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82.遅く、なった



 ようやく見えた、逢瀬の人。


 憧れ、目指してきたその剣技で。

 またも、強敵を斬れ伏し制したと。


 その、勇姿を目の前で目撃して。


 あぁ、よかった。

 あぁ、無事だったと。


 存命に安堵しては、これまで重くのしかかっていた不安も一切合切に消え去って。

 向かう足取りは小さな羽が羽ばたくように軽くなり。


 あの方に、自分の声を届けることができる。

 あの方へ、この手が触れることができる。


 また、この後も。

 この闘い終えるその時まで。


 また、貴方のお傍で共に、剣振るうことが出来るのだと。


 意気揚々。

 胸は高ぶり、ほんのりと頬を赤く染め上げて――。



 だが。



「………………たい、ちょう?」


 そんな彼女の想いと、その願いは。


 巨躯の怪物と同じく、胸部を斜めに大きく斬り裂かれた彼の、力無く倒れゆく身体と共に。

 受け止め損ねた彼女の両腕から、零れるように失われ。


「…………たいちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!!」


 ローミッドとエーイーリー。

 両者の闘い終えた空間に漂う静けさの跡に響き渡るのは、ペーラの絶叫。


「隊長っ……! たいちょうっ……!!!!!!」


 致命傷を負わされて。

 宙舞う鮮血を浴びては血まみれとなりグッタリとするローミッドの身を。


 彼女は急いで抱きかかえ、半狂乱となりながら彼を呼び掛ける。


 そんな彼女の声にも、彼の身体を懸命に揺すろうとするその暖かな手にも、ローミッドは微塵も反応を見せることはなく。


 彼は、ただただ彼女の腕の中で、静かに目を閉じ続ける。


「あぁっ……! そんなっ、そんなぁっ……!!」


 隊長がやられるわけがない。

 自分が憧れて、目指し続けて。そして、心から好いた人が、こんな所で死ぬわけがない。


 何度も。


「隊長っ……! たいちょうっ!!!!」


 何度も、何度も。


 その名を呼び。幾度も身体を激しく揺すっては、意識が戻ってくるよう祈り続けるが。


 そんな彼女の行動に応えるのは決して彼の言葉や動作などではなく。

 彼の胸に大きく、深く刻み込まれた傷口からあふれ出る大量の血液であり。


「いやぁ……! そんな、いやぁっ……!!」


 彼の命が流れていく。

 その真っ赤な血潮が、彼の肉体から徐々に失われようとしていく。


 止めねば。

 急いでこの傷を塞がなければ。


「止まって……! 止まってよっ……!!」


 これ以上。その生命を死へと追いやってはいけないと。

 艶やかな両腕で、咄嗟に彼の心臓辺りを押さえつけ。


 懸命に、止血を試みようと。

 抑え、抑え。抑え続けて。


 ローミッドの胸が折れてしまうのではと。

 そう思わされるほどに、彼女は必死に、己が腕を真っ直ぐに突き立て、精一杯の力を使って。


 掌を。

 指と指の間の皮が裂けそうなほどに、目一杯に広げて――


 それでも。


「……どうしてっ! ねぇ、どうしてよっ!!」


 虚しくも。

 彼女の懇情とは裏腹に、ローミッドの胸の傷から流れる血潮は止まるどころか。


 一刻、一秒と。

 時が過ぎていくごとに、残酷に血流は勢いを増して、彼女の掌の隙間から通り抜けていき――。


「――っ! だ、誰かっ!!」


 その、時。


「だれかっ……!! この中に治癒術が使える者はっ……!!」


 彼女は、板造りの広間にてエーイーリーの手から生き延びていたエルフ国兵らの存在に気付くと、彼らに向かってローミッドの傷を癒してくれないかと叫び。


 どうか、どうか頼むと願い出るのだが。


「「「………………」」」


 当然、ここにいる兵士達の中に彼を救える術を持っているものはおらず。誰も、彼女の悲痛な叫びに手を差し伸べることはなく、ただただその場に立ち尽くすだけで。


 巨躯の怪物との闘いの果てに。無惨な姿となり彼女の腕の中で眠るローミッドを見ては、青ざめ、掛ける言葉さえなく。喪失感漂わせる表情を、彼らは浮かべるだけだった。


「そん、なっ…………たい、ちょぉ…………」


 また、彼に逢うために。


「おねがい、ですから……」


 ここまでの。長い長い道のりを。


「どう、か……その目を…………」


 追いかけ続けて。やっと、見えたというのに。



 彼が目を、覚ましてくれない。

 抱きかかえているこの腕を。そのどこまでも優しく、厚い手で握ってくれようとしない。


 こんなに、真っ赤に血濡れてしまった両手で。

 床に零れ溢れた血を一心に掬って。


 貴方のその胸の中へと懸命に。


 何度も何度も入れ戻そうとしても。



 治って、治ってよと。

 その開いた傷が塞がってくれることを。


 祈り、強く念じ続けても。

 目を閉じて、そして開けるたび。信じたくも、受け入れたくもない光景が。


 夢から醒めたかよう、一切に変わるというような幻想は。


 決して起きることはなく――。



 その、最中。


「…………お、おいっ!!」


 絶望に伏すペーラに。


「あ、あいつっ……!」


 更なる追い打ちが、襲い掛かり。


 静まり返る、そのなかで。

 突如、エルフ国兵らがどよめけば。


 彼らが驚き、指差す先で。


「………………アァ」


 なんと。


「アァ…………ツワモノ、よ」


「――っ!!」


 先ほど、ローミッドの剣技によって倒れ伏したはずの。


「スバラシ…………カッタ……」


 巨躯の怪物が、起き上がり。


「其ノ……ワザ…………」


 自身がローミッドから受けた胸の傷を、走る痛みの感触を確かめるように巨大な手で触っては。

 動かなくなったローミッドの姿を見るように、ゆっくりと、背を向けていた身体を反転させ。


「う、うそ…………」


 震える彼女の前に、立ちはだかる。


「どう、して…………」


 再び起き上がった怪物をまじまじと見て。

 倒れたと思い込んでいた彼女は、信じられないといった表情をし。


「………………アァ」


 奴の胸には、ローミッドの剣技によって大きく刻まれた傷が確かにあると言うのに。

 明らかに致命傷を負っているだろうと認識できるほどの体液を、その深い深い傷口から多量に流しているというのに。


「…………ツワモノ、よ」


 ローミッドとは違い、そいつだけは床に倒れ伏すようなことはなく。いまこうして、彼女の前に仁王立ち、その手に銀飾の大太刀を握っていて。


「なんで…………隊長が……」


 なぜいま、彼の剣技を受けたはずなのに。

 どうして今この時も。そう平然と立っているのか。


「アァ…………」


 なぜ、隊長と同じような傷を受けているのに。

 なぜ、隊長と同じような量の血を流しているはずなのに。


 どうして、この怪物だけが。

 今も息をして、普通に動けているのか。


「アァ…………」


 そんな、怪物は。


「モウ、ココニハ…………」


 目の前で怯えるペーラを襲おうとはせず。


「イナイ……モウ…………」


 これまでとは違った、どこか寂しそうな様相を感じさせるようなため息を吐けば。


「ザンネン、ダ…………」


 再び身体をローミッド達から板造りの広間へと向き直り。


 それ以上は何も言うことなく、ローミッドの剣技によってボロボロとなった漆黒の鎧をぶら下げながら、広間の奥へと向かって歩き出そうとして――。



「…………ひっ」


 闘い終えた怪物は。


「く、来るなっ…………」


 動く度に悲鳴を上げるエルフ国兵らにも。


 広間の入り口で座り込むペーラ達にも興味を示すことはなく。


「…………アァ」


 もう、何者に対しても。


「ワレ、ハ…………」


 殺生を行うようなことはなく。


 ただただ、広間の奥の奥。

 初めに座っていた台座へめがけて、静かに脚を運ぼうとするだけで。


 その姿はもう。

 あの男が敗れた以上、この広間にいる生物の中で、誰一人として己の矜持を満たしてくれる者はいないと言っているかのようで。


 この大太刀を振るうのに相応する存在は。

 もう、ここには誰もいないと。



「……………………ねぇ」 



 だが。



「…………ふざけ、ないでよ」


 大切な者の命を奪われた彼女が。


「…………かかって、きなさいよ」


 そんな怪物の態度を許すはずがなく。


「なんで…………私は……」


 一瞬の間しか、目にはしていない。

 それでも、彼が奴へと対峙していた時だけは。


 誰がどう見ても、身の毛がよだつような鬩ぐ闘いを繰り広げていたというのに。


 それが、私では眼中にすらないというなんぞ。


「私は…………相手にすらならないって言いたいの……?」


 そんなこと。


「だったら、こっちから…………」


 そんな、こと。


「こっちからお前を叩き斬ってやるわっ!!!!!!!!」


 誰が、貴様を赦してやるものかと。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」


 気が狂いそうなほどの怒りと悲しみを抱え。


「この、化け者がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」


 彼女は、彼の手から零れ落ちた剣を拾い上げ。


「” גַעגוּעִיםガードゥイン ”ッ!!!! - 切望 -」


 背を向ける巨躯の怪物へ目掛け。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」


 真っ赤に染まった震える拳を握り締めて。


「でぁぁぁぁぁっ!!!! あぁぁぁぁっ!!!!!!」


 奴のその頸狙わんと。

 果敢に斬りつけ、彼の剣を一心不乱に降り続けようと立ち向かい――。



「くそぉっ!!!! ちくしょうがぁっ…………!!!!!!」


 怪物の足音に混ざり合うは、彼女の剣技と悲痛な叫び声。


 彼女の振り被る剣が、奴の体に当たる度。

 耳を劈くような金切り音が糸を張るよう板造りの広間に鳴り響いて。


「くそぁっ……!! あぁぁっ……!!!!」


 奴が倒れるその時まで。

 彼女は、ローミッドから教わり続けてきた技を繰り出し続けようとする。



 倒れろ。倒れろ。

 お前は、必ず殺してやると。


 あの人が。あんなに命を張って闘い続け、繋いだものを。

 お前を生かしてしまえば全て切れてしまい。


 そうなってしまえば。

 己が抱いたこの想いも、ここまで生きてきた意味も、歩んできたもの全て、諸共に。


 お前、、けは。


「お前っ……だけはぁ!!!!!!」


 絶対に自分が倒すと。


 それ、なのに。


「…………なんでっ、なんでよっ!!!!」


 何度も何度も。


「どうしてっ!!!!」


 何度も何度も何度も何度も。


「どうしてなのよっ!!!!!!」


 無抵抗の怪物を何度も斬りつけても。


 奴の身体には、傷一つすらつけられず。


「くたばれっ……!! くたばれこのバケモノがぁっ!!!!!!」


 幾度、剣技を繰り出そうとしても。

 奴の身体からは、血の一滴すら流れることはなく。


 その剣が、奴の身体へと触れたらば、硬質な皮膚によって火花を散らしながら弾かれて。


「どう…………して………………」


 どうして、こんなにも刃が通らない。


 あの人のような、強い太刀を繰り出すことが出来ない。

 あの人のように、奴の身体に攻撃を通すことすら己には出来ない。


 どうして己は。


 こんなにも、弱い存在なのだろうかと。


「くそっ…………くそ…………」


 己の弱さが憎い。


「ふざけ……るな…………」


 己がもっと強ければ。

 もっと国や民を守れたはずなのに。


 もっと己が強かったらば。


 きっと。


「たい…………ちょぉ……」



 あの人が命を落とすようなことはなかったはずなのに。



「アァ…………」


 そんな、彼女に。


「ウットウ…………シイ…………」


 ここまで一切反応を見せなかった怪物が。


「ヨワキ……モノ…………ワレノ、ガンゼンニ…………」


 突然、自身の後ろから斬りかかっていたペーラのほうへと振り返ると。


「スガタヲ…………ミセル、ナ……」


 床に引きずっていた銀飾の大太刀を頭上に掲げ。


「潰エヨ………………」


 膝から崩れ落ちた彼女の頭上に、その凶刃を狙い定める。


「あぁ…………たい、ちょう……」


 もう、ここに己の希望はない。

 彼を失った己に、生きる意味はない。


 彼の為に研鑽し続けてきたこの剣も。


「ごめん、なさい…………」


 最後の最期まで、お役に立てなかったと。


「………………サラバダ」


 そうして、怪物は。


 無情にも、掲げた大太刀を。



 彼女の頭上へと。


 振り、落とした――。



「ごめん、ペーラちゃん」



 ――――――刹那



「剣・擬技」



 何者かが。


「” רק אחדアラケ ”ッ!!!! - 壱元 -」


 振り下ろされた怪物の大太刀を。


「――っ!!」


 横一閃。


 彼女の頭上に振り落とされる前に、払いのけ。


「………………へ?」


 板造りの広間に木霊するは、彼女の肉が裂ける音ではなく。


 聞き覚えのある、軽快な声質に。

 弐つの刃がぶつかり、弾け飛ぶ金打つ音。



「…………キサマ」


 大太刀を見事に弾かれて。


「ナニ者…………ダ」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった怪物は。


 突如、目の前に現れた珍妙な格好の者に向かい、其の正体を窺う。


「どう……して…………?」


 絶望の淵に落ち、死をも受け入れようとした彼女が。

 いつまでも斬りかかってこない大太刀に、思わず閉じていた眼を開けたらば。



 そこには――。



「…………遅く、なった」


 そこには皆を救出する為と、生命の樹に向かっていた。



 仁王立つ、天下烈志の姿があったのだった。



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