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117.庇護


 肉を抉る深緑の蔦は、赤き血潮に染められて。


「…………ガハッ!?」


「パパァァぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 文明の手に置き去りとされた、寂静の人工部屋に響くは小さき魔術士の胸裂ける悲痛な叫び声。


「きゃはははははははははははっ!」


 そのあとを、意図的に追いかけ被さるように。

 絶望と驚愕の音を塗り替え反響するのは、黒薔薇の怪異たるアグゼデュスの狂気な高笑いで。


「ぐっ……! く……そっ……!」


 ドクドクと。心の臓その鼓動が左胸より強くハッキリと脈打つごとに、開かれた傷口と蔦の隙間からは血が零れ。赫に濡れるアリーがほんの一瞬だけ、悦びに浸るアグゼデュスの姿を苦悶の表情で睨みつければ。


「まずは、御一人さまっ」


 身体を屈め蹲ってしまうアリーの様子を見るや、当の少女はまるで悪戯に潰した虫を見下げ、それをさぞ楽しむかの如く。


「やりましたわ、上手くいきましたわっ」


 残忍に。その場をクルリと一回り。

 僅かに返り血が付着したヒール靴を器用に地面へと突き立てて、頭上より下がる黒レースの奥より怪しげに。二色の瞳を光らせた可憐な顔を覗かせる。


「な、なぜおまえっ……!」


 アリーに頭蓋骨を撃ち抜かれ、崩落の下敷きとなって潰えたはずの黒薔薇の怪異。

 そんな彼女に。いまこうして生きた姿をしかと見せ再び優美に佇む嬢君に。


「おまえっ……さっきアリーさんに倒されたはずじゃっ……!!」


 裏返った声で、そして。恐怖心と、目の前から襲い来る圧によって震えた指先を伸ばした彩楓が。


 信じられないといった表情で、彼女へと向け喚き訝しがる。


「………………はい?」


 されば。


「……わたくしめが? この、わたくしめが。ですか?」


 彩楓からの言葉を耳にしたアグゼデュスは。


「何を仰っているのでしょうか、貴女様? このわたくしめがあのような程度のことで朽ちてしまうわけがないでしょう?」


 不快、よりは戸惑いの色を彼女たちの前で露わにしては。オッドアイの円らな瞳を微かに瞼で覆いかぶせては、僅かに表情を曇らせて。


「わたくしめは完璧な存在であります。わたくしめは、皆々様から多大に愛されるべき存在であります」


 美しく、宙へと伸ばした腕よりその先の掌を。

 放つ言葉移ろいゆくごとに。己の艶やかな頬へ、誰もが撫でたくなるような華奢な肩へ。


「わたくしめは…………」


 そして。


「永遠に……祝福の抱擁を受けるべき存在であります」


 開く胸元に咲く一凛の青薔薇へと優しく添えて。

 憐みと、淋しさを吐息に織り交ぜながら、纏うドレスより香る花々の匂いと共に、受けた疑念に対し。



 彩楓への回答として、送り届ける――。



「そんな……それじゃ、ほんとうに…………」


 撃ち抜かれたことで大きく開けたはずの側頭部へ咄嗟に目をやる彩楓だが。アグゼデュスの言う通り、そこは既に塞がっており。


「ほんとに……ほんとに不死身だとでもいうのか…………?」


 多量に流れていたはずの、大理石の白床を黒に染め上げていた体液も、彼女の身体のどこにも付着の跡がなければ。


 傷跡すらも残されてなく、完璧に。

 完全に元の姿のままへと復元されていることを、見せつけられてしまう。


「あぁっ……いいですわっ。素晴らしいですわっ」


 絶望の色へと表情虚ろぐ彩楓。

 呼吸は浅く、全身に力入らず流れゆく血潮を止めることもまにならないアリー。

 肉親を目の前で傷つけられたことに錯乱するザフィロ、その三者の。


 それぞれの反応を順に、ゆったりと。眺めては愉悦の様相を露わとするアグゼデュス。


「さぁ、さぁっ。間を空けてしまうのはもったいありません。では、改めまして。お二人さま。どうか、このわたくしめの手を取っ…………」


 続けざま、書庫室で初めて姿を見せた時と同じように。漆黒のドレスより伸びる手を彩楓とザフィロの二人へ向けて差し出そうをすると。


「ぐっ……!」


「…………あら?」


 その時。


「――っ! パパッ……!!」


「だ……大丈夫、だっ…………。急所は、避けたからっ……」


 ザフィロの膝元で崩れるアリーが、全身を強張らせ震えながらも、貫く蔦を握りしめながらゆっくりと立ち上がろうとする。


「おかしいですわ。わたくしめの想いは、確かに貴方様の心を射止めたかと思われたのですが」


「…………ははっ。お嬢ちゃん……あまり大人を舐めてもらっちゃあ困るね……」


「気にいらないですわ。気に食わないですわ。貴方様はまた、そうやって…………。一度たらず。あぁ、二度までも……そうなのですね。先ほどのように、わたくしめという存在を拒まれるのですね」


「娘を護ろうとするのは……親として、当然のことだから、ね…………。ぐっ……! はぁ……はぁ……。そう、簡単には……ねぇ」


 急所を避けられ、アリーが立ち上がろうとすることに、あからさまに機嫌を悪くするアグゼデュス。そんな彼女に対してありーは、口の端から逆流してきた血を零しながらも、意地悪く。どこか、小さな子どもをあやすような口調で言葉を紡いでいけばさりげなく。


「心配かけたね……ザフィロ…………。さぁ、パパの後ろに……」


 ザフィロの前へと立ちはだかり、満身創痍となってもなお、彼女をアグゼデュスから庇おうとして。


「バカ言わないでっ……!!!! あんなやつの攻撃なんてっ……!! そんなことどうでもいいっ!! それよりも、血……血がっ……!!」


 娘の手前とはいえ実際は、ふらつき立つことすらやっとのアリー。そんな父にザフィロは目を見開きショックを受ければ。


「動かないでっ……うごかないでっ……!!」


 いるような視線を向けるアグゼデュスへと。魔術を放つ仕草を見せる父の脚へとしがみ付き、なかば激昂にも近しい様相で。これ以上重症化した容態を悪くしてほしくはないと。


「ザフィロがやるっ……! ザフィロがやるからっ!!!!」


 アグゼデュスとの戦闘をやめさせようとする。


「…………はぁ。どうも耳に障ってしまいますわ」


 そんな父娘のやり取りに辟易とするアグゼデュス。


「でしたら、もうこのまま。わたくしめから今度こそ。貴方様にはわたくしめとの舞踏会より去っていただくことといたしましょう」


 刺し伸ばした手を一度己の足元へと、おもむろに降ろせば。

 今度は背中より生える茨の蔦へとそっと触れ。


「…………“ בוא הנהボ・ヒネ ” ― こっちへおいで ―」


 その、途端。


「……グッ!?」


 アグゼデュスの手が触れた巨大な蔦は、彼女が詞を放った瞬間、その場で微かに震え始めると、そう経たぬうち。鞭打つように唐突に大きくうねり出せば。


「グぁぁぁぁぁぁっ!?」


「――っ!? パパァっ!!」


 勢いをつけたまま、一直線へと伸びきった瞬間。アリーの腹から腰へと貫く蔦は無理やり彼の内臓ごとをごっそり抜き取るよう主の下へと引き戻ろうと動きを見せ。


「ガハッ……!! アァァァァッ……!!」


 焼けるよう案、想像をも絶する痛みが躰の内側へと襲い掛かれば、息は詰まり思わず上半身を仰け反らせ。

 吐血するアリーは文字通り、アグゼデュスによってその命をもっていかれそうになり。


「やめてっ……!! やめなさいって……!!!!」


「くそっ……たれめっ……!!」


 このまま蔦が引き抜かれてしまえば、臓器はもちろん。ポッカリと空いた腹からは多量の血液がアリーの身体より失われてしまうと。

 伸びる棘のことなど何も考えず、ザフィロは戻ろうとする蔦へと飛びつけば、食い止めようとして。アリーは出来る限りの力を全身へと入れ、嫌な汗が噴き出してはその場で踏ん張り、死の手から逃れようとする。


「あらっ、なかなかにしぶといですわね」


 懸命に抗うアリーとザフィロの姿を見ては、退屈そうにため息を吐くアグゼデュス。


「わたくしめ、しつこいのは大変に嫌いですの」


 死に瀕する父を救うべく、蔦から生える棘に手や腕は刺されて。

 けなげに頑張る娘、ザフィロのその姿に感化されることも、同情やら何かの情が芽生える兆しなどあるわけがなく。


「さっさと死んでくださいまし」


 冷酷な視線で蔑めば。


「ぐああああっ……!!!!」


 再度、背よりうねる蔦へと手を触れて、アリーの身体から引き抜こうと嗾けると。



 刹那――。



「魔・擬技ッ!! “ רוח חיתוךロア・ヒトゥフ ”ッ! ― 断風たちかぜ ―」


「「――っ!!」」


 アリーとザフィロ、その両者の間に鋭い風が吹き荒れれば。


「…………ちっ」


 次の瞬間、風によって造られた刃がたちまちアリーを苦しめる蔦を切り刻み始めると。


「がっ……! はっ……はっ……はあっ……!」


 アリーを苦しめた蔦は、彼の体内に埋まっている部分だけを残してあっという間に、刃の風によって床へと切り落とされ。アグゼデュスからの張力より開放されたアリーは思わずその場に倒れると、激痛走る腹と腰に悶絶するも。


「ガハッ……! はァッ……!! たす、かった……の、かっ……」


 内臓の欠損と、傷口からの多量出血は辛うじて逃れ、九死に一生を得る。


「ザフィロさんっ!!」


「――っ!!」


 切り落とされた弾み、ボロボロとなった蔦と一緒に床へと突っ伏したザフィロ。一瞬何が起きたかと茫然とする彼女であったが。


「魔・擬技ッ!!」


 そんな彼女へまた一つ、背後より大きく名を呼ぶ声が轟けば。


「“ רוח חזקהロア・ハザカ ”ッ!! ― 豪風 ―」


 先ほどに続けて二つ目の。詞が、今度は辺り一帯へと暴風を生み出して。


「ザフィロさんっ!! あの機械を爆発させてっ!!」


 ザフィロが振り返る先には、天井へと指さす彩楓の姿があり。

 釣られて顔を上げればそこには、アグゼデュスへと向かって放りだされた幾つもの機械が宙へと浮き。


「あ、あれをっ……どうしt」


「いいからはやくっ!!」


「――っ!? え、ええいっ……!! 魔技ッ! “ לְהִתְפּוֹצֵץ!レヒート・ポツェィツ ”ッ! ― 爆ぜろ ―」


 惑うザフィロに彩楓が強く促せば、言われたとおりにザフィロは宙舞う機械へ向けて魔術を唱えると。


「――っ!!」


 機械の表面に描かれた魔法陣が紅く輝き熱を放つと、彩楓によって吹き飛ばされた機械は大爆発。


「こっちだっ……! 急いでっ!!」



 その瞬間、辺り一帯は爆風と黒煙によって覆われて――。



「あーあ………………よくもまた、やってくれましたわね」


 アグゼデュスが覗く視界が真っ暗闇となったその時、彩楓は即座にアリーの下へと駆け寄れば。


 傍にいるザフィロへと三度声を掛けてはアリーを担ぎ、三者その場から逃走を図るのであった。



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