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第61話信長、理由を語る

「――薩摩藩に恩義を着せることで、長年の恨みを忘れさせるためよ」


 信長の答えに沖田は釈然としない気持ちだった。

 西郷と大久保を無罪放免にすることでそれが可能となるのか。

 そして本当にそれだけが目的なのか。

 沖田の視線を感じ取ったのか「詳しく話さないと駄目か」と信長は溜息をした。


「まず、こたびの戦で薩摩藩を降伏させ、中心人物だった西郷と大久保を配下に加えられた。このことでかの藩を帝と徳川家に従わせることができた」

「そこまでは私でも分かります」

「ここでいう薩摩藩とは、薩摩藩の全てだ。薩摩藩の持つ戦力を全て接収したことに違いない。このことが何を示すか? もはや帝と徳川家の連合を阻止できぬということだ」

「えっと、公武合体ですか?」

「そうだな。これから徳川家は帝に近づくことになるだろう。そして帝の手足となり日の本を強くする――それから海外に喧嘩を売るのだ」


 信長の展望は既に、帝と慶喜に伝えてあった。

 だからこそ、反乱を起こした西郷と大久保は許されたのだ。


「なんだ。結局、徳川家中心の政治になるんですね」

「ふふふ。そう思えるか? 残念ながらそうはならん」

「どうしてですか?」

「幕府の中に薩摩藩の派閥を入れたからだ。その他にも長州藩や土佐藩も加わるだろう。大した損害の無いままに」

「……私には理解できません。それのどこがいけないんですか?」


 沖田が首を振ってよく分からないという顔をしている。

 信長は「雄藩を取り込んだ幕府は、雄藩の派閥に左右されるということだ」と答えた。


「戦力を保持しているかの雄藩を相手取るのは、今の徳川幕府の力では無理だ。おそらく雄藩の力を借りつつ、中心として動くしかあるまい。よって今までの体制は崩れる」

「それじゃあ……雄藩の思い通りになるんですか?」

「それもない。儂が望んだ通り、徳川家中心の合議制になると思われる」


 信長はにやにや笑いながら「慶喜公も大変だぞ?」と沖田に告げた。


「西郷や大久保、桂は優れた男たちだ。おそらくかなり苦労なさる」

「それが分かっているなら、どうして斬って――」


 そこまで言った後、沖田は気づいたように「ノブさんは合議制を望んでいるんですか?」と言う。


「徳川家だけが力を持つやり方では限界があるから?」

「お。賢くなったな。偉いぞ」


 信長は「これは近藤への手向けでもある」と嬉しそうにしていた。


「あやつの大切にしていた幕府をそのままに、それでいて海外に負けない国を作るにはこれしか方法が無かったのだ」

「なんだ。案外ノブさんも近藤さんのことが好きだったんですね」

「好き嫌いでやったわけじゃないわい。近藤には恩があったからな」

「恩? どんな恩ですか?」


 沖田が首をかしげると信長は頬をぽりぽりと掻いた。


「新選組に居させてくれた恩よ。儂は新選組にいれて良かったと心から思える。あんなに居心地の良いところはなかった……」

「ノブさん……」

「ま、主君へ恩を返すのは武士として当然だからな」


 湿っぽくなるのが嫌なのか、おどけて言う信長。


「なあ沖田。もう一つ儂なりの理由があると言ったら、驚くか?」

「いえ。どうせあるんだろうなあと思っていました」


 余裕そうな沖田に信長は「そこは驚くところだわい」と不満げに言って、それから背伸びをして言う。


「もう、人から恨まれるのは勘弁だ」

「…………」

「儂の人生は人に叛かれてばかりでな。実の弟にも謀反を起こされた。そして最後はキンカン頭の謀叛で……儂の五十年は無に帰した。そんなのもう、繰り返したくないわ」


 本能寺から帰ってきた信長の願いは。

 本能寺を繰り返さないことだった。

 言葉にしてみれば単純なものだけど。

 傍にいた沖田は、何も言えないくらい、物悲しくなった。


「さてと、沖田。行くとするか」


 感傷に浸っていた沖田を余所にあっさりと行ってしまう信長。

 沖田は「待ってくださいよ、ノブさん!」と呼びかける。

 そんな彼らの上には雲一つない快晴が広がっていた。



◆◇◆◇



「ここに至っては、仕方ないな」


 白装束を纏った男――伊東甲子太郎の目の前には懐紙に包まれた短刀があった。

 場も整理されている。

 今まさに切腹しようとしているのだ。


「君には心苦しいことをさせたな――藤堂くん」

「……伊東先生」


 介錯をするのは、藤堂平助だった。

 というより、彼の他には誰もいない。

 二人きりにしてくれと頼んであるからだ。


「新選組が天下を統一したのなら、御陵衛士は裏切り者として粛清される。それを防ぐには私が死ぬしかない」

「…………」

「加納くんたちには言い聞かせている。次の隊長は君だと。だが私の後を追う必要も、継ぐ必要もない。解散したかったらすればいいさ」


 藤堂の目から涙が零れる。

 すかさず伊東が「泣くな!」と叱った。


「これから介錯する者が、泣くんじゃない」

「私は、先生に言わねばいけないことが……」

「分かっているさ。間者、だったんだろう?」


 藤堂は滂沱の涙を流しながら「どうして、知っていながら……」と言う。


「強引に誘った私にも、心苦しいことがあったと言えば、信じてくれるかな?」

「……伊東先生!」

「先生と呼ばれるほど、私は立派でもなければ、君に教えることもなかったよ」

「私は、先生の指導のおかげで、目録まで行けたと思っております!」


 伊東はにっこりと微笑んで「そう言ってくれるか」と上着をはだけた。


「今なら、山南総長が死んだ意味と理由が分かるよ。あの人もまた、己の仲間を守るために死んだんだ。それがなんと心地よいか……」


 短刀を取り、伊東は藤堂に言う。


「ありがとう。私について来てくれて」


 そして、一文字に腹を割く。

 すかさず、藤堂は伊東の首を泣きながら刎ねた――



◆◇◆◇



 帝と徳川家、そして雄藩の間で長い話し合いが行なわれた。

 その結果、徳川慶喜は総裁となり西郷と大久保、そして木戸孝允と改名した桂はその下につくこととなった。


 これから一致団結して海外の政治を真似て議会政治を行なおうとしていた。

 その第一歩としていろいろな人材に様々な役職が任じられた。


御親兵大将ごしんぺいたいしょうを――織田信長に任ずる」


 御親兵とは国軍であり、帝の兵でもある。

 つまり軍事において最高の地位に就いたのだ。

 しかし――


「……? 織田殿? 織田信長殿!?」


 数多くの諸侯や志士、そして新選組が集まる公式な場において。

 織田信長が出席することはなかった。

 それどころか、歴史の表舞台に出ることはもはやなかったのである――

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