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第57話信長、指を指す

 新選組局長が全軍の指揮を執る。この知らせに幕府の重職に就く者は反発した。

 由緒も伝統も無い、浪士共を集めただけの木っ端こっぱ軍団の長に何ができると口々に言う者が多かった。そこで信長は主だった指揮官と見なされる者を集めた。今後の方針を話し合うためだ。


「織田信長を自称している男の命令など聞けん」


 会議に集まった者の中で開口一番に言いのけたのは滝川具挙たきがわともたかだった。大目付おおめつけの地位に就いているこの男は尊大であからさまに信長を蔑んでいる。


「私も、賛同しかねます」


 竹中重固たけなかしげかたという若年寄並陸軍奉行わかとしよりなみりくぐんぶぎょうも声高に反発した。頑固そうで柔軟な判断ができなさそうな顔をしている。


 この場にいる幕府側の人間で協力してくれそうなのは、新選組に好意的な永井尚志ぐらいだ。しかし彼はこの場で発言しようとは考えていない。近藤あっての新選組だと思っているし、何より帝を攫ってきた信長を信用などしていなかった。


「儂は帝と公方様から直々に兵権を預かった者だ。命令に従わないことはすなわち、御方々に逆らうことになる」


 この場には沖田総司と吉村貫一郎しか新選組はいない。

 大勢で押しかけても良かったのだが、彼らは身分が軽すぎる。

 だから二人しか傍に置けなかったのだ。


「貴様の口車に乗っただけだろう」

「滝川殿。それは帝と上様に対する侮辱ですぞ」


 永井がたしなめるが「戦の素人に兵権を任せるのもおかしい」と竹中が追撃する。


「貴様は軍を動かしたことがあるのか?」

「ええ。二十万ほどね」

「戯けたことを抜かすな! 本物の織田信長ではないくせに――」

「まあ待て。まずは儂の戦略を聞け」


 竹中の激高を無視して「戦が起こるとすれば鳥羽街道とばかいどう伏見ふしみあたりだ」と説明し出す。


「近江国に進軍し、彦根ひこね藩を狙う可能性もある。だからその三方並びに淀川よどがわを封鎖して薩摩藩を封じ込める」

「……どのようにして?」


 永井の問いに「高所を占拠し、砲弾を一方的に打ち込む」と信長はあっさりと答えた。


「帝の勅命で二週間余りの猶予ができた。その間に戦場となる街道近くの町に協力を要請して兵站を確保する。大阪城には金銭が多くあるからな。現地調達も容易になる。無論、後方支援は大坂の町の住人の協力で行なう。儂は鴻池と近しいから、かの者に依頼するつもりだ」

「つまり、積極的に戦わないつもりか?」


 滝川の馬鹿にしたような問いに「ああ。儂たちは積極的に戦わない」と答えた。


「京を一つの城と見て、じわじわと持久戦を行なう。先ほど戻った新選組の斉藤の調べによると、薩摩藩には戦費があまりないようだ」

「ふん。腰抜けの戦略だな。数では勝っているのだから一気呵成に攻めてしまえばいい」


 景気の良いことを言う滝川に竹中を始めとして賛同する者は多い。

 しかし信長は「薩摩藩を舐めてはいかん」とあくまでも慎重な姿勢を崩さなかった。


「儂に望まれているのは確実な勝利だ。それ以外に方法はない。それにだ、儂たちは寄り合いの寄せ集めの軍勢だ。それぞれの思惑というものがある。そこを考慮した上で持久戦を選んだ」


 信長は滝川以下に問い詰める。

 第六天魔王のような圧力で。


「おぬしらに言うが、戦とは軍法を守り、兵力があれば勝てるとは限らない。一人のしくじりで全てがおしまいになることもある。そしてしくじりとはしがらみから出ることもある。地位や立場、虚栄心や功名心からもだ。だからこそ、積極的な戦を避けて、それらを排除する必要があるのだ。そもそも、儂の戦略以上に効果的な策はあるのか? あるのなら言ってみろ」


 その言葉にほとんどの者は顔を伏せた。

 信長の戦略が正しいとは思っていないが、代替案を出せと言われてもあまり戦を経験していないのだからすぐには出ない。


「偉そうに言いおって! 偽物の信長が、戦を語るでないわ!」


 だが、まだ威勢のいい滝川が怒鳴る。

 己の矜持のためだろう。もし信長がいなければ指揮官は自分に任せられたという自負もあった。


「大目付たる私を無視して、一方的に戦略を立てるなど、言語道断だ! 貴様の命令など聞かん!」

「つまり、命令に抗うのだな?」

「当たり前だ! 何故上様が貴様なんぞに――」


 信長は素早く滝川に人差し指を指した。

 それを見た沖田が刀を抜いて滝川を――斬った。

 辺り一面に血が広がり、滝川は絶命した。


「な、何を――」


 呆然とする永井に対し、信長は「命令を聞けぬ者はいらん」と冷酷に言った。


「それにしても沖田。よく薩摩藩邸での合図を覚えていたな」


 感心した表情の信長に対し、沖田は「ええ。でも事前に言ってくださいよ」と血振るいして刀を納めた。少し照れているらしい。


「いきなり斬れって命令するんですもの。驚きましたよ」

「まあな。吉村、お前も沖田のように反応しろ」

「無茶言わないでくださいよ」


 何故か新選組の間で牧歌的な空気が漂う。

 この場にいる重職の者は戦慄した。人を斬ってなお、朗らかに笑えるなんて……!


「それで、他に文句のある奴いるか?」


 信長の問いに、反対していた竹中は何も答えられなかった。

 もし言えば斬られてしまう。

 ただならぬ空気が広がっていく。


「それでは会議を終わりとする。細やかな役割は後に通達する。以上、解散!」



◆◇◆◇



「ノブさん、驚きましたよ。まさか大目付を斬れだなんて」

「ふん。見た目から無能だと分かる男だった。別にどうでも良い」


 大阪城で宛がわれた部屋で、沖田と会話する信長。

 少し考えるように「沖田。一つ訊ねたい」と告げる。


「師匠――近藤勇の仇を討ちたいか?」


 それまで笑顔だった沖田の顔がすうっと剣呑なものに変わる。


「当たり前でしょう。この手で斬ってやりたいですよ」

「下手人は誰か、聞いたか?」

「いえ。近藤さんは教えてくれませんでした」


 信長は「あの者はおぬしを知り尽くしている」とため息をついた。


「教えたら必ず敵討ちをしようとするだろうな。しかし情勢的にそれは難しいと判断したんだろう。流石、近藤だ。よく分かっているわい」

「……先ほどから、何が言いたいんですか?」


 焦れた沖田に信長は「儂は散々悩んだ」と言う。


「だがやはり言うことにした。下手人は――人斬り半次郎だ」

「――っ!? あの、中村半次郎が!?」

「儂はおぬしに、敵討ちをしてもらいたい」


 信長は敵討ちを勧めているのに、穏やかな表情だった。

 まるで春の訪れを知らせる陽の光のようだった。


「そうでないとおぬしの人生に後悔を残すと思ってな」

「……ノブさん」

「儂と同じ目に遭ってほしくないのだ」


 沖田は「しかし、半次郎の居場所は……」と口を噤んだ。

 薩摩藩邸にいるのは分かるが、乗り込むことなどできない。

 対して、信長は「おぬしの友人が調べてくれた」と懐から手紙を取り出す。


「斉藤に託してな。これを調べるのにどれだけ苦労したか……」

「斉藤さんに? まさか――」

「ああ。藤堂だ」


 沖田は震える手で手紙を受け取った。

 そして中に書いてある文字を読む。

 次第に彼の目から涙が流れる。


「……馬鹿だな、平助。伊東さんにも恩があるのに、こんなことしたら、見つかるかもしれないのに……馬鹿だよ、お前は」

「山崎と吉村をともに行かせる。その二人と協力して――探し出して来い」


 信長の声は優しくて、慈悲に満ち溢れていた。

 それがなんだか物悲しくて。

 沖田はますます泣けてきた。


「ノブさん……私、近藤さんの仇、討ってきます」

「ああ。存分にやるがいい」


 信長の表情はまるで、子供の成長を見る親のようなものだった。

 沖田はその期待に応えようと決意した。


 天才剣士、沖田総司。

 人斬り半次郎との決着は近かった――

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