目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

111.刻印



 …………ねぇ。



 …………ねぇ、おいで。



 …………この暗闇のなかから。



 …………わたくしめだけを、見つけてみて。



 …………そんな玩具おもちゃで遊ばずに。



 …………ここで永遠と。一緒にどうか、戯れましょう?



 …………かくれんぼ? お人形遊び?



 …………そうでなければ、お茶会でも



 …………あぁ、そうですわね



 …………ならば、舞踏会でもいいですわ



 …………こんなに素敵な月夜の刻



 …………わたくしめと、貴女方。一緒に踊り明かすのも、素晴らしき興でございますわ



 …………フフフッ



 …………ほぉら



 …………こっちまで




 ………………………………こっち、まで



* * *



「おい、似非魔法士…………。よく聞くがよい」



 眼球の化け物に追われるザフィロと彩楓。

 激しく倒壊する数々の本棚を避けては、書庫室が形成する狭き通路を懸命に駆け抜け、化け物が伸ばす手に捕まらないよう逃げ続けていたのだが――。


「いいか、わしの考えに従ってお前は動け」


 すると、その時。

 背後から物凄い勢いで迫る化け物を倒すべく、彩楓の肩に担がれながら思案を巡らせていたザフィロは、少し時間をおいたのち、とある算段を彩楓の耳元で囁き始めると。


「考え…………? あなたいったい…………」


 何かよからぬ予感しかしないと。

 彼女からの提案を、嫌な顔をし訝しげな表情で聴く彩楓だが。


「………………えぇ!?」


 暫しザフィロの話を聞き続けていた彩楓は、すぐに驚いた表情を浮かべては突拍子な声を上げれば。


「いいいいいい嫌ですなんでわたしがアレに近づかなきゃいけないんですかふざけないでくださいよふざけないでくださいよっ!!!!」


 今度は表情を怯えた様相へと変貌させ、首を左右に激しく振り、ザフィロから持ち掛けられた案を全力で拒むとし、彼女の耳元に向かって大声で叫ぶのであった。


「やかましいわやかましいわっ!!!! ええい、お前ごときがわしの考えを否定するなんぞ1万年早いのだっ!! いいから大人しくわしの言う通りに動けっ!!」


 唐突な叫び声に思わず顔を引きつらせては、激しい耳鳴りによって不快感を露わにするザフィロ。彩楓の態度に激怒しては、すぐにお返しだと言わんばかりに、彩楓の叫び声に勝るほどの金切り声を上げながら。


「ぜぇ……はぁ…………。これ以上、あまり体力を使わせるな……ぜぇ……。魔術の発動に…………集中を欠いてしまうだろうが…………」


 肺に残っていた息を全て吐き出すほどに捲し立てたのち、再びグッタリとした様子を見せて。

 いい加減、いい歳した奴がいつまでもそんな態度を取るなと。背後から追いかけてくる化け物に怯え続ける彩楓の反応に辟易しては。同時に、これ以上ないほどの蔑むような眼を彼女へと向ける。


「ぐっ…………。だが、本当にそんな方法で奴を……?」


「わしを誰だと思っている…………。取り敢えずは、そのまま……あやつに捕まらないよう道なりに走り続けていろ…………わしの準備が整うまで……次に合図を出すまでは、そのままだぞ…………」


 ここまでずっとイヤイヤ言い続けてきた彩楓も、流石にザフィロが向けてくる表情によって無理やり心を宥められては。


「くぅぅっ。お化けを倒せるなら……倒せるならっ…………!」


 それでも逃げ出したい、逃げ出したいと思ってはいても。


 何もしなければ状況は変わることはないと、観念。

渋々、彼女策に乗ることとしては、改めて内容を聞き直し。


「…………分かった。いまは貴女の策に乗りましょう……」


 装着するエレマ体を加速させ、決して後ろを振り返ることなどせず前だけを向いて、右へ左へと複雑に入り組む書庫室の通路を走り抜けるのだった。



 事の運びは仕切り直されて。



「グォォォォォォォォッ!!!!!!」


「(さぁて…………)」


 彩楓に対し、一通り策を講じた後。

 激しく揺れる肩の上、いよいよ獲物を屠るための準備へと着手するザフィロ。


「まずは…………」


 再び、眼球の化け物との追いかけっこを繰り広げる最中。彼女は今一度と、己と獲物の距離差に障害物との位置関係、次々となぎ倒されていく本棚の状況全てを視認すれば。


「おい、似非魔法士。まずはこのまま二度、三度角を曲がったあと……ヤツがギリギリまで近づいてくるまで本棚の影で身を潜めておけ。そうして端からヤツの姿が見えた瞬間、入れ替わるよう来た道を逆走して、またある程度ヤツとの距離を保て……よいな?」


 己を担ぎながら走り続ける彩楓へと向けて、本格的に最初の指示を出し始める。


「ちょっ……! いくら作戦だからと言って、いきなり逆走って……もしいま下敷きにでもなったら」


「案ずるな…………。“ אזור הגנהエゾウ・ハガナ ” ― 保護領域 ―」


「――っ!!」


 当然、背後は倒壊する本棚の山で埋め尽くされており。


 ザフィロの言う通り、幾つかの角を曲がったすぐに物陰へと身を潜めた彩楓だったが、彼女も本棚の端から顔を覗かせ、崩落する書庫室の光景を目の当たりにしては。

 眼球の化け物によって次々と木端微塵とされ、宙に飛ぶ壁や棚に巻き込まれることを危惧するも。


 そんな彩楓の反応を見透かしていたかのよう。



 ザフィロが魔技を唱えた、その瞬間――。



「こ、これって……」


 ザフィロと彩楓。彼女らの頭上には突然として虹色の光彩煌めく大きな膜が形成されると、それはまるで大きなシャボン玉のような半透明の球体と成り、あっという間に二人を守るよう囲い込み始める。


「簡易的なモノだが、これで幾分かは落下物等から我らのことを守ってくれる。さて、わしはヤツの捕獲の準備へとかかるぞ、あとは言った通りにしろ」


 戸惑う彩楓へザフィロは膜の効力を端的に説明すれば。


「“汝、我が身に流れるその全て……血肉媒介しに浮かびし刻印を顕せ…………”」


 目を閉じ静かに詠唱を試み、これから仕掛け放つ為の魔術の構築を執り行う。


「本当に大丈夫なんだろうなっ……!」


 集中モードへと入ったザフィロを横目に、彩楓は迫りくる眼球の化け物の気配を感じつつ、今か今かと。視界の端にその怪異なる姿を捉えるその瞬間を、恐れる感情を押し殺しながら耐え、待ち続ける。



 そうして――。



「グワァァァァァァァァッ!!!!!!」


「――っ! いまっ!!」


 化け物の叫び声が書庫室のなかで轟いたと同時、彼女は視界にヤツの黒きうねる手足を捉えれば。


「魔・擬技! “ פרפר מקפץミクピッツ ”ッ!! ― 跳蝶 ―」


 屈めた身体を起こしてすぐ。エレマ体を操作し擬技を唱え、螺旋状に吹く風を足元へと発生させれば物陰からひとっ飛び。鋭く空を斬るような音を立てながら、頭上より落ちてくる数々の本を掻い潜り宙へと舞うと。


「はっ! やっ! それっ!!」


 そのまま勢いにまかせて眼球の化け物の背後へと回り込み、ザフィロの言う通り再びヤツから距離を取ろうとする。


「おいっ! 言われた通りこっちまで戻ってきたぞっ!!」


 ザフィロの張った加護に守られながらも、なんとか来た道へと引き返すことが出来た彩楓。バチバチと、本が半透明の球体へとぶつかり跳ね返っていく音にしかめっ面を浮かべては、上ずった声でザフィロへと合図を送ると。


「うむ。ならば少しその場から動くなよ」


「えっ、わっ! ちょっと!」


 彩楓の声に小さく頷き反応するザフィロは、周囲に散らばる本棚の残骸と、眼球の化け物に目を光らせて。


「魔技…………“ חריטה למעלהハリタ・レマナ ” ― 刻上 ―」


 詠唱終えた彼女は、彩楓の肩から乱暴に降りるやその場でしゃがみ込み、木製の床に己の手を翳した途端。


「まずは…………1つ」


 再び技を唱えた次の瞬間。翳されたザフィロの掌からは怪しげな光が灯されると、床からは焼け焦げた匂いが立ち込めれば、あっという間に紫色に発光する小さな魔法陣が描かれたのである。


「お、おいっ!」


「さぁ、次だ。次はここから見て向こうの壁際まで飛ぶのだ」


 浮かび上がった魔法陣の出来を確認したザフィロは、すぐに彩楓の肩へと飛び乗ると、今度は左上の方角を指差しては、そこまで自分を届けろと命ずる。


「ちょっと! あそこまでってそれは流石にっ!」


 ザフィロからのハードな要求にたじろぐ彩楓だったが。


「何をボケっとしているさっさと行かぬかっ! ほれ、あの雑魚魔物がこっちに気付いてまた迫ってきておるだろうがっ!」


「グォォォォォォォォォッ!!!!!!」


「ひぃぃぃっ!!」


 ザフィロの叫び声に被せるように轟く咆哮に驚けば、振り返った先には四本の手足を奇怪にくねらせ壁伝いに近づいてくる眼球の化け物の姿があり。


「くぁぁぁっ! わかった、わかったからっ! 行けばいいんでしょ行けばっ!!」


 それを見た瞬間、彼女は悲鳴を上げては慌てて三度みたび、エレマ体を操作させ。伸びてくる黒の手足から逃げるよう、狙う箇所へと向かって風を起こし、床を蹴り上げ宙へと舞う。


「ギャギャギャギャギャギャッ!!!!」


「いいぃぃぃぃぃっ!?」


「グバァァァァァァァァァッ!!!!!!」


「近い近いちかいちかいっ!!!!!!!!」


 連なり、重なり倒れる本棚を利用し上へ上へと駆け上る彩楓。躰を細かに操作して、時折掠めそうになるほど接近する化け物の手足に身の毛がよだちながらも。


「ほ、ほらっ! 着いたぞっ!!」


 なんとか、ザフィロが指差していた位置へと到達すれば。


「よし…………。“ חריטה למעלהハリタ・レマナ ” ― 刻上 ―」


 彩楓の肩へとしがみ付いていたザフィロは目の前の壁へと片腕を伸ばし。

 先ほどと同じ技を唱えれば、似た紋様の魔法陣を印じてすぐに態勢を戻すと。


「似非魔法士。次は右下端まで降りろ」


 間髪入れず、彩楓に次の目的位置を示していき――。



「グォォォォォォォォォッ!!!!!!」


「…………“ חריטה למעלהレマナ ” ― 刻上 ―」


 また一つ。


「早く早くはやくはやくはやくはやくっ……!!!!!!」


「やかましいわ…………“ חריטה למעלהレマナ ” ― 刻上 ―」


 また、一つと。


 書庫室内を激しく動き回る化け物に対して常、対角の位置へと回避しながら。

 右へ、左へ、上下さらには360度と目まぐるしく移動を繰り返す彩楓とザフィロ。


 暴れ狂う眼球の化け物に捕まることなく確実に、紫苑色に妖しく光灯される魔法陣は書庫室のあちこちへと刻まれては。


「…………よし。これで最後だ」


 そう、ザフィロが言い終えた時点での数は、合わせて6つとなり。


「おい、似非魔法士。一度最初の位置へと戻れ」


 これで全ての準備は整ったと、ザフィロは改めて彩楓へ指示を出せば。


「お、終わったのか……? 終わったんだなっ!! もういいのだなっ!?」


 ザフィロからの言葉に、ようやくこの追いかけっこから解放されると思った彩楓は、顔に疲弊の色を濃く浮かべながら、荒れる息遣いのままに叫び天を仰ぐ。


「どれだけ嫌なんじゃお前は…………。まぁいい、ほれさっさと向かえ」


 そんな彩楓に対し辟易としながらも。最後まで彼女のことをこき使うザフィロであったが、彩楓が最初の刻印場所まで移動を始めた時には三度目を閉じ集中すると、またしても技を繰り出すための詠唱を試み始め。


「さぁて。ヤツを屠るとしようかの」


 これから己が起こす魔術、その発動の光景を脳裏に思い浮かべながら。彩楓の肩越しに不敵な笑みを覗かせる。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?