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第55話信長、玉を握る

 新選組の幹部会から数日後の薩摩藩邸。

 そこで二人が会談をしていた。


「どうも岩倉卿いわくらきょう。お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」


 丁寧に来訪者である岩倉具視いわくらともみを歓迎する男――大久保利通おおくぼとしみちは、同じ薩摩藩の西郷吉之助も胡散臭いと思う笑顔だった。整った顔立ちではあるが、目の輝きはほとんどなく、他人に嫌悪感すら与えるほど嫌味な知性を感じさせた。しかしそれ故に蔑まれることはほとんどない。何故なら人は闇を覗くとき、畏敬を覚えるからだ。


「西郷殿はいらしていないようだが。私と二人で悪巧みでもしようとするのかね? 大久保殿」


 対して、岩倉は公家によくあるような高貴な顔つきをしている。しかし細目からは己は他人を信用しないと言っている印象を受ける。謀略が渦巻く公家社会で生き残ってきた男ならではの処世術なのかもしれない。


「ええ。吉之助は真っすぐな男です。彼に向いていないことをするのが、私ですから」

「ふん。素直に悪巧みが好きだと言えばいい」

「あははは。酷い言われようですね」


 大久保は挨拶も早々に「新選組を利用する策は失敗ですね」と切り出した。


「伊東は京を焼くことを断りました。ま、身内を裏切るのが精々だとは思っていましたが」

「幕府の犬が京を焼くことで、武力倒幕の口実にする……流石の帝も認めざるを得ないのだが」

「ですので、伊東の御陵衛士はあまり信用なさりませぬように。一応、御所の警備を任せていますが」

「元より信用していない。それで、どうする?」


 確認を終えた後は次なる手を打つ相談だった。

 大久保は「徳川家に無茶な要求をしようと思います」と告げる。


「官を辞させて領地を納めさせる……いわゆる辞官納地じかんのうちですね」

「そこまでやらねば徳川家の権力は奪えないだろうが……帝は賛成しないだろう。あの方は年若いが、先帝と同じように徳川家主導で政治を行なうことを望んでいらっしゃる」

「でしょうね。その下準備として薩摩藩中心に御所を占拠する方法を考えました」

「上手くできるか? 帝を納得させねば全ては水の泡だ」


 大久保の過激は言動に反対しない岩倉。

 彼もまた武力倒幕に賛成であり、そのためなら手段を選ばなかった。


「御所の門を閉じてしまえば何とでもなりますよ。ところで、最近、帝のお身体が優れない様子ですが……」

「重責を担っていらっしゃるのだ。しかし崩御となられたら……」


 二人は帝の身を心配などしていない。

 むしろ亡くなってしまえばいいとさえ思っていた。

 そもそも、徳川家を信頼する先帝や今の帝の考えさえなければ、ここまでややこしくならなかったのだ。


「……私のほうで手を打ちましょうか?」

「いや。それには及ばんよ」


 だからこそ、簡単に汚い手段に出られる。

 現実主義の薩摩藩らしいとも言えた。


「まずは地位の確定ですね。総裁には有栖川宮熾仁ありすがわのみやたるひと親王を。議定には仁和寺宮嘉彰にんなじのみやあきひと親王、島津茂久しまづしげもち公に徳川慶勝とくがわよしかつ公、松平春嶽まつだいらしゅんがく公そして山内容堂公……」

「松平と山内は徳川家に旧恩がある。反対しないだろうか?」

「反対しようが私たちで抑え込めばいいのです。武力をもってしてね」

「ま、それならば良かろう――」



◆◇◆◇



 新選組屯所の八木邸。

 そこで信長は報告を受けていた。


「どうやら薩摩藩は徳川家に辞官納地を迫るそうです」

「であるか。ま、当然だろうな」


 新選組局長となった信長は、山崎丞に命じて薩摩藩を探らせていた。

 無論、山崎だけではなく御陵衛士となった斉藤の協力もあった。

 いくら信用されていないとはいえ、御所を警護しているのだから入る情報もある。


「それで局長。あんたはどうするつもりなんだ?」


 山崎の報告を受けた後、土方と坂本と共に話し合う信長。

 中岡は土佐に帰って陸援隊の隊士を呼びに行く手筈となっていた。

 副長の井上は隊の様子を見に行っている。


「朝廷を掌握されてしまったら、もう手も足も出せないきに。どうするぜよ」

「簡単なことだ。掌握される前に動けばいい」


 信長には考えがあるらしい。

 楽しそうににやにや笑っている。


「どうせろくでもないことだろう?」

「よく分かるなあ、土方。ま、付き合いが長いからな」

「いいからさっさと教えろ」


 土方の言葉に信長は懐から紙を取り出した。

 そしてぱっと広げる――


「御所の地図だ。抜け道まできちんと書いてある」

「……どうやって手に入れたんだ?」


 驚きのあまり返って冷静に聞いてしまった土方。

 坂本も「こりゃ驚いたぜよ」と口をぽかんと開けている。


「斉藤の奴、伊東から盗んだらしい。今頃、伊東は大慌てだろうな」

「斉藤は無事なのか?」

「ああ。明里経由で届けさせた。心配いらんよ」


 明里とは山南の馴染みだった女だ。

 今は甘味処を営んでいる。


「ノブ。なんかあくどいこと考えちょるだろ」

「ふひひひ。坂本、よく分かるな」

「俺もおまんとは長い付き合いきに」


 信長は「儂自ら参る」と言う。


「沖田と永倉……それに原田も連れて行くか」

「おいおい、幹部だらけじゃねえか。どうする気なんだ?」


 土方はどこか不安そうな顔をした。

 信長は「決まっておろう」とあっさりと言った。


「帝をお救いするのだ――薩奸さつかんからな」



◆◇◆◇



 大久保と岩倉の予定通り、御所から他藩を締め出すことに成功した。

 そして倒幕に賛成している公家や藩だけで会議を行なおうとした――のだが。


「帝がいらっしゃらない!? どういうことだ!」


 岩倉の怒鳴り声に女官にょかんたちは震え上がった。

 なんとか口の利ける女官が「実は、半刻からお姿が見られないのです」と言う。


「ご就寝されたのは確認できましたが……」

「御所を隈なく探せ! 見つからなかったら、そなたらの首はないと思え!」


 岩倉の怒声で女官たちは三々五々と探しに行った。

 大久保は「どういうことでしょうか?」と不思議そうにしていた。


「まさか、攫われたとか?」

「馬鹿な! それなら御所の構造を詳しく知らねばならんぞ!」


 焦る二人に対し、その場にいた西郷は静かに正座していた。

 おそらく帝は攫われた。

 多分、諭されたのだろう。このままでは利用されてしまうと。

 しかし、短い時間で説得できるほど弁の立つ男などそうはいない――


「ましてや、帝を攫うなど今の日本には考えも無い……」

「吉之助。何か思い当たったのか?」


 大久保の問いに西郷は「何もない」と答えた。

 この時すでに、自らの思惑が崩れているのを西郷は感じ取っていた――



◆◇◆◇



「帝。もうすぐ屯所に到着いたします」

「ああ、すまぬ。ちんの足が遅くなければ……」

「何を申されますか。徒歩かちであることをお許しくださいませ」


 信長たちは年若い帝を護衛しつつ、屯所へと向かっていた。

 沖田と永倉、そして原田は身体が震えるほど緊張していた。

 この若いお人が、帝であると――


「むさ苦しいところですが、ご堪忍ください」

「しかし信長よ。そなたは本物なのか?」


 帝はどこか楽しそうに信長に訊ねた。

 信長は「ええ。本物でございます」と答えた。


「何故、本能寺からこの現にいるのか、儂にもよく分かりませんが」

「良い。きっとそなたは朕を助けるために帰ってきたのだ」

「そう言われますと光栄にてございます」


 屯所に着いた後は駕籠かごで移動する予定だ。

 そして新選組全体で大阪城へ向かう。

 そこで慶喜と会わせるつもりなのだ。


「の、ノブさん。私たち、とんでもないことしているんですかね?」


 沖田の震える声に信長は「当たり前だろう?」と当然のように答える。


「帝を攫ったのだ。見つかり次第斬られても仕方あるまいよ」

「それなのに、よく笑っていられますね」


 信長は「こんなこと、笑うしかあるまい」と言う。


「笑わないとやってられないわい。ふひひひ」

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