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第62話信長、果てなき夢を知る

 戊辰戦争から数年後――


「あ、ノブさん。探しましたよ。こんなところにいたんですか」


 澄んだ空気が美味しく感じられる、自然豊かな屋敷の縁側で、第六天魔王の織田信長は横になってぼんやりと何かを考えていた。

 そこにやってきたのは元新選組一番隊隊長の沖田総司だった。

 今は江戸に帰って試衛館道場を再び開き、天然理心流五代目宗家を継いでいた。


「うん……なんじゃ、沖田か。ようこんな遠くまで来たものだのう」

「そうですよ。何日かかったと思うんですか」

「知らん。それで何用ぞ?」


 沖田は「永倉さんが呼んでいますよ」と言う。


「ここの指揮をしているのはノブさんなんですから。急いで行ってあげてください」

「永倉でも対処できるわい……ま、それでも行ってやるか」


 ゆっくりと腰を上げて、杖を使って歩く信長。

 年相応になったなと沖田は思う反面、寂しい気持ちになる。

 京にいた頃は老人には見えなかったのに。


 屋敷を出ると辺り一面に涼しい風が広がる。

 初夏だというのにまだ肌寒い――京とは大違いだと沖田は感じた。

 周りは畑仕事に精を出している大人が多かった。しかし信長の姿を見ると作業をやめて、一斉に敬礼する。


「局長! おはようございます!」


 その中で一層、声の大きな男――吉村貫一郎に信長は「局長はやめい」と笑った。


「儂はもう、局長ではないわい」

「では、何とお呼びすれば?」

「ご隠居とでも呼べ」

「あははは。隠居しているようには見えませんな!」


 こやつ、よう言うわいと信長も笑った。

 沖田はだいぶ丸くなったなと喜ばしい気分になった。


 それから永倉のいる田んぼの元へ向かう。

 険しい顔をしている永倉に「どうだ調子は」と信長が問う。


「ああ、信長さん。実はあまり稲に元気が無くて」

「みちのくから手に入れた種もみなのだが。やはりこの地に合うように変えねばならんな」

「何年とかかりますが、絶対にやり遂げて見せます」


 永倉の熱意の籠った顔つきに「あまり思いつめるなよ」と信長は笑いかけた。


「皆と相談しながらやるのだ。ちょうど今日、坂本がやってくる。いろいろと面白い種子を持ってくるそうだ」

「ならば開墾をもっとしなければなりませんね」


 笑い合いながら、元新選組二番隊隊長の永倉新八と別れた信長と沖田。

 帰り道「案外、好きなんですね。畑仕事は」と沖田は言う。


「人を斬るよりも何かを育てるのが好きになったと奴は言っていた」

「それはノブさんも同じですよ」


 屋敷に戻った沖田は「他の隊士の近況報告をします」と信長に告げた。


「斉藤さんは京の警察官になりました。名前も藤田五郎ふじたごろうに改名したそうですよ」

「ころころと変わるやつだな。桂……木戸きどを思い出すわい。いや、あいつは影武者だったな」

「山野八十八は馴染みの女と婚姻したそうです。それでこれからこっちに来るそうです」

「ああ、聞いておる……あやつのために屋敷を用意せねばならん」

「左之助さんは江戸で暮らしています。島田さんや山崎さんと一緒に自由気ままな生活を楽しんでいるんです。たまに道場に来ますよ」

「ふひひひ。相変わらずのん気な奴だ」

「土方さんは陸軍に入隊して今は少将になっています。源さんは私の手伝いをしてもらっています」

「土方は周りと揉めねばいいのだが。源の奴は楽しそうにやってそうだ」

「それで、平助は御陵衛士を帝の警護兵にすることに成功しました。凄い奴ですよ」

「ま、あやつならできるだろうよ」


 沖田は「今の幕府の情勢、聞きますか?」と訊ねる。

 信長は「風の便りで知っているわい」と聞かなかった。


「精々苦労すればいいのだ」

「ノブさんがいてくれたらって何度も聞かされましたよ。幕府の役人に」

「儂が隠居、というよりこの地で過ごす理由、おぬしに言ったか?」


 沖田は首を横に振った。

 信長は「儂の時代は終わったのだ」と言う。


「これから海外との戦が始まるが、日の本ならともかく、そこでの戦にはついていけん。身体のこともあるしな」

「まだまだ元気……とまではいきませんか?」

「最近、物忘れも多くなった……それに、儂は楽しいのだ」


 信長はおもむろに立ち上がって庭に出た。

 沖田も黙って付き従う。

 杖を突きながら外の光景を沖田に見せる。


「見よ。この美しき広大な大地――蝦夷地を」


 どこまでも続くと思わせる広い土地。

 そしていつまでも続くと感じさせる空。

 信長が隠居先に望んだのは――かつて坂本に行こうと言われていた蝦夷地だった。


「この土地を豊かにして、人々が住める町を作り、どんどん開拓していく」

「……凄いですね。知っていますか、海外の言葉でこんなのがあるんです」


 信長が「なんじゃ?」と問う。

 沖田は「江戸の外国人に教えてもらいました」と胸を張る。


「――『ろまん』って言うらしいですよ。果てなき夢を追いかけることを」

「……良き言葉だな」


 そこに「おーい、ノブ!」と声をかけてきた男がいた。

 洋装姿の男――坂本龍馬だった。

 数人の男たちを従えていた。


「こんなところでなにしとうぜよ?」

「夢を語っておった」

「ほうか。そんなら俺からも夢を配ちゃる」


 そう言って男たちが担いでいたものを見せる。


「小麦ととうもろこしぜよ。小麦は裏作で育てられるし、とうもろこしはこの環境にぴったり合うぜよ」

「おお、でかした!」


 信長はとても嬉しそうに「永倉と相談して計画を立てよう」と言う。

 そんな信長の様子を見て沖田はノブさん幸せそうだなと笑った。


「これを育てるのも、ろまんだな」

「おっ。なんやノブ。洒落た言葉知っとるな」

「さっき教えてもらったのだ!」


 信長は杖を振り回しながら「これから忙しくなるぞ!」と喚いた。


「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり! 儂の時間はないが、ろまんはある! 坂本、沖田! おぬしらも手伝え!」


 子供のようにはしゃぐ信長。

 沖田は空を見上げた。

 自分たちを見ていて、近藤や山南が笑っているような気がして。


 涼しくて澄んだ空気の中。

 ただ、空は青くて、どこまでも続いていた――

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