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63.手を取り合って



 キムラヌートが消滅してからしばらく――。



「う…………ん?」


 生命の樹内、”活動の間”にて。

 静まり返る空間の中、岩上護が目を覚まし。


「帰って……きたの、か」


 マルクトと別れた後、彼の精神は再び亜空間から元の世界へと帰らされていた。


 仰向けに倒れていた彼は目を開け、ゆっくりと首を左右に動かし、辺りを見渡してみれば。

 そこにはもう、さきほどまでのような地獄の光景はどこにもなく。落盤した地面は全て塞がれ、地下に待ち構えていた針山もなければ、元々存在していた苔の生えた岩石や、樹々なども、元通りに復元されていて。


 黒い煙幕が張っていたかのように、暗くどんよりとしていた天井からも、日差しのような暖かな光が地上へ向かって差し込まれていた。


「そうか、本当に……」


 空間に漂う静けさと、心に癒しを与えてくれる空気が。

 彼に、キムラヌートが完全に倒されたことを知らせてくれて――。


「…………起きたか」



 ――その時



「…………え?」


 天井を見上げていた護の頭上より、何者かの声が発せられれば。

 その声に反応し、急いで起き上がった護のその背後には。


「あんまりにも起きねぇから、死んでしまったんじゃないかって思ってたよ」


 片手に黄蘗色の楯を握り、大の字になって寝転がるルーナの姿があったのだ。


「お、お前…………」


 辺りにはもう、エルフ国兵達の姿は誰一人として見当たらず。ただただ、自分の後ろで仰向けに倒れる彼女の存在が、彼の眼には異様に映り。



 どうして彼女だけがいるのかと――。



 そう、言いたげな護の表情を見たルーナが。


「他の連中ならもう、とっくにここから出ていったよ」


 護から訊かれるよりも先に、ポツリと呟けば。


「あの化け物が消えた後、暫くしたら空間が元の姿に戻ってな……。最初は、あいつらもアタシらを担いで一緒に逃げようって言ってくれてたんだが……。お前とアタシだけは置いていってくれないかって、頼み込んだんだ」


 続けざま、護が目覚める前までの出来事を話して。


「…………なぁ」


 そうして――。


「なんで、あの時。アタシを助けようとしたんだ?」


 彼女は唐突に。

 あの時の――キムラヌートの術によって地下へと落とされてしまった時の、護の行動について、訝しげに尋ねるのだった。


「…………え」


 すると、そんな思いがけないルーナからの二言目に。


「なんでって……それは…………」


 返す言葉が見つからなかった護は、動揺し、その場でたじろいでいると。


「お前は、アタシのことが嫌いだったはずだ。いや……嫌いなんてどころじゃない。殺したいほど、憎たらしい存在だったはずだ」


「それ……は」


「なのに、なんであの時。あの化け物にアタシが襲われていた時。お前だけこの場から逃げなかった。お前にとっては……この世界も。アタシらが抱える事情も。どうでもいいことなんじゃないのか?」


 そんな護へ、ルーナは立て続けに。

 これまでの自分に対する彼の接し方や関わり方、してきた言動を。彼に、強く思い出させるように、一つ一つの言葉に語気を強めて、重ねていく。


「(それは…………)」


 ルーナの言う通り、彼はこれまで彼女に対して、決して好意的な関わりを持とうとすることはなかった。むしろ邪険に、否、それ以上に酷い態度を取り続けていた。

 それは、彼が他人を信用しないという、これまで歩んできた道の中で浴びせられた数多くの不条理によって生まれてしまったものが、そう彼の言動に作用してしまったのだが。


 そんなことは、他人が知っているわけなく。

勿論、ルーナも。誰も、彼には過酷な過去があったことなど知らないと。


 かつての仇を討ち、親友の言葉によって心に巣喰う深い憎悪から解き放たれた今の彼は。冷静に、これまでの自分の立ち振る舞いを初めてきちんと認識したからこそ、より彼女の言葉が、深くふかく、胸の中へと突き刺さり。


 いまさら、こんな事情があったなんてことは言えないと。


 そんなことを、目の前の彼女に行ってしまえば、きっと――。



「いや…………だった」


 それでも。


「…………は?」


 それでも、何か伝えなければと。


「嫌、だったんだ……」


 護は、固く閉ざした口を恐る恐る開き、心の奥から言葉を絞り出して。


「こんなこと言っても……なんだよそりゃって思われるかもしれねぇ。だけど…………嫌だったんだ。オレも、よく分かんねぇけどよ……それでも、あの時気付いた勝手に身体が動いて……」


「…………なんだよ、それ」


 ルーナは、自身の想像とはかけ離れた彼の曖昧な返答に、眉をひそめては、納得がいかないといった口調で言い返せば。


「(あぁ……違いない…………)」


 ルーナが示した反応に、さらに言葉を詰まらせてしまった護は。

何を言えば、どんな言葉を伝えたら、己を分かって貰えるのだろうかと、必死に思考を巡らせて。


 あぁ、こんなにも苦しいものなのかと――。


 他人に己のことを理解してもらうことが、こんなにも大変なことなのかと。

 彼女を前にして、護の心を襲う揺らぎは徐々に大きくなっていき――。


「(なんだよ、こいつ…………)」


 もちろん、ルーナも護の言葉に困惑していた。


「(アタシが殺されることが、嫌だった……?)」


 だからといって、護が、これまで彼女へしてきたことが赦されるとは限らず。助けてくれた感謝と、何故助けてくれたのかという疑念に。これまで募っていた憎しみが。そんな様々な感情が、彼女のなかで複雑に絡み合い。


「(分からない……。分からないって…………)」


 ずっと、目を合わせることもなく。下を向いて、黙り続ける彼を見るたびに。

 彼の真意を聴きたいと。さらにその想いが彼女の中で渦巻いて。


 そして。


「なぁ」


 我慢できなくなった彼女は。


「なぁ、何とか言えって……」


 再び彼に問い詰めようと、痛めた腕を思わず伸ばそうとした。


 その時だった――。


「あの時、オレは……。誰も、助けられ……なかったんだ…………」


「――っ!」


 ようやく、口を開いた護。


 だが、その瞬間。


「(こい、つ…………)」


 ルーナは、伸ばそうとした腕を途中で止めてしまい――。


 それは、彼の言葉によるものでもあったが。


 彼女が衝撃を受けたのは、彼が言葉を発した直後の、その表情。


「(なんだよ……こいつの顔…………)」


 彼女には、護に何があったのかは分からない。

 ただ、彼が言った”あの時”という言葉は、決して先ほどの激闘の最中の話ではないということだけはすぐに理解でき。


「(なんで、お前が……そんなに酷い顔してんだよ…………)」


 ルーナの眼に映る彼の様相は。

 それは、それは。辛そうだなんて一言では片付けきれない。まるで、まさに今目の前で大事な者を失ったかのような、茫然とした、わびしげな顔を浮かべていて。


 それを目の前で。まじまじと見てしまったルーナの。

 これまで彼に対して抱いていた感情などは、喉元からさらに、胸の奥底へと押し戻され。


 訳は分からぬが、これ以上彼の気持ちを知ろうとすることは、辞めた方がいいのではないのかとされ、彼女は思わされてしまう。


 その時。


「(…………そういえば)」


 ふと、ルーナはあることを思い出して――。


「(こいつ、たしかあの化け物のこと……)」


 それは、キムラヌートがこの空間内へと侵入して、初めて表に顔を晒した際のこと。

 奴の顔を見て瞬間、護は奴が、且つての孤児院の皆を殺していった当人だとすぐに気づき、辺り構わず奴へと向かっていった。


 だが、その行動はルーナにとって。

 何故、異世界の者が、初めて対峙するはずの魔族に対し、あんなにも怒りを露わにして向かっていったのかという疑問となり。


 それは、彼女にとっては到底合点のいく光景ではなかったのだ。


 しかし、これまでの彼の闘いと、いま自分の前で露わにした表情からは。

 彼女からしてみれば、どうにも無関係なものではないのかと、どこか引っ掛かってしまうものだった。


 そして。


「お前…………」


 あまりにも、そのことが気になってしまった彼女は。


「あの化け物のこと……。どこかで知っていたのか……?」


 下を俯き、顔を歪ませる護に、直接キムラヌートとの関係を尋ねてしまう。


 そんなルーナからの疑問に。


「――っ!」


 ほんの一瞬。

 彼は、目を見開きルーナへ驚いた表情を見せれば。


 しばし、黙り続けた後。


「…………あぁ」


 短く、消え入るような声で返事をすれば、そのまま彼は、哀しそうに目線をルーナから地面へと落とすのだった。


「…………そう、か」


 その一連の様子を見たルーナは。


「……分かったよ」


 そう、一言だけ言い返せば。


「…………あん時、アタシを助けてくれてありがとな」



 次に、彼女は改めて、彼へ感謝の言葉を告げたのだった。



 それを聞いた護は――。



「ぁ…………え?」


 言われるはずもないと思っていた、彼女からの感謝の言葉に。


「ぇ…………あ、あぁ」


 三度驚き呆然として、その場で固まってしまうも。


「い……いいんだよ」


 なんとか返事をしようと、ポカンと開けた口のまま小さくうなずけば、吐息混じりに言葉を返すのだった。




「(やっぱり、よく分からない……)」


 彼に、感謝を述べたばかりのルーナは。


「(なんでこいつが……あの魔族のことを知っていたんだ……)」


 彼の口から、キムラヌートとの関係があったと聞かされて。

 刹那、彼女の中には、護が魔族と繋がっているのではないかという疑念も少し生じていた。


 無論、そのようなことはないのだが。以前にも一度、レグノ王国とエレマ部隊の間では、エセクによる各地同時出没の一件によって大きな亀裂が生まれてしまったこともあり。

 彼の返答は、エレマ部隊が魔族の間者なのではないかという可能性を示唆するものにも成り得た。


 だけども。


「(けど、こいつは……)」


 あの時、自分が針山の餌食となりそうだったところを。多くの無念を抱えたまま死を迎えそうになったところを。


 彼が、身を挺して救ってくれて。


「(あの後も、ずっとこいつは一人であの化け物に向かっていって……)」


 その後も、キムラヌートとの一騎打ちへと躍り出たらば、周りを巻き込むほどの激しい撃ちあいの最中であっても、皆を、その場にいた全員を誰一人として傷つけないように。キムラヌートが完全に消滅するその瞬間まで守り続けてくれた。


 そんな彼が。


「(こいつは、本当に……)」


 本当に、魔族の間者なのかと。


「(ほんとうに……。悪いやつなの、か……?)」


 到底そんなこと、彼女は本気で思うことなど出来はしなかったのだ。


 決して彼が自分にしてきたことを許すわけではない。

 だが、それでも彼女にとって彼は命の恩人であり。最後まで、凶敵に立ち向かい、撃墜し皆をこの窮地から救ってくれたことは――。


「(あいつも……なにかしらあったのか?)」


 いまこの時は、信用に足るものだと。

 そう思い、彼女は一度目を閉じて。いまこの瞬間、生かされていることを。


「(…………なんて、な)」


 彼に向けての感謝の意と併せ、そのありがたみを感じて。


 そうして――。


「なぁ…………」


「…………ぁ?」


 今度は、護がルーナへと声を掛けると。


「怪我……その、ヤバいんだったらよ…………ほら」


 身体中はボロボロで、あちこちに血の跡がついていたルーナの身を案じてか。


「肩、貸してやるからよ…………」


 遠慮しがちな口調で。それでもゆっくりと、ルーナへ向けて手を差し伸べ。


「オレ達も……ここから出よう」


 一緒に安全な場所へと行こうと誘う。


「…………」


 唐突に、目の前へと差し出されたを手を、目をパチクリとさせながら見ていたルーナは。


「…………はっ」


 彼の取った行動に驚き、一瞬何も言葉が出てこなかったが、それもすぐに解かれては、どこか観念した様子でため息を吐きながら笑えば。


「……あぁ」


 身体中に走る鈍い痛みに耐えつつ、小刻みに震える手を彼の手へと向けおもむろに上げる。


 そうして。


「……大丈夫か?」


「あぁ、問題ないよ」


 護の手を掴んだルーナは、そのまま優しく起こしてもらうと、彼の腰回りに腕を巻き付けるようにして身体を預けて。


「じゃあ、いくぞ」


 彼の掛け声を合図に、片脚ずつ前へと出し、”活動の間”から移動を始めるのだった。



 ――二人が”活動の間”から歩き始めてすぐ



「(ほかの連中は、みんな無事なのか、な……)」


 護の腰に支えられながら、歩幅を合わせ、ゆっくりと歩くルーナは。


「(また、アタシは……あいつらに全然敵わなかった)」


 他の部隊長らの心配と、これまでの闘いを何度も反芻して。


「(あいつも……。あの化け物も…………)」


 魔族オーキュノスについては勿論、キムラヌートの術にも為す統べなく、立て続けにやられてしまったことに。


「(どうしてアタシは……。こんなにも…………なにも出来なかったんだろう……)」


 己の弱さとふがいなさを、ひしひしと感じさせられていた。


「(やっと……。あいつを倒せる機会だったのに…………)」


 これまで部隊長として、国の重役を背負ってきた彼女は。


「(お父さん、お母さん……。故郷のみんなの仇を討てるはずだったのに…………)」


 これまで幾度の闘いにおいても、決して下を向くことはなく。率いる部下達を大事に、みなが奮い立つようにと立ち振る舞ってきた。


「(どうして…………どうして、アタシは……)」


 だが、強大な力を前にて。

 一撃すら与えられぬまま破れてしまったことが。


 あまりにも、情けないと。

 彼女に心に綻びが生じる。


 すると、その時。


「…………え?」


 突然、打ちひしがれる彼女の頬に、一滴の水が上から落ちてくれば。

 一体何かと思ったルーナが涙声を上げながら、思わず上を向いて水が降ってきた辺りを見てみれば。


「なん、で……おまえ……」


 見上げた先にはなんと。


「うる、せぇ…………」


 ルーナを支えながら、一歩ずつ歩く護が。

 顔を歪ませて、歯を食いしばりながら。


「うる、せぇ……うるせぇ……」


 両眼から大粒の涙を流していたのだった。


 ルーナに気付かれてしまった護は。


「ちょっと……腕が痛ぇだけだよ……」


 左腕でルーナを支えながら。

 折れているはずの右腕のほうで、痛みを堪えながらすぐに流れた涙をぬぐおうとするも。


 その涙は止まることなく。

 むしろ、拭えば拭うほどに、ドンドン溢れ出してきて。


 それでも誤魔化そうと。


「ちょっと……無理しただけなんだよ……」


 なんでもいいから理由をこじつけようと、精一杯に意地を張ろうとするも。


「……なんだよ、それ」


 そんな彼の様子を見たルーナは。


「馬鹿みてぇじゃないか」


 彼の言動を茶化そうとして。


「バカ……みてぇじゃ、ない……か」


 それでも、どうしてか――。


 彼女もつられて泣き始めれば。


「ううっ……くそっ、ちきしょう…………」


 悔しさが。

 やるせなさが。


 彼女の胸の奥から溢れ出し。


「あぁ…………そうだな」


 泣きじゃくるルーナを見た護も。


「ほんとに…………バカみてぇだな」


 しゃがれた声でそう言うと。

 彼女を支え直そうと、左腕で彼女の身体を自らの腰へと引き寄せて。


「さぁ……。行こうか」


「…………うん」


 もう一度、声を掛け直せば。

 それを合図に、二人は再び一緒に歩き出し。


 ”活動の間”から、出ていくのであった。


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