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第10話

 人々の罵詈雑言は止まる気配がない。王のために剣を振るっていた兵士たちも、それを止めることはしなかった。暴動が大きなうねりになって王の元へ到達するのを、ただ見ているだけ。誰もかれも身勝手なもので、自分だけは傷つきたくないと、そういうことなんだろう。セルジュは民衆の様子を見つめながら、口元に嘲笑を浮かべる。こうなってしまえば、もう自分が手を下す必要なんてない。自らの手を汚さずして、王を断罪することができる。あとは怒りに任せて暴徒が何かをしでかせば、勝手に国は亡ぶ。

「だめ!!」

 膝を着いている王を襲うために、舞台へなだれ込もうとする民衆を止めたのは、マルタンだった。あれだけマルタンを、魔族を愚弄した者の前に躍り出て、バリアを展開し、暴徒を弾く。

「なんだ!? あの魔物は王を守るってのか!」

「何がしたいんだ、魔族は!? この国を滅ぼしたいのか、守りたいのか……!」

 ぎゃあぎゃあと喚く民衆に、マルタンは身をすくめて、それからすっと息を吸い込んだ。勇は、兵士が取り落とした剣を奪って闇雲に振り回す男を自らのメイスで止める。そして、目の端でマルタンの無事を確認すると、ほっと息を吐いた。

「わたしは、この国の存亡に関与するつもりはありません。でも、誰かが誰かの命を奪うところなんて見たくない!」

 涙を浮かべて絶望の表情のまま息絶えていたゴブを思い出し、遺品のポーチに手を重ね、ぎゅっと握りこぶしを作る。クラーヴァが言っていたように、誰かが殺されれば、弔い合戦が起きる。その戦いの中で誰かが死んでしまえば、またその復讐に燃えるものが現われる。そうして復讐の連鎖は続いていく。誰かが断ち切らねば、永遠に殺し合いは続いていく。綺麗ごとだというのはわかっていた。それでも、目の前で起きていることならば止められるかもしれない。そう考えて、マルタンは声を上げる。

「嫌なもの、不都合なものを暴力で潰すのは今まで王様がしてきたことと一緒です! あなたたちはそれですっきりする? 人を殺したという記憶は、消えないのに!」

 一瞬、人々の動きが止まった。しかし、次に女の金切り声で崩される。

「大切な人を奪われて、じっとしてろってのが無理なのよ!!」

「そうだ! 死をもって償わせるほかない!!」

 アドラやアフィラド、フレイアが間に入って人々を押しとどめる。

 いつの間にやら逃げようという気がなくなった人々が舞台の周囲に詰めかけ、押し合いへし合いになっていた。


「落ち着けって……!」

「落ち着いてられるわけないでしょ!? あんたたち魔族だってこの王に謂われない罪を被せられて、攻撃されてたんでしょ!?」

「そう、だけど……!」

「なら、憎いでしょう!? 命で償ってもらうってのが妥当でしょう!!」

「あたしはそうは思わない。あんたの考えをこっちに押し付けるな」

 ぴしゃりと言い放ち、アドラは暴れる女の腕を掴む。

「なんで!? 肩身の狭い思いをさせられてたんじゃないの!?」

「あたしらにはあたしらの生活があった。そこに踏み込んでまで攻撃されることは迷惑だったけど、金輪際やらないってんなら死ねとまではいわねえよ」

 ぐ、と力を入れて、女の腕を捻り上げる。甲高い悲鳴が上がった。やはり魔族は人間とは違う。戦闘能力に関して、丸腰の人間が敵うはずがなかった。

「亜人の兄ちゃんよぉ! なんで俺を止める!!」

 アフィラドが胸を押すようにして進行妨害したのは、壮年男性だった。アフィラドの褐色の肌に浮かんだ汗が、つ、と頬を伝う。

「止めるでしょ、そりゃ! あんたがやろうとしてることは人殺しだ!!」

「人殺しを殺して何が悪い!!」

 男の発言に、アフィラドは言葉を詰まらせる。それから、呼吸を整えて、暴れている男の胸倉を掴む。

「なら、あんたが殺人を犯した後にあんたも殺されるって理屈だよ?」

「あれが死んだところで俺に恨みを持つ奴がいるかよ……!」

「……っ」

 男は勢いを失わない。アフィラドは言葉を失う。反論する言葉が浮かばなかった。もみ合い、そのまま男を地に捩じ伏せて、苦虫を噛みつぶしたような顔で見下ろした。

 どうしても分かり合えないことだってある。そんなことは理解していた。それでも、していいことと悪いことがある。止めなければならないことがある。じたばた暴れている男を押さえつけながら、アフィラドは、ぎゅっと目を瞑った。瞼の裏に、ナルの顔が浮かぶ。彼の家族を殺したのはアロガンツィア王だ。一人や二人じゃない。ナル以外の一族の男達を殲滅された。仇を打ってやりたくないのか、と言われると、はっきりと否定できない。自分の中に揺らぎがある。そう気づいて、少しだけ身を震わせた。

 ――怒りと恨みに身を任せても、なにも得られない。親友が過去に言った言葉、それだけがアフィラドを支えている。その親友は、避難の手助けを終えて広場に戻ってきており、グラナードの傍らで共闘していた。気づけば、監獄搭の崩落は収まっていた。


「予想通りデカい騒動になったな」

 舞台下で、グロセイアは舞台に上がろうとする人々を押し戻しながらグラナードに言った。

「私はここまでになると予想しきれてなかった」

「甘いぞ。アレのやってきたことを暴露すれば民衆が暴徒化することなんかわかり切ってたじゃねえか。お前も優しい騎士様の顔が板につきすぎだ。もっと牙剥いて良いぜ」

 軽口を叩く余裕はあるようで、グロセイアは尖った犬歯を見せて笑った。

「って言っても、一般人に傷をつけたくはないし」

「抜かなきゃ大丈夫だろ。おら、行くぞ」

 近くにいたアロガンツィア兵から剣を奪い取ると、グロセイアは「借りるぞ」とだけ言って詰めかける暴徒の中でも暴力性の高いのを狙って鞘で腹部を殴りつけていく。それをみて、無力化するには致し方ないことだと腹を決めたグラナードも同じように、鞘に収まったままの剣で暴徒に応戦した。

 王はそれを黙って見ているだけだ。

 セルジュは嗤う。

「なあ、お前が滅ぼしたかった奴が、お前のことを守ってるってどんな気分よ?」

 肩で息をするアロガンツィア王は、ぎこちない動きでセルジュを見上げた。

 視界が霞む。

 黒い渦がここまで体力と精神を苛むなんて、思ってもいなかった。

 ユウタの特殊能力の副産物が、恐ろしいものだということは、本当に知らなかったのだろう。

(……死より、屈辱的だ)

 王は、そう思って目を閉じた。

 蔑み、根絶やしにしようと考えていた者たちが、暴徒化した民から自分を守ろうとしている。まったく、理解しがたいことだった。

 しかし、マルタンやグラナードが殺生をとことん拒む理由は、ここにあった。

 死よりも重たい償い方がある、と。そう考えているから。


「どうして王を守る! 殺せ、そのまま振り向いて噛みつけ!」

「斬れ! 殴りつけろ!」

「セルジュ、やっちまえ! 恨みがあるんだろ!!」

 人々はそれぞれを煽るように叫ぶ。恨み、怒りに合わせて、どこか高揚している。それを見た魔王は、深く息を吐きだして、それから――。


「黙れ」


 決して大きくはない、感情的でもない、それなのに、広場に響き渡る重厚な声でそう告げた。

 びり、と空気が震える。

 水を打ったように広場は静まり返った。

 フィニスは、恐怖で支配することを好まない。王として君臨する者と、それに付き従う者とは、信頼関係で結ばれるべきと考えているからだ。自らを妄信させることも好まない。自分の頭で考え、行動し、真理を求めてほしいと思うからだ。だからこそ、“過激派”と呼ばれる、人間への敵愾心が強い魔族がいることも知ってはいたが、実力行使に出ないのであれば黙認してきた。

 しかし、実際に他者の命を奪おうと暴れる存在が出てきてしまえば話は異なる。

 止められるのであれば、対象を委縮させてでも止めなければならない。

 傷つけない方法で、一瞬のうちにこの暴動を止める方法はただ一つ。

 その『声』だった。

 フィニスの声には、意図すれば魔力が乗る。

 非常に疲れることなので本来ならやりたくはないのだが、緊急を要する。致し方なく、言霊の力を見せつけるしかなかった。

「王も王なら民も民だ。貴殿らの恨み、つらみは理解した。しかし、貴殿らは自分に一切の罪はないというのか? 外へ目を向けず、のうのうと生活をしてきた。疑いを持たず、疑問を呈する者の言葉を聞かずに過ごしてきた。ぬくぬくと流されて生きてきた――その代償と、わからぬか?」


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