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第56話信長、大阪城に入城する

 信長たちがすんなりと帝を攫う――彼にしてみれば連れ出したという認識だ――ことに成功したのは御所の地図があっただけではない。


 幕府に好意的である中川宮の力を借りたのだ。以前、新選組は中川宮と謁見していた。その縁で信長は成功させたのだった。無論、信長の魔王染みた説得が無ければ中川宮は承諾しなかっただろうが。


 ともあれ、上手く帝を屯所まで連れて行き、駕籠に乗せて大阪城まで向かった信長と新選組一行。人知れない真夜中の行軍であった。平隊士たちには詳しいことを知らせていない。ただ高貴な方を大阪城まで連れて行くのが任務とだけ言ってある。


 真夜中、羽織を着て堂々と出て行った新選組を追う者はいなかった。帝が攫われたと分かっても表立って行動はできなかったのだ。薩摩藩だけで会津藩や桑名くわな藩が目を光らせているのに、大規模な捜索などできはしない。


 これは信長も考えはしなかったことだが、薩摩藩を中心とする新たな政権を作る同志たちの足並みが揃っていなかったことでますます捜索するための部隊を編成できなかった。公家たちは自らの責任となることを恐れ、帝がいなくなったことを公言するのを躊躇い、薩摩藩は雄藩に自身の失態を言えなかったのだ。


 そうして、無事に大阪城まで辿り着いた新選組。

 入城するなり「徳川慶喜公に会わせろ!」と信長は怒鳴った。


「将軍の命により、薩摩藩より帝をお救いした! すぐに謁見の場を設けるのだ!」


 大阪城は蜂の巣を突いたような混乱となった。

 新選組と親しい幕府の役人、永井尚志ながいなおゆきは土方に真偽を確かめ、それが事実だと知ると失神しかけた。すぐさま大阪城で最も格式の高い部屋に帝は通された。


 帝に拝謁する前、信長に問い質そうと慶喜が現れた。

 そのときの彼は苛立ったような、それでいて緊張している様子だった。


「よくもやってくれたな、信長」

「うん? よくぞやってくれた、の聞き間違いですかね?」


 怒っている慶喜に対し、しれっとした態度の信長。

 それに何を言っていいのか分からない慶喜は、その場をうろうろ歩いた後「帝に会わねばならん」と言う。


「待たせることも良くない。帝の休息が済み次第、会わねば……」

「でしょうね。そこで話し合ってくだされ」

「そなたにも同席してもらうぞ! こたびの責任があるのだからな!」


 それに対して信長は「責任はないでしょう」と言う。


「大政奉還したせいで、政権は朝廷に戻ってしまった。その後、薩長がどんな要求をしてくるのか、分かりますか?」

「知らん。どうせ徳川も政治に参加せよと命じられると思った」

「内大臣の地位を辞して領地を渡せと言ってくる――そういう予定でした」


 明かされた事実に慶喜は「まことか? そのような……」と言葉を詰まらせた。


「政権を無くしても、兵権さえあればどうにでもなる。ま、正しいと言えば正しいですが。しかし正統性のない権威など無いに等しいのです」

「知ったようなことを抜かしよって……それでそなたは、余に何をしろと言うのだ?」

「帝と今後の日の本について話し合っていただきたい」


 やっと自身の要求を述べられた信長。

 慶喜は「帝と言われても、十六才だぞ?」と眉をひそめる。


「天下国家のことを語れるのか?」

「儂はその頃から天下統一のことを考えておりました」

「……正しい判断ができるとは思えん」


 信長は慶喜に「判断ができぬのなら、儂たち大人が導いてあげればいいのです」と言う。


「それに今更正しい判断などありはしない。激動と言うべきこの時勢、何が正しくて何が間違っているのか、誰にも分かりませんよ」

「そなたは口が上手い。つい乗せられそうになる」

「ふひひひ。儂よりもこの城を築いた禿ネズミのほうが一枚上手ですがね。あやつは二枚舌どころか三枚ぐらいあった」


 慶喜は信長の冗談に笑うことなく「会うには会う」とだけ答えた。


「今の権謀渦巻く朝廷にはお返しできぬ。この大阪城で過ごしてもらうことになる」

「それだけしか言わないつもりではないでしょうね?」

「当たり前だ。今後の方針を話す……そなたも同席しろ」


 この要求に信長は目をぱちくりさせた。

 将軍と帝の会談に無官の者が同席するなど聞いたことが無い。


「よろしいのですか? 儂は好き勝手言いますよ?」

「良い。帝はどうやらそなたを気に入っているようだと報告が入っている」

「耳が早いことで」

「どのみち、そなたに拒否することはできん。これは将軍直々の命令だ」


 信長は深く平伏して「仰せのままに」と応じた。


「ご意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「何だ? ろくでもないことでなければいい」

「もう一人、同席させたい者がおります」


 慶喜は「誰だ? 変な輩ではないだろうな?」と疑わしい目を向ける。


「その者は柔軟な考えを持っており、おそらく儂よりも良い案を出してくれると思います」

「ふうん……その者の名は?」


 信長は平伏した状態から身を起こし、得意そうな顔で名を告げた。


「――坂本龍馬」



◆◇◆◇



「帝と公方様の会談に加わるとは、俺の人生どうなっちょるん?」

「ふひひひ。名誉なことではないか」


 上座に帝が座り、そのすぐ傍に将軍慶喜、そして下座に信長と坂本が座っている。

 何とも不思議な構成だが、帝が気になさらないので了解は取れているらしい。


「――朕はそこの信長から仔細を聞いた。薩摩藩が朕を利用して、政権内から徳川家を排除すると」


 まず話し始めたのは帝だった。

 十分に休息が取れたので顔色はこの場にいる者の中で一番良かった。


「朕としてはあまり喜ばしくないことだ。下手をすれば、日本で戦争が起こる。避けねばならないことである」


 帝の言葉に慶喜は「仰せの通りにございます」と答えた。


「余としては徳川家が帝のお助けになられたらと思っております」

「朕もそれを望んでおる。先帝もそうであった」


 そこまで言った後、帝は「信長。朕と慶喜は同じ意見であったぞ」と笑った。


「善後策を考えよ。これから朕たちはどうすれば良いか」

「恐れながら、帝が大阪城にいらっしゃることは薩摩藩の知ることとなりましょう。であるならば、堂々と宣言し、薩摩藩を朝敵とするべきでしょうな」

「さすれば戦にならないか?」

「いえ、なるでしょうね」


 帝は悲しげな顔で「戦にならぬことはできぬか?」と問う。

 信長は「できませぬ」と正直に答えた。


「これまで戦を避けようと、慶喜公は努力なさりましたが、これに至っては難しいでしょう」

「ふむ……悲しきことよ」

「問題となりますのは、戦に勝てるかどうか。慶喜公も悩んでいることです」


 帝は慶喜に視線をやった。

 慶喜は「まことにそのとおりでございます」と答えた。


「薩摩藩は最新式の武器や兵器をもっておりますゆえに」

「……あのう。もうちっと時間があれば用意できますきに」


 おずおずと提案してきたのは坂本だった。

 慶喜が「そのほうは新選組の者ではないのか?」と問う。


「いえ、海援隊という組織の者です。武器や兵器の取引を行なっております」

「時間とはどのくらいだ?」

「二週間ほどあれば、できます」


 慶喜は「二週間、どのように時を稼ぐか」と悩んだ。

 すると信長が「帝がいらっしゃるのなら時間をかけられます」と答えた。


「停戦の勅命を出しておけば良いのです。薩摩藩は帝の権威で政権を保持しております。聞かぬわけにはいきませんよ」

「なるほど……」

「その二週間の間に、要所に砦などを築いて有利な場とします」


 その言葉に慶喜は「その指揮、そなたがするか?」と言い出した。

 信長が答える前に「朕もそれが良い」と帝も賛同した。


「織田信長の戦作法、知っておきたい」

「……よろしいのですか? 儂は無位無官の者ですが」

「朕と慶喜が良いと言っておるのだ。賛成しない者はおらぬ」

「しかし……」


 戸惑う信長に「何を迷っているぜよ、ノブ」と坂本が後押しした。


「おまんしかおらんぜよ。数多くの戦を経験した者は。幕府の中にもおらんぜよ」

「……分かった。やってみよう」


 信長は「全軍の指揮を任されたと思ってよろしいですか?」と慶喜に問う。


「ああ。この戦に関して、そなたの命令は余の命令でもある」

「かしこまりました」


 信長は実に悪そうな顔で帝に言う。


「この信長の戦における手練手管てれんてくだをお楽しみください――」

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