「――っ!!」
いまの、音…………
「…………隊長」
まちがい、ない…………
「隊長っ……たいちょうっ!!」
今度こそ間違いなく…………
「こっちっ……! こっちからっ……!!」
確かに、この耳に聴こえてきた。
この、鋭く空間を引き裂くような、金切り音。
それは確かに……何度も。
何度も傍で、耳にし続けてきたもの。
「急げっ……いそげっ!!」
隊長がいま、闘っている。
すぐ、そこに隊長がいる。
「早くっ……! はやくっ!!!!」
加勢しなければ。
すぐにでも、隊長を援護しなければ。
一歩でも、一秒でも早く。
早くっ…………!
* * *
「………………ゴォッ! - 伍 -」
「“
「………………ロクッ!! - 陸 -」
「”
板造りの広間に鳴り響く、二つの金切り音。
エーイーリーとローミッド、凄まじくぶつかり合う両者の剣と大太刀は、衝突するごとにその刃から多量の火花を飛び散らせては。
同時に。
空気が、空間が小刻みに震えるほどの衝撃波を生み出して。
エーイーリーは勿論のこと、瞬時に移動するごとに、板張りの床に大きな窪みを形成させたらば。人の身でありながらも、肉体を極限にまで強化さえ、巨躯の怪物に鬼気迫り続けるローミッドも、幾度も空間を行き来するごとに、壁へ、そして床へと大きな割れ目の跡を造り出して――。
「はぁっ……! でやぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!!!!」
初めはあの岩石のような巨大な拳の表面にさえ、彼は、傷一つすら付けることすら敵わなかったものの。
「まだまだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
「グゥッ…………!?」
今では怪物の腕や脚、鎧の隙間から見える肉のあちこちに、痛々しい斬り傷が鮮明に刻み込まれ。
「あ、あいつ…………」
「あの化け物相手に……あんな…………」
姿を消しては現れて、姿を現してはまた消えてを繰り返し。
激しく唾ぜり合う両者の体格差を見れば、どちらが強いかなど考えるまでもなく。
だが、ここまで互角に……否。それ以上にローミッドが怪物を相手に圧倒し続ける姿を。
その、最中。
広間の端々にて刮目していたエルフ国兵らは、そのあまりの闘いに驚愕し、息をするのを忘れる程に、茫然と立ち尽くしていた。
あの巨体から繰り出される大太刀の一振りに、誰しも彼の人族が一瞬にして押し潰されるであろうと思いきや。
巨躯の怪物の持つ力よりも、それを上回る力で押し返し、なんの変哲もない剣一本で薙ぎ払っては、怪物の急所を狙い次々と連撃を繰り出そうとするローミッドは。
「………………シチッ! - 漆 -」
「”
彼は、敵が反撃しようとしてくるものならば。
「させるかぁっ!!!!!!」
奴が移動し大太刀を振るうよりも先に、素早く死角に回り込んでは敵の両腕と両脚を狙い澄まして。
「――っ!」
「そこぉっ!!!!!!」
斬られた衝動によって一瞬、動きを止められたエーイーリーは、その隙に空中へと移動したローミッドにより。
「”
頭上から背中へとかけ強烈な一撃をお見舞いさせられると、再び襲い掛かる衝撃によって思わずその巨体を前方へとよろめき、屈みこんでしまう。
「い、いける…………」
「倒せる……倒せるぞっ……!」
「た、頼むっ……! 奴を、奴を倒してくれっ!!」
次々と、目の前で同胞達を葬られ。
次は自分の番だと。あの怪物が持つ大太刀によって、今度は自分が死ぬ番なのだと、絶望の淵に立たされていたエルフ国兵らだったが。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
いま、彼が。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
いま、あのヒト族が。
たった一人で、あの化け物を討ち取ろうとしている。
「でやぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
あの、ヒトという我々とほぼ変わらない体格で。
あの悍しい怪物を、凌駕しようとしていると。
その、彼の勇姿に。
先ほどまで死を覚悟していた彼らの心に。
もしかすると。
もしかすればと。
希望の光が灯され始めて。
「いけぇっ!! そこだぁっ!!」
片手に持つ武器を天井高く掲げ、ローミッドを応援する者も現れれば。
「お…………おれ達もあいつの加勢にっ……!」
ローミッドの姿に感化され、己もあの化け物に向かって立ち向かおうとする者さえ出てくるも。
「動くなっ!!!!!!」
「「「――っ!!」」」
だが、そこへ。
一歩でも近づこうとするエルフ国兵らの気配を察知したローミッドが、鬼のような形相で彼らへ向かって怒鳴り込み、絶対にこっちへ来るなと言わんばかりの、身の毛もよだつような睨みを効かせ。
「だ……だけど今ならっ……!」
彼のあまりの気迫に制止させられてしまったエルフ国兵ら。
思わずその場にたじろいでしまうも、それでも、全員で懸かれば今ならあの化け物を倒せるのではと。今まさに、彼があの化け物を完全に抑え込み、追い込んでいるように見えると。
なかなか一声では身を引こうとはせず、そう意気込んで、異を唱えようとするが。
それでも。
「(浅いっ……まだ浅いっ!!)」
そんな彼らの言葉に一瞬たりとも見向きしようなどせず。
緊迫した攻防の中で、常に間近でエーイーリーの体を見続けていたローミッドには、これまで負わせてきた傷、剣の跡がどれも、奴への致命傷とは成り得てないことを感じていて。
「(まだだっ……! もっと、もっと力をっ……!!)」
いまのままでは、まだ足りない。
奴の、目の前の怪物の命を刈り取るには、まだ今のままでは程遠いと。
「………………ハチ - 捌 -」
既にその巨体のあちこちには無数の斬り傷が刻まれて。
その傷口からは、体液であろうドロドロとした黒色の液体が流れ出ては、岩石のような両脚をつたい、床に溢れんばかりの溜まりを作っていたが。
「…………アァ、ツワモノよ」
ローミッドの剣技による衝撃にて一瞬よろける場面はあれど、決して長時間に渡り怯むような様子も、あの素早い動きがほんの僅かでも鈍るといった変化もなく。
奴はまだ、膝をついてはいない。
奴はまだ、音を上げるような態度を見せていない。
奴は、まだ。
命が脅かされるといった状況などではない、と。
己の振るい続ける剣が、この刃が。
あの怪物の分厚い装甲の内側深くへと届いていないのだと。
「…………すぅーー。”
奴の肉を裂き、骨の髄まで断ち切らんとして。
もっと、更なる力を引き上げるべく、一度エーイーリーから遠く距離を取ったローミッドは、再度空気中に含まれるマナを自身の体内へと取り込もうと試みようとした。
「…………ぐっ!?」
だが。
「がっ……!? カハッ……!」
彼は技の生成を為すことなく。
突如、体内から逆流してきた大量の血を、口からその場へと吐き出してしまい。
「ゲホッ……! ガハッ……! はぁ……はぁ……!」
咽び、激しくせき込む彼に、容赦なく襲い掛かる身体中への激痛。
「ぐっ……! あぁぁぁぁぁっ!?」
内側から軋むような圧迫痛にのたうち回れば、目の前の視界は途端に薄暗く、急速に狭まっていき。
「(や、やはりこれ以上は……! この、身体が……!)」
その場から動けず蹲ってしまった彼は、耐えがたい苦痛に顔を悶絶とさせ、一瞬でも気を抜いてしまえばたちまちに飛んでいってしまいそうな意識をなんとか離さずに保ちつつ、己の身体が既に限界を超えてしまっていることを改めて認識させられて――。
ヒト一人が体内に留めていられるマナの許容量はゆうに超え、暴発する内圧エネルギーを無理やりにでも抑え込んでいる現状は、彼にとってあまりに危険な行為であり。
「くそっ……! たて……立つんだっ……!」
本来ならばこの時点においてもう、誰かに両脇を抱きかかえながらようやく立てるかどうかといった状態で。
小刻みに震える彼の両脚のうち、踏み込みに使用するほうの片脚の骨は、移動の際に発生する大きな反発力に耐えきれず、既に折れてしまい。
「まだ……まだ奴を倒しきるまでは……!」
割れ目走る板張りの床へ、己の剣を突き立てて。
満身創痍のこの身体に鞭を打ち、ぼやける視界の中で、奥で構える怪物の姿を捉えんとし。
「……アァ、ヤハリ…………ツワモノよ……」
纏う漆黒の装甲は、ローミッドの剣技によって至る所が剥がれ落ち、そこから垣間見える分厚い肉の表面には大きく裂ける傷口があり。
怪物の大きな呼吸に合わせ、痛々しい赤筋の肉は激しく脈動し、そこからは大量の血が流れ出続けていたとしても。
「イザ……ジンジョウニ…………」
――まだ、キサマの刃はこの巨躯の身体の芯を捉えてはいないぞ
そう、言わんばかりに、エーイーリーは仕切り直そうとしたローミッドの動きに合わせるよう、高速の移動を途端に止めれば、彼の立ち位置と一直線上に重なるよう立ち止まって、深く腰を落とし居合の構えを見せる。
「はぁ……はぁ……。ぐっ……! ゲホッ!?」
鼻からも、口からも。
両眼からも、大量の血液が。彼の命が溢れ出し。
誰がどう見ても、これ以上の無理はいよいよ死に至るものと成り得ると。
それでも。
「(止めるな……止めるなよ…………)」
それでも、この剣を止めるわけにはいかない。
奴が完全に倒れ伏すその時まで。決して、先にこちらが潰えるわけにはいかないと。
「…………剣・奥義」
目の前の、あの怪物の息の根を止めるまでは。
「”
絶対に、くたばってたまるかと。
目を閉じ祈るよう、技を唱えたらば。
ゆっくりと彼は、初めの姿勢を取り直す。
そして。
「”
改めて、空気中に含まれるマナを、自身の身体の内へと吸収させたらば。
「ぐぅっ!? あぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
ここまで徐々に消費されていった力を補いつつ、今度はより高密度に、体内へと留めるマナを急速に圧縮させては、より強大な、強力なエネルギーを生み出し、細胞一つ一つへと巡らせていく。
時は経たないうち、ローミッドの腕や両脚は、まるで目の前に対峙する化け物のように、ヒトの身体という尺で見たらば異様にも膨れ上がると、皮膚は高温の熱によって真っ赤に火照り、身体中から吹き出す汗はたちまち蒸気となって、彼を白い靄で覆い尽くそうとする。
「…………くそったれっ……がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!」
渾身の一撃じゃ、まだ足りない。
全身の痛みなど、全て忘れろ。
この剣で、奴を倒せるのなら。
この血肉、骨。そして、この命を。
全て、すべて。
この、一振りに捧げんとして。
「剣・極技ッ!!!!!!」
暴発するエネルギーに、白靄に覆われるローミッドの身体は白雷へと染まり。
魂の咆哮を合図に、全身の毛は逆立ち、彼の髪の毛の先まで、天井へと向け揺らめき、昇り立つ。
「…………アァ、ナント……ミゴト…………」
空間は揺らぎ、ローミッドを中心に風が吹き荒れれば、彼の足元に敷かれる床板は地割れのようにボロボロとなって、彼の身体から放たれる高密度のエネルギーによって破片は宙へと浮かび上がり。
「其ノ、スガタ……。ワレモ、ゼンリョクデ、応エネバ…………」
尋常でないローミッドの姿を目の当たりにしたエーイーリー。
その彼の気迫に呼応されるよう、その場から姿を消すことなく。
なんと、これまで以上に念入りに構えを取れば。
「…………”
「――っ!!」
ここへきて、初めての術を唱える。
「(やはりっ……! さらに上があったかっ……!)」
エーイーリーが術を唱えた直後、巨躯の身体から禍々しい紫色の霧が現れると、それらは奴が構える大太刀へ這うように向かえば、ゆっくりと銀飾の刀身に纏わりつき。
「イザ、行カン…………」
瞬間、エーイーリーの身体からも高圧力のエネルギーが放たれると、衝撃波と共に、その場一帯を吹き飛ばすほどの暴風が吹き荒れる。
「(向こうも本気というわけ、か……)」
様相変わるエーイーリーの姿に、己の身体の限界。
「(これが、恐らく……)」
それらを全て、織り込めば。
恐らく、この一本で全てが決まると。
「(ならば、これで……!)」
これで、決着といこうと。
「…………あぁ」
――ありがとう
「剣士という道を選んだ自分よ」
――ありがとう
「もう、大丈夫」
――いまの己に、迷いはない
「勝って、己の存命を届けよう」
痛みはもう、感じない。
奴への恐怖も、もうとっくに感じてなどはいない。
あるのはただ。
己の生き様への誇り。
ただ、それだけ。
――あぁ、皆
大切な、者達を守るべく。
――あぁ……俺の、大事な
大事な、彼女の明日とその未来を守るべく。
――さぁ
「…………剣・極技」
――行こうか
「”
「はぁ……! はぁっ……!」
地鳴りが轟く畳間の迷宮。
「隊長っ……隊長っ!!」
エセクらの餌食となり、事切れてしまったエルフ国兵らの遺体を飛び越えて。
「ただいま……! ただいま参りましたっ……!」
ここまで大切な者の背を追いかけ続けてきたペーラ。
「もうすぐっ……! もうすぐでっ……!!」
彼の無事を祈り、ひたすらに。
「はぁ……! はぁ……!!」
休まず、駆け抜け求めてきた。
「――っ!! あれはっ……!!」
ここまで長く、長すぎるほどの道のりも。
「…………隊長っ!!!!」
ようやく、終わりを迎えようとして。
「(――っ!? なんだっ!? あの化け物はっ……!?)」
畳間の迷宮にて、ペーラの行く先その視界の奥に、突如として現れた板張りの空間。
幾層にも開かれた障子戸の先には、一部屋まるまる覆い尽くすほどの巨体の怪物が背を向けていれば。
「(それにっ……! あの隊長の姿は一体……!?)」
その奥には、尋常ならぬ様相で剣を構えるローミッドの姿があり。
「隊長っ! 今すぐ私もっ……!!」
自分の大切な人が、今目の前で闘っている。
早く、早く。自分も加勢に行かなければ。
剣を持て。そして構えろ。
「剣技っ! ”
すぐに、技を発動させるのだと。
その、準備を。
――――――刹那
「”
「――っ!!!!」
彼女の耳元に、突然劈くような雷音に似た轟音が鳴り響けば。
一度瞬いたその時にはもう、板張りの空間の奥にはローミッドの姿は消え。
「…………たい、ちょう?」
次の瞬間には、ローミッドは巨躯の怪物の背の後ろへと居て。
「たい、ちょう……?」
轟音のち、刃交えた二者の辺りには一層の静けさが漂って。
「隊長っ……! 隊長っ!!」
混乱するペーラが呼び掛けてもなお、その場から動く様子はなく。
何をしたのか分からない。
ほんの一瞬、先程まで空間の奥にいた彼が、気付けば今は目の前に姿を現して。
心配し、思わずローミッドの下へと近づこうとしたペーラだったが。
その、瞬間。
「グァァァァァァッ!!!!」
「――っ!?」
突如、ローミッドの後ろで静かに佇んでいた怪物が大声を上げたらば。
「ガァァァァァァッ!!!!!!!!」
胸から大量の体液を噴出させ。
「アァ…………アァァッ!!」
苦痛に悶え、巨大な掌で胸の辺りを押さえようとし。
そのまま、力なく膝から地面へと倒れようとする。
「まさかっ……隊長っ!!」
その光景を目の当たりにしたペーラは。
「隊長っ……! たいちょうっ!!」
まさにいま、ローミッドがあの怪物を仕留めたのだと。
自分の助力などなくとも、隊長が。あの強い隊長が一人でやってくれたのだと。
「隊長っ!!」
そう、思い。
彼の無事を安堵するとともに、ようやく再会できた喜びに。
駆け出す足取りが軽くなる。
だが。
「…………たい、ちょう?」
近付き、彼の下で名を呼び掛けてもなお。
闘い終えたはずのローミッドは、彼女の呼び声に応えることはなく。
「隊長……?」
そして、あまりにも不思議に思った彼女が。
「まさか、どこかお怪我を……」
俯く彼の、その肩へと手を置こうとした。
その、時。
――――――――グシャ
「…………へ?」
彼女の手に押されるよう、力無く背中から床へと倒れ込んだ彼は。
「たい、ちょう…………?」
糸が切れた人形のように、パタリと動かなくなれば。
胸に大きな斬り傷をつけ。
そのままそこからは、とめどなく、大量の血を流して。
目を閉じ。
絶対に離さないと、あれだけ必死に掴んでいた剣を。
まるで、繋ぎとめていた精神が解けていったかのように。
指先から零れるように。
彼はゆっくりと。
その、剣を。
静かに、手放すのだった。
「………………たいちょぉぉぉぉぉぉお!!!!!!!!!!」