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第九十九話 『怪談たちのお引っ越し』その6

「いいけど、どうして?」

 わたしが小首を傾げ(体はまっすぐです)ると、モナリザは体をまっすぐにして、今度は縦にぺこりと腰を折る。

「歌やりおわってからがいいからです。よろしくおねがいします」

 世界一美しいとも言われる女のお辞儀を見せられてわたしは一瞬黙り込むけど、その腕をすり抜けて床に着地したローエンの姿で我に帰る。

「いや、いいよ。頭下げてくれなくても全然。ただ、理由がわからなくて……」

 そのとき、音楽室につけられたスピーカーから、青年っぽい声が聞こえる。やたらと美声のそいつは、ジジジというノイズと共に怠そうに喋る。

『モナリザ、モナリザ、寝てるなら起きろ。夕方に歌のチェックするからそれまでに練習しとけ』

 魔女の予定帖に書かれていた『放送室の怪』だ。シンプルに『誰もいないのに放送がある』というやつ。確か放送室の機材全般が意思を持ったもの。

 十三階段のパターンじゃなければ人の形を持っていないはずだけど、声から勝手に想像する分には美形。サイトウみたいな人ならざる美貌というより、朴訥とした印象も含む、姿勢の良さそうな。

「あいよぉー」

 モナリザがスピーカーに手を振る。

 と、スピーカー越しの声は言葉を付け足す。

『モナリザ、モナリザ、スピーカーに手を振ったり休みの意向を伝えたりしても伝わらんぞ。休むなら一度来なさい』

「休まないよぉ」

 見透かしたような発言も、モナリザは気にも留めていない。それどころか頬を膨らませてみせている。頬を膨らますモナリザって顔に似合わなすぎてなんかすごい。

 やりとりを見上げていると、姐さんが言う。

「放送室は物分かりがいい。モナリザと一緒に行って、そのとき伝えればいいよ」

「うん」

 とすると、残りのもう一つの怪談に会いに行っておくべきだろうか。

 確か残りは……

「残りは『園芸部の幽霊が出る』だったね」

 解放された体を舐めていたローエンが、わたしより先に口にする。

 だけど、それについては本当に、名前以上の情報を知らない。全国津々浦々どこにでもある七不思議ってわけじゃないから純粋なわたしの知識じゃ想像しづらいし、魔女の予定帖にも名前しか書いてなかったからどうやって引っ越しさせるかもわからないのだ。

「園芸部はどこに?」

 流れのままに水を向けると、花子さんは立ち上がって尻をぱんぱんとはたく。

「あれは私と同じで一斉引っ越しのためにこっちにいるだけだからね。まあ、そんなに干渉好きじゃないやつだし、顔だけ出すとしようか」

 そうしてわたしたちは、リップロール(唇を震わせてプルルルルルってやるやつ。歌の準備体操の一つらしい)をするモナリザを置いて、花壇に出ていくことになった。



 旧校舎をぐるっと回って新校舎側、ぽかぽかと日当たり良好な辺りに小さな花壇があった。一月といえ、無風なのもあってこういうところに立ち止まるときの背中だけはぽかぽかに感じる。顔に日光を浴びたところで『暖かさが足りないくせいに顔が焼かれる』なんて嫌な状態になるのにね。

 花壇を囲む煉瓦は崩れ気味だけど、それでも形を保って、花がつく雑草が種類ごとに場所分けして育てられている。流石に新しい花の種なんかは入荷していないらしい。

「引っ越し?」

 そこに立っていたジャージ姿の女子――園芸部の幽霊は、わたしたちを見るなりそう言った。

 すっと背筋が伸びた、背の高い子だ。ここは小学校だからほぼありえないけど、パッと見中学生に見える。肩甲骨下くらいまである黒髪の流れを、茶色いカチューシャで背中側に綺麗に流れるようにまとめている。目つきは固い。

「ああ、わたしは前の魔女の弟子みたいな……」

 そんな園芸部にわたしが説明しようとすると、小さな声に途中でぶった切られる。

「引っ越しに来た魔女でしょ」

「……ん、うん」

 説明しきれなかったわたしは、先に質問にだけ答えておく。質問に質問で返すのもなんかアレだし。

「なら、よろしく」

 園芸部はそれだけ言って、もう会話は終わりだとばかりに花壇の脇にしゃがみ込む。

 困惑するわたしに、姐さんは手でオッケーのマークを作る。本当に顔出しだけで済ませた方がいいみたいだ。

 そそくさ退散すべくわたしたちが歩き出すと、背中に凛とした声が掛かる。

「しっかりよろしくね」

 わたしが振り返った頃には、園芸部は根っこから抜けたホトケノザのざっぽい草を手中に収めて、それを見下ろしていた。



 音楽室に引き返しはじめてすぐ、会話が途切れた一瞬で、ローエンの表情が急に和らいだ。

「いい歌声だね」

 ローエンの感想に、ああモナリザの歌声かと気づく。猫は人間なんかと比べて相当耳がいいらしく、遠くの小さな音でも結構きっちり聞こえているのだという。こういうときは、一足早く知ることができるローエンがちょっと羨ましい。

 ちょっともどかしくなりつつ、急に走ると姐さん困るかななんて考えた結果、わたしはゆっくり歩く。だから、歌声もゆっくりとわたしの意識の中に入り込んできた。

 驚くほど、美しい歌声だった。

 例のアニメ声からすっかり変わった、とかではない。あのアニメ声を残したままで、なのにまるで聖性でも帯びたように澄んだ高い歌声だ。テキストベースの動画でちらっと紹介されていたくらいだけど、ボーイソプラノってやつに近いニュアンスを覚える。

 歌声の主を勝手に子供だと決めつけた上に、大人になったら失うだろうと想像してしまう、そういう類の美しさ。

「うーん、今回の歌も良さそうだね」

 花子姐さんも目を細めた。

 この歌声はきっと、わたしたちの到着で一旦途切れる。話をするために。

 だからわたしたちは、曲の途中で音楽室についてしまわないように、途中からの道のりを露骨にゆっくりと歩いた。

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