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第58話信長、出迎える

 沖田総司という天才剣士の強さとは、一体どのようなものだったのか。

 天性の才だけではなく、もう一つ特筆すべきことがある。

 それは――手首の柔らかさだった


 真剣の立ち合いにおける手首の柔軟性は剣先どころか剣筋自体、自由自在に変える。

 だからこそ沖田の十八番である三段突きを可能とし、池田屋で吉田稔麿を打破できたと言っても過言ではない。おそらくいにしえの剣豪が過酷な修行をしても手に入れられなかった才能を沖田は秘めていた。


 彼自身、それを自覚していたからこそ、剣の道に邁進していたのかもしれない。

 非凡な才を持ち得ていたからこそ、打ち込めたのかもしれない。

 天才とは才ある者ではなく、才を自覚しそれを信じられる者を指すのだ。


 沖田は己の才を信じている。

 師匠である近藤勇よりも上だと確信している。

 だから人斬り半次郎は自分の手で倒さなければならない。

 何故なら新選組の幹部でもかの者を倒すことは敵わないのだから――


 一方、人斬り半次郎こと中村半次郎が使う流派は示現流じげんりゅうである。

 示現流は攻めを至上とした単純な剣術だと思われるが、およそ八十以上の打ち込み方のある習得するのも難しい複雑な流派だった。


 また初太刀に念頭を置いているので『受ける』技術はないが、足さばきや体重移動による『避ける』体術はあった。初太刀よりも素早く攻撃しようとする者は大抵避けられて逆に斬られてしまった。


 また示現流の特徴というべき『蜻蛉とんぼの構え』は剣を高々に上げて一気に振り下ろす、まさに二の太刀要らずを体現した一撃必殺の構えだった。しかしその奇妙な構えからの攻撃が何故素早いのか。それは剣の刃を峰打ちのように後方外側に置き、打ち下ろすときに半回転の捻りを加えることで速さと威力を倍以上にさせるのだ。この『捻り打ち』は立木をただ無心に打っているだけでは決して身に着かない高度な技だ。


 このかなり高度な技術と工夫を重ねた威力の示現流と遭遇したときの対処法を、かつての局長の近藤勇は『必ず初太刀を外せ』と言った。二の太刀や三の太刀は威力が下がる特性を彼は知っていた。


 しかしそんな彼も人斬り半次郎によって斬られてしまった。

 多人数で襲われたこともあるが、あの天然理心流四代目宗家を打破したのは、間違いなく半次郎の腕前があったからだ――



◆◇◆◇



 その夜、半次郎は伏見の風呂屋からの帰りだった。

 薩摩者には珍しく、綺麗好きで洒落者だった彼は何百人といる薩摩藩邸内での風呂を嫌っていた。何せ沸かしてもすぐに湯が汚れてしまうのだった。


 また戦が近いと言うのに風呂屋は幕臣にも薩摩藩にも平等に使わせていた。無論、金は取っていた。流石に風呂で斬り合いをする者はいない。だから幕臣と薩摩藩の者が出くわしても、互いに知らんぷりをするのが常だった。


 一風呂浴びて鼻歌交じりに上機嫌で帰路を歩く半次郎。

 伏見の町は戦が始まるので住民のほとんどは逃げ去っていた。

 静かな夜道を楽しんでいると後ろから「中村半次郎さん、ですね」と声をかけられた。


「あん? 誰ぞ?」


 怪訝に思いながら振り返ると、赤地に黒いダンダラ羽織を着た男――沖田総司がいた。

 半次郎はにやりと笑いながら「よく分かったな」と刀に手をかけた。


「新選組一番隊隊長の沖田総司が、俺に何の用でごわす?」

「決まっているでしょう。師匠の仇を討ちに来たのです」


 すらりと刀を抜いた沖田に対し「他の隊士はどこだ?」と辺りを見回す半次郎。


「多人数で敵を殺すのが、お前ら新選組でなか?」

「私しかいませんよ。しかし安心しないでください――あなたはここで死ぬのだから」

「……へえ。この人斬り半次郎によくもまあ、大言壮語を吐けたものだ」


 半次郎も刀を抜いた――切っ先が天高く届けと言わんばかりの蜻蛉の構えだ。

 沖田と半次郎はじりじりと互いの間合いに相手を入れようと迫る。

 まるで剣豪同士の立ち合いのような緊張感――


「――ぃやああああ!」


 裂ぱくの気合と共に仕掛けたのは沖田だった。

 先を取れば初太刀など無意味に化す――そう言わんばかりの素早い斬撃だった。

 しかし予想をしていたのか、半次郎これを後方に避ける――しかし斬撃が意外にも伸びた! 避けて打ち込もうと考えていた半次郎、浅く斬られながらも蜻蛉の構えは崩さない!


「――チェストォ!」


 今度は半次郎の攻撃だった。

 蜻蛉の構えから放たれる捻り打ちはまさに一撃で沖田の頭をかち割ろうと真っすぐに狙いを定めて――だが沖田は冷静に腰を落としつつ、先ほどの半次郎のように後ろへ下がった。半次郎は無理に追撃せずに蜻蛉の構えに戻る。


 半次郎は考える――伸びるような斬撃は沖田の手首が柔らかいからだ。あいつの斬撃はこちらの目測を狂わせる。間合いを少し考えねばならない。


 沖田は考える――初太刀は避けられたが、下手をすればこちらの脳天がかち割られていた。もう少し慎重に動かねば――やられる。


 蜻蛉の構えの半次郎に対し、沖田は正眼――中段の構えのままだ。

 天然理心流のみならず、他の流派でも基本とされる構え。

 さらに言えば、近藤に初めて習ったときの構えである。


「行くぞ――半次郎!」


 また沖田が最初に動いた――正眼から放たれる突き。

 半次郎は蜻蛉の構えを崩さず、後方ではなく――左斜めに避けた。

 後方へ下がることもできたが、沖田の代名詞である三段突きを警戒したのだ。

 それに突きの威力は凄まじいが、放たれた後は死に体となる。


「――っ!?」


 けれど結果から言えば半次郎の行動は大失敗だった。

 くるりと手首を回し、沖田は刃を半次郎に向けて横薙ぎをしたのだ。

 手首の柔軟性のある沖田だからこそできた技である。


 その横薙ぎに半次郎は体勢を崩すことで回避した。

 上体を後ろに反らし、刃が己の髪の毛を三本ほど切り裂くのがゆっくりと見えた――


「――そこだ!」


 沖田はようやく蜻蛉の構えを崩した半次郎に向けて――三撃目を繰り出した。

 一つ目の刺突は牽制。

 二つ目の横薙ぎは体勢を崩す。

 そして三つめは――とどめを刺すため。

 これぞ、沖田総司の独自剣術――三段突きの完成形だった。


 沖田の放った三撃目は半次郎の左胸に突き刺さり。

 素早く引き抜くことで大量の血が噴き出た。


「ぐ、は……」


 人斬り半次郎は己が負けたことを確信した。

 同時に最後、思ったことは。

 自分を重用してくれた西郷吉之助のことだった。

 西郷どん、あんた、苦労するぜ……



◆◇◆◇



 沖田の帰りを今か今かと待っていた信長。

 大阪城の一室で戦の打ち合わせをしていても気がかりだった。

 相手は人斬り半次郎だ。何があってもおかしくない。


「ノブさん。ただいま帰りました」


 沖田が伏見から帰ってきたのは、夕方のことだった。

 信長は「おお! 無事だったのか!」と手放しに喜んだ。


「怪我は無いようだな」

「ええまあ。少し疲れましたが」

「半次郎はやったか?」


 信長の問いに「ええ、もちろんです」と沖田は元気よく答えた。


「近藤さんの仇を取れましたよ」

「それは上々だな」

「加えて私の剣術も数段上がりました」


 沖田は「それだけに残念ですよ」と笑いながら言う。


「もう刀の時代じゃないんだって」

「…………」

「ノブさんのいた戦国時代なら、まだ活躍できましたかね?」


 信長は「馬鹿なことを言うな」と叱った。


「おぬしの剣の道はまだまだ続くんだ。若いうちに極めたなど思い上がるな」

「ノブさん……」

「天然理心流を継げ。そしておぬしと近藤の剣を後世に伝えよ」


 半次郎との戦いでほんの少しだけ燃え尽きてしまった沖田だったけど、信長に発破をかけられたら頑張るしかない。

 沖田はにこにこ笑って「そうですね」と応じた。


「こんなんじゃ、近藤さんに顔向けできませんね」

「であるか。これからも精進せよ」

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