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109.深淵求めて



 一方、同時刻において――。



「くっふっふ…………」


 エセクの手から逃れつつ、一人娘を探すためと無限の空間を奔走していたツェデック・アリー。そんな彼に対し、生命の樹内において、彼が位置する場所とはまた少し異なる地点。


「素晴らしい、なんと素晴らしい場所なのだっ……!」



 そこでは。


 彼の娘、現レグノ王国軍魔法士部隊部隊長であるツェデック・ザフィロが一人、自身の魔法によって灯された僅かな光を頼りにし。とあるぶつをマジマジと眺めては、暗闇のなか気味の悪い笑い声を上げ、さぞ愉しそうに過ごしていたのであった。


「これはおそらく古代……いや、もっと。遥か昔の魔術を記しているに違いな…………こっちもだっ……。解読に時間をかけるが絵図の描写から推察してきっとマナの根源、それに関する記述記載がっ……!」


 身を隠すように小さく丸まっては、あれやこれやと一心に、独り言をつぶやくザフィロ。魔族との抗争、いまこの時も己のことを探して走り続けている父のこと。そんな、周りで起きている出来事は一切知らぬ存ぜぬ我関せずといった様子で。


「むっ……。こっちの記述はさっき別の書物で見たものと近しいぞ……。だがまて、この端から最後にかけての導線はまた少し違った内容なのか……? くっふっふ、いいぞいいぞっ……!」


 そんなザフィロが手に持っていたのは、一冊の古びた赤い本。

 その中身。せわしなく左右上下に動く視線が追う先々には珍妙な文字の羅列が記述されており、他にも。複雑奇怪な幾何学文様も中にはいくつか散りばめられ。その一つ一つを覆いかぶさるようにしては読み漁り、懸命に解読しようと精を出しては。


 手に持つ赤の本のみならず、既に彼女の膝元には読み終えたばかりの数冊の本が乱雑に積み上げられており。最中、気になった箇所があれば、読了した本をもう一度拾い直してから、その該当部分を読み上げて。そうして、再び元の赤い書物へと戻っては、用が済んだ本を後ろへと投げ飛ばす。


「あるぞ……ここにきっと、わしの求める深淵が…………ここにはっ……!」


 見る物記される物、その全てが。

 彼女の中に眠る知的好奇心を激しく呼び覚まして――。



 “深淵”。


 それは、ツェデック・ザフィロが生涯追い求め、心の底から渇望する存在。


 魔族がフィヨーツへの侵攻を開始してから、その直後。王宮に囚われていた空宙を偶然にも檻から救出したザフィロであったが、フィヨーツの民の救出の是非を彼と言い争ったのち、結局彼女はマナの実を手に入れるためと告げ、戦火燃え盛るフィヨーツの街から単独で生命の樹へと向かい、ここまでずっと何者とも闘うことなく、この広大な空間のなかを探索し続けていた。


「これを全て解読し、そしてマナの実を手に入れさえすれば……! ずっと求めていた深淵に、その核心に迫れるかもしれぬっ……!」


 マナの実を手に入れるというわけも、彼女の深淵に対する念願果たすためのもの。


 無限のマナを供給するという、人智を超えた能力を持つシェーメ・オーロとは違って。体内に宿し使用できるマナの許容量は有限ではあれ。

 生まれ持った才はヒトの何倍にも凝縮された資質を備えた彼女。さらに、そこから重ねられた努力と鍛錬は、いつしか何人たりとも寄せ付けることなく、常人では理解できないまでの境地へと至り……なお飽くことせず魔術の道を歩み、幼き頃からいま。ここまでずっと研鑽を繰り返してきたのも、この深淵を求め続けてきたが故の原動力によって支えられてきたからであり。


「“ פענוחピアヌアフ ”…………“ הִשׁתַנוּתヒシュタヌートゥ ”……! ― 解読せよ、全てを顕し我が智恵へと変貌せよ ―」


 起きては魔術、寝ては魔術。

 一日三食その全てを、部下に用意させた流動食で簡単に済ませては。部隊の訓練でさえも部下たちに全てを任せっきりにする始末。さらには各部隊長が集う軍会議にも顔を出すことはほとんどなく。ただただ一人、研究室で籠りっぱなしな生活を送り続け、そうして一日を、一年を……ほぼ全ての時間を魔術の研究その為だけに費やしてきたのだ。


「どこだっ……どこに核心となる手がかりが書いてあるっ……!!」


 そんな、どこまでも魔術馬鹿である彼女が、そう。ここまで抱き続きてきたものが今、目の前にまで近づいていると確信めくのならば。


「…………ふふ、ふふふふふふふふっ!!!!」


 突如として襲いかかってきた戦禍に乗じてとはいえ。ここ、エルフ国フィヨーツへと赴いて以来、ようやく手に入れた自由の身。


 人目憚らず、盲目に。恍惚な表情を浮かべては奇怪な笑い声を上げてしまうのも、ある意味自然なことではある。


 だが。


「……………はぁ」


 そんな夢見心地な時間も、突然にして。


「おい…………ところでいつになったらマナの実は顕れるのだ?」


 彼女のため息と、呆れたような声色によって搔き消される。



 薄生地の黒ローブを暑苦しそうに脱ぐザフィロ。

 内側から顕わとなる絹のような白き肌は火照りによって微かに赤みを帯びては、外観の姿とは対比されてより華奢な躰を際立たせ。毛先は多少に乱れるも、艶やかに靡く漆黒の長髪。その隙間から見え隠れする蒼の猫目が虚空を見つめる様相は、僅かに醸す色気はあれど、どこか物寂しささえも感じさせる。


 待ちあぐむ彼女の吐息は僅かな苛立ちを含ませて。

 いつまでも、いつまでも己が眼前に姿を見せないマナの実を心の底から渇望し――。



 生命の樹、その内部へと潜入してから彼女が辿り着いた先。

 そこは、自然の空間が織り成すものにしてはあまりにも不自然で、人工的な場所だった。


 ズラリと、左右前方あちこちに並ぶ古びた木製の棚たち。どれもそれは、見上げても、見上げても。最上分からぬ異様な高さを以っていて。

 各層それぞれ数え切れぬほどの、隙間なく綺麗に並べられた古びた本たちがあり……その光景は、何者かが毎日欠かさず手入れを施しているかのような、あまりにも違和感を覚えてしまうものであった。



 ――――書庫室



 マナの実を探し、生命の樹内を探索し続けてきた彼女の目の前に現れた謎の部屋。

 そこは、頑丈な深緑色の扉によって守られていたのだが、発見したザフィロによってこじ開けられると、中から纏わりつくような湿気とカビ臭さが流れ込んできては、微かに流れる空気の音が、すぐに彼女を部屋の中へと妖しく誘っていった。


 照らす灯りも、立てる物音ひとつもない真っ暗闇の部屋。

如何にも怪しげな雰囲気に、一応敵がいないかどうかと初めは慎重に潜入していたザフィロであったが、魔法による手元灯りを発光したその瞬間。目の前へと現れた書物の宝を見ては興奮冷めやまない様子となってしまい。


 本棚に仕舞われた物はどれもこれも、ザフィロが人生で一度も目にしたことのない内容の書物だらけ。


 “どうしてこんな辺鄙なところに書物庫が”。


 初見で感じていた疑問もすっかりどこかへ消え去って。

 マナの実がどこかで顕れる、その時までの間。彼女は魔術のさらなる研究の為と、夢中になって解読を続けていたのだが。


「…………本当に、このわしをいつまで待たせる気なんだ?」


 あまりにも、遅すぎると。


 ここまで既に読み終えた本の数は十冊を超えたあたり。

 静寂極まれしこの空間、この部屋で。一人愉しくその瞬間が来るのをずっと待ち続けていた彼女も遂には痺れを切らし。


「なぜ…………なぜ何も起きない、何もわしの前に姿を顕すこともないっ……」


 何物も自分を尋ねる者などいない。

 何物も自分の前に現れることもない。

 本を開く音と、己が纏うローブの衣擦れの音以外に立つ音すら聴こえてこない。


「いい加減…………」


 ようやく一人となり、幼き頃からの憧れに手が届くやもしれない貴重な機会だと思っていたのに。


 一向に、マナの実は彼女の前へと顕れることはない。


「こうなれば…………」


 こうしてただ待ち続けるのも埒が明かないと。


 魔族と闘うことなど、己にとっては深淵を得ることとは一切関係がないから。

 サッサとマナの実だけを手に入れて、自分はこの場所から去ろうかとまで彼女は考えていたのだが。


 いっそ、どこかでエルフ国兵を捕まえマナの実の在処について尋問するか、と。

 そんなよからぬ企みが、彼女の脳裏を過り始めようとした。



 ――その時だった



「…………ん?」


 開いていた本を閉じ、仕方なくその場から離れようとその場からザフィロが立ち上がった直後。


「なんだ? 揺れている?」


 彼女が微かに覚えた違和感。

 それは、地面から足元にかけてゆっくりと伝搬された微かな振動。最初は地面を踏みしめた際の衝撃かと思った彼女だったが、彼女を襲う振動は確実に大きくなり。


「まさか…………」


 己を囲う本棚も、骨組み同士が軋む音を鳴り響かせながら、頭上高くより埃がパラパラと落ち始めて。

 すぐに辺りを見渡すザフィロは、徐々に大きくなる振動の源がどこから来ているかを探るべく、手元灯りをせわしなく動かせば。


「こっちかっ!」


 すぐに気になった方角へと踵を返し、先ほどまでとは目の色を変えて、暗闇の書庫室の中を駆け回る。


「そこにっ、そこにあるのかっ!?」


 走れば走るほど、ザフィロへと迫る揺れはさらに大きくなり。

 いよいよマナの実が現れる前兆が来たのかと。彼女は、誰よりも早く、誰よりも先にと、震源その位置へと近づいていった。


 すると。


「――っ!!」


 ドカンッ、と。物が一気に弾け飛ぶような爆発音が、手元灯りに照らされる奥から轟いて。

 同時、ザフィロの行く先に立ち並んでいた本棚は破壊され、天井高くまで連なっていた幾層の棚と並ぶ本たちが勢いよく雪崩れ落ちてくる。


「な、なんだ……?」


 爆発が起きた瞬間、雪崩れに巻き込まれないよう瞬時に遠く後ろへと下がっていたザフィロ。起きる異変のあまりの派手さに少しばかり戸惑いを見せるや。



 ……………………ボガンッッッッ!!!!!!



「――っ!!」


 今度は背後から、今さっきと似たような爆発音がザフィロを襲い、爆風と共に再び本棚が勢いよく崩れ落ちていく。


「まさか……敵か?」


 マナの実の発現にしてはあまりに手荒な歓迎だと。

 敵の強襲に備え、魔術を発動する準備を整えようとした。


 その時だった。


「…………ギャァァァァァァァッ!!!!!!!!」


「――っ!?」


 ザフィロが構えた先、崩れた本棚の奥からは。

 甲高い女性の悲鳴が響き渡り。


「いやっ、来ないでェェェェェっ!!!!」


 その悲鳴は徐々にザフィロの元へと近づいてくれば。

 併せて先ほどの爆発音に似た音も、女性の悲鳴を追うように、少し遅れて聴こえてくる。


 そうして。


「もう、もう嫌ァァァァァッ!!!!」


 次に、女性の悲鳴が上がった瞬間。


「――っ! お、お前っ……!?」


 とうとう、この一連の騒動の正体がザフィロの前に現れれば。


 なんと、それは。


「お化けだけは嫌だァァァァァァァッ!!!!!!」


 まさかのまさか。

 ザフィロの前に現れたのは、大人げなく泣き叫ぶ左雲彩楓と。


 その背後。


「………………グワァァァァァァァァァッ!!!!!!」



 そこには、全長4メートルはある巨大な眼球だけの化け物が追いかけてきていたのだった。



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