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113.アグゼデュス


「アグゼデュスと、申します」



 可憐に囁く、愁色な声が。

 無明の闇の、そのまた奥より響めいて。


「「………………は?」」


 空気を震わす冷たき共鳴が。


 まるで、魂の欠片を地面に落としてしまったのかのように。

 茫然と、その場に立ち尽くす魔術師と魔法士の。二者の情を強張らせる。


 灰となり、塵と化しては虚空へと。消えていった眼球の化け物がいた彼の場所の、焦げ色の付いた大理石の床、その上には。


 異様な雰囲気を纏わせた何者かの影が。



 一つ、あり。



「…………あら? どうかされましたか?」


 名乗り出たのちに、返ってくる言葉はなく。

 警戒し、黙り続ける彩楓とザフィロの様子に、妖しき影が訝しめば。


「何か、わたくしめが粗相をしてしまいましたのでしょうか?」


 カツ……カツ……、と。

 床を踏み鳴らす音が二、三度と。不規則に、聴く者の心を急かし乱すように。


 小さく、丸く軽やかに。空間内へと木霊する。


「だれ、だ…………」


 手前へ一、二歩。近づいてきた影の動きに合わせ、すぐに後ろへと下がった彩楓が。


「そこにいるのは誰だっ……!!」


 続く緊張と静寂に耐えきれずに、思わず声を大きく荒げれば。


「ですから、先ほど申し上げたでしょう?」


 若干の、震えを伴った叫び声に重ねるよう、再び床を踏みしめる音が軽やかに鳴り始めては。


「わたくしめは…………」


 そうして、遂に。


「十のクリプトが一人、アグゼデュスと申します」


 悍ましい雰囲気を纏った一つの影、その姿その正体を。

 暗闇の奥底から。二人の目の前へと露わにする。



「…………ようこそ」


 暗闇の奥からゆったりと。


「ようこそ、お越しくださいました」


 撫でるような声を伴い姿を顕したのは、一人の少女。


 細く、華奢な線美を持つその躰は。

 赫と漆黒のドレスによって優美に包まれて。


「嬉しいですわ。感激でございますわ」


 血に濡れ幾度も重ね塗られたかのような、深紅に煌めくヒールを鳴らしてお道化ては。


「わたくしめを求め、わたくしめへと逢いに。ここまでいらしてくださったことを」


 顔の右側へと掛かる黒のラッセルレース、その内側から覗く紫紺と琥珀のオッドアイが。


 見下すよう、薄っすらとした笑みを浮かべながら、妖艶に。

 困惑する二者を見つめ続ける。


「子ども…………だと……?」


 ようやく正体を見せたその者の姿に。


「なぜ……こんなガキみたいなヤツが……」


 彩楓とザフィロ、彼女らの目は大きく見開かれたらば。

 抱く恐怖と緊張は、より戸惑いと疑念へと大きく移ろいでいく。



「さぁ、躍りましょう? 舞いましょう?」


 黒薔薇の模様が刻まれる、ワインレッドのレーススカーフに掛かった黄昏に色めく髪先を靡かせては。


 首振り人形のように、小さな頭を右に左に左にと順に傾げながら。

 甘えた声で戯れへと誘う少女の存在はあまりにも。


 あまりにも、場違いなものであり。


「どうぞ、御二方。この手を取ってくださいまし」


 赤黒交互に織り交ぜられた、幾層にも重なるショートスカート。その内、腰から伸びる紫紺のレースを両手で持ちあげては一度、腰を落として頭を下げて。


 懇切に、丁寧に。見る者全てが見惚れるような、これ以上ないほど満点のお辞儀をその場で致せば。

 続けざま。黒橡くろつるばみのレースグローブに包まれる、スラリとした腕を片方だけ伸ばし。指先全てを真っすぐに、彩楓とザフィロへと向け差し出そうとする。


 その一連の動作。

 一挙手一投足、全てが洗練された所作からは。



 まるでどこかの貴族令嬢の気配と影姿を想起させられて――。



「お前……一体何者なのだ……」


 なぜ、こんな小さき少女が一人。


「いつから……いや、そんなことより……」


 この生命の樹内の、辺鄙な書庫室のなかで。

 たった一人きり、灯りも点けずにいるのかと。


 そのあまりの異質さ、あまりの異様さに。

 形容しがたい違和感を覚えては。


 目の前に佇む少女の微笑みは、暗闇の中よりぼんやりとして……僅かな灯りの明暗によって、より不気味に映って見えてしまう。


 どうしてか、どうしてなのか。

 分からない。むしろ、頭のどこかには分かろうともしたくないという意志が働かされるようで――。



 何者かと思いきや。

 顕れたのは、予想だにしなかった者。


 一体この少女は何なのか。

 敵か味方か、あるいは全く別の存在なのか。


 勘繰り見つめ合うこの瞬間にも、次々と。魔術師と魔法士、彼女らの脳内にはいくつもの謎が浮かび上がれば、それらは複雑に絡み合い、より混乱を誘う因となる。



 さらには。



「貴様……何故いまその場所に立っている…………」


 真っ先に、ザフィロが思わず指摘したのは少女が顕れたであろうと予測できるその位置その場所についてであり。


 そう、少女の声が初めに聴こえてきたのは、眼球の化け物を倒す為とザフィロが施した六芒星の魔法陣、その中心があった辺りからなのだが。

 しかし、そこでは今さきほどまで。眼球の化け物が劫火によって焼き尽くされては、その灼熱の痕が残されていたはずだった。


 だが。


「どうしましたの? さぁ、さぁっ」


 目の前に佇む少女の表情は、一貫して涼しげな様相であれば。

 近づこうとすれば未だジリジリと、肌の皮膚表面が焦がされるような熱波が漂っているというのに。


「早く、わたくしめと今宵の出会いを楽しみましょうっ」


 呼吸が乱れる様子も、一滴の汗すら流すこともなく。

 無邪気にあっけらかんと。黒薔薇の少女は口角を上げては二人を急かして強請り続けようとする。


「(おかしい……こいつ、何かがあまりにおかしすぎる……)」


 気が付けば、いつの間にか。

 紙や木材が燻ぶった匂いに、鉄の焼ける臭さは消え去っては。


 鼻を突くような、濃いバラの香りが。この場が花園と変わってしまったかと幻覚してしまうほどに、妖しく周囲に漂っていた。


 遭遇した場所が場所であれど、普段であれば、少女一人に初見でここまで狼狽えることもないザフィロと彩楓であったが、しかし。


「(間違い、ない……この雰囲気……。声が聴こえてきた途端に空気が冷たくなって……それも全部、この少女を中心に……)」


 アグゼデュスと名乗る少女の呼び声が、彼女らの耳へと届いたその瞬間。

 ここまで感じたことのない悍ましい空気感と重圧感に、身体の芯から凍えてしまいそうな寒気が一瞬にして、辺り一帯へと覆い被さっては二人の身へと襲いかかってきたのだった。


「「………………」」


 幾度に渡る少女からの勧誘に、彩楓とザフィロは一切応えることはなく。

 固唾をのんでは一歩も動かず、怪異なる少女の姿を睨み続けて。



 そうして――。



「…………もうっ、仕方ありませんわっ」


 己の誘いに二人からの反応は変わらず何もなく、とうとう続く沈黙に痺れを切らした少女が。


「では御二方には、わたくしめから手ほどきをっ……」


 伸ばした手をいざ触れようと。立ち尽くす彩楓とザフィロへ近づくためその場から動いた。


「――っ!! 触るなっ……!!」



 その瞬間、だった。



「………………え?」


 ヒールを鳴らして躍り出た少女の伸びた手を。

 思わず彩楓の手、その指先が乱暴に振り払ったその時。


「…………どう、して?」


「「――っ!」」


 唐突に、微笑み浮かべていた少女の顔が。


「どうして…………どうして……?」


 一瞬にして、強張り凍り付く。


「(なんだっ……? またこやつ、急に雰囲気がっ……!)」


 表情一変。


「…………ひっ!?」


 憂い嘆く少女の色違いの瞳から、一筋の黒き涙が溢れて頬を伝えば。

 彩楓によって拒絶されたその手を引っ込めて、そのままに。


「どうして……わたくしめを拒まれるのですか?」


 そのまま、一凛の青薔薇が飾られる、ひらけ白き肌が露わとなった己の胸を、ギュッと強く握りしめた。



「「--っ!?」」



 刹那。


「くっ……!!!!」


「な、なんだっ……!!」


 突然、少女の身体から猛烈な風が吹き荒れれば。


「どうして……! どうしてわたしめの手を受け取ってくださいませんの!!」


 先ほどまでの可憐な様相から豹変し、精神の蝶番が外れたかのよう喚き始めた少女の怒れる声に併せてなんと。


 吹く風その圧は急速に勢いを増していき。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてっ!!!!!!!!」


 纏うドレスは強風に煽られ、あちこち捲れて乱れていき。

両の手の指で髪を激しく搔きむしっては、癇癪起こす少女が露わにする態度はあまりにも、手を付けられないほど酷くなる。


「こやつ、どこまで鬱陶しくっ……!!」


「――っ!! まずいっ……! このままではっ……!!」


 その一方、襲い掛かる風圧を避けようと、咄嗟に身体を屈めては飛ばされないよう必死に踏ん張る彩楓とザフィロであったが。


 少女の身体から発生する風はいよいよ辺りの本棚にまで影響を及ぼして。

 軋む音は次第に大きく、木製の骨組みは歪に曲がり、生まれる亀裂の模様が木目の全体を這うように蠢いては。


 上下部、各棚から落ちる幾つもの本が。

 強風に煽られ宙へと滅茶苦茶に飛び交っていく。


「と、とにかくここから一度退いてっ……!!」


 嵐のようなこの状況下。

 このまま、この場に居続けてしまえば。いずれドミノ倒しのように崩落するであろう本棚によって巻き込まれ、潰されかねないと。


 エレマ体を操作する彩楓がザフィロの手を取り急いで緊急離脱を試みようとした。



『いかないで…………』



 ――――だが



「「――っ!!」」


 どうしてか、何故なのか。


「どこへ、行くの……?」


 暴れる少女の呼び声に。

 いざ逃げようとしたその脚を、思わず止めてしまった両者。


 再び静まり返った少女の姿に。

 振り向きざま、視線は釣られて釘付けとなってしまえば。


「許しません、許しませんわ…………」


 静寂に……俯きスカートの端を両の手で握りしめる少女の口から漏れる声が。

 退路を図る二者の耳へと刺すように訴えかける。


 そうして。


「わたくしめを断った御二方」


 ゆっくりと、ゆったりと。


「貴女方は、赦しません」


 スカートの端を握っていた両手を離した少女が。

 両腕を、頭上高くへ掲げた時。


「(…………なんだ?)」


 突風吹き荒れるなか、天井が気になった彩楓とザフィロが視線を少女から上へと移せば。



 そこには。



「貴女方は…………」


「「――っ!!!!」」


 二人を狙った。


「このままここで……」


 鋭利に尖る大量の、巨大な茨の棘が。



「“ אני רוצה שתמות.アニ・ロッツァ・シャタムート ” ― 死んでもらいます ―」



 宙へと浮かび、そして。



 冷酷無慈悲な少女の掛け声に合わせ。

 落下し、見上げる彼女らへと襲い掛かるのだった。




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