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第百話 『怪談たちのお引っ越し』その7

「あ! どうだった?」

 歌声途切れたての音楽室を開けると、駆け寄ってくるモナリザが無邪気に問うてきた。

「よかったよ」

「右に同じ」

 花子姐さんに続いてわたしが答えて、ローエンは特に言葉を発しない。

「ローエンちゃんどうだった?」

 いちいち抱き上げるモナリザの質問に、ローエンは鬱陶しそうに前足を突っ張る。

「私も頷いただろう!」

 あ、頷いてたんだ。一匹だけ頭の位置が低いから見えてなかった。

 モナリザは回答に関係なくローエンに頬擦りしている。猫を抱いてる自分の方がゴロゴロ言いそうだ。近頃メロメロになることを『メロつく』とかなんとか言うっぽいけど、それから連想すると『ゴロつく』って感じ(語感が『ゴロつき』に近すぎて多分流行らないけど)。

 また思考がずれていたけど、関係なく会話は続く。

「今日はもう通しだけ?」

 姐さんが投げかけると、モナリザはゴロついたまま言う。

「うーん、一番Bメロの最後もうちょっと直してねぇ、そしたらもう少し通しておわり」

「へぇ、結構細かいニュアンスまでやるんだな」

 歌のことはど素人なわたしが感想を差し挟むと、モナリザはちょっと誇らしげな顔になる。神秘的な鼻筋の先にある鼻の穴が膨らんで頬の全体が赤らんだ、子供らしい表情だ。

「やるよぉ。モナリザは旧校舎の歌姫だからねぇ!」



 モナリザが『いても気にしないよぉ〜』なんて言うので、わたしたちはモナリザが放送室に行くまでの練習時間、各々聴いたり喋ったりスマホで色々見たりしていた。

 通知確認したついでに検索してみたけど、動くモナリザが全身動く上に喋って歌うなんて怪談は他にはないみたい。

 まあ、十三階段の諸々も骨格標本のキャラの濃さも完全初見なんだが。

「今の携帯電話ってハイテクだね」

「姐さんもいじる?」

 無邪気に覗き込んできた姐さんに、わたしはスマホを手渡す。

 この小さな板はプライバシーに関わりすぎているから、そういう情報の取り扱い的なものがしっかりしているとわかった相手以外にはあまり触らせない方がいいんだろう。だからわたしの中の反射神経がひやっとしたものを伝えてくるけど、花子姐さんに二心はない。この板の機能や性質に興味があるだけだ。少しくらい遊んでもらったってバチは当たらないだろう。

「いいの?」

 姐さんは素直に受け取って、画面をなぞって直感で動き方を悟っていく。流石に直感だけで使い方がわかるようにはできていないから、ちょっとわたしも補足。

 そんなこんなしているうちに、モナリザが諸手を上げて報告しに駆け寄って来る。いつの間にか寝ていたローエンは起こされた。

「いい感じにできてる。放送室行こ行こ行こ」

「まだ四時前だけど」

 モナリザの発言にすぐ突っ込んだのはわたしだ。だって、夕方って四時以降って感じするし。

 でも、姐さんはわたしにスマホを返す。

「大丈夫、放送室もモナリザが気分で動くのはわかってるさ」


 そうしてわたしたちは放送室に来た、のだが。

『あー、モナリザ一行、モナリザ一行、早えよ、夕方って言葉の意味知ってるか?』

 開口一番(いや、開く口もないスピーカーからの音声だが)言われたのは、そんな文句だった。

 どゆこと? という気持ちを込めて姐さんの顔を覗き込んでみると、黙って肩を竦められた。

「ごめんねぇ」

 モナリザが微笑みを五回ほど通りすぎた程度の破顔を見せると、放送室はあっさり返す。

『しょうがねえな、いつもいつも、お前は』

 なるほど。

 彼らはいつもこういう交流の仕方をしてきているわけだ。

 モナリザは許されるのがわかっていたのだろう、澱みなく放送室の椅子に座って、近くに立てかけられていたマイクスタンドを手に取った。結構背が高いやつ。

 放送室は、次の言葉をわたしたちに向ける。

『それで、花子、そっちのは魔女と使い魔か? なんか魔女だけ若返っているな』

「うん、魔女はあの魔女の弟子だよ」

 姐さんがあまりに簡潔に紹介を終わらせると、放送室はピュウと吹く風の効果音を短く流して言う。

『弟子なんか取るタマかね』

 ニュアンスからして、今のは口笛の代わりだろうか。流暢に喋れるくせに口笛の表現は効果音頼り、しっくりと不思議の中間くらいの感触だ。言葉を発する『声』というものは、魔法や霊の世界からしたらちょっと特別なのかもしれない。

「まあ、成り行きでさ」

 ローエンが補足すると、放送室はもうすっかりその話題を必要としなくなったようだ。わたしに水を向ける。

『まあいい。引っ越し作業担当はお前だな』

「うん。わたし、魔女のはる來がやる」

 手に持った箒が斜めになっていたのを縦に直しながらわたしが言うと、放送室はまばらな拍手の効果音を流す。……こんな微妙な拍手だと却ってわたしがしょぼく見える気もするけど、まあこれしかないのだろう。

『ん。僕は構わない。……モナリザ、お前はいいのか?』

 そして、司会のように澱みなく、必要な確認に話しを移す。

「おっけーよぉ。次の歌の発表だけ待ってもらってねぇ、お引っ越し〜」

 頷くモナリザは、気づけば立ちの姿勢で使えるマイクスタンドを用意して、コードつきのダイナミックマイクをそこに設置し終えていた。

 ダイナミックマイクっていうのは所謂普通のカラオケマイクみたいな形のマイクだ。コンなんとかっていう色んな音を拾いやすいマイクよりも頑丈だからライブハウスとかでよく使われるってサイトウが言ってた。

 よく見るとテーブルの上に『ザ・放送室』って感じのマイクがあって、そっちにもコードが繋がっている。魔女の予定帖を参考に考えるに、音響機材上うっすらオンになってるのはこっちのマイクなんだろう。わたしたちの声を放送室が聞き取るために。

『なるほど、なるほど』

 無難な相槌のように言う放送室がどういう感情かはわからないが、大きく穏やかな波が岸辺に寄せて引く効果音が、しばらくの間流れた。

 そして、波が終わると、それを見たモナリザがすっとマイクに向けて歌い始める。

 さっきまで練習で聴いていたはずなのに聴き入ってしまう。そんな歌声だった。


『うん、合格だ』

 放送室の淡々とした言葉に、モナリザは飛び跳ねて喜んでマイクスタンドを蹴倒す。勢いがすごい。

『モナリザ、モナリザ、コンデンサーマイク相手にやってたらキレてるぞ』

 更に続いた言葉も、やけに淡々としている。それに、寂しげな音色――一匹だけの鈴虫の声やら水がぽたりと垂れる音やらがいくつか鳴った。

「もしかして、新校舎に行ったらもうリサイタルはやらないのか?」

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