扉を開けて、グレースはうつむきがちな親友を部屋に招き入れた。
犬の耳のように見えるツインテールがしゅんと萎んでいる。
「ユフィ……?! どうしたの、顔色が悪いわ」
「ううん、平気。疲れてるのにごめんね……ただ、ちょっと落ちてて。グレースの顔を見たら元気になれるかと思って」
「私とあなたの仲じゃない、そんな遠慮しなくていいのよ。私もちょうどあなたの部屋に行こうと思ってたとこなの」
グレースはユフィリアを窓際のテーブルに座らせると、「美味しいジュースがあるんだった」と部屋に備え付けのパントリーに向かった。
「会ったらまずお祝いを伝えようと思っていたのよ、ユフィ。婚約……したのよね? おめでと……っ」
グラスと葡萄ジュースをトレイに乗せたグレースが笑顔でユフィリアの隣に腰掛ける。婚約の話題にはふれず、ユフィリアの表情は相変わらず硬いままだ。
「あのね、ルグランの事なんだけど」
唐突に出たルグランの名に驚いて、グレースはジュースをグラスに注ぐ手を止めた。透明な硝子の中でワインレッドの
「イザベラが、ルグランとの婚約を早めるかも知れないって」
「ユフィ………?」
聖都にタウンハウスを置く貴族出身で爵位を継がない男児の志願者は、二十歳になると結婚するまでの数年間、聖騎士として寺院や教会に奉仕する。
なかでも聖女がいる中央大聖堂を志願する者は多い。聖騎士は有能な聖女との結婚を目的とする者が多く、大人気な職業だ。
「そろそろ全部、忘れた方がいいのかな……って」
「そうよ、そう。今すぐまるっと忘れるべき! ユフィがどれだけ断ってもしつこく言い寄ってきたのはルグラン様のほうなのに。イザベラにちょっと色目を使われたからって簡単にイザベラに乗り換えて。あんな男、いっそ頭から魔獣に喰わせて存在ごと抹消すべきよ……!」
小動物のような可愛らしい顔をしていながら、グレースはグレースらしからぬ事を言う。けれど言っている事はすこぶる正しい。
──君は他の誰より愛らしい。
少し力が弱いくらいが庇護欲をそそる、僕にはちょうどいい。
媚を売って近づこうとする女性は苦手だ。君のつっけんどうな態度がむしろ可愛い。君が好きなんだ、付き合ってほしい。
はじめは聖騎士になんか目もくれず相手にしなかったユフィリアに、ルグランは毎日のようにモーションをかけ続けた。
聖騎士の中でも、聖女たちからピカイチの人気を誇る美丈夫から毎日のように告白を受ければ、いくら色恋に興味がなかったユフィリアでも少しばかりはその気になってしまう。
「私っ……今までルグランの何を見てたんだろう」
聖女が十八歳になると恋仲の聖騎士と婚約し、ふたりで怪我人の治療に出掛けたり、教養や夫婦となるための《交わり》の教育を受ける。そうして結婚した聖女は大聖堂を出て、聖騎士の領地に赴くのが
十八歳になって告白を受けたばかりのユフィリアと、二十一歳のルグランとの交際期間はさほど長くはない。
けれどユフィリアにとってルグランは、初めて自分を『守る』と言ってくれた頼れるべき騎士だったはずだ。
あれが『恋』だったのかは正直わからない。
けれど周囲に堅牢な壁を作るほど頑ななユフィリアも、ルグランには心を許していた。
「私はてっきりルグラン様が、ユフィに婚約を申し出るものだと思っていたわ」
若草色の瞳を伏せて、ユフィリアがふるふると首を振る。
「ううん。無能の肩書きを背負ったクズ聖女が、ましてや伯爵家の令息になんかまともに相手にされる筈なかった。ちょっと考えればわかったはずなのに、気付かなかった私が阿保だっただけ」
ひと月ほど前、筆頭聖女イザベラが聖騎士ルグランに夢中だと流れ聞いてから、イザベラとルグランが連れ立って歩く姿が度々目撃されていた。
「きっとイザベラが強引に迫ったのよ。それでもっ、あの変わり身の速さには呆れちゃう……!」
グレースは背中に炎を背負って怒ってくれている。
「容姿端麗で文武両道の聖騎士たちのなかでも、ルグラン様は目立ってる。聖都の女性たちはもちろん、聖女たちにとっても憧れの存在だもん……イザベラに目をつけられても仕方がないかもしれない。でもひどいわ、ユフィをその気にさせといてっ」
ユフィリアが首を振れば、ツインテールもつられて小刻みに揺れる。
「違うのグレース。今ならわかる。ルグランは初めから私じゃなくイザベラが目当てだった。イザベラの気を引くために、私を利用したんだと思う」
「そんなっ」
婚約おめでとう。
ルグランは、よそよそしく目を逸らせながらそう言った。
「今朝、私が大司祭様から婚約宣言を受けたのは知ってるでしょう? イザベラを振り切ってでも、なぜ自分を差し置いてって私を問い詰めても良かった。そんなそぶりすら見せずに、ルグランは……」
ユフィリアは、何かを吹っ切ろうとするかのように、ぎゅ、と目を閉じると。
テーブルの上のグラスを勢いよく掴み上げて、半分ほど入ったワインレッドの液体をぐぐっと一気に飲み干した。
「ぷは──っ! なんか思ってること吐き出したらスッキリした。聞いてくれてありがとね、グレース」
飲んだくれが酒場でエールを一気飲みするような飲みっぷり。グレースが丸い両目を見開いた。
「ゆ、ユフィ?!」
「あぁっ、もう面倒くさい。愛とか恋とか、どうでもいいわ」
お酒を飲んだわけでもないのに、ユフィリアの目がすわっている。
「えっ、えええ──っ?!」