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第60話信長、処分を言い渡す

 御香宮神社の前線に土方はいた。

 再び伏見奉行所に本陣を敷いた薩摩藩は、新選組の本陣を潰そうと迫ってきている。

 しかしそれは叶わないだろうと土方は感じていた。


 先ほど、こちらの大砲が伏見奉行所に設置された砲台を撃破した。

 残る方法は散兵による接近なのだが、それも難しい。

 はっきり言えば御香宮神社と伏見奉行所は近い。坂道を一本駆け上がれば到着する距離である。


 だが薩摩藩にしてみれば、その坂を駆け上がるのは相当の努力を要した。

 まず高所からの発砲によってほとんど身を隠すところがない。

 さらに防壁を組んでいるため、たとえミニエー銃をもってしても、容易には近づけない。

 加えて坂本が最新式の武器弾薬を補給しているので、その優位もなかった。

 今や御香宮神社への坂道は、地獄の入り口につながっていた。


 何度か薩摩藩のほうで決死隊を募り、突撃を行なってきた。

 けれども、それらは皆失敗に終わった。

 坂の幅が狭く狙いが定められやすいからだ。


「なあ、源さん」


 何度目かの攻撃を防いでいる最中、土方が砲兵を指揮していた井上に言う。


「もう、刀や槍の時代は終わったなあ」

「……そうですね」


 井上が短く応じたのは、おそらく土方は自分にしか零せなかったのだろうと思ったからだ。

 決して沖田や永倉には言えやしない。剣の道を生きる者に対しては。

 だけど現状を見る限り、そう思うしかない。

 一方的に攻撃ができて簡単に殺すことができるのだから。


「これからはいかに効率的に人を殺すか……それだけが求められる時代になる。棒切れを振り回して稽古するのは時代遅れなのかもな」

「土方さん……」


 寂しそうにしているのは、土方も剣士だからだ。

 刀に愛着があるからこそ出た発言だった。

 また彼は合理的な思考を持つ男でもあった。

 だからこそ、簡単に刀を捨てられる覚悟を決められた。


「土方副長、井上副長。何か薩摩藩の動きが変です」


 報告してきたのは現場の指揮をしていた斉藤一だった。

 彼の報告に「変ってなんだ?」と土方は問う。


「どうやら退却していくようですが……その様子がおかしくて」

「だから、どんな風に変でおかしいんだ?」


 焦れたように土方が問うと、斉藤は思ったままに言う。


「何かに怯えているような退却だった」

「……なんだと?」


 土方の疑問に答えるように「土方さん! あれを見てください!」と井上が喚いた。


「味方の軍勢です! 徳川家と新選組の旗と――にしきの御旗が!」


 これには声も無く土方は驚いた。

 まさか帝と徳川家の旗と共に、新選組の旗が一緒に並べられたのだから。


「あの、信長の野郎! ……とんでもないことしやがって!」


 そのとき、斉藤だけは見た。

 土方の目尻に涙が浮かび、表情が笑顔になっていたのを――



◆◇◆◇



「よう土方。元気でやっとるか?」

「相変わらず、でたらめな野郎だ――信長!」


 馬に乗った信長が御香宮神社までやってきて土方と話している。

 その傍には新選組の旗がたなびいている。


「ふひひひ。格を高めてやったぞ」

「あんたが出張ってきたってことは、いよいよ決着か?」

「ああ。大村藩が余計なことをしたからな。兵糧が向こうには十分ある」

「それに関しては新選組の失態だ」


 信長は鷹揚に「気にせんでもいい」と笑った。


「そのおかげで帝を説得することができた。錦の御旗を使うことをな」

「はっ。御旗をすぐに用意したわけじゃねえだろ? 初めっから用意させたんだろうが」

「ご名答だな。さてと、土方おぬしまだまだ元気か?」

「御香宮神社を占拠したおかげで楽な戦が続いているからな」


 土方は「どうせまた、ろくでもないことを企んでいるんだろう?」とどこか嬉しそうに問う。

 信長は「おぬしも楽しめるようになったか」と感心している。


「このまま御所まで進軍する。錦の御旗を掲げて。土方、おぬしら新選組は先陣だ。名誉ある先陣の誉れだぞ」

「そりゃあわくわくするな。由緒も伝統もねえ新選組が、帝と徳川家の先頭切って歩けるなんてすげえよ」

「沖田と永倉も合流するぞ。久しぶりに勢揃いするな」


 信長はにやにや笑いつつ「装備の点検を済ませて、見栄えをよくしろ」と告げる。


「京の都を練り歩くのだ。楽しいぞ。京の者共が後世まで語り継ぐような、馬揃えに匹敵するような豪華さで行こうぞ」


 土方は苦笑しつつ「派手好きな野郎だ」と零した。

 そして隊士たちに大声で知らせる。


「全員、土埃を払い落とした後、整列! これより御所へ進軍する!」


 隊士たちは一瞬、呆然した後――口々に喚き始める。

 その熱狂ぶりは凄まじく、山野八十八は自らの身体を見せびらかし、吉村貫一郎は豪快に泣いた。

 これでようやく――戦が終わる。



◆◇◆◇



 御所に進軍する様子は、後に京の住民の間で噂されることとなる。

 新選組が帝と徳川家の先陣を切るとなって、息を潜めていた者たちはこっそりと覗き見ていた。


 先頭を歩くのは一番隊隊長の沖田総司だ。

 美少年の噂違わぬその美形は京の女をうっとりとさせる。


 二番隊隊長の永倉新八は豪快な剣の使い手だ。

 凄まじい強さから彼に相対した者で助かった者はいない。


 少しばかり照れている三番隊隊長の斉藤一。

 寡黙な彼は確実に仕事を遂行させる。


 六番隊隊長の吉村貫一郎は苦楽と共にした山野と肩を組んでいる。

 無茶な要求ばかりする上司の下で仲良くなったのだろう。


 そして中央には土方歳三と井上源三郎の二人の副長を従わせる、第六天の魔王がいた。

 派手な装いで見る者に畏敬を与えるその男は不遜に笑っていた。


 しんがりを務める十番隊隊長の原田左之助。

 底抜けの明るさを持つ彼にしか、新選組の後ろを守ることはできない。


 誠と葵の紋と錦の御旗を掲げるその姿は。

 老若男女問わず、憧れを抱くほど格好良くて。

 官軍の名に相応しい姿だった――



◆◇◆◇



 降伏を申し出た薩摩藩と公家の主要人物はすぐさま拘束された。

 そして近くの家屋で監禁されてしまった。


「やれやれ。これで私たちはおしまいかな?」

「そうだな。おいたちの負けでごわす」


 大久保と西郷は同じ部屋にいた。

 身体は拘束されていないものの、部屋の外には屈強な兵が見張りに立っていた。


「おいたちは斬首かのう」

「それはないよ。私たちは負けはしたもの、余力を残していたのだから。まだ戦えたのに、錦の御旗を見て戦いをやめたのだ」

「楽観的じゃの、大久保どんは」

「いちはやく自害した岩倉卿の責任にしてしまえばいい。全部の責任を背負ってもらおうか」


 西郷は厳しい目つきで「汚いやり方じゃ」と罵った。

 大久保は「それが政治と言うものだよ」と笑った。


「ま、私が死んでも君だけは守るつもりだけどね」

「なんでじゃ」

「なんでって……友達だからだろう?」


 大久保の飾り気のない言葉に、西郷は「そういう意味ではなか」と反論した。


「おいもそん気持ちじゃ。なんで分からんとや」

「あははは。君はいいやつだなあ」

「そん言葉、自分もいいやつと言っているもんじゃ」


 大久保はひとしきり笑った後、西郷に言う。


「ごめんな、西郷どん。薩摩藩で天下、取れんかった」

「…………」

「ここまで付き合わせてしもうて、ほんまにすまん」


 西郷はふうっと深呼吸して――


「謝らんでええ。それなりに楽しかったわい」


 大久保が何か言おうとしたとき、がらりと部屋の戸が開いた。

 そこには新選組の羽織を着た織田信長が立っていた。


「よう西郷。久しぶりだな」

「織田殿……久しぶりでごわすな」

「そっちは大久保だな?」

「あなたが織田信長か。ふふふ、あなたのせいでめちゃくちゃになってしまったよ」


 信長は「帝に注意を向けるべきだったな」と言う。


「それで、何用だ?」

「そう恐い顔するな……処分を言い渡しに来たのだ」


 信長は書状を取り出した。

 西郷と大久保は背筋を伸ばした。


「こたびの争乱、責は薩摩藩にあり。その罪は重く、天下安寧を崩すものなり。よって処分を下す――」


 大久保は目を閉じた。

 西郷は目を開き続けた。


「――のだが、薩摩藩だけの責とは言えず、朕の不徳と致すべきところあり。また尊皇の志のある者、あたら処断を下すのも心苦しくもある。そこで罪は争乱のみとし、謹慎を申しつける。今後は天下国家のため、その身を尽くすべし」


 言い終えた信長に二人はどう反応していいのか分からない。

 実質無罪放免を言い渡されたのだ。これには驚くしかない。


「そ、それは……」

「帝の仰せだ。素直に従え。自害もするなよ」


 信長はそう言い残して部屋から立ち去ってしまった。

 後に残された西郷と大久保は顔を見合わせる。


 外に出た信長に「良かったんですか、ノブさん」と沖田は声をかけた。


「帝に言って処分を軽くしてくれって頼んだのノブさんでしょ」

「まあな」

「理由を聞かせてくださいよ」


 信長はふうっと溜息をついて。

 子供のように純粋な疑問を浮かべる沖田に言う。


「儂が軽い処分にしてくれと頼んだ理由は――」

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