今年最大の寒波が来ているということで、今日は朝から恐ろしい寒さに襲われていた。
早朝の街は、ダイヤモンドダストになりかけの空気が濃い霧になっていて、雪景色とはまた違った白い世界を演出していた。
流石に、登校とか言ってる場合じゃねぇ。
寒さに耐えながら登校する下級生たちには悪いけど、今日から自由登校という受験生の特権を行使して、今日は家から出ないことにする。
グループメッセで「今日は寒いから行かない」と伝えると、みんな億劫なのは同じだったのか、同じように登校止めようかなみたいな空気でまとまっていた。
別に私が行かないからって、行きたい人は行ってもいいんだけど、今日行きたいって人はなかなかの酔狂だと思う。
ただまあ、一番ヤバそうな水曜は登校日だから、今から覚悟を決めておいた方がいいのかもしれない。
今持っている中で一番の防寒セットを、着回しサイクルの中で水曜日のために取っておこう。
ハイネックのヒートテックをアンダーシャツみたいに制服の下に着るだけでかなり違う。
首回りが大きくむき出しになるセーラー服は、北の地には合わないデザインだとつくづく思った。
――受験の登録したよ。
お昼前になって、登録が開始するのとほとんど同時に大学のサイトから受験の出願をする。
ちゃんと完了画面をチェックしてから、心炉にそうメッセージを打った。
――私もしました。
そう時間を置かずに、彼女から返事が帰って来る。
これで互いにもう逃げられない。
私たちは、想定倍率三倍に挑戦する道を選んだ。
確率三分の一って言われて、「じゃあここにいる三人のうち、ふたりはダメなんだ」っていう考えはナンセンスだと私は思う。
分母が三人なら確かにそうだけど、本当の分母は全国一三〇〇人ほど。
その上位四〇〇人の中に入るんだって考えると、全員が受かる可能性も十分にあり得るというものだ。
そうやって自己肯定感を高められるなら、文系で数学を勉強することにも意味があるように思えた。
まあ、私たちの場合、二次試験の科目になっているから勉強しているのが大きいけれど。
ユリもちゃんと出願の手続きができたかな。
無意識にメッセージを打ち込んだところで、送信する前に全部消去する。
昨日の心炉の話を思い出していたところだった。
おままごとは止めるべき――そんなこと言われても、どこまでがおままごとで、どこまでが友人なのか、感覚の問題だと思う。
けど、少なくともユリの方から連絡を寄こすまでは、先回りをするような心配メッセージはやめてみよう。
一晩立って、そう思えるくらいに自分の中でかみ砕いていた。
――水曜日、一緒に願書封入して郵便局に行こうか。
代わりに心炉にメッセージを送った。
今日明日出しても、どうせ郵送の交通もマヒしていそうだ。
だったら、登校日に一緒に済ませてしまった方が色んな意味で安心だろう。
既読も返事もすぐにはつかなかった。
勉強でも始めたのかなと思い、私もスマホを手放して、積み上げた赤本と参考書に向かう。
何問か解き終えたころ、スマホに着信があった。
ユリか、もしくは心炉のさっきの返事かなと思ったけれど、画面に表示されていたのはアヤセの名前だった。
「なに」
ハンズフリーモードで電話に出て、視線は赤本に戻す。
「二次の勉強してんだけど」
『私も作業してっから、昼飯まで繋ごうぜ』
「昼飯って……ウチ、誰もいないからお腹すいたら適当に食べる予定だけど」
『じゃあ、私が呼ばれるまでだな』
なんて自分勝手な提案だ。
話半分でいいなら、通話繋いどくくらいは別に良いけど。
「作業って何やってんの」
『大学の課題がもう出てんよ。推薦で早く決まったからって、遊ばせてはくれねーのよ』
「ふぅん」
『ふぅん――て、何の課題なのかとか、もっと興味持てや』
「ごめん、半分聞いてなかった」
言いながら、ちょうど新しい問題を解き終えて、ぐりぐりとこって来た首を回す。
「なんだっけ? 課題? 何やってんの?」
『書一〇〇枚サイズ自由』
「うわ、そんな筋トレみたいなことするんだ」
『ブランクにならないようにってことだろうな』
一芸入試だとそういうこともあるのか……なんて、隣の芝は青いというよりは、対岸の火事みたいに頷く。
「今、何枚?」
『三〇くらいかね。言うても提出できそうなのが三〇ってだけで、書き損じレベルがもう倍くらいあるけど』
「そっか。適当に一〇〇枚埋めて出しゃいいってもんじゃないか」
『第一印象決まるだろうし、頑張っておきたいよなぁ』
そう語る彼女の声色は、大変そうではなく、むしろ楽しそうだった。
彼女もわりと逆境を楽しめるタイプの人間だ。
「そういや、ちょうど聞きたいことあったんだけどさ」
『何だ?』
「告白って、どういうタイミングでするもん?」
『あっ!!』
すごいタイミングで、すごい声が響いた。
「……どうしたの?」
『めっちゃ上手くいってたのに、最後で盛大に書き損じた……』
「どんまい。でさ――」
『興味無さそうに流すな! お前が変なこと聞くからだろ!』
変なこと聞いたかな……?
女子高生としては、わりと平均的なコイバナ……にすらなってない、タラレバ話じゃないかと思うけど。
「それで、どういうタイミングでするもん?」
『その強行姿勢は恐れ入るわ』
勉強しながらだから、聞く二割、話す八割くらいになってるだけなんだけど。
『それをなんで私に聞くんだよ』
「私が知ってる中だと一番告白されてそうだから」
『今日は歯に絹着せないデーか何か?』
欲しいのはツッコミじゃなくて答えなんだけど。
とか言いながら、たぶんアヤセも、気持ちを落ち着ける時間を稼いでるんだろうなっていうのが何となくわかった。
現に、書き損じたって言ってから、次を書き始める気配が一切なかった。
『まあ……マンガとかでよくある呼び出されて~ってのは、今どきあんまないよな。遊んだ帰りとか、イベントの後とか、いい感じのきっかけがあった後とか』
「ラブレターとかは」
『ないない。いつの時代だよ。せいぜい顔も知らない後輩から連絡先教えてくれってのがあったくらい』
「あるんだ」
それ自体が割と衝撃的だ。
もちろん恋愛感情抜きに、単純に憧れの先輩とお近づきになりたい――みたいなのも多いんだろう。
『なに、ついに覚悟決めたん?』
「いや……まあ、うん」
ちょっとだけ迷ってから、私は素直に頷く。
「受験に集中するためにも、いい加減に決着つけるべきなのかなって」
『ふぅん』
今度はアヤセに話半分に流されてしまった。
真面目なつもりだったからちょっとムッとしたけど、さっき自分もそうしてしまった手前、強くは言えない。
『べき――ってことはねーんじゃねーの。まあ、お前がそれでスッキリ前に進めそうなら良いんだけどさ』
「それは自分でもよくわかんない……てか、何気に失敗する前提で話してるのヒドくない?」
『そういうつもりはねーけど、対抗馬がなぁ』
言われて、脳裏に続先輩の姿が思い浮かぶ。
相手が強大すぎる。
もしユリが、まだ先輩のことを想い続けているのなら――
『つーか、そんな事言うなら失敗するって思ってるのは星の方だろ』
「それは……そうかも」
『絶対成功する保証も、必ず失敗する理由もないんだから、もっと自信持つ事の方が先決じゃねーの? そしたら告白だって……今さらかもしれんけど』
全面的にアヤセの言う通りだった。
自信があれば、告白なんて大したイベントじゃないんだ。
失敗を恐れて尻込みすることも、そもそもシチュエーションに頭を悩ませる必要もない。
「だったら順番が逆だ」
『どういうことだよ』
「受験に合格できたら、その時はじめて自身がつくって思ってたから」
日本で一番の場所に並べたら、姉にも、先輩にも、胸を張って向き合える。
私にとっての受験はその通過儀礼だから、自信をつけるって意味なら、告白より受験が先になる。
「でも、それじゃ間に合わないよ。卒業のが先に来ちゃうし」
『うーむ……じゃあやっぱ、攻めるしかねーんじゃ』
「攻める?」
『火のないところに煙はたたねーわけだから、気があるアピールするしかねーだろ』
「そういうことね……」
『お前、ただでさえドライなんだから、ちょっと露骨に見せるくらいじゃねーと、一生誰に対しても〝いいひと〟止まりだぞ』
痛いところを容赦なく突いてくるじゃないか。
そんな事言われたって、露骨なピールなんてしたことないし……これは初めての恋らしい恋だし。
「……おままごとはおしまい、か」
『なんだって? ちょっと遠いわ』
「いや、なんでもない」
心炉の話に、こんなところで帰って来た。
ドライなまんまじゃおままごとなら、私がするべきなのは依存を警戒することじゃなくって、もっと依存したくなるくらい興味を引き付けることなんじゃないだろうか。
そう考えたら全てに納得がいった。
告白が怖いのは、相手が自分のことをどう思っているのか分からないから。
相手が自分のことを好きになってくれているっていう保証が無いから。
好きになってもらおう。
友達としてでもなく、母親代わりでもなく、私っていうひとりの女として。
恋愛は独りよがりじゃなくって、相手がいて、相手の気持ちがあって、初めて成立することなのだから。