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62.祈りを


「マモルちゃん。やったんだね」


「…………あぁ」


 そこは、とある世界の、とある草原にて。

 マルクトがいた亜空間でもなければ、彼。岩上護の記憶の世界でもなく。


 誰もいない、夢見心地で安心感溢るる静かな空間に。

 ぽつりと、横長のベンチが一つだけ置かれていて。


「やっぱり、黒い髪のマモルちゃんのほうがいいよ」


 そこでは。


「へへ…………だけど、元のエレマ体に戻ったら、また白髪になるかもしれないけどな……」


 キムラヌートを倒した後、この幸せなひと時を過ごさんと、最期の会話を楽しむ二人の姿があった。


「ねぇ、マモルちゃん」


「……なんだ?」


「ううん…………呼んだだけ」


「なんだよ、それ」


 二人の間に流れるは、かつての共に過ごしてきた頃の懐かしさと、その絆の温かさで。


「ユキちゃん、ありがとな」


「ううん、こちらこそ」


 交わす言葉こそ、一つひとつは短きけれど。

 幾多の困難を乗り越えて、これまで沢山支え合ってきた二人の心は、しっかりと通じ合っていた。


「…………そろそろ、行っちゃうのか?」


 だからこそ。


「……うん。ユキはもう、長く居過ぎたから」


 護には、もう彼女がここから離れることも分かっていて。

 彼女もどこか、寂しそうな表情を浮かべながら、彼の問い掛けに、ゆっくりと返事をする。


「ねぇ、マモルちゃん。これからも大変だろうけど…………あんまり、無茶はしないでね」


「……あぁ、分かった」


「マモルちゃんの力で……たくさんの人を、助けてあげてね」


「…………あぁ」


「マモルちゃんが元気で、とっても幸せそうなところを。ユキや、みんなや、先生たちに、見せてあげてね」


「……………………あぁ」


 最期の別れが来る前に。

 闘いを終えた彼が、目を覚ますまでの、この瞬間に。


 彼女は伝えたいことを、言葉に込めて。


 そっと、彼の背中を押してあげる。


「それじゃあ、マモルちゃん」


「あぁ」


 どこにも行かないでなんては言わない。

 あの時、さよならすらも言えず、唐突に、永遠の別れを突きつけられてしまったけれど。


 また、こうして出会い、話をすることが。想いを告げることが出来たのだと。


「ありがとな」


「…………うん」


 昔の自分を想い出させてくれた彼女へ向け。

 彼の胸の中にあるものは、ただただ感謝の気持ちだった。


 そうして彼は、ベンチから立ち上がった彼女を見送ろうとして。


「じゃあ、ばいばい」


「あぁ、気をつけてな」


 もう、彼女が不安にならないようにと。

 もう、自分は大丈夫だよと。


 精一杯の笑顔を向けて、彼女の歩みを見届ける。


 別れの挨拶を済ませた彼女は、もう彼のほうを振り返ることはなく。

 空間に広がる草原の果てへ、歩もうとする。


「(……ありがとう)」


 彼は、その小さな背中が。遠くとおく、どんなに離れていったとしても、決してそこから視線を逸らすことはなく。


「(…………ばいばい)」


 彼女の姿が、光り輝く空間へと完全に消えていく最後まで、手を振り続けて。



 じっと、見届けるのだった――。





「…………あ、あれ……?」


 彼が再び目を覚ましたのは、六面琥珀色に染められた亜空間の中。


「お……オレ、は…………」


 キムラヌートとの闘いを終え、”活動の間”からここ亜空間へと精神を戻された彼は。


「いっ……つつ……」


 ゆっくりと起き上がって、辺りを確認する。


「やぁ、起きたかい?」


 そして。


「――っ! マ、マルクト……」


 聴き慣れた声が、空間中に響き渡れば。


「よくやったね」


 彼が振り返った先には、笑みを浮かべ玉座へと鎮座するマルクトの姿があった。


「オレは……倒せたの、か?」


「あぁ、そうだ」


「…………そう、か」


 マルクトと再会して、彼が最初に尋ねるはキムラヌートのことについて。


「そうか…………やったのか……」


 マルクトからの返事を聞いた護は安心すると。

 途端にこれまでの緊張と力みから身体が解放されれば、思わず力が抜けて、そのまま地べたへと座り込んでしまう。


「かなり、無茶をしたね」


 そんな彼へ労ったマルクトは。


「いまは興奮状態だろうから、何も苦じゃないだろうけど。奴の攻撃を受け止めた際、その影響で、キミの片腕は恐らく折れてしまっているはずだから。無事に元の世界へと還ったら、すぐに治してもらうんだよ」


 彼の身を案じた後、淡々と。今後についての話をし始める。


「少し考える余裕が出てきたら、キミの中にはワレに色々と尋ねたいことが生まれてくると思う。いまは、ワレも力を使い、疲れてしまったから、少しの間眠らせてもらうが……覚醒から戻った後は、キミの装備も修復された状態にしておくから、安心して帰るといい。話はまた、その後にでもしよう」


「…………分かった」


「それじゃあ」


 説明を終えた後、護の返事を聞いたマルクトは。


「出口はあそこだ。あの扉をくぐれば、またキミは生命の樹へと戻れるよ」


 続けて彼の背後を指差して。

 いつの間にか備え付けられた、木製の古びた扉へと彼を誘導する。


「岩上護」


「…………」


「また、会おう」


「…………あぁ」


 そうして、二者は一時の別れを告げて。


「…………ありがとな」


「いいんだ」


 護は立ち上がり、案内された扉へと。

 マルクトは、扉へ向かう彼の姿を見届けて。


 最後に一つ、短く言葉を交わし。



 両者ともども、この亜空間から姿を消す。






「…………いいのかい?」



 ――――その、はずだった



「…………うん、いいよ」



 岩上護が姿を消して、暫くが経ち。


「また、ワレの力で。キミの姿を彼に見せることも出来たんだぞ?」


「それでも、いいの」


 彼が、亜空間から生命の樹へと戻って。

 この亜空間には、誰も残るはずはなかった。


「伝えたいことは、もう伝えたから」


「…………そうか」


 だが、彼がこの亜空間を去ってから。

 残っていたマルクトの、その隣には。


「マモルちゃんが、ちゃんと前を向いて。未来へ向かって歩き出したから」


 彼とはもう、別れたはずの。


「ユキはもう、大丈夫だよ」



 彼女の姿があった――。



「キミには三度、助けられた。一つは過去、あの事件の時に彼が瓦落する天井の下敷きとなりそうだったところを、キミが庇って守ってくれたこと。二つは、彼が生命の樹で地下へと落下しそうになった時。キミが、マナの実を彼の下へと届けてくれたこと。そして、三つ目は……奴との闘いの際に、キミが。離れそうになったワレと彼とのリンクの間に立ち、再びこうして繋ぎとめてくれたこと」


 そんな彼女へ、マルクトが。これまでの助力への感謝の気持ちを向ければ。


「ワレに恩義の一つや二つ、願ってもよかったんだぞ?」


 彼女へ、その労いを窺おうとする。


 それでも――。


「ありがとう。でも、ユキもこれまで沢山。いろんなものを受け取ったから」


 彼女にはもう、再び彼と会うことを望む気持ちはどこにも無かった。



 すると。



「そうだ。ねぇ、神さま」


「…………ん?」


「それじゃあ、一つ。お願いがあるの」


「……なんだ?」


 ふと、彼女は何か思いついたかのように、マルクトへと声を掛ければ。


「どうか、これからも。マモルちゃんのことを、見守ってください」


 彼女はマルクトへ、彼の未来を。彼の安寧を心から願い、祈る。


 そんな彼女の願いを聞いたマルクトは。


「ふっ……そうだな」


 ほんの僅か、笑みを零して。


「……善処しよう」


「……ありがとう」


 快く、彼女の気持ちに応えていく。


「ならば……」


 とはいえ、彼女がこれまでしてくれたことへ、何の御返しも出来ないことに気持ちが落ち着かなかったマルクトは。


「せめて。キミが迷わず次の生へと歩めるよう、ワレがここから案内してあげよう」


 おもむろに、両手を合わせ。


「” תְפִלָהトゥフィラ ” - 祈りを -」


 彼女を、死後の世界へと導かんとする。


「ありがとう、神さま」


 マルクトが術を唱えれば、彼女の身体は優しく暖かな光に包まれて。


「それでは。キミに、祝福を」


 その姿を光の粒子へと変え。そのまま、天高くへと昇っていく。


「”彼のことを、見守ってください”、か」


 天高く舞う、光の粒子を見守るマルクトが。


「キミのその想いに、きっと。生命の樹の主が応えてくださったのだろうな」


 彼女が願った言葉を反芻し、彼女が起こした奇跡を。目を閉じて、そのまぶたの裏へと焼き付けるのだった――。



 マルクトの術によって天へと昇っていく彼女は。 

 死後、岩上護の傍に寄り添い、どんな時でも見守り続けてきて。


 彼を助けたいと。力になりたいと。

 時が止まった世界でずっと、願い続けてきた。


 それはようやくにして叶えられ。

 彼と再び出会い。彼が、未来へと進み始めた姿を見たならば。


 また、彼に自分の姿が見えなくなったとしても。


 もう、彼女には思い残すことはなく。


 こうして、彼女もまた。

 しがらみから解き放たれ、時は刻み、未来へと向けて、進んでいく。



 あの時の事件を経て、命運分かれてしまった二人。

 一度は離れ離れとなり、絶望の底へと落とされてしまったが。


 この異世界という場所で。

 再び相まみえ、想いを伝えることが出来た。


 あの事件が無かったらば、今頃二人には違った未来があったのかもしれないと。

 そう、思わざるを得ないこともあるだろう。



 それでも、いま。この時だけは。


 どうか、どうか。

 祈り続けて欲しいと。


 二人の歩みに。



 そう、願いを込めて――。



* * *



 ねえ、マモルちゃん。



 ユキね、もしいまも生きていたら。

 マモルちゃんの夢に、ついていきたかったんだ。



 世界中を、ずっと。傍にいたいと思う人と一緒に。

 色んな場所を旅して、駆け巡りたいなって。



 そう、ユキは夢見て願っていた。



 それは、もう叶うことはなくなったけれど。



 でも、マモルちゃんを見守っていた間だけは。

 こうして、知らない世界を。知らない国や景色を見ることができたから。



 ユキの中に、後悔なんて一つもないよ。




 ねぇ、マモルちゃん。



 ほんとはね。ユキ、最期にもう一つだけ、伝えたかったことがあったんだ。



 でも、それを言ってしまうときっと。

 それが、マモルちゃんの心をまた縛ってしまうかもしれないと思って。


 マモルちゃんには、前を向いて欲しいと思って。



 それだけは、最期まで言わなかった。



 だからね――。



 もう、マモルちゃんには聴こえない、マモルちゃんには見えないこの時に。



 言わなかったことを。言い残したことを。



 伝えるね。



 マモルちゃん。




 ――――大好き




 それじゃあ。

 いつまでも、元気でね



 ばいばい――。



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