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第101話 事件の記憶

「口をあけてください」


スプーンに乗った緑色の液体に年老い男性の表情は分かりやすく歪んでいく。


「お嬢さん、それは苦くて嫌いなんだが…」

「そうおっしゃらずに…。これはオリビア様が作ったよく効く薬なんですから」


チェイナは渋る年老いた男性に微笑んだ。

その優しい笑みにほだされて、男性はしぶしぶ薬を口に運ぶ。


「全部、飲んでくださいよ」

「はいはい…」


病室となっている大きな居間を動き回るチェイナにオリビアは安堵の表情を向けた。


「オリビア」

「ソフィア様」


ソフィアが寝室に入るなり、崇拝でもしてくるような視線をいくつも向けられて、胸が痛くなった。


思わずため息を漏らしたくなる衝動をグッと抑え込む。


毎回の事だけれど、一向になれないわ。

慣れても困りものだけれど…。


「チェイナはどう?」

「いい人です。こちらが指示した事もすぐに理解してくれますし…。きっと頭がいいんですね。スクド家の方たちともすぐに打ち解けてくれたのも助かっています」

「そう…。オリビアの目に狂いはなかったわね」


チェイナはうまくやっているようね。

よかった。


ソフィアはホッと息をつく。


「お金という明確な理由がある人間は凄く頑張るんですよ。だかこそ、残念ですわ」

「何がかしら?」

「すごく素養があるんですよ。私が持つ知識への吸収率も高い。きちんと学べば、それなりの人物になりえる。とはいっても、この技術は聖女信仰とは真逆のものですから。帝国が推奨するとは思えませんけれど…」


聖女由来の魔法とは異なる力…まだ不安要素のある未知の技術だものね。

オリビアの”医術”は…。

だけど、それもまたこの世界に存在していたであろう物のはず…。


やれやれ、何かとままならないわ。

すべてが恋や愛で完結する乙女ゲームの世界のはずなのに、超シビアすぎる。

ヒロインが殺されている時点で、本来進むべきだった道ではなくなっているのだから、この感想自体おかしな話だ。


「それでも、進歩はしてるわ。王太子は強力してくれたし、意外と若い世代は寛容かもしれない。頭が柔らかい人が多いのよ。きっと…。そうね。落ち着いたら学校でも作ろうかしら。帝国の女性の自立率は極端に低い。それを解消できるかもしれない」

「さすがはソフィア様。目のつけどころが違いますね」

「ほめ過ぎよ」


ごく一般的な人間の考え方だと思うんだけどな。


まあ、学校を建設する前にこの世を去る気がするけれど…。

その前に基礎だけでも作っておくべきかしら?


――カキン!


「その程度の実力で護衛が務まると思っているのか?」


中庭からハーランの大きな声が聞こえてくる。

護衛の面接に精を出してるわね。

いい人が見つかるといいけれど…。

あら?あの人、良いわね。


ハーランと剣を交える男性が見えた。

歳はソフィア達より5から10歳は上に見える。

年齢がどうであれ、明らかな風格の違いがうかがえるのだ。

あの腕なら、冒険者にでもなれただろうに…。

まあ、人選はハーランに任せてあるし、あのお歳なら、事情もあるのかもしれない。

天才と言われているハーランも少し押されている。

こういう時、経験の差が物を言う。


さて、ハーランは自分より強い相手を採用するのかしら。

どちらにしても、この事には口を出さないでおこう。

私は剣に素養はないのだから。

でもあの後ろ姿、どこかで見た気がするのよね。

主要キャラではないと思うんだけれど…。

自分の記憶力はそれほど良くない。

最近、それを痛感している。


「それは今朝の新聞かい?」

「ええ、そうですよ」


そう声をあげた年配の女性患者さんにチェイナは抱えていた新聞を渡すのが見えた。

その一面に思わず、叫びそうになった。

そこには大魔法師の首輪が何者かに盗まれたと書かれていた。

それも冒険者協会からある。


「これって大ニュースじゃないの」


警部さんも捜査に駆り出されているのかしら?

まるで自然にカデリアスの顔が浮かんで思わず頬が熱くなる気がした。

これはたぶん気のせいよ。気のせい。

なぜ、否定するのか分からないまま、心の中でつぶやいた。


だが、すぐ横でオリビアが新聞にくぎ付けになっていた。


「これって…」


弾かれたように部屋を出て行くオリビア。


「どうしたの?」


彼女の後を追って、研究室として使われている小さな部屋に赴けば、積み上げられた本をあさるオリビアの姿が目に入る。


「これじゃない。こっちでもない…。あった」


地面に座り込んだオリビアが開いた本のページには青い宝石の絵が描かれている。


「それは?」

「古代の知識ですよ」


そう言って、新聞記事と照らし合わせるオリビア。


「あっ!」


写真の首輪に青い宝石がはまっている事に気づく。


「書に描かれた挿絵と一緒?」

「ええ~。まさか、本当にあったなんて」

「うん?」

「この宝石は人の記憶を操る力があるんです。文献によればですけれど…」

「記憶を操る?」

「ああっ!」

「ソフィア様!」


思わず、大きな声を出したため、オリビアの肩が少し上がった。


「ごめんなさい。ついね。なんでもないわ。良い事を教えてくれてありがとう」

「いえ。あら、いけない。患者さんをおいて出てくるなんて、私も未熟ですね」


頭を少し下げて、部屋を出て行くオリビア。

それを見送る余裕はなかった。


どうして忘れていたのかしら。

首輪が見つかったという記事の時に思い出すべきだった。

記憶を操る大英雄の遺産。

それにまつわるイベントはゲーム内でもそこそこ大きな物だった。


いえ、この場合は事件と言うべきね。

ああ、本当に私の記憶力って豆粒なのかしら。

とにかく、今は何とかしなくちゃ…。

その中心にいるのは私と浅からぬ縁のある人間なんだもの。

でも、どうしよう。

あのイベントっていつ、どこで発生するんだっけ?

ゲームではマニエルの行動次第でイベントの日時と展開は無数に変わる。

今回、あの事件が起こるなら…。

でも、まだ猶予はあるはず。

首輪が盗まれたのが昨日だとすると、後、二日ある。

それまでになんとしても思い出さなくちゃ。

あの人がとんでもない事になる。

首輪発見を公表する写真に写っていた人物によって…ね。

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