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第4話

 その蹄の音に広場にいる者たちが気づいたのは、聴力に優れた魔族よりも少し後だった。この騒ぎに馬を駆ってわざわざやってきたのは一体誰なのか。その姿を視界にとらえた人々は、驚きに目を見開いた。

「遅くなった! ごめん!!」

 人々でごった返す広場に突入した女性は、手綱を勢い良く引いて栗毛の馬を急停止させた。馬は前足を上げ鋭く嘶くと、ガツンと音を鳴らして蹄を広場のレンガ張りに叩きつける。見れば、馬には鞍がついていなかった。馬上にいる女性の、馬の尾のように高く結い上げた榛色の髪は、汗で前髪が張りつき乱れている。上がった息を整えるように一度深く息を吐くと、彼女はひらりと裸馬から飛び降りた。

「――次期エルダリア侯爵、フレイア=エルダリア!」

 高らかに名乗りをあげ、そして一呼吸置く。広場にいる誰もが息を飲んだ。彼女の透き通るアクアマリンの瞳が、まっすぐにアロガンツィア王とユウタを捉えた。

「……アロガンツィア王による不当な統治に関し、申し上げたいことがございます」

 アロガンツィア王は片眉を吊り上げる。

「誰かと思えば、エルダリアの一人娘か」

「御無沙汰しております」

「社交界に滅多に顔を出さんからもう顔も忘れてしまっておったわ」

「はは、手厳しい。……まあ、私の顔など、今はどうでもいいことです。王よ、いままであなたがしてきたことを民へ詳らかにされること、覚悟はよろしいですか」

 人々は、これから始まる断罪劇への期待と恐怖に色めき立つ。

 王はそれを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。

 マルタンは、どうしてここにフレイアさんが、と驚きを隠せないといった顔をしている。それを見て、勇が小さく笑った。

「グラナードさんじゃないかな?」

「あ」

 そう、フィニスホルン山麓にてフレイアと別れる際に、勇が伝えたこと。


 ――フレイア、王城に出入りしていたなら、グラナードさんと面識あるよね?

 ――ん? ああ、彼ね。


 それを思い出して、マルタンはああ、と手を打った。

 何かあればグラナードへ伝書生物を飛ばしてほしいという勇の申し出を覚えていたフレイアが、バートと共に集めた各地の納税証明や訴えを公衆の前で披露したいと打診したのだろう。フレイア側が自分の滞在している場所をグラナードに伝えれば、グラナードが訪問したことがある街ならば連絡を取ることは容易だった。一度エルダリア領に戻ったフレイアがグラナードと連絡を密にとってこの日に王都で演説をすると決め、そして今に至るわけだ。


 人というのは、大多数は実際に自分の生活に影響が出ない限りは悪政に気づかない。悲しいかな、それはどの世界線でも共通のようだった。差別があるだとか、一部地域への圧政があるだとか、実生活に大きな影響を及ぼさないのであれば、大抵の人は他人事で終わらせる。民衆に一番響くのは、その政治が自分たちの生活に、懐にどういった影響を与えるのかという事。どこか遠くで誰かが泣いているとか、じわじわと自分たちの権利が侵害されていくとか、そう言った事には鈍感なのだ。

 それを知っているからこそ、フレイアは動き出した。

 その『自分たちの生活』と『自分たちの懐』に対して王が不誠実であるということを、暴くために。


 フレイアは、肩から掛けていたバッグから書類の束を取り出すと、息を吸い込んだ。

「これより公表しますは、アロガンツィア国王にとって都合の悪い態度をとっていた諸侯に対し、国王が増税や何かしらの処罰を与えていたことについてです」

 グラナードはゆっくりと頷く。

 マルタンは、エルダリア別邸でバートが言っていたことを思い出した。


 ――エルダリア領にかかっている税金がここのところ上がり続けていてね……

 ――え、何増税? なんで?

 旅をしているがために増税について何も知らなかったフレイアが食い気味に訪ねたのも、よく覚えている。

 ――軍費の拡大だそうだ、魔族から国を守るための防衛費と、魔族の拠点へ攻め込むために必要な経費を賄うためと聞いているが、正直内訳をみてもわかりにくいし納得いかないのだよ。

 おかしなタイミングでの増税、軍費の拡大、不明瞭な内訳、それらを直接指摘したならば、バート――バーソロミュー=エルダリアは、消される可能性が高い。最善の時を伺っていた。

 全てが揃い、舞台は整えられた、虐げられている諸侯たちの憂いを晴らす時だ。

「我がエルダリア領を筆頭に、獣人、亜人との不可侵条約を締結していたガルダ子爵領、クーナ湾への出兵に協力しなかったルセリオ男爵領、豊富な鉄資源を持つトネリ村……」

 次々と、中立派の領地、村、自治区の名前が上げられていく。その地域に親類を持つのであろう男が、隣にいる男に囁いた。

「俺の甥っ子が、最近税金が上がったって嘆いてたんだがこれか?」

「そうなのか? 王都は何も変わらんから気づかなかったな……」

「ガルダ家は昔から魔族にも獣人、亜人にもあまり関わらんタイプの領主様だったからな、積極的に兵を出す方でもない」

「王にとって都合が悪いって……」

 そういうことなのか、と顔を見合わせる人々。

「でも、魔族の討伐に力を貸さないってのは王国民として責任を放棄してるとおもうぜ」

 血の気が多そうな男が言った。

「お前さ、今までの流れ本当に見てた?」

 広場にこんなに人間が集まっていて、このリベルテネスの中心ともいえる王都アロガンツィアを統べる王がここにいる。一網打尽にするのならばこれ以上の条件はないというくらいの状況なのに、魔王は人間に危害を加える様子を見せない。それどころか、指一本だって触れていない。ただ、静かに腕を組んで様子を見守っているだけだ。巨大な岩がここへ飛んで来ようとしたときには、自らの力でそれを防ごうとさえしてくれた。今となっては、ここにいる人間からすると魔族が危険な存在であるという考え方への疑念は膨れ上がるばかり。自分たちを騙そうとしているのは、本当は誰なのか。それに、気づき始めていた。

「魔族を討伐する意味なんて、本当は……」

 そう言いかけた男を、じろりと王国兵が睨みつけた。

 びくりと首をすくめ、男は口を閉ざす。

 滅多なことを言うもんじゃないぞ、と横にいた男に小突かれて、男は気まずそうに視線を逸らした。事実を、思ったことを言おうとしただけで王国兵に睨まれ、何をされるかとビクつかねばならないのは、本当に正しい国なのだろうか。今まで国の中の事、自分の生活に関与することにしか目を向けず、この世界そのものがどのように機能しているかなど知ろうともしなかった人々が、少しずつ目を開こうとしていた。

「トネリはうちのじいちゃんが住んでるけど、まさか……」

 村を税で締めあげ、村人が生活できなくなったところを“まるごと”王国が乗っ取り直轄領にする。――鉱山の既得権益を奪う。そういう流れを作ろうとしているんじゃないのか。

 王の計画が、露見しようとしている。

 それでも民衆は大きな声を上げることは出来ずに怯えたような目で魔王とアロガンツィア王とを見つめていた。

「よもや忘れたとは言いますまい。アロガンツィアへの恭順の態度を示さなかった小国フィデリアに対し、叛意ありとして進撃。A歴1000年、冬の月、アロガンツィア王国へ併合、国王の処刑、及び王妃、王女の捕縛、監獄搭への収監」

 言って、フレイアは崩れ行く北西の塔へ視線を向けた。

「……これが不当な侵略行為であることは誰の目にも明らかです。自国の意にそわないとして独立国家へ攻撃を仕掛けることは、人道に反します」

「叛意あり、とあるはずだが」

「フィデリアがアロガンツィアへ何かしらの攻撃を加えた、或いは襲撃の計画を立てていたという記録はどこにも見当たりませんでしたが」

「計画を立てていたという記録も無ければ、立てていないという記録も無かろう」

 マルタンはぎゅっと手を握りしめる。つま先が、白くなってしまうほど。

 勇は、しゃがみ込むと、そっとマルタンの手を包むように握った。

 そして、声を上げる。

「俺のいた世界では、疑わしきは罰せずという言葉があります」

「何? 裏切り者の討伐者に発言を許可した覚えはないが」

「王のその言い分が通るのであれば、あなたが『民を圧政で苦しめようとしていた』とか、『不当な税負担を強いていた』とか、『身勝手な理由で諸地域を王国へ編入しようとした』という話に根拠がなかった場合であっても、あなたが罰せられることになりますが」

「……」

 王はあきれたように笑った。

「そもそも、民草や弱国の王と、このわしが同列に語られるのがおかしいのだ」

「……その『民草』が、今あなたの不誠実さを目の当たりにして心を冷えさせておりますが、それでよいので?」

 この世界に来た時の勇ならば、こんなにはっきりと物を申せるような性格ではなかっただろう。少しずつ、変わっていった。マルタンと、旅の中で様々な立場の者と関わり合う中で、事なかれ主義ではなりゆかぬことがあると、彼の中で少しの勇気と正義感が芽生えた。

 マルタンは、勇の顔を見上げると、ゆっくりと頷く。


 王はというと、くだらないものを見るような顔で、勇とマルタンを見下していた。


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