僕はノエルの部屋で見つけた手帳をステファンに見せた。
「魔導書と同じ場所に入っていました。」
「これは日記でしょうか。それか本の内容をメモしたものですかね。」
ステファンはそう言って、手帳を開いた。
「これは…日記ですね。」
日記の一ページだけ確認して、ステファンは手帳を僕に返した。
「これ見てもいいんですかね。絶対、重要なこと書いているとは思うんですけど…人の日記見るのって罪悪感凄いです。」
「では、私が確認しましょう。」
僕はステファンに手帳を渡した。その時、すごく嫌な予感がした。急に胃が重たくなった。不安な気持ちが胸に広がった。昔から嫌な事があるとお腹がずんと重くなる。なんとなく、あの日記を読んでほしくないと思ってしまった。自分の物でもないのにどうしてだろう。
「トモル君?」
「あ、すみません。何ですか?」
「手を離していただけますか?」
僕は自分の手元を見た。ステファンに渡した手帳を掴んでいた。本当に無意識だった。僕はすぐに手を離してステファンに謝った。
「トモル君、先にこの日記を読みますか?」
「いえ、大丈夫です。」
「顔色がよくない。私がこれを日記だと言った時から、君の様子は少しおかしいです。」
「…。」
僕は何も言い返せなかった。ステファンは僕に手帳を握らせた。
「ステファン、すみません。僕もこんなに不安になっているのかが分かりません。」
「…構いません。読んだらどんな内容だったか、重要な部分だけ教えてください。」
「はい、分かりました。」
僕はステファンに頭を下げて、部屋を出た。僕とステファンの様子を気にしていたアルバとヒカルも何も言わずに僕が部屋を出て行くのを見ていた。
僕の頭は混乱していた。日記を読まれるかもしれないという焦りが、なぜ僕にあるのか。手元にある手帳を見て安堵するのはどうしてなのか。何も分からなかった。
自分の部屋に戻り、恐る恐る手帳を開く。さっきまで誰かに読まれる不安だったのに、今は他人の日記を読んでいいかの不安に戻った。あの時の自分は本当に僕だったのか、疑問にすら思う。
手帳を一枚一枚めくっていく。そこに綴られていたのはすべてハインツの事だった。ハインツが居眠りをしていたこと、他の騎士たちと楽しそうに話していたこと…たくさん書かれていた。読み進めていくにつれて、僕は気づいてしまった。ノエルはハインツのことを想っていた。文字が滲んでいる部分がある。書きながら涙を落したのだろう。
『このことが知られたらハインツ殿下の傍にはいられない。なんとしても隠し通す。それでも辛い。あの方への想いが許される世界に生まれたかった。』
僕の頬に涙がつたった。その一文から先は、転移魔法についてびっしり書かれていた。その内容に僕は膝から崩れ落ちた。手帳が床に落ちる。
【転移魔法が成功したとしても世界の秩序を戻すように何らかの力が働き、一ヵ月もすれば元に世界に戻る可能性がある】
【人間での成功例はない】
ノエルは人間での転移魔法を成功させた。ハインツに想いを伝えることのできる世界に少しの可能性をかけた。それでも一ヵ月もすればこの世界に戻ってきてしまう。僕がこの世界に来て半月が経とうとしている。「世界の秩序を戻すための何らかの力」これが本当ならノエルがこの世界に来ると同時に僕も元の世界に戻ることになる。
僕はハインツを好きなったことを後悔した。ヒカルにはこの世界に残るか残らないかの選択がある。それは僕にもあるんだと思っていたが、それは違ったようだ。
このことをステファンに伝えなければと、僕は手帳を拾って立ち上がった。泣いていた目を擦り、涙を拭き取った。
急いで部屋から出ると、今一番会いたくない人物が目の前にいた。
「トモル!そんなに急いでどうしたんだ?」
「ハインツ!」
「…その顔どうしたんだ?目が腫れている。」
僕は咄嗟に自分の顔を覆った。
「なんでもないよ!目にゴミが入っちゃってさ。」
「それにしたって…」
「こ、擦りすぎちゃったのかな。ハインツごめん!急いでるんだ。」
ハインツの顔も見ないで僕は走り出した。ノエルの日記帳を胸に抱きしめ、自分が出せる全速力を出した。曲がり角で後ろを振り返ると、ハインツが僕を追って走っているのが見えた。もうすぐそこまで来ている。僕はすでに息を切らしていたが、再び足を走らせた。会談を下りて、研究棟まで駆けだす。
研究棟に入ったところにちょうどアルバとヒカルがいた。
「アルバ!お願い匿って!ハインツに追われてるんだ!」
アルバは走ってきた僕に戸惑いながら僕を事務室の中に放り込んだ。外でハインツの声が聞こえた。
「アルバ、ヒカル。トモルが来なかったかい?」
「トモルならあっちに行ったよ。ステファンに会いに行ったんじゃない?」
「そうか、ありがとう。」
ハインツの走っていく音が聞こえる。それと同時に事務員さんの視線が僕に突き刺さる。扉が開き、アルバは僕の服の襟を掴んで外に出した。事務の人に一礼して、扉を閉めた。
「で、どういうことだよ。なんでハインツから逃げてんだ?」
アルバの表情はいつも通りに戻っていた。僕はアルバが理由も聞かずに僕を助けてくれたことに驚いた。
「助かったよ、ありがとう。なんで追われているかは…僕も分かんないや。」
「分からないわけないだろ!寝ぼけたこと言わないでよね!」
アルバには申し訳ないが、ハインツが僕を探しに来る前に違うところへ逃げないといけない。
「ごめん、ハインツが戻ってくる前に違うところに行かないと。」
「ハインツにはステファンのところに行くって言っちゃった。」
ヒカルはハインツが向かった方向を指さした。今すぐにでもステファンに日記の内容の事を伝えたかったが、ハインツがいては伝えることも出来ない。
「ヒカル、ステファンに伝言を頼んでもいい?」
「いいよ。」
「ハインツに帰ったら会いたいって伝えて欲しいんだ。僕は研究棟の裏庭に隠れてるから。」
ヒカルは分かったと頷いてくれた。僕はアルバとヒカルに礼を言って、研究棟の裏口へ向かった。裏庭に出て、隠れられそうな場所を探した。裏庭は草木が茂っており、隠れるのにちょうど良さそうだった。
ヒカル視点
裏庭に出るトモルを見て、アルバは「はあ…」とため息をついていた。それから私の顔を見て「助かったよ」と言った。
「ヒカルのおかげで命拾いした。」
「どういうこと?」
「僕はハインツ殿下に嘘を教えることは出来ないからね。ヒカルが殿下の質問に答えてくれて助かったよ。」
「そうなの?」
アルバはそう言って、歩き出した。どこに行くのか聞くとステファンのところに行くとアルバは言った。
「先生にトモルのことを伝えに行かなきゃだろ。」
私は驚いた。
「アルバがトモルの事を助けるなんて驚いた。トモルの事、目の敵にしてたじゃない。」
アルバは苦い顔をしていた。
「…悪かったと思っているよ。幼稚だった。」
「それは私じゃなくてトモルに言うべきじゃない?トモルも私と同じこと思ってそうだし。」
私の言葉に彼は「分かっている」と言って、歩くスピードを上げた。私には、彼がどんな表情をしているのか想像できてしまった。私は嬉しくなって、口角が上がった。
ステファンの部屋に行くと、そこにハインツはもういなかった。
「あれ、ハインツは?」
「トモル君がいないのを確認して出て行きましたよ。」
「ハインツって行動早いよね。」
ステファンは頷いて、私たちに何か忘れ物をしたのかと聞いた。さっきまでステファンの部屋でアルバが立ち直ることを待っていたのだ。どうしてか、庭園の散歩はしばらくの間、禁止されてしまった。やることがないので、ステファンの部屋で本でも読もうかと思い、部屋を出た矢先トモルとハインツに遭遇したのだ。
「トモルからの伝言~。」
「トモル君からの伝言?」
ステファンは急に立ち上がった。どこか心配そうな顔をしている。
「ハインツがいなくなったら二人で話がしたいって…裏庭に隠れておくからハインツが帰ったら呼んでだって。」
「分かりました。二人ともありがとうございます。」
ステファンはすぐにトモルを迎えに行こうとしていた。
「ヒカルさん、すみませんが読書はここではなくアルバの研究室でお願いできますか?」
「…二人でなんの話をするの?」
私の言葉にアルバはぎょっとしていた。私の肩を掴んで「何言ってるんだ」という顔をしている。
「…ノエルさんの日記が見つかったので、その話を。」
「私たちがいちゃダメなの?」
「日記ですので、あまり大勢の人に見られたくないと思いまして。」
アルバは私の腕を掴んで引いた。ステファンに「すみません」と言って、部屋を出た。アルバは困った顔をしていた。それでも私を責めなかった。それが今、せめてもの救いだった。それでもステファンとトモルに一線を引かれた感覚は残ったままだった。