「いそげっ……!! 少しでも、少しでもいいからっ……アイツから距離を取るんだっ……!」
アグゼデュスの再来と奇襲によって深手を負ってしまったアリー。
不意を突かれたところ、咄嗟にザフィロを自身の魔術で庇ったは良かったが、しかし。貫かれた腹の中にはアグゼデュスの躰から繰り出された巨大な茨の蔦が今も埋め込まれ。
「アリーさんしっかりっ……! ザフィロさんもっ……! もう少し踏ん張って支えて続けて……!!」
彩楓の機転によって一命救われたものの。
アグゼデュスから逃れようと、黒煙立ち込める人口空間のなかを必死に走り続ける三人であったが。
「うるさいっ……うるさいっ!!」
「はぁ……はぁ…………。す、すまない……」
いま、この瞬間も。
内に残された蔦と傷口の、僅かな隙間からは少しずつ、少しずつと。
大柄な体躯から無機質な床へ、真っ赤な血は毛糸が落ちたかのよう線となって走らせていた。
「(どうすれば……どうすればっ……!!)」
またどこかからふと、アグゼデュスが襲い掛かってこないかどうかと後ろを振り返っては。
たちまち彩楓の視界のなかには、アリーが流した血がハッキリと映り込み。
「(この重傷だと止血すらも……。この場に右京か、もしくはメルクーリオさんが居たら……! このままじゃっ……いずれ失血によってアリーさんはっ……!)」
今すぐにでも治療をしなければ、遅かれ早かれ取返しのつかないことになってしまうと。一歩ずつ動かすごとに、呻き苦しむアリーの様子を見ては焦ってしまい。
それでもどうにか、どうにか思考を巡らせようとする彩楓であったが。
「(なのにっ……どうしてなんだっ、どうしてなのだっ!!)」
行けども行けども、彩楓たちを待ち構えるのはさまざまな電子機器に囲われた人工の空間。
相変わらずに無機質な部屋が、まるで何百年以上も寂れた状態で遺されていれば、何かの拍子で再び動き出すようなことも、惑う彼女らをどこか、別の場所あるいは出口のような扉へと導き指し示すことなどもなく。
延々と続く、不死身の化け物との追いかけっこが。
「(このままだとほんとうに、ほんとうにっ……!)」
気を緩めてしまえば一気に全身が竦(すく)んでしまうほどの恐怖を運び。
思考と感情その全てを、絶望へと染め上げようと蝕み、圧し潰す。
『どうして逃げようとするの?』
「ぐっ……!?」
「――っ! アリーさんしっかりっ……!」
両脇を支える彩楓とザフィロの助けだけに頼るわけにもいかず。自らも、痛みを堪えながら片足ずつと、懸命に前へと進めようとするアリーだが。
「がはっ……! はぁ……ああっ……!」
「――っ! パパッ!!」
内臓に埋め込まれた蔦から生えた、小さな小さな鋭い棘が。上半身を少しでも捩ろうとするごとに体内を擦り、刺しては抉ろうとして。
その度に走る激痛が。前へと進もうとする彼の精神をそぎ落とし、興そうとした脚を止めては、巨漢なる体躯をくの字に折り曲げさせたらば、そのまま冷たい床の上へと伏せさせてしまう。
「ま、まほうっ……まほうでっ……! 治し……なおしてっ」
彩楓と共に、父の片脇を支えていたザフィロも。
重症を負い刻一刻と死へ近づこうとする肉親の姿を目の前で見ては明らかに動揺し。
「だい、じょうぶだからっ……そんな傷、わしがすぐに治してっ……ま、魔術、まじゅつをっ……!」
水のマナ其の適正者こそが、治癒士である故の世界の理。
天性の魔術士であるザフィロでさえ、その不動の事実を覆すことは不可能にして。
「ま、まじゅつ……まじゅつをいまかけるからっ……!」
「ザフィロさんっ……ザフィロさんっ!」
「いますぐそんな傷、なおしてあげる、からっ……だからっ……だからまじゅつをっ……」
風のマナの適正者である己に、治癒の適正は持たされてない。
そのようなことなど、彼女の頭の中では当然に、勿論と分かっていることだった。
だが、それでも。
「ま、魔技っ…………まぎっ!」
それでも、己の中には奇跡を起こせる力がきっと存在しているはずだと。
「ザフィロさんっ! 一度落ちつい……」
「まぎっ……! まぎっ!!」
持たされてない技量を。
持たされていない才を捻りだそうと。
「ざ、ザフィロッ…………」
父の血によって真っ赤に濡れ、震えて照準定まらぬ両手を翳し、懸命に。
開いた傷が塞がることを祈り、持たされぬ言葉を紡ごうとする。
「ザフィロさんっ! いまは出口を探すことをっ……!」
錯乱し、一切自分の言葉が耳へと入っていかないザフィロの様相を見ては、彼女を冷静にさせようと肩を掴んで強く揺すりかける彩楓。
「気をしっかりなさってっ! 焦ってはダメですっ! アリーさんを助けるためにもいまはっ……いまはっ!」
今このような状況で、再びあの化け物に追いつかれてしまってはいよいよ万事休すであると。
どうか、そうなる前にと。五体満足である己とザフィロの二人が協力して一刻も早く出口を探し、そうして。
他の者と合流して、そこで治療が出来る者に当たってもらうことが最優先だと。
「アリーさんっ、すみませんっ……! ザフィロさんっ、もう一度アリーさんを一緒に担いでっ……ほらっ!」
だが――。
『どこへ行かれるというのでしょうか』
「「――っ!!」」
急ぐ彼女らを、背後より。
『舞踏のお次はかくれんぼ、ですか?』
嘲笑し、冷酷に悍ましく鳴る声が。
『いいですわっ、愉しいですわっ』
忍び、這い寄り追い駆けて。
「そんなっ……もうっ……!」
姿は見えない、足音も聴こえてはこない。
『マーハボ・リームッ。マーハボ・リームッ ― もーいいかい? もーいいかい? ―』
けれども。
「いそげっ……! いそいでっ……!!」
不気味に木霊するその声の大きさだけは。
遥か遠くより段々と、確実に。
逃げる彼女らを追い詰めようと近づいてきて――。
「…………っ! ザフィロさんっ! こっちにっ!」
どうにかしてでも凌がなければと、辺りを一所懸命に見渡し打つ手無いかと探る彩楓は。
「アリー、さんっ……! もう少し、もう少しの辛抱ですからねっ……!」
ザフィロに合図を送れば再びアリーを持ち上げて。
光届かぬ暗闇の、廃機材が積まれた箇所へと駆け込めば。
「はぁっ……はぁっ……! さぁ、アリーさんっ……一度ここで御身体を休まれてっ……!」
廃材によって造られた狭き足場を通り、奥のさらに奥側までと。
進み、そうして行き止まった先の壁際へとアリーを降ろし、彼に一度休息を与えようとする。
「ザフィロさんはこのままここでアリーさんの介抱をっ……」
そして、何を思ったか。
「ま、まて……キサマ、なにを…………」
ザフィロへ端的に指示を出した彩楓はその場に留まることなく、すぐに立ち上げれば。
「今から私が出口を探しにいきますから、暫くここで隠れていてください」
なんと、アグゼデュス徘徊するこの空間にて、たった一人で外界へと繋がる場所を見つけに行くと言い出すのであった。
「――っ! そんなことをすればキサマッ……あの小娘に遭ってしまえばッ……!」
当然、危険な行為に出ようとする彩楓をザフィロは牽制しようとするが。
「…………ザフィロさん」
そんなザフィロへ彩楓は身を屈めると、ザフィロの蒼い瞳に自分の両の眼を合わせ。
「このまま何もせずに逃げ続けても、いずれあの怪異に追いつかれるだけです。それなら、囮になってでも。一分でも一秒でも早く出口を探して外に出ましょう。ただし……」
「キサマ…………」
「ただし、ザフィロさんはここでアリーさんを護ってやってください。似非魔法士の私より、貴女のほうが遥かにあの怪異に対抗できる術を持っているはずです」
冷静に、話す言葉はゆっくりと。思考が定まらないザフィロの心を落ち着かせるよう。これからの、自分達がやるべきことを一つひとつ伝えていく。
「手負いの父を、どうか娘であるザフィロさんが助けてやってください」
そうして。
「お願いしますね」
一通り、言いたいことを伝えきった彩楓は三度立ちあがり――。
振り返りざま短くザフィロへ頼みの詞を唱えながら、出口を探すべくアグゼデュスが待ち構えるであろう方向へと向かって、薄暗い足場を駆け抜けていく。