目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第86話 絢爛雑然

 その部屋には絢爛と雑然が同居していた。

 ゆうに百畳は数えよう広間には、金糸銀糸があしらわれた縁を持つ畳が螺旋状に敷き詰められている。天井には極彩色の曼荼羅。幾百もの仏が幾何学模様を描いて下界を見下ろしている。

 奥の壁には壮麗なステンドグラス。伴天連の天使が色とりどりの花々に囲まれ、透かした光が七色に降り注ぐ。光を浴びるは黒塗りの像。逞しい男の体にふくよかな乳房を持ち、その先端は白い汁で濡れている。頭は捻じくれた角を持つ雄山羊。背には十三枚の羽。腰から下は無数の蛇が絡みつき、脚は見えない。


 左右の壁には棚が並んでいる。まず目につくのは仮面の数々。能面は翁、般若、武悪ぶあく黒色尉こうしきじょう、おたふくに賢徳けんとく嘯吹うそふき。獅子舞、天狗、狐面もある。ぎょろりと丸い目玉を見開き、長い牙を剥いて金冠を戴くのはインドネシアのバロンかランダか。野獣野鳥の剥製を高々と縦に繋いだものはブルガリアのバニシュテ。岩を削って長方形の双眸を称えるドゴン族のバンディアガラ、扁平な額にラピスラズリの瞳を持つ黄金面は南米大陸テオティワカンの遺物であろうか。


 仮面だけでもこのざまだ。その他に武具や用途のわからぬ祭具か民具か、そういうものが何の規則性もなく並べられている。


「もー、男の子の部屋って感じー。あれでしょ、あーし知ってるよー。上はカモフラージュで棚の下にエロ本とか隠しているやつでしょー?」


 空気から滲むように現れたのは十二単を着崩した少女――蘆屋道満である。彼女が棚を覗き込むたび、かんざしに下がる飾りがしゃりしゃりと揺れる。


「ははは! すまんが艶本の類はないのう。ここにあるのはわしが趣味で集めた品ばかりがじゃ」


 部屋の奥、山羊頭の像の前には総髪をひとつに括った男――坂本龍馬が座していた。隣には洋装に眼鏡を掛けた痩身の男が立っている。


「ガラクタは片付けろと言っているんですがね。社長は整理整頓が苦手で困ります」

「以蔵はひどいのう。ガラクタじゃのうて、でーどれもわしの宝物ちや」

「そーそー、ガラクタって呼ぶには気合いが入りすぎってゆーかー。ほら、これなんて壇ノ浦の海の底から拾ってきてたりしなーい?」


 道満は勾玉の連なる首飾りを首にかけ、銅の直剣と丸い銅鏡を左右の手に掲げた。


「さて、どこで拾ったかのう。集めすぎてもう忘れたぜよ」

「忘れたものなら捨てても気が付かなそうですね」

「勘弁しとーせ。以蔵は油断も隙もないがぜよ。道満も見ちょらんで何ぞ言うてくれ」


 坂本龍馬の視線に道満は肩を竦め、手にしたものを棚に戻す。

 安徳天皇と共に沈んだ三種の神器がこの扱いか。坂本龍馬といい岡田以蔵といい、どちらも世俗の権威に対して何も思うところがないらしい。出世欲、権力欲に凝り固まった宮本武蔵とはまるで反対の男たちだった。


「ま、そんなことは別にいーとしてー。武蔵ちゃん、やられちゃったけどいーのー?」

「悲しいのう。武蔵さんなら洗濯を乗り越える思うちょったんやけんど……」


 龍馬は両手で顔を覆い、深くため息をつく。

 が、すぐに顔を上げて満面の笑みを浮かべた。


「しかし、これも運命やねや。総司さんの方が日本の夜明けにふさわしかったっちゆうことがじゃ」

「遺骨を掘り出してくる苦労も考えて欲しいものですが……。まあ、それはさておき計画に支障はないのでしょう?」


 以蔵の問いに、道満は頷く。


「両面宿儺ちゃんの実行再生産数から計算するとー、武蔵ちゃんが勝手に使っちゃった分を差し引いてー、七十人くらいの感染者が残ってるとしてー、江戸だけでも三ヶ月で一万人くらいはよゆーなんじゃないかな?」

「おお、たった七十からそんなに増えるがじゃ。まったく疫病とは恐ろしいのう」


 龍馬は身を縮めて自分の肩を擦る。

 フリではなく、本気で恐ろしがっているのだから始末に悪いと道満は冷ややかな感情を抱く。


「両面宿儺の呪いは不満を持つ人間に罹りやすいんでしたか。彼らが薩摩や長州に帰ったならばどうなるでしょう」

「正確には嫉妬心ね。田舎にはキョーミないから知らないけどー、そしたらたぶんもっと増えるんじゃない? 倒幕トーバク倒幕トーバク~って盛り上がってるんでしょ? 自分よりえらそーにしててー、自分よりお金持ちそーでー、そういうイメージって、離れてる方が膨らみがちだからー」


 武蔵とともに変異した人面瘡。それが両面宿儺の呪いがもたらした結果である。異形に生まれ人界に憧れた両面宿儺と、戦国に乗り遅れ名声に憧れた宮本武蔵はその本質が相似していた。両面宿儺の呪いを感染症として発現させるための宿主として、宮本武蔵という素材はうってつけであったのだ。


「まあ、数ばあ増えてもしょうがない。肝心ながは場所じゃ。薩長で発症しても幕府を利するばっかり。使えるがは京と江戸のものだけがじゃ」

「仕掛けは大いに越したことはありませんよ。もういくつも失敗しているんですから」

「ははは! 以蔵はやっぱり手厳しいのう」

「笑い事じゃないんですけどねえ」


 笑い事だと思っているだろう。道満はそう思う。

 坂本龍馬には本気を感じないのだ。幕府を弱体化させ、薩長を刺激し、日本に大乱を起こして「洗濯」を行い、「日本の夜明け」を迎える。目標そのものが狂っているのは別に構わない。人間などそんなものだと道満は思う。道筋も一応は理屈が通っている。


 しかし、やり方がぬるいのだ。

 例えば武蔵の件であれば、両面宿儺の苗床としてのみ利用すればよかったのだ。拘束して自由を奪い、屈辱を与えれば呪いはさらに強まっただろう。三ヶ月で一万どころではない。一ヶ月で江戸百万を残らず罹患させることも可能だったはずだ。それが可能であることは道満も伝えた。だが龍馬は「気が乗らんのう」の一言で武蔵に自由を与えたのである。一事が万事、遊んでいるようにしか思えない。


「ま、それはあーしも似たようなもんかー」

「おっ、何ぞゆうたかのう?」


 道満の呟きに、龍馬が以蔵とのじゃれ合いを止めて尋ねてきた。

 それに道満は十二単の袖をくるりと回して、


「ひーとーりーごーとー。乙女のヒ・ミ・ツってやつー? 気になるのー? やらしー」


 きゃははは! と笑って口訣を唱える。

 道満の姿が空気に溶けるように薄まっていく。

 坂本龍馬が何を企もうと道満には知ったことではない。たまたま目的への過程が一致したから協力関係を結んだだけだ。千年の時を超えて輪廻の術は成った。あとはやり残したことを片付けるのみである。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?