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1月30日 硝子の少年

 防音室ってやつは、実に心地が良い。

 完全防音は大学の研究室レベルで一般開放なんてされてないだろうけど、声をあげて騒ぐ分にはそこそこの防音環境があれば満足できるし、遠慮もいらなくなる。


 というわけで、自由登校であることにかこつけて、私はアヤセと心炉を朝からカラオケボックスに呼びつけた。

 開店からデイユースのフリータイムがたっぷり八時間。

 ドリンクバーつき千円ちょっとで好き放題できる環境を手に入れた。


「はあ……やっぱ、陽水は心が洗われるね」


 ひとりで三曲続けて井上陽水を歌った私は、一息ついてウーロン茶を口に含む。

 エアコン暖房と熱唱のせいでカラカラになった喉に、冷たいお茶がじんわり染みわたる。


「アヤセも入れなよ。私しか歌ってないじゃん」

「お、おう」

「心炉は勉強してていいよ。私も一~二時間くらい歌ったら勉強するつもりだし」

「はあ……」


 ふたりは気圧された様子で頷く。

 そんなに警戒しなくってもいいのに。

 単に発散したくってカラオケに誘っただけじゃないか。

 まあ、早朝おきしなに「カラオケ集合」なんてメッセージを送りつけられたら、そんな顔もしてしまうのかもしれないけれど。


「えっと、とりあえず落ち着け?」


 次は聖子ちゃんでも歌おうかと思ってタッチペンを握った手を、上からアヤセが握りしめる。


「青い珊瑚礁みたいに澄み渡ってるけど」

「だれうま。しかも、そこまでうまくねぇし」


 辛辣なツッコミを受けながら、とりあえず私はペンをテーブルの上に落とした。

 アヤセも手を放して、ため息交じりに私を見る。


「お前、たまに変な荒れ方するよな」

「変じゃないし。たまにも何も荒れたことないし」

「いいや、あるね。少なくとも記憶にある限り一度は」


 いつのことを言ってるんだろう。

 記憶にない話は小脇に置いておく。


「週末にユリんとこ行ってきたんだろ? なんか……ほら、さ」


 尋ねるアヤセは、最後の方で急激に自信を無くしたみたいに、声が尻すぼみになった。

 何をそんなに怖がってんだか知らないけど、興味持って訪ねたなら最後までちゃんと言い切りなさいよ。


「大したことないよ」


 そう口にして、彼女の心配を一蹴してあざ笑う。

 そのままふんぞり返るように、ソファーの背もたれに体重を預けた。


「ユリにフラれた」

「え」

「は」


 零れ落ちた戸惑いの言葉が、どっちがアヤセでどっちが心炉のものかも分からなかったけど、ふたりは全く同じタイミングで目を見開いて言葉を失っていた。


「もう曲入れて良い? ふたりとも入れる気ないなら、聖子ちゃんメドレーで入れるけど」

「まてまてまて! フラれたって、え、たとえ話でなくってそのまんまの意味でか?」

「そうだけど?」

「土曜日だかに家に行ったとき?」

「そう」

「ああ……」


 アヤセはまだ混乱した様子ながらも、とりあえず言葉の意味そのままはかみ砕いたみたいで、ぐっと息を飲み込んで選曲用のタブレットを私に差し出した。


「まあ歌えよ」

「言われなくたってそうするけど」


 許しも出たので曲を探す。つい今しがたメドレーにしようかと思っていたところだけど、曲のセットを見ると微妙に知らない曲が混ざっている。

 それじゃ気持ちよくなれないので、仕方なく単品でどれにしようか考えることにした。


「そっかぁ。フラれたかぁ」

「なんでそんなに感慨深いの」

「いや……なんかよく分かんねーけど、今の一瞬ですげー疲れた」


 言いながらアヤセは、本当に憔悴しきった様子でぼんやりと天井を見上げる。

 一方で、遅れて状況を理解したらしい心炉が小さなため息をつく。


「とりあえず、意気地はあったってことですね」

「あはは。言うて、成り行きだったけど」

「何でしょう……その返し、すごく気持ち悪いです」

「分かるわ。強がり慣れてないヤツが強がってるって感じ」

「それが傷心中の乙女にかける言葉かコラ」


 ちょっぴり脅し付けてやったら、ふたりとも素直に「ごめん」と頭を下げた。


「ちなみにだけど、アヤセのとこにユリから何か連絡あった?」

「いや、その件に関しては特に」

「心炉のとこは?」

「なんで私に連絡が来るんですか?」


 ということは、ユリは今ひとりなんだろうか。

 そう考えたら胸がきゅっと苦しくなって、息が詰まる。


「アヤセさ、ユリのフォロー任せていい? 卒業前に変にこじらせたりしたくないしさ」

「それは構わんけど、具体的にどうなって欲しいん?」

「とりあえず、フッたことあんまり気にしないで欲しいかな……」

「わかった。まあ、任しとけ」


 彼女のその言葉に、謎の頼もしさを感じる。

 アヤセに任せとけばきっと大丈夫。

 私がいなくったって、きっと――


「なんだか、あんまり納得した様子じゃありませんね」

「そんなことはないと思うけど……」


 心炉への返事は、微妙にしどろもどろになってしまった。

 納得っていうか……そりゃ、整理をつけるのに時間は必要じゃないか。

 今日だってその一環のつもりだし。

 付き合わせたふたりには悪いと思うけど、こっちだって早く割り切ってしまいたいんだ。

 その一歩手前くらいまでは来てるって、自分なりに思ってはいるんだけど。


「今は受験があるから。それで頭空っぽにできる分、気は楽だよ」


 それは、強がりじゃなくって本心だったけど、心炉はウンともスンとも、特に反応を示してくれなかった。

 こっちはこっちで、たぶん信用されてない。

 それはまた、私の〝これまで〟の積み重ねの成果なのだから仕方がない。


「しょうがないですね。今日だけ付き合ってあげます」


 心炉が、テーブルに転がっていたマイクを手繰り寄せる。


「硝子の少年でいいですか?」

「やめて、泣いちゃう」


 私の懇願をよそに、心炉は母親譲りと言ってたアイドルソングを熱唱してくれた。

 自分で言っといてなんだけど、特に涙がこぼれるようなことはなかった。

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