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110.ザフィロと彩楓



 ザフィロが書物庫のなかへと入り込む、また少し前のこと――。



「いったい……いつまでこんな場所をうろつかなければならないのだ……?」


 魔族オーキュノスの術により生命の樹のなかに閉じ込められ、皆と同様、変貌した空間のなかを彷徨い続けることとなってしまった左雲彩楓。


「こうしている場合ではないというのに……早く出口を見つけて外に出なければ…………」


 大きな揺れが空間全体へと襲い掛かった後、思わず倒れ伏して。


 そうして、起き上がった彼女の周りには、誰の姿もいなくなり。他の五将らとの連絡も、本部基地との通信も出来ず。完全に外界からはシャットアウトされ、さらには原因不明となる専用エレマ体の異常消耗にも見舞われてしまい。


「天下……右京……誰でもいい、岩上でもっ……! 誰か、だれか他にいないのかっ……!?」


 何度辺りを見渡しても、彩楓以外には誰もいない。

 物音一つとして発生することのない、異様な静寂が彼女の身体に纏わりつくように漂って。


「ハッ……ハッ………」


 行けども行けども一向に、辿り着くことのない無限の空間。


 ブヨブヨと柔らかく、薄い赤色の床が前へと進もうとする彼女の足取りを重くして。

 血管のように微かに脈動し、細かに枝分かれて張り巡らされる大小さまざまな曲線が、左雲彩楓を囲う壁その全てを覆い尽くし、過ぎ去る時間と共に息苦しさを与えようとする。


 彼女が彷徨う空間そのものが、何かの生き物の体内その臓器の中とも思えては。


 “決してここから貴女を逃がさない”。


 まるで、変貌した空間が意図を持っているかのように。彼女を追い詰め視野を狭めていき、やがてそれは黒い靄となって、不安と焦燥という形で彼女の胸中へと少しずつ、少しずつ溶けて侵入しようとする。


「…………はぁ、くそっ!」


 温文儒雅おんぶんじゅが――。


 つね穏やかで、品行方正である彼女が珍しく。幾度も幾度も悪態をつき、気が滅入った表情を浮かべては、内から外へ乱れる呼吸を吐き出していく。


「(あと、どれくらい……)」


 近くの壁へと寄りかかり、思わず天を仰いでしまう左雲彩楓。閉じていた目を薄っすらと開けたその先、彼女の視界に映るのは【WARNING警告】を示す赤色の点滅パネルであり。


「(私の着るこのエレマ体は、あとどれくらい持ってくれるのだろうか……)」


 こうしている間にも。彼女が装着する翠緑の専用エレマ体からは、外殻を構成する電子が少しずつと、蒼白い粒子となって空中へと分解されていき。

 パネル上。電子数の残量を示すメータも、時間が経つごとにみるみると下降しては、彼女の恐怖心を煽り、さらに追い詰めようとする。


「はぁ……はぁ…………ふぅ……。すぅー…………」


 電子の残量数を確認した彼女は、スラリとした人差し指でゆっくりと、目の前のパネルを撫でるよう操作し一度、全てを閉じたらば。


「(落ち着け……落ち着け…………。こういう時こそ、冷静にだ……)」



 再び目を閉じては、乱れる精神を整えようとその場で深呼吸を繰り返す。


 異変が起きてからいざここまで。

 何度も本部基地へと連絡を試みたが通ずることはなく。


 最後に総隊長との連絡が途絶えてから、エレマ体に搭載される通信経路は全てが機能せずに。原因不明の電子消耗についても、彼女が知る限りの応急処置や復旧作業を試みたものの、どれも改善の兆しへと繋がることは無かった。


「(大丈夫だ……私になら対処できる。慌てるな、やるべきことをやるのだ。そう、最後には……。全てがきちんと上手くいくから…………)」


 生命の樹、その入り口へと向かうため。他の階層へと繋がる中央階段を探そうにも、変貌し、どこを見ても同じ景色にしか見えない無限の空間のなかを歩き続けてもキリがない。


 もう、同じ空間を何時間進んだのだろうかと。

 常人ならば、とっくに気が狂い始めてもおかしくないこの状況。


 それでも。


「私は左雲家の長女。大丈夫、私になら今回だって……」


 エレマ部隊における軍事支援最大財閥である左雲家の、その長女として。



 ――――次は、頼むぞ



 何時ぞやかの、本部基地での父から受けた言葉を思い出し。


「…………さぁ、行こう」


 こうして立ち止まっている場合ではない。

 彼女は再び出口を探し、寄りかかっていた壁から離れようとした。


 その時だった――。



「………………ん?」


 壁際から離れようとしたその時。

 彩楓が自身の身体を起こそうと、壁に当てていた彼女の手が。


「なんだ、壁が凹んで……」


 押し返されることなく、まるで何かのスイッチのように。そこだけが窪みとなって沈んでいく。


 そうして。


「えっ!? うわっ、なんだっ!?」


 今度は寄りかかっていた彼女の身体、その全てが。ポッカリと、その瞬間に空洞となった壁の中へと吸い込まれるように転がり込んでいき――。


 それが。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 それが、地獄の始まりであった。



* * *



「だからといって何故わしが居た所にまでわざわざ連れ込んできたのだっ!!!!」


「わたしだってこんな事になるなど思ってなかったんですって!!!!」


 場面は再び、ザフィロが居座っていた謎の書庫室。


「こんなやつ出会ったところで逃げずともさっさとお前が倒していればいい話じゃろがぁっ!!!!」


 ウネウネと複雑に入り組む狭い通路が続く書庫室にて、次々と本棚は破壊され激しく崩れ落ちていくなか。


「無理です無理です絶対に嫌ですそんなに言うなら貴女が倒せばいいじゃないですかぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」


「何を面倒くさいことをっ!! これくらいの雑魚魔物、似非魔法士のお前ごときでもっ!」


「ど、どうしても……どうしてもっ…………」


「…………はぁっ?」


「どうしてもお化けだけはダメなんだぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


「はぁぁぁぁ!?」


 怒り心頭、口角泡を飛ばしながら叫び散らすザフィロに対し、半泣き状態となりながらまくし立てる彩楓。両者、背後から物凄い勢いで迫りくるモンスターから逃れるためと、お互い激しい口論を繰り広げながらも横並びとなって狭い通路を懸命に走り抜けていた。


「第一どういうことなんだっ! 何もしていないのに壁が抜けたとか知らない場所に転がり込んだとか突然目の前に化け物が現れたとかっ……そんなもの全部ぜんぶっ……! お前が何かしでかしたからこうなっとるわけじゃろっ!!」


「うるさいうるさいうるさいうるさいっ!! そんなことはどうでもいいから早くあのお化けをっ……」


「グァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!」


「いいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 倒壊する本棚の音、彼女たちの声その全てを掻き消す咆哮が。振動を伴い二人の背後から襲い掛かれば。


「もういやぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 普段の泰然自若な彼女の姿はどこへとやら。

 もうこれ以上轟くモンスターの咆哮を聴きたくないと、己の両耳を塞いで悲鳴を上げ続ける左雲彩楓であったわけだが――。


「グォァァァァァァァァァァッ!!!!!!」


 逃げる彼女らの背後から追いかけてくる巨大なモンスター。

 その大きさ、直径5メートルはある球体型の身体を持ち、その中心には一つ目模様が描かれて。中心から円周上へと張り巡らされる赤い枝状はまさに人間の眼球が持つ毛細血管のように細かく脈動を繰り返しており。

 さらにその眼球はザフィロと彩楓の動きに添って右へ左へと、中心に描かれる一つ目の照準を合わせるような動きを見せては。


「グォォォォォォッ!!!!!!」


 眼球の下部。そこからは大きく裂けた口を不気味に見せ、鋭く生えた牙を覗かせながら、何度も逃げる獲物に向かって地鳴りのような咆哮を上げる。


「来ないでっ……もうこっちに来ないでぇぇぇっ!!!!」


 眼球の外側には四本の黒い手足が生えては、奇怪にくねらせながら障壁となる数々の本棚をなぎ倒し、地面を這えば壁伝いに移動をしたりなど、気味の悪い動きで執拗に彼女らを追いかけ回し――。



「グァァァァァァァァッ!!!!」


「ぃギャァァァァァァァァッ!!!!!!」


 そんな背後のモンスターに怯え続ける彩楓。

 彼女がこの書庫室へと来る前のこと。一度壁の中へと吸い込まれるようにして転がり込んでいった彩楓だが、行きついたその先。そこには、真っ暗闇で物音一つとしてしない、虚無のような空間がただただ広がっており、わけがわからず転がり続けていた彩楓は、目の前に現れた光景に思わず混乱していたのだが、その最中。



 なんと、いつの間にか。彼女の背後にはその球体型のモンスターが現れていて――。



 阿鼻叫喚。

 化け物と遭遇した彼女は人生この上なく取り乱した様子で逃げだせば、迫る眼球のモンスターに反撃など一度も繰り出すことも出来ず。ただただ叫び続け、こうしてザフィロのいる書庫室へと偶々辿りついてしまったわけであった。



「はぁ……はぁ……。じゃからといって、せめて手足の一本くらいは捥ぎ取れた……はずじゃろが…………」


 そんな話を出会ってすぐに彩楓から聞かされていたザフィロ。

 彼女からの話があまりにもくだらないと呆れては。同時に、こんなことでせっかくの魔法研究の時間を自分は台無しにされたんだと彩楓に対して怒りさえも強く抱いていたわけなのだが。


「ぜぇ…………はぁ…………」


「…………お、おい。ちょっとっ!」


 ここまで己の感情を彩楓へとぶつけ続けていたザフィロであったが、唐突に激しい息切れを起こすと、途端に身体はよろけて脚を止めてしまい。


「おいっ! こんなところで止まってはすぐに追いつかれてっ……!」


「ぜぇ……。ぜぇ…………お前、担げ……」


「…………はぁ!?」


 なんとザフィロは、もう走れないと彩楓へ言い始めれば、このまま自分を背負って逃げ続けろと命令し出すのであった。


「ウソでしょっ!? えっ、ちょっと! どんだけ体力ないのですか貴女はっ!」


「う、うるさい…………似非魔法士のお前とは違って、わしは常に魔術の研究で忙しいのだ…………」


「……ったく! ええいっ、ままよっ!!」


 ザフィロのあまりのヘタレさに言葉を失ってしまう彩楓。

だが、このままではあの眼球の化け物にひき殺されてしまうと思い、すぐにザフィロを抱きかかえて肩に乗せては、いま出力できる最大限の動力でエレマ体を動かし、再びその場から走り出そうとする。


「ぜぇ……はぁ…………」


 彩楓の肩へと担がれて、乱れる呼吸をなんとか整えようと努めるザフィロ。


「(くそっ、あんな雑魚魔物…………なんでもない場所なら一撃で葬れるというのに……)」


 懸命に走る彩楓の揺れる肩にも頬を凭(もた)れながら、草臥れた表情を浮かべた顔を僅かに上げ、薄っすらとクマが浮かびあがるその不健康な目で、追いかけてくる眼球のモンスターを睨みつけるが。


「(さすがに…………こんな障害物の多い場所で高威力の魔法など放ってしまえば、その衝撃でこちらも雪崩れに巻き込まれてしまう……)」


 ここまで彼女も攻撃を一切仕掛けようとしなかった理由もその一つ。

 何重にも積み上げられた本棚が無限に並ぶこの部屋の中。ただでさえ入り組んだ通路となっているうえ逃げ道もない最中、迫る化け物を一撃で倒すほどの大魔法を放ってしまえば、その衝撃により未だ建ち残る本棚も一気に倒壊。いずれあっという間に下敷きとなってしまう恐れがあった。


「(だが……このまま逃げ続けても奴が見逃してくれる様子もない…………)」


 場の状況も悪し。


「グァァァァァァァァッ!!!!!!」


 躱して逃げ切る算段も難し。


「お、おいっ! これからどうしたらいいのだっ!!」


 このまま逃げ続けるだけでは埒が明かないこの状況。


「……………………」


 化け物の咆哮と、彩楓の焦る叫び声。

 乱れる喧騒のなかで、暫しの思案に耽るザフィロは。


「………………よし」


 三度、顔を上げたらば。


「おい、似非魔法士」


「――っ!」


「よく聞くがよい」



 彩楓の耳元で、ある策を言い放つ――。



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