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第2話

 小さなピンク色の手足をせわしなく動かして、それは転がるように走った。今では、マルタンはひとりではない。ともに走る人間の『討伐者』がいる。空を駆ける友が二人いる。雪の中を、マルタンは走った。

 はやく――はやく!


 グラナードに告げられたユウタの次の行き先は、『魔王城』であった。

 すべての柱に対して攻撃を仕掛けてきたユウタであったが、そのたびにマルタンたちに防衛され、すごすご帰って行っていた彼が、ろくに態勢も立て直さないままにフィニスホルンへ向かって進軍しているという。どうしてそんな無茶を、とマルタンが尋ねると、その動機に至る一部始終をユキモモンガを通して知ったグラナードはあきれ声で答えた。

 彼は焚きつけられたのだ、と。

 誰に、と問うと、グラナードは静かに笑うだけだった。言わない方が良いんだよね? 今は、とアドラに確認するグラナードに、アドラは小さく、「ああ」とだけ答える。

 きっかけがどうあろうと、彼が魔王城へ向かおうとしていることには変わりない。

 魔王ともあろうものがユウタに負けることはあり得ないと信じてはいるが、ユウタが何を隠し持っているのか知れないし、魔王と共に居るであろう校長の身の安全も気にかかる。はやく駆け付けなければ、と、マルタンたちは更に足を速めることになったのだ。


 さて、魔王城への道のりについてだが、ユウタはどうやらその場所をある程度知っているらしく、アロガンツィア王に報告する際に、魔王城へのルートは知っているからこのまま北上していく、とガランサスの庵にほど近い村から伝書ハヤブサで連絡してきたらしい。

 アロガンツィア王さえ知らない魔王の居城を何故ユウタが、と思ったが、転生前に魔王城についての攻略情報を得ていたのだとしたらそのマップが頭に入っていても不思議ではない。勇にそう説明されて、リベルテネス出身の面々はなるほどとうなずいた。『救世の光』における魔王城は攻略する人のIDや日時によって場所やダンジョンの構図が微妙に異なってはいたが、フィニスホルンの中腹にある森を抜けた先に存在するということは共通していた。勇はそれ以上の情報を知らない。何せ、友人に付き合う程度のプレイ時間だったから魔王城を攻略できるほどストーリーも進めていなかったのである。

 しかし、こちらには白龍たる校長の居場所も、魔王の居場所さえも知っているであろうセベネスを呼び出すことができる道具がある。

 ただ、間に合ってくれと願いながら、走る。



 グラナードとの通信から三日、夜明けとともに走り、日暮れと共に休むようなサイクルを繰り返してようやくマルタンたちは魔族防衛専門学校の跡地に到着した。真っ赤な炎を上げ、黒い煙に包まれていく校舎を背に走ったあの日は、森の木々が色づき始めていた頃だったろうか。葉が落ちた木々を見て、季節が進んでいることを実感する。

「ここが、学校があったところなんだね……」

 勇はこの地に投げ出されたあの日、雨が降る森の中で目を覚ました。焼け落ちた学校の跡地を見るのは、今回が初めてだ。

 見る影もない瓦礫の山に、いたたまれない気持ちになる勇の横でアドラは小さくため息をつく。

「……戻ってきた、か」

 絶句しているメリアに、そっとマルタンが寄り添う。

「なに、これ……」

 本当にそこにあなたたちの学校があったの? と問うメリアにマルタンはゆっくりと頷いた。

「今立っている場所が校庭、そっちのがれきの山の、奥の方にマルのクラスがあったよ」

「マルのクラスは二階だったな、あたしのクラスはその真下だった」

 アドラとマルタンは顔を見合わせる。まだ一年も経っていないのに、とても昔のことを懐かしむように。

 残っているのは礎だけだった。何もかもが失われたその場所、今、この時間であれば本来ならば昼休憩頃だっただろう。きっと校庭で休んでいる者もいれば、食堂で昼食を摂る者もいたし、教室で語らう友もいただろう。そんな風に過去を少し思い出して、それからマルタンは首を小さく横に振った。

「……呼ぼう」

 勇は頷くとカバンの中から龍律の杯を取り出す。

 それは、あの庵でガランサスに賜ったときと変わらずにひやりと冷たかった。

「マルタン、いい?」

 勇に問われて、マルタンはしっかりと頷く。そして、目をとじると、小さな手のひらを合わせた。柔らかな光があたりを包む。勇が手にしている杯に、澄んだ水が満たされていった。水が湧き出るのが止まると、勇は静かに指先を水に浸し、杯のリムの部分に触れる。

 そして、緊張した面持ちで、ゆっくりとリムをなぞった。


 辺りを包むようにグラスハープの音色が広がる。

 勇の手が円を描くのに合わせ、高く、高く空へ澄んだ音が昇って行った。

 それに合わせて、光の粒が舞い上がっていく。

 その幻想的な光景に、アドラは感心したようにため息をつき、そして空を見上げた。

(こんなにきれいな音がするんだな)

 それは、これが聖なるアイテムだからというそれだけではないと直感していた。

 きっと、この杯から出る音がこんなにも透き通っていて、美しく、優しいのは……。


 その時、空から同じ音が返ってきた。

(反響……?)

 一瞬メリアはそう思ったが、微妙にトーンが違う。反響にしては長さも違う。

 マルタンが目を開けて、勇の服の裾をくい、と引っ張った。

「届いたんじゃないかな」

 これはセベネス様のお声なんじゃないかな、とマルタンは笑いかける。この音色がセベネス様にもう届いているのであれば、きっと演奏をやめても大丈夫だよ、というマルタンに勇は頷いた。繊細な龍律の杯を奏で続けるのは、体力的にも精神的にも負担が大きい。大きく息を吐きだすと、勇はアドラと同じく空を見上げた。


 逆光の中、点のような小ささだった影がこちらに近づいてくるのが見える。

 勇が奏でていた杯の音とよく似た音が、そこから発せられているとわかった。

 かなりのスピードでこちらへ近づいていると見える。点だった影が見る見るうちに大きくなっていくことで、マルタンたちはその影がセベネスであることを確信した。

 大きな、龍の姿。

 がっしりとした体躯に、四本の脚。風を切り、旋回しながら舞い降りる翼は星の光のごとききらめきを撒きながら時折ばさばさと上下に動く。

 さあ、着陸、というところで、金色の龍はマルタンたちに強風が当たらないよう、自らの力で風を打ち消し、驚くほど静かにその大きな足を校庭だった場所へつけた。


 神々しく煌めくその金の鱗を持つ龍に、全員膝をついて頭を垂れる。龍は、その姿からは想像もつかないほどに柔らかな声で言った。

「はじめまして。私を呼んでくれたのはあなた達ですね?」

 校長であるヒルデガルトよりも若々しく、けれど落ち着きのある穏やかな女性の声。呼んでくれた、などと言うので、マルタンは頭を下げたまま答えた。

「急にお呼び立てしてしまい、すみません。わたしはエビルシルキーマウスのマルタンです」

 こちらはアドラ、イサミ、メリア、と続けて紹介すると、龍は「ええ」と答えた。

「天上より見守っておりました。呼び立てなどと、とんでもない。私は地上の子らに呼ばれねばこちらへは干渉できないのです」

 そういう定めになっておりますから。そういうと、龍はマルタンたちに顔を上げるよう言った。

「改めて……私はセベネス。四柱と共にこの世界の万物の流転を助ける者。やっとお会いできましたね、マルタン、イサミ、アドラ、メリア」

 セベネスはひとりひとりの目を見ながら、優しくそう告げた。

(まるで……この方は……)

 勇はふと思う。龍という恐ろし気な見た目はしているが、話し方や役割としては女神のようなものではないのだろうか。

 勇の思考を読み取ったかのようにセベネスは少し笑うと首を小さく横に振った。そして、口を開いた。

「さて、私が呼ばれるということは同時にこの世界の緊急事態とも言えること。久々に地上の子らに会えてうれしいのに、素直に喜べないのが悲しいところですね」

 そう言うとセベネスは大きな体を屈めて、尾をマルタンたちの前へ差し出した。

「こちらへ。私の背へどうぞ」

 マルタンは驚いて聞き返す。

「えっ……お背中に……」

「お急ぎでしょう? あなた方の願いは杯の調べに乗せて届いております。校長に……ヒルデガルトに会いたいのでしょう、案内しましょう」

 聖なる黄龍の背に土足で上がるなんて……と顔を見合わせる面々にセベネスはくすくすと笑った。

「律儀な子達ですこと、気にしなくてよろしいのですよ。くつろげないのであれば靴を脱いでも結構ですけれど」

 さあ、はやく。

 そう促され、マルタンはごつごつしたセベネスの尾を伝い、その背に登るのであった。


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