わたしたちが二階の子供部屋の前に到着したとき、丁度早見妹を抱いた男が出てきた。
目を腫らして眠っている早見妹だけじゃなくて布団まで持っている。抱き抱えている物体がフルボリュームだ。
「ああ、いらっしゃい。父です」
簡潔な説明に、わたしは手に持っていたウィッチハットを胸元に当てて慌てて返す。
「魔女です。下のが使い魔です」
早見母は素早く早見父に近寄って、布団だけでも受け取ろうとする。
「やっと引き離せたのね」
「ああ」
しかし会話の間引き渡しを試みても、相変わらず布団は早見父が抱えたまま。
よく見ると、眠っている早見妹が握り込んでいて、離させることができないようだった。無理に引き剥がしたら起きちゃいそうだし、これは無理め。
「説明に来てくれたのに悪いね」
早見父に言われて、わたしは首と手を振る。
「いや、いい、いい。むしろ役に立たなくて悪い。ホント」
とはいえ、このあとどうしよう。少し迷うわたしの下から、ローエンが前に出る。
「小一時間置いてもらっていいかい? またすぐ起きてしまうようなら、私が話をしよう」
「お願いします」
「じゃあリビングに行きましょうか。温かいお茶出すわね」
すっと頭を下げる早見父に、前向きな姿勢を見せる早見母。
気が動転しているせいなのか、それともこの辺の地域性なのか、早見夫婦はローエンが喋っても全然驚いていない。
そういえば、早見少年は今はちゃんと休めているのだろうか。恐らく寝ている横で妹が騒ぎ続けていた少年のことを想うが、今その確認をする場面ではないだろう。わたしは余計なことを言わずに一階に着いていくことにする。
そうしてぞろぞろと一階に降りて、最後の一人である早見父が一階の床に足を着けた瞬間、早見妹がぱちりと目を開ける。
目を開けた早見妹と、丁度振り返ったところのわたしの目が、ぱちりと合う。
あ、泣き出すかも……。
ぞわりと焦りが背中を駆け上がるわたしを尻目に、早見妹は落ち着いた顔で、小さく、でもはっきりと言う。
「サンタさん」
その瞬間、玄関チャイムが鳴った。
ピンポーンという丸みのある音が、しんとした夜に響きわたる。
早見母が怪訝そうながらも真っ先に玄関に向かって、早見父とわたしとローエンは起きてしまった早見妹に向き合おうとする。
しかし、早見妹は自分を取り囲む二人と一匹を全く意に介さず、するんと父親の腕を抜けるとてっこてっこと玄関に向けて走り出した。
早見父だってしっかり抱えていたはずなのに、気持ちよく腕を抜けて行った。子供の行動を、大人はいつも止めきれない。
「こら、」
早見父が、手に残された布団の扱いに困りながら早見妹の名前を呼ぶ。
娘にちゃん付けする家庭なのちょっと意外だななんてどうでもいい感想に一瞬邪魔されて反応が遅れた。
わたしは早見妹を追うローエンの後を追って、玄関まで駆けていく。
すると、玄関前には意外な人物が立っていた。
「じいさん?」
保育園の近くで話しかけてきたじいさんだ。最初に会ったときと同じような冬の装いで、ハーネスをつけた白い小型犬を抱えている。ビーグル犬? だっけか、こういうの。
よく見ると犬は首輪もしていて、犬の身元を示す細かい字が刻まれたタグがしっかりとついている。
じいさんは困惑するわたしを笑顔で軽くいなして、自分にまとわりつく早見妹に目線を合わせる。
「ほうら、ほしがってた犬さんだよ」
「プレゼント?」
手を伸ばす早見妹に、じいさんは犬を受け渡す。ハーネスについたリードだけはきちんとじいさんが持ったままだ。
「去年のお願いごとの取り消しはできなかったからねぇ、代わりに早めに連れて来たんだ」
「そうなの?」
電話越しであれだけ聞く耳持たずの大騒ぎをしていた早見妹は、やけに素直に爺さんの言い分を聞いている。
じいさんは目を線にして、ほっほと朗らかに笑う。
「お兄ちゃんのお熱も、おじいちゃんが下げておいてあげよう。寝る前に見に行ってご覧」
そう言って早見妹の頭を撫でると、じいさんは先ほどまで何か話していたのであろう早見母にリードを渡しながら、早見母娘に言う。
「犬さんを飼うための大人同士の話はパパとしようかね。『良い子』は寝る時間だ」
あくまで穏やかなじいさんに、早見母はぺこりと頭を下げると、犬を手放さない早見妹の背を押して部屋側に入れる。そのまま寝室に連れて行くのだろう。
「あなた、」
その過程で早見母は早見父に声をかけたのだが、早見妹の手前詳しく伝えられないものがあるのか言葉に詰まり、じいさんが助け舟を出す。
「ママさん、あとは大丈夫。説明は私からするよ」
「すみません」
そうして、玄関先にはじいさんと早見父とわたしとローエンだけになった。人数(ニャン数含む)多いから『だけ』感ないけど。
「悪いねぇ、突然。虫の報せっていうのか、何故か不思議とそうしなくてはいけない気がして、ブリーダーから預かった犬を連れて、夜の散歩に出ていたところだったのさ。あの犬で間違いないだろう?」
「え、ええ。引き取る予定の子で、間違いないです。……ええと、でも、じゃあ、あなたはペットシッターさんのような方ですか?」
早見父のひたすらの困惑。そこでわたしは初めて察する。
このじいさん、早見家の大人と面識がない。
だけど、じいさんはそんなことも構わずお茶目にウインクなんかしてくる。
「ほっほ、そんな立派な職業じゃないよ。いつもはプレゼントを運ぶだけさ。たまたま良い巡り合わせがあった」
良い巡り合わせ。その言葉が出た瞬間、ほろ、と心のどこかがほぐれて解ける感覚があった。
面識とか、謎とか、そんなものが、一気にどうでもよくなる。
だって、クリスマスなのだ。クリスマスに泣いている子供を泣き止ませる都合の良い出来事があって何が悪いというのか。
まぜっ返しは『悪い子』のような気がするし、素直に受け止めないと。
気持ちがほぐれたのは早見父も同じだったらしく、その顔色から困惑の色が薄れ、単純なあたたかさが浮かんでいる。
「それは……ありがとうございます! よかったです、本当に。でも、わざわざ寄ってくれたのはどうして?」
最後に残ったひと匙の単純な疑問。じいさんがそれに答える前に、わたしの足元からローエンが一歩出て、一声にゃあと鳴いた。
じいさんは少し目を細めて、またほっほと笑う。
「そこの使い魔さんから教えてもらってねぇ」
その一言で、わたしは少し我に返る。
……聞いてない。そんな話、聞いてない。