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第102話 もう一つのエピソード

「ソフィアさん…ソフィア・クラヴェウス!」


教師のイラついた声にハッと顔をあげた。


駄目ね。

今は授業中だというのにどうしても集中できない。


「どうしたのです?貴女にしては珍しい」

「いえ、申し訳ありません」


教壇に立つ教師、エドモンド・メイビスにソフィアは静かに謝罪した。


はあ…。

何もかも首輪に気を取られ過ぎているせいだわ。

考えすぎて、むしろ迷宮に足を踏み入れているみたい。

それもこれも、何をやっても、首輪がらみのイベントの発生場所が正確に思い出せないせいだ。


これって歳のせいかしら?

嫌だわ。ソフィアはまだ十代じゃないの。

こういう自虐って自分で言っていて恥ずかしくなってくるわね。


それでもこの中身はまあまあ、人生経験を積んでいるのも事実である。

大体、堂々巡りを繰り返しているのはゲームをやり込んでいなかったというのが最大の原因だ。


こんな事なら、もっとのめり込んでおけばよかったわ。

ゆいななら、完璧に覚えているはずなのに…。

すべてがもどかしい…。


ソフィアは己の不甲斐なさにため息をつきたくなった。


「では、せっかくですから、ソフィアさんに持論を発表していただきましょうかね。ロイス・フーリンの書作について…」


えっ?

この授業は魔法の歴史についての講義だったはずだけれど…。


「おや、答えられませんか?」

「いえ…」


エドモンド先生は魔法文化学の専門家だと思っていたのだけれど、違ったのかしら?


彼の実家であるメイビス家と言えば、宮廷付き魔法使いを何人も排出してきた名門だ。

まだ30代に満たないエドモンド先生もかなりの魔法の才をお持ちだという噂である。


そんな彼から300年ほど前に活躍した天才作家、ロイス・フーリンについての名がでるなんて…。

しかも、その作家の考査をする時間まで設けるとはね。

魔法使いとしては本当に珍しい。


「では、どうぞ…」


胸ポケットから取り出した片眼鏡をかけたエドモンド先生は静かに目を閉じた。

後ろで一つに束ねた彼の白い髪は日の光に照らされて輝いている。

とても絵になる光景だわ。


けれど、なぜだか、ソフィアの記憶には靄が掛かっていた。

何かとんでもない事を忘れている気がする。

しかし、肝心なところで掴めない…。

そんな感覚に包まれている。


少しばかりの気持ち悪さを感じつつ、好奇の視線を向けてくる他の生徒達の圧に押されて、それらの感情は脇へと追いやった。


そして、意を決したようにソフィアはゆったりと立ち上がる。


「はい。ロイス・フーリン…彼の作品は空想小説として完璧と言えるでしょう。科学と呼ばれる魔法と異なる神秘の技術が発達する世界で起こる愛、冒険、バトルはどれも斬新で…」

「うん。素晴らしい回答です」


ふう~。上の空だったわりには上手く答えられたみたいね。

正直、ロイス・フーリンが書いた本はほとんど読んでいない。

理由はおばあ様が嫌っていたから。

聖女の扱う奇跡の力とは縁遠い世界の話はお気に召さないらしい。


あれ?そう思えば、ロイス・フーリンが生み出した物語は前世で私が生きていた世界とよく似ている。街並みも色づく文化や服装も既視感がする。

この世界の人達が空想と呼ぶロイスの物語は私にとってはすごく現実に思えてくる。


なら、もしかしてロイス・フーリンは転生者だったのかしら?

まあ、マイケルも同じような状況だし、意外と記憶を持ったままこの地に生まれ落ちた人間は思っている以上に多いのかもしれない。ロイスに関しては亡くなってから随分経つから直接聞けないのが少し残念だわ。けれど、推測するだけは自由だものね。


「ですが、付け足す事もあります。彼を天才と表現しましたが、異端とも歴史に記されています。ロイスが生きていた頃はもてはやされましたがその死後、ほとんどの書物はマゴスの力によって書かれた忌むべきものとされました。その原本のほとんどは燃やされ、長い間、不遇の時代を過ごす事になったのです」


エドモンド先生は人差し指を立てて、付け加えた。


そうね。今だってロイスという男が書いた物語を嫌う者は多い。そのほとんどは魔法使いである。

だから、魔法を専門に扱うエドモンド先生がロイスに心酔しているのは非常に不可思議なのだ。

この瞬間にも先生はロイスがいかに偉大だったかを語っていた。

そして、その姿をウットリと眺める生徒達にも違和感が募ってくる。


確かに彼はとても容姿が整っている。主要キャラに並ぶほどと言ってもいい。

だから、恋焦がれる者がいるのは仕方がない。

だが、ソフィアは違う。そして、やはり、胸騒ぎが収まらない。

それは徐々に強くなっていく。

聖女のブレスレットが小刻みに動き出したのも理由かもしれない。

何より、頭の隅にかかっていた靄が晴れていくような感覚にも苛まれる。


邪力の気配がする。

どうして…?


一番、強く感じるのはエドモンド先生の周りだ。

だとすると、先生がマゴスの闇に堕ちているの?

えっ!待って…。


この光景をゲーム内で見た気がする。


本能的にひんやりとした嫌な汗が背中を伝っていった。

線と線が結びつくように…。


そうだ。学院で発生する暴動のスチル!!

あのイベントが発生する冒頭シーンに私は立っている。


でもなぜ?

エドモンドがらみのイベントは首輪事件と同じルートでは起こらないはずなのに…。

この教師を中心とする騒動はナサリエルルート限定。

そして、首輪事件はノーマルエンドで起こっていた。


それがほぼ同時に起きようとしているの?


冗談でしょう?

私は誰も攻略していないのに。

それでもなんとかしないと…。

マゴス復活前にかなりの死者が出かねない。

けれど、まだ幸いなのは二つのエピソードには時間差がある事。

首輪事件はひとまず、保留ね。


時系列的にはエドモンドが巻き起こす事件の方が早く起きるはずだから。

すでに何人かは彼の策略に呑まれているのも危惧すべきだわ。


この教師にはある種の魅力があるのはゲーム通りなのね。

それは悪役ゆえに携えられた力と呼ぶべきなのかしら?

その理論で行くならソフィアの外見も当てはまるだろうけれど…。

でも、この男のそれはもう少し異質だわ。


――キャアアッ!

――助けて!


頭の中で再生される悲鳴と惨劇の映像に表情は雲った。

作り物ならいくらでも楽しめるけれど、現実となると話は別。

何より未然に事件を防ぐはずのマニエルはいないのだ。


だから、エドモンド教という名の集団によってもたらされる恐怖は想像以上の血の雨となって学園に降り注ぐのは目に見えている。

だから、何としても食い止めなくては…。

たとえ、ヒロインとは違う方法で解決する事になったとしても。


それでも、ナサリエルに力を借りなくてはならない。

だけど、彼は…リオンに協力を仰いでいい物なのかしら。


攻略対象であって、違う人間のあの人に…。


いいえ、迷っている場合ではないわ。

一人では解決できないのよ。

だって、ナサリエルと協力して解決するエピソードなんだもの。


ソフィアは不穏な空気が漂う講堂で知恵を巡らせていた。

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