩れてまたお風呂に浸かった。
そのまま首どころか口元まで沈んで行って、ブクブクと抗議の泡を吹く。
仕方がない。
少しくらい相手をしてやるか。
私はうんと背伸びをするように立ち上がる。
「次の休憩時間までくらい温水の方に行くか」
すると、ユリもまた嬉しそうに立ち上がる。
「ほんと? じゃあ、勝負しよ勝負!」
「二十五メートル? 負けた方がラーメン奢りなら」
「おっけー!」
そんなやり取りに、心炉があっけにとられたように目蓋をぱちくりさせた。
「……いや、冷静に考えて勝負にならないでしょう。ユリさん相手じゃ」
「それがな、水泳だけはそれなりにいい勝負になるんだ。星がそこそこ得意で、ユリも人並みなのとで」
アヤセが訳知り顔で語り、心炉は納得したようなしないような、曖昧な顔で私とユリとを見比べる。
そんな彼女をよそに、湯船から上がった私はラッシュガードのジッパーに手をかけた。
アヤセが、ひゅうと下手な口笛を鳴らす。
「本気と書くマジじゃん」
「ラーメンかかってるから」
私はラッシュガードを脱ぎ捨てて、中に来ていたブルーのビキニを露にした。
さすがに、勝負するのに安物のラッシュガードじゃ水の抵抗がね。
「よーし、それじゃあ私らはどっちが勝つかで賭けるか」
「え!?」
どこか呆けた様子だった心炉が、アヤセの言葉にぎょっとして振り向く。
「私は優しいから、どっちか選ばせてやんよ」
「え……じゃあ……あえての星さんで」
「あえての星な。じゃあ、私はユリだな」
あえてで勝つのはなんかシャクだけど……ラッシュガードのボトムも脱ぎ終えて、トップと一緒に小脇に抱える。
これを泳ぎ終わったら、もっかいお風呂に入ってから、私もプールサイドでゆっくりしよう。
そして――次の休憩タイムになって、ユリとアヤセがフードコートのやっすい醤油ラーメンを美味しそうに啜っていた。
「寒くて身体がすくんだ……」
「ずっと風呂に入ってたからだろ」
ずるずると麺を啜るアヤセに返す言葉もない。
私も、自腹で買った自分の分のラーメンを啜って、その温かさにほっと一息ついた。
「でも、これでユリも満足した?」
「うむ。余は満足じゃ」
「なぜ急に王家」
満足してくれたのなら、王家でも公家でもなんでもいいけどさ。
「ところで、二次の願書明後日からだからね。忘れずに出すんだよ」
「大丈夫! 絶対忘れると思ったから机に紙張ってる」
「だったら良いけど」
「星と心炉ちゃんも、もう出したの?」
「私は――」
「私たちは、明日準備する予定ですよね」
「え?」
全く身に覚えのない言葉に、私は驚いて心炉を見る。
「ね?」
彼女は、睨むような瞳で私を見つめて強く推す。
その威圧感に、つい頷かされてしまった。
「そっかー。二次は一か月後だね。頑張ろうね」
ユリは何の心配もない様子で、美味しそうにラーメンを食べていた。
一方で、やっぱり状況は理解できない私は、少しだけ伸びてしまったラーメンを遅れて食べ終えた。
――明日、時間をください。
心炉からそうメッセージが来たのは、解散して家に帰った夜になってからのことだった。