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第59話信長、士気を高める

 不戦の勅命ちょくめいから二週間後。

 大阪城の一室――


「土方。伏見奉行所は――捨てよ」


 信長は伏見奉行所の周辺地図を見ながら、そこの守備を任される新選組の代表、土方歳三にそう伝達した。

 命じられた土方は怪訝な顔で「本陣が敷けなくなるぞ?」と問う。


「何千人もの兵士を収容できる場など他にない」

「地形が悪い。伏見奉行所の近くに御香宮神社ごこうのみやじんじゃがある。そこを占拠されると一方的に砲撃を受ける」


 京で長い間過ごしていた信長は当然のように伏見の地形を理解していた。

 だから高所かつ奉行所に近い御香宮神社を占拠されて、砲台を築かれることを恐れた。


「むしろ伏見奉行所は捨てて薩摩藩を入れてしまえ。その上でこちらが御香宮神社から撃ってしまえばいい」

「大胆な発想だな。奉行所を捨てるということは、城を明け渡すのと一緒だぜ?」

「そっちのほうが利があるのだ。仕方なかろう」


 土方は「あんたの言うとおり動くよ」と素直に従った。

 疑問が解決して良かったという顔をしている。


「物分かりがいいな。何か良いことでもあったのか?」

「あんたが総司に命じて――近藤さんの仇を取ったのは知っている。そのことに感謝しているのさ」


 信長は面倒くさそうに手を振って「そんなことに恩義を感じるな」と言う。

 しかし土方は「一生の恩だ」と珍しく柔らかな笑みを見せた。


「あんたを局長にして良かったよ。俺は命令には背かねえ。ついて行くよ」

「……気持ち悪いのう。もうちょっと反抗的で良いのだぞ?」

「もちろん、間違ったことを言えば反抗する。だが、あんたの敷いた布陣は完璧だ」

「ま、戦の経験が違うからな」


 信長は当然のように言うが、京を包囲するという観点から見れば、これ以上に他にありはしないと思わせる布陣だった。

 鳥羽街道や淀川、近江国に至る道を封鎖し、物資を通さないようにしている。城攻めならぬ国攻めの基本とも言えた。


「一つ懸念していることがある。大村おおむら藩だ。あれが薩長に味方したら危うくなる」

「そうか。それなら新選組から隊を分けて奇襲でもするか?」

「そうだな。沖田と永倉でやってもらおう」


 細かな打ち合わせが済んだ土方は「それじゃ出陣してくるぜ」と信長に言う。

 すると「一言、新選組の隊士共に言っておくか」と彼も立ち上がった。


「こういうときは、長の儂が一言言わねばならん」

「心得てやがるな、流石に」

「ふひひひ。若造に言われるまでも無いわい」


 部屋から出た信長は土方を伴い、城の庭までやってきた。

 そこには新選組の面々が勢揃いしていた。

 信長の代わりに六番隊隊長に就任した吉村貫一郎が初めに気づき「局長!」と声をかけた。隊士一同が背筋を伸ばして整列した。


 信長は隊士一人一人の顔を見つめ、皆が静まるのを待った後、漂う緊張感の中、話し始めた。


「皆、この戦に至るまでご苦労であった。しかしここからが本番である――ところでおぬしたちの戦う理由とはなんだ?」


 信長の問いに「尽忠報国のため!」と喚く者や「薩奸を倒すため!」と声を上げる者がいた。口々に騒ぐ中、信長はその様子を黙って見つめていた。

 自然と静まり返るのを待つと信長は「そうだな。その通りだ」と応じる。


「国のことを憂い戦うこと。薩摩藩に敵意を持つこと。単に成り行きでここにいる者や己の日常を守る者もいるだろう。どれもが大事な理由だ。守るべき、戦うべき理由であることには変わりない」


 信長は上を見上げた。

 つられて隊士たちも見る。

 そこにはどこまでも広がる、青くて暖かな空があった。


「だが、今儂たちが戦う理由として最も優先しなければならないのは――国を一つにまとめ上げることだ!」


 信長はよく通る声で言い聞かせた。

 新選組だけではなく、近くにいた別の隊の兵も耳を傾ける。


「戦が長引けば、海外の輩が日の本に攻め込んでくる! 美しい故郷は蹂躙され、家族は奴隷にされる! それは避けねばならない! ゆえに薩摩藩やそれに組する者を打ち倒さなければならない!」


 誰もが声を発しない。

 ただふつふつと闘志だけが漲ってくる。


「敵を倒す者、味方を援護する者、兵糧などの物資を配る者や戦場近くの民と交渉する者、全てが矜持を持って仕事に当たれ! 薩摩藩に占拠された京を取り戻せ! そして新選組の誠の旗を京に飾るのだ! 以上!」


 信長が堂々と言い放つと、隊士全員が「応!」と口を揃えた。

 士気の向上を感じ取れた信長は踵を返し、城の中へ戻っていった。

 話さなければならない男がいるからだ。



◆◇◆◇



「ノブ。ええ訓話だったぜよ」

「ふひひひ。年季が違うわい。儂は桶狭間のときから兵に聞かせておるからな」


 部屋に戻った信長は坂本と話をしていた。

 坂本は「全軍に最新鋭の兵器を配ったぜよ」と報告した。


「これで負けるわけにはいかん。ちゅうか、負けたらおかしな話ぜよ」

「だろうな。しかし、戦に絶対はない」

「おまんにしては弱気じゃの」

「どんなに見落としを無くても、どこかしら破綻することがある」


 坂本は「包囲を続けるのはええ。じゃっとん、そのままちゅうのはどうじゃろか」と信長に言う。


「機を見て降伏を告げてもええじゃろ」

「ああ。そのための秘策は取ってある」

「なんじゃ、よからぬこと企んでないきに?」

「ふひひひ。企まないほうが難しいわい。久方ぶりの戦だからな」


 うきうきしている信長を見て、坂本は「おっそろしい男じゃな」と笑った。


「海援隊も淀川の封鎖に参加しちょる。陸援隊は鳥羽の守りじゃ」

「おお。それなら少し安心できるな」

「それでも少しか?」

「だいぶと言えんのは儂の心配性のせいだ」

「案外、ノブは小心じゃの」


 坂本はおもむろに横になり「果報は寝て待てぜよ」とのん気なことを言いだした。

 信長はそれを咎めないが、目では嫌そうにしている。


「ノブはようやった。そんで負けても誰も責めんよ」

「ふん。気休めを言いよって」

「……大戦が始まるちゅうと、どきどきするぜよ。心がざわめくちゅうか」


 坂本は信長に「おまんは何回経験した?」と問う。

 第六天魔王は英雄に対し「数えたことはない」と答えた。


「儂はただ祈るだけよ――皆が死なぬことをな。この儂がそんなことを思うくらい、新選組には思い入れがあるのだ」

「それが絆ちゅうもんぜよ」


 坂本が気障きざなことを言ったので、信長は思わず噴き出した。


「ふひひひ! 恥ずかしいことを!」

「ああ! 笑うなんて酷いぜよ!」



◆◇◆◇



 薩摩藩の攻勢は開始された。

 信長の厳命通り、各部隊は積極的な攻撃は避け、持ち場を通らせないように必死に守った。


 新選組が中心となって守っている伏見は御香宮神社を占拠したおかげで一方的に攻撃が可能となり、薩摩藩は伏見奉行所に籠るしかなかった。しかし奉行所まで砲撃が飛ぶと、薩摩藩は撤退してしまった。


 鳥羽街道も数の優位を活かして一兵たりとも通すことはなかった。薩摩藩は流石に機を見るのが敏く、大きな被害が出ないうちに退却した。


 これらの知らせを聞いた信長は予定通りだと頷いた。このままいけば、物資不足で薩摩藩は降伏してくる――そう思った矢先だった。


 大村藩が彦根藩の城から兵糧を持ち出したという知らせが入ってきた。

 沖田と永倉はなんとか半数は止めたものの、残りは京に運ばれてしまったらしい。


 信長はこれでは持久戦が成功しないことを悟る。

 さらに大村藩以外の雄藩が参戦してきたら危うい。

 そこで切り札を使うことにした。


 この戦の経過を覆すほどの大きな切り札だ。

 一切合切台無しにしてしまう鬼札とも言える。

 しかし信長はそれを使うことを躊躇しなかった――

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