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120.アリーとザフィロ


 彩楓が出口を探し始めてから暫くした頃――。



「うっ!? ぐぅっ……!」


「――っ! パパッ……!」


「はぁ……はぁ……! だ、だいじょうぶだ……ザフィロ……少し痛むだけだから…………」


「け、けどっ……!」


 光届かぬ暗闇の部屋のなか。廃材積もる奥の壁際にて残されたアリーとザフィロは彩楓に言われた通り、出口が見つかるまでの間、彷徨い続けるアグゼデュスから身を隠しては、一切の物音を立てず、彩楓の帰りと他の者の応援を静かに待ち続けていた。


「それにな……パパは他の人たちとは違って、身体も随分と大きいから……多少の出血でもすぐにくたばったりはしないよ……」


 腹の中に千切れた蔦が埋め込まれたアリーはあれからずっと動くことなく、壁際にその巨体を自然に預けては。


「はぁ……はぁ……。ま、魔技……。“ השתלהハシュタラ ” ― 接ぎ合わせ ―」


 自身の魔技により、内在する蔦と内臓をそれぞれ、見えない糸によって紡ぎ始めるや。

 下手に動いたはずみに蔦がズレそこから再び血が溢れ出ないよう、治癒の代替技として少しでもと、回復と安静を図ろうとして。


「ぐっ……! くそっ……たれめっ……!」


「パパッ!」


「しっ……! 静かにするんだっ……! 敵にバレたらどうするんだっ……」


 応急処置の最中、激しい痛みに苦悶の表情を浮かべる父に思わずザフィロが顔を真っ青にして叫んでしまうも。すぐにアリーはザフィロの口を大きな掌で塞ぐや。

 辺りに耳を澄ませては、アグゼデュスにこちらの気配がバレていないかどうかと動向を探り出す。


「はっ……ふっ……ふぅ……」


 そうして、暫く短い呼吸を繰り返していくうち、段々と様子が落ち付いてきたアリーは。


「…………あぁ」


 おもむろに。


「…………こうしてザフィロと一緒に、隣合わせで座るのはいつぶりだろうな」


 傍で狼狽とするザフィロの顔を見つめては、どこか遠い記憶を辿るような表情を浮かべ始めるのであった。



「なに、を……急に……」


 切羽詰まるこの状況、突然何を言い出すのかと。そう、戸惑うザフィロは。


「そんなこと言っている余裕ないくせにっ……急になんなのよっ!」


 思わず咄嗟に上ずり震えそうになる声を、アリーにバレないよう必死に抑え込めば。


「勝手に庇ったり……静かにしろとか言ったり…………ほんと……ふざけない、でよっ……」


 謎の怪異に己の魔術が効かないことや、彩楓との件。目の前で父が重傷を負ってしまったことなど。これまで様々に、グルグルと複雑に絡まりあった感情や思考を一緒くたに、ヤツ当たるようにアリーへと怒鳴り声をぶつけ。


「はっはっ…………」


 そんなザフィロの態度に、アリーは怒ることや苦言を呈することもなく。


「相変わらず…………パパはザフィロに嫌われてるなぁ……」


 言葉は途切れ途切れに、今度は淋しそうな様相で。ザフィロの顔から目線を外し顔を伏せ、冷たい床をじっと見つめる。


「そうだ…………。余計なことばかりしてっ……。パパなんかに護られなくても……わしが、わしが…………」


「…………あぁ」


「わしの魔術で…………あんな、やつ……」


「………………あぁ」


「だからっ…………パパなんか……パパなんかがっ…………」


「……………………そうだな」


 ザフィロから放たれる言葉、その一つひとつを。

 父は目を閉じじっと、聴き続け。


 対して娘は、何かもっと。相槌以外に別のことを言い返されるのかと思っていたが、自分の言葉に特段な反応を見せてくるわけでもない父の姿に。


「…………だから、わしは……」


 それ以上に、感情も、言葉も重ねることも浴びせることもなく。

 父の相槌の音が空間に木霊し消えるその瞬間、同時にザフィロも唇を噛み締めては、俯き黙り込んでしまい――。



「「………………」」


 アリーとザフィロ。

 父娘の間に流れるは、どこか虚しくも、淋しくもある雰囲気で。


「…………あっ」


 そうして、あまりの空気に耐え切れなかったザフィロが、ふと。その場から立ち上がったらば。



 ――――ドサッ



「………………はは」


 その時、ザフィロの纏う漆黒のローブの内より、一冊の古びた青表紙の書物が滑り落ちると。


「ははっ…………こんな時も、肌身離さず魔術書を持っているだなんてなぁ……」


 それを見てしまったアリーは。


「ほんとうに……。ザフィロは魔術が好きなんだなぁ…………」


 力なく笑えば。落としてしまった書物を慌てて拾い上げる娘の姿を見ては、思わず目を微睡ませて。


「………………」


 対し、見られてしまった書物を隠すよう、拾った書物を両腕でギュッと抱きしめてはそのまま、アリーへと背を向けるザフィロであったが。

 父が見せる態度に怒ることなくそのまま黙りこくったまま。暫くすれば、文句も小言も言わずにそっと、胸の中に抱きかかえていた書物をローブの中へと再びしまい込む。


「…………なぁ、ザフィロ」



 そんなザフィロへ。



「ザフィロ…………魔術は、楽しいかい?」


「…………え?」


 アリーは。


「魔術は、ザフィロにとっての……大きな財産になっているかい?」


 唐突に、彼女へと。

 一つ、素朴な疑問を投げかける。


「な、なによ…………」


 父からの、予想外の問いかけに面食らうザフィロであったが。


「そ、そんなの…………」


 すぐに首を縦に振ろうかと思いきや、一瞬その場で立ち止まってしまえば、アリーへと顔を向けることもなく。ただ、視線だけを左右に細かく動かし、途中まで言いかけていた言葉を喉元で止め、再び静かに床を見つめるだけとなってしまい。


「なぁ、ザフィロ…………」


 そんな娘にアリーは続けざま。


「パパはな……本当は、ザフィロには戦争なんてもの、関わってほしくはなかったんだ」



 続けざま、現レグノ王国軍魔法士部隊部隊長である娘に。これまで抱え込んでいた胸の内にあるものを打ち明け始めようとする――。




「ザフィロ……覚えているかい? ママが亡くなったあの日のこと」


 アリーが娘に伝えるは、かつての悲劇のことについて。


「ママ……そうだ、ファティナは魔族との抗争のなかで、魔物の奇襲を受けてしまって……。その時、同じ戦場にパパもいたんだが……あぁ。パパもな、敵に囲われていてすぐに助けに行くことができずに…………それで……」


 ゆっくりと、柔らかく。されど、話す言葉は溢れ出る感情によってどうしても。

 あの時の光景その記憶を思い出そうとし、途切れ途切れとなってしまっては。


「ママを失って……親がパパだけになってしまったザフィロには、どうしても。戦場で、闘いの最中で命を落としてほしくなかった……」


 苦しくなる喉元を、どうにか堪えようとして。


「知っていた。分かっていたっ……。ザフィロには、パパよりも、ママよりも。この国の誰よりも魔術の才に秀でたものがあったことは……世界中の誰よりも……。パパが、よく分かっていた…………」


 それでも一度、零れてしまった想いはどうしても。雫となって頬を伝い。


「嫌、だっただろう……? 受け入れたくなかっただろう……? そんなに好きだったものを……パパから全部奪われそうになって…………」


 されど決して言葉は絶やさんと。

 この瞬間も未だ、背を向ける己の娘へと向かい、クシャクシャとなった顔を上げては。徐々に出にくくなる言葉を無理やりにでも、どうにかしてでも紡ぎ留めようとする。



 どうか――。



「だけどな、ザフィロ……。パパは、パパはな…………。ザフィロには、どうか幸せになってほしいって、願っていたんだ」


 どうか、聴いてほしい。


「こんな、誰も助けに来ないかもしれない地獄にいるんじゃなくて……。こんな、パパみたいに痛いことや、苦しい目に遭うことなんか無くていいって……」


 どうか、伝わってほしい。


「伯爵の令嬢として、いい生まれとして優雅に暮らしてほしい。舞踏会で、素敵な人と出会って、どうか結婚して、いつまでも平和に暮らしてほしい。家族を作って、どうか危険の無い明るい未来へと歩んでほしいって……」


 どうか、平穏な人生を送ってほしいと。


「行きたいところがあるんだったらどこへでも連れていく。欲しいものだったらなんだって買ってあげる。逢瀬の人がいるんだったら誰だって歓迎してあげる。ママが、いない分……パパが精一杯…………せいいっぱい……ザフィロのことを、抱きしめてあげるから…………」


 大の大人が、嗚咽を漏らしてまでも。

 それでもいま、娘へ想いを伝えようと、懸命に紡ごうとして。


「けれど…………」


 けれど、これまでその想いを抱えた己の行動は。


「けれど、ザフィロにはどれも……ぜんぶ嫌なことだったよなぁ…………」


 娘に伝わることはなく、結局は。願いと反して戦場へと。

 命脅かされる環境へと彼女の人生は進んでいってしまい。


「ザフィロが大好きな魔術を辞めさせようとしたり……嫌いな舞踏会に無理やり参加させようとしたり…………王国軍の魔法士部隊の長から引きずり降ろそうとしたり…………」


 愛したかった。


「ごめんなぁ…………」


 そのはずなのに。


「パパは……ザフィロにとって…………役立たずだったみたいだなぁ…………」


 嫌われ、疎まれてしまったと。


「……………………」



 そう、己の行動を顧みて――。



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