吹きすさぶ風の中を、マルタンたちはかつての学び舎があった場所を目指して歩き続ける。森の中はあの開けた平原に比べれば幾分か寒さが和らいでいたような気はしたが、それでも春はまだ遠いと感じさせる風に身を寄せ合った。
日が昇り、沈む。そのたびに、マルタンは気が急いてしまってやや疲労の色が濃くなっていた。
「マル、気ばっかり急いてもあたしらの足の速度には限界がある。気持ちはわかるけど無理するなよ」
何日目かの朝にアドラがそう言った。マルタンは申し訳なさそうに頷いたが、アドラは笑う。
「あたしの事も、ずっとそうやって探しててくれたんだな。ありがとな」
「……うん」
「でもさ、マルが疲れて倒れちゃ困るだろ。マルは……レジスタンスなんだから」
――レジスタンス。
その言葉に、マルタンはぎゅっと拳を握りしめて複雑な表情を見せた。
「マル?」
「……マルは……まだわかってないの、レジスタンスってなんなのか……」
それは自分で気づいた方がいいことだ、とあの日エルディーテにてクラーヴァは言った。その答えに、まだマルタンは辿りついていないのだという。どの属性の加護も受けていないのはなぜなのか……。
「役職名は抵抗する者って意味だけど、それだけじゃないんだろうな、とは思うよな」
「時々考えちゃうの、マルに関わったせいで、イサミさんも、アドラも、他のみんなも、大変な目に遭ってるんじゃないかって」
「そんなことないよ」
弱弱しくそう言ったマルタンの言葉を遮ったのは、身支度を終えた勇だった。
「イサミさん」
「俺はこの世界にいきなり放り出されて、あのままだったら路頭に迷ってたところをむしろマルタンに救われたと思ってるよ」
「でも、いつのまにか大きな戦いに巻き込んじゃってる」
「今更じゃない?」
マルタンの横にすとん、と腰掛けて、メリアは笑った。
「メリア……」
「気にしすぎよ。そういうのは何て言うか、巡り合わせだわ。運命なんて陳腐な言葉は使いたくないけど」
私があなたに助けてもらったのも、イサミとあなたが出会ったのも、そもそもあなたがレジスタンスだったのも、アドラの後輩だったのも、全部……。
「必然だったのよ、きっと」
この世界にとっての、必然だった。そう言って、メリアはマルタンの背中を撫でる。
「だからね、自分のせいでなんて言わないで頂戴。きっかけは運命だったかもしれないけど、そのあとに判断したのは私たちだもの。最終的にマルタンと一緒にいようって決断したのは他でもない、私たち自身なのよ」
そう言われて、マルタンはふとフレイアの事を思い出した。
自分で判断して、決めたこと。
自分の目で見て、耳で聞いて、足で歩いて、そして心で決める。
どうしてそんな簡単なことを忘れていたんだろう。自分だって、そうしてきたはずなのに。
それを、巻き込んでごめんなんて言うのは逆に失礼だ。あの時フレイアが言っていたように、その人自身の選択を否定することになるのだから。
「そうだね、みんなが選び取った道なのに、失礼なこと言っちゃった」
ごめんね、とマルタンは頭を下げる。
メリアはため息で返した。
「そういうところよ。いいの、謝んなくて」
そして、マルタンの桃色の鼻をぷにりと撫でた。
「ぷふ」
「気にしないで良いの。みんな好きでマルタンと一緒にいるんだから」
ね、と顔を見合わせる。三人は頷きあって、マルタンに笑顔を見せた。
「うん……!」
泣きそうな顔でマルタンは笑った。
マルタンだけに背負わせない、と言って、勇はマルタンの小さな手をぎゅっと包むように握る。冷気にすっかり凍えていた手は、ほんわりとあたたかくなって、マルタンはひげをふくふくと動かした。
――一方。
「……なるほどねえ、思っていた以上だな、これは」
『……そいつがリングをしたまま死ねばハルピュイアは自由になる』
冷たい声で下された命令の声。
『軍費は? どうやって集めてるかわかってる? 税金だよ? ……それがどうしたっていうんだ? 世界を救う僕たちのために使われるんだ、民衆も喜ぶだろう!』
諭すように言う女性の声に噛みつくように反論する――ユウタの声。
その声は、ユキモモンガの愛らしい口から再生されていた。この時の様子はユウタの懐にいたため、その目で見ることができなかったので映像としては残っていない。しかし、音声だけでも彼のよろしくない言動は十分に伝わる、とそう確信した。
「……期待されている、ね」
ミルク色の髪の男は、ゆっくりと立ち上がった。
「利用されている、の間違いじゃないかな」
口元は弧を描いている。すべての点を繋ぐまで、あと少し。
手鏡が淡い光を帯びて、小さく声が聞こえた。
「マルちゃんかい?」
急いでテーブルの上の手鏡を開くと、マルタンの桃色の鼻がずいっとアップで映る。
「おっと、ちょっと近すぎるね、もう少し下がって元気な顔を見せて」
「あっ、すみません」
切り株の上か何かに手鏡を置いたのか、マルタンは一歩下がって小さく会釈をした。その後ろからは女の笑い声が聞こえる。
「ああ、アドラが帰ってきたのかい?」
「はい! おかげさまで、ちゃんと合流できました!」
「良かった……アドラ、怪我はない?」
「ああ、大事ない。グラナードが寄越したモモンガ、あれでマルにあたしの様子を伝えてくれてたんだろ? ありがとう」
「どういたしまして。ユキモモンガは引き続き密偵としてユウタの懐にいてもらうことにするよ」
「……ほんと、あんたが味方でよかったよ」
そう言って苦笑いするアドラに、グラナードは笑顔を返す。
「私の方でもいろいろ進めておくからね、君たちは心配しないで――ユウタ討伐を進めていいからね」
グラナードはついに『討伐』とはっきり口にした。
もしも王国側の人間に聞かれていたらとんでもないことになるだろう。
グラナードの背後は全くの無音。マルタンはあの時にグラナードが贈り物と言ったユキモモンガの姿が気になって少しそわそわしていた。
「マルちゃん?」
「あの……こんな時にお願いするのも変だけど、ユキモモンガさんは今グラナードさんのそばにもいるんですよね?」
ユキモモンガが諜報活動に用いられることがあるというのは、マルタンも授業で習っていたので知っていた。実際にその姿を見たことは無かったので、どんな生き物なのだろう、と興味があったのだ。姿を見てみたいというマルタンにグラナードは小さく笑うと、テーブルの上に手を伸ばした。小さめのブランケットの上でご褒美のおやつを食べていたユキモモンガに声をかける。
「ユキチ、おいで」
(諭吉……?)
勇はグラナードの相変わらずのネーミングセンスにぽかんとしている。
ぷみ、と鳴き声を上げながら真っ白な体毛のモモンガは大きな瞳をくりくりさせて手鏡をのぞき込んだ。
「わあ……! はじめまして、マルはマルタンっていいます、アドラを助けるのに協力してくれてありがとう、ユキチ!」
マルタンはユキモモンガの大きな耳がふわんと揺れるのを「かわいいねぇ」なんて言いながらでれでれしている。
(……マルも似たようなもんだと思うけど……)
そう思いながらアドラはくす、と笑う。
「あたしからも礼を言わせてくれ。あたしの無事を伝えてくれたおかげでマルたちが冷静に動けたんだ。ありがとうな」
通信先で口々に礼を言う面々の顔を見てユキチは小首を傾げ、そして言われていることが謝辞であると理解したのか、すこし誇らしげに頷いてグラナードを見上げる。
「おっと、これはご褒美を更に弾まないとだねユキチ」
それに、まだやってもらう仕事は残っているしね、と続けたグラナード。
「そういえば、グラナードさんの方でもいろいろ調べたり動いてくれてるって言ってましたよね」
勇がそう言うと、グラナードは頷く。
「うん、ユウタの動きについては常に監視しているよ。過去のことについても調査が進んでる。順調だよ」
「よかった……」
「で、彼らの次の向かう先だけれど……」
グラナードが教えてくれたユウタ一行の行き先に、マルタンは耳を疑った。