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106.贈られし想い、黄昏に



『なんだっ!? 急に何があったっ!?』


『お父様っ! お母様っ!?』



 …………どうして、ここに連れてこられたのか覚えてない



『下がってなさいフィローゼッ!』


『お前達っ! いったい何者ッ……!!』



 …………ただ、ワタクシはお祭りを楽しんでいただけなのに



『お父様っ!? お父様ぁっ!!』


『フィローゼッ! あなただけでもっ……!』



 …………覚えているのは、誰かが必死に叫んでいた声だけ



『いやぁっ……! 放してっ! いやぁっ!!』


『お願いっ……! フィローゼだけはっ! フィローゼだけはぁっ!!』



 …………フィローゼ。誰、ですか?



『お父様ぁっ!!!! お母様ぁっ!!!!!!』



 …………知りません。ワタクシは、そんな名前の者など知りません。



『…………あら? どうしてそんなところで泣いているのかしら?』



 …………分かりません。

 ワタクシからはもう、全てが失われてしまったのですから。



『可哀そうな子…………そうだわ。あなたが望む物、全てをワタシが与えましょう』



 もう、何も考えたくありません。

 眠りたい……ただ、もう眠りたい。



『…………さぁ』



 けれど、もし。



『この手をお取りになりなさい』



 もし、願いが叶うのでしたら…………。



『ワタシの可愛い、アグゼデュス』



 もう一度、あの時の憧れを…………。



 もう、いちど…………。



* * *



 別邸へと案内されてから、再び当主様が王都へと戻られ暫くして――。


「いちっ、にっ、さんっ!」


 いよいよ明日へと控えた舞踏会へと向け、最後の調整を行うフィローゼ嬢様と夫人様。御部屋で練習用のドレスを着替えられまして、そこから小一時間ほど。これまで教授されてきたことを、入念に確認されていきます。


 長旅による疲れを一切に感じさせずにフィローゼ嬢様は、夫人様からの御教示一つひとつへと、丁寧に応えて。


「エハド……ドゥッ…………シュロシャ!」


 これまで積み上げてきた鍛錬の成果を、その一挙手一投足へと投影させて参ります。


 幼きながらのぎこちなさは未だあれど。

 初めての舞。あの日の頃に比べれば、見違えるほどに磨きがかかりました。



 ――――決して練習とは思わないよう。今この時も、自分は憧れの舞台へと立っているのだと。



 そう、強く意識しながら。

 確固たる意志から沸き造られる凛とした立ち姿と、指先から足先にまで丹念に練り上げてきた繊細さをたっぷりと魅せるため。己に出来る最大限の配慮を込めて、精一杯に踊られます。


「(…………本当に、ほんとうに)」


 そんなフィローゼ嬢様の装いに、後ろからじっと見つめる夫人様は安堵の表情を薄っすらと浮かべては、いよいよ。ここまで邁進し続けてきた愛娘に、明日への期待を強く抱かれるのです。


「ハァ……ハァ…………。お母様っ、どうでしょうかっ!」


 ひとしきりと踊られて。見事なお辞儀をその場で一度見せたのち、自身に満ち溢れた表情を夫人様へと向けられたフィローゼ嬢様は、ここまでの舞踊についての評価をお聞かせ願われます。


「えぇ。とてもよく出来ているわ、フィローゼ。これなら、明日の本番も堂々と、きっと素晴らしいものになるって。お母さん、信じているわ」


 そんなフィローゼ嬢様にもちろん、夫人様も大変に喜ばれながら、心より彼女の頑張りを褒めちぎっては、目の前で喜ぶ愛娘の頬に手を添え優しく撫でて差し上げ……。


 そんな、時。


「――っ! よかったっ! 間に合ったぁっ!」


 バタンと、突然勢いよく開かれた扉の外からは、大きな荷物を抱えて飛び込む当主様の御姿が顕れて。


「お、お父様っ!?」


「はぁ……はぁ…………。も、もう少しで店が閉まってしまうところだったが……なんとか受け取れた、よ……」


 雪崩れるように部屋へと入ってくる父親の、そのただならぬ様相に思わず驚いてしまったフィローゼ嬢様。対し、急いで王都から別邸へと戻られ息を荒げる当主様は、どこか楽しそうな表情を浮かべながら。


「ほらっ…………これ」


「ありがとうございます」


 すぐさまに持っていた荷物を、駆け寄る夫人様の手へとお渡しされます。


 そうして。


「フィローゼ。こっちへきて」


 当主様から預かった荷物を解き始めた夫人様は、そのまま愛娘へと手招きし。


「――っ! お、お母様……それ、は」



 解けた荷物の中から取り出した物を、娘の前へと広げれば――。



「これを、あなたに」


 愛娘へと捧げられた贈り物。

 それは、とてもとても美しく、煌びやかな蒼と白に染められた一着のドレスワンピースでございました。


 新調されたその代物は、可憐に左右へと靡くフリルを持たされ華やかに。上から沢山の青薔薇の造形物が重なるように飾られたらば、胸には白く小さなリボンが縦に三つと結ばれて。

 生地の折り目、一つひとつ。十字の文様が白地で描かれては、その下広がるように教会を象る絵柄が蒼の糸によって縫われ……まさに、薔薇の聖堂という称与えられる様相でありました。


「お母様……これ」


「これを着て、明日の舞踏会を踊りなさい」


「これを……これをフィローゼが?」


「えぇ、そうよ」


 あまりの華やかさ。あまりの美しさに目を奪われたらば。

 声も出せないほどに驚かれ、両親の微笑む顔を見つめたままにその場で固まってしまわれるフィローゼ嬢様。


 でしたが。


「お、お母様っ!! よいのですかっ! ふぃ、フィローゼが……こんな素敵なドレスをっ……!!」


 我に返れば飛びついて。


「うわぁ~~っ!! お母様っ! おかあさまっ! 嬉しいですっ! フィローゼ、とっても嬉しいですっ!!」


 喜びのあまり、身を震わせながら夫人様の胸の中で大声を上げ、ありったけの感謝を伝えると。


「――っ! お父様っ、まさかこのドレスをフィローゼにと……?」


 続けて、ここまでずっと別邸にいなかった当主様の意図に気づかれては。


「あぁ。そうだ」


「~~~~~~っ! 素敵ですわっ! お父様っ、本当にほんとうに、ありがとうございますっ!!」


 大好きな父の元にも駆け寄られ、腰に抱き着き胸の内で爆発する喜びを大いに体現なされます。


 てっきり、これまで練習でも着ていたドレスを身に着けて、明日に控える舞踏会を迎えると思っていたフィローゼ嬢様。

 まさかのまさかと。こんなにも素晴らしいドレスを両親が内緒で用意してくださったことに、涙が出るほどに心を震わせ、思わず新調された青薔薇のドレスを両手めいっぱいに握り締めては、その場で大きく一回転と周られます。


「フィローゼ、ちょっと試しに着てごらんなさい」


 そんなフィローゼ嬢様に、夫人様から試着の提案がなされると。


「えっ!? いいんですの!?」


 それを受けたフィローゼ嬢様は、夫人様の笑顔を見るや、ドレスを持ったまますぐに部屋を出ていかれました。



 そうして、暫くしたのちに―ー。



「お、お父様……お母様」


 二度ほど、扉を叩く音が部屋中に可愛く響き渡れば。


「ど、どうでしょうか…………」


 ゆっくりと開く扉の隙間より、恐る恐る部屋の中を覗くフィローゼ嬢様の御姿が現れると。


「まぁっ」


「おやぁっ!」


 もちろん、愛娘の着替えを今かいまかと待ち焦がれていた当主様と夫人様は。


「ほらやっぱり! とっても似合うと思っていたわ」


「あぁぁっ。なんって愛くるしい姿なんだ、フィローゼ……!」


 再び戻ってきた娘の姿に思わず感嘆の声を上げられては、すぐにフィローゼ嬢様の元へと近づいて、大変に喜ばれながら彼女を迎え入れて差し上げます。


 青薔薇のドレスを身に纏ったフィローゼ嬢様。

 それはそれは。まるで、絵本の物語の世界からこの世へと、天使が舞い降り顕れたかのような可憐さを放たれて。

艶やかに靡くブロンズの髪が、蒼との対比でより煌めき美しく、花園に舞う蝶々のように戯れておられます。


 フワリとしたジャンパースカートが、彼女の躰が描く線の細さをより繊細に協調させれば。

 ヒールのある靴も、はじめはあれほど馴染めずに何度も転んでしまわれたものの、今となってはサマとなり。転んだ際に作ってしまった傷もすっかりと無くなって、ドレスの袖口と、スカートの下から伸びる手足は純白な肌を煌めかせ。全身の青薔薇たちが、彼女の風貌をより際立たせてくださります。


「素敵よ、フィローゼ」


「あ、ありがとうございます、お母様」


 三度、夫人様がフィローゼ嬢様の御姿をお褒めになるや、先ほどまでの様子とは打って変わり、少し照れくさそうな様子を見せられます。


「ほら、フィローゼ。少しその恰好で別邸の中を歩き回ろう」


「――っ! は、はいっ! お父様っ!」


 すると今度は当主様より、大きく暖かな手が彼女の元へと差し伸べられれば、フィローゼ嬢様はゆっくりと、小さくて可愛らしい手で当主様の手を掴みまして。


「さぁ、おいで」


 そのまま部屋の外へと導かれ、別邸の中を一回りされます。


「…………うわぁ」


 当主様がフィローゼ嬢様を案内された訳。

 それはすぐ、部屋を出られた直後に分かりました。


「キレイ…………」


 部屋を出たらばすぐ目の前。

 天井にも届きそうな、大きな大きな窓ガラスが一つありますが。


 気づけば空はとっくに陽が落ちて。

 薄暗く黄昏色の帳が王都全体を覆い尽くされておりました。


 ですが、その窓から見えた景色はなんと。


「これが……王都の、夜」


 まるで宝石箱の中を見ているかのような、赤に青、緑に黄色と色彩々。

 華やかに、鮮やかな光が王都の街々から照らされ描かれておりました。


 眩い色彩に、人々のお道化る声もそよ風に乗って伝われば。


「ほら、フィローゼ。空を見て」


「そら…………? ――っ!」


 当主様が指差される方向に、釣られて顔を見上げたらば。


 星々煌めく夜空に多くの魔術師たちが。

 この時を祝福するよう、派手な花火を打ち上げられるのでした。


 全てが。全てが美しく。

 目を奪われて、心をも奪われて。


 この刹那の時が。永劫に続いてくれたらばと。

 切に願い……それ以上に彼女はもう、言葉を発することはありませんでした。



 優しく誠実な当主様と、誠意尽くして支える夫人様に。

 その両者の間。手を握りしめる青薔薇の眠り姫、フィローゼ嬢様。


「フィローゼ。明日の舞踏会、楽しみましょうね」


「…………はいっ。お母様」


「きっと、上手くいくことを。願っているよ」


「ありがとうございますっ……お父様」



 世界一、素敵な家族。

 ファトゥナ・セレネ子爵家様。


 決して大きくはない。王都より離れた森の中で静かに暮らす貴族様は。

 この時を、この刹那の幸せを共に噛み締めて。


 同じ景色を眺めながら。

 いつまでも、いつまでも。


 家族が仲睦まじく、平和に暮らしていけるよう祈り続け。


 明日への生誕祭、そして舞踏会へと。

 臨まれ、迎えられるのでした――。




 ――――あぁ。



 ――――――――あぁ。



 彼女は、立派に成し遂げられました。

 それはそれは、どのような言葉であっても形容しがたいほど。


 優美に、優雅に。


 見る者誰もが羨むような、見事な舞を披露されておりました。


 まさに、蛹のなかで過ごされてきた一羽の蝶が。

 憧れ夢見てきた舞台、その中で。大きな世界へ羽ばたき旅立つ煌めきの瞬間でございまし。


 小さき青薔薇の眠り姫が、衆の眼前で。

 手を取り優しく導かれながら、その身より金粉解き放たれて、また一つ。


 次への階段を昇られていく。


 抱く感情はただただ幸。


 夢は叶われました。

 憧れは届きました。


 ずっと、このような素敵な時間が。

 いつまでも、いつまでも。


 愛される、その世界の中で。


 これからも、彼女の道は華やかに。

 トキメキ溢ふふ人生そのものの。



 その、はずでございました。




 …………あぁ。



 ……………………あぁ。



 どうしてこのような結末となってしまったのか。

 どうして、このような運命を辿らなければならなかったのか。


 私は彼女の記憶を覗いてしまった。

 事の始まりから、その終わり。全てを見通し把握した。


 見てしまったのならば、仕方なし。


 映し伝えることこそが。

 我が我であることとしての、矜持であり。


 だからこそ。


 ありのままに、淡々と。

 ここまで語らい紡いで参りました。


 …………ですが。


 ですが、道半ばではありますが。

 お話差し上げることができるのは…………ここまででございます。


 その最後はあまりにも。

 あまりにも、虚しき結末であり。


 この私、不覚にも。見苦しい姿をお見せしてしまいますが。

 どうしても、最後は言葉が詰まってしまい、全てをお伝えすることができません。


 身勝手な申し出とはなりますが。


 どうか、ご来場の皆々様。

 ここまでお付き合いくださったこと、大変に有難いこと、この上なく。


 ただただ、感謝を申し上げます。



 …………最後に、一つだけ。



 私は、彼女の最期を知っています。

 私は、彼女の姿を知っています。


 彼女の居場所も、彼女が抱えるしがらみも。

 全て、すべて存じ上げております。


 いま、この時も。

 彼女はあの時の幻想を求めておられます。


 形移ろい全てを失ったその後も。

 彼女は独り、その時を待ち焦がれております。


 暗闇の中、いつまでも。

 彼女はあの時授かった、大切な想い出を。


 その胸のなか大事に、大切にしまわれております――。



 ――――姿を怪異と変えたのち



 いまも、彼女は誰かが来るのを待っておられます。


 血に飢え狂気に染められて。

 嘆きの園へと、誰かが誘われるその刹那を。


 今か今かと、お独りで。


 近づいてくる足音に。


 興味を示され仮面の中。

 怪しく妖しく窺います。



 …………あぁ。誰か、何者か。



 彼女の元へとやってくる。


 彼女が何者だったのかなど、知る由もなく。


 薔薇の香りに誘われて。

 三羽の蝶が。



 彼女の元へと、やってくる――。



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