「別にいつも通り過ごせばいいんじゃない?」
ヒカルの言葉に僕たちは目を丸くした。
「な…!話聞いていた?第一王子たちが何するか分からないんだよ。ヒカル達、異世界人を連れて行くことが目的なら…ヒカルが危険な目に遭うんだ。」
アルバはヒカルに向かって怒鳴るが、彼女はなんとも思っていない顔をしている。
「だって、もうステファンが私は研究者見習いでトモルはノエルさんの親戚って言っちゃったんだから、それで過ごすのが一番いいでしょ。」
「だけど…」
「何かあったらアルバ達が助けてくれるでしょ?」
ヒカルは「違う?」とハインツの方を見た。それを聞いたハインツは笑って「そうだな」と返した。その返答にアルバとステファンは戸惑っているようだった。
「本気ですか?」
「ステファンがあいつにヒカル達のことを教えたんだろう。」
「…分かりました。お二人には普通に生活はしてもらいます。ですが、行動には制限を設けましょう。」
僕はステファンの“制限”という言葉を聞き返した。
「制限って具体的にはどんなものですか?」
「一つ目、一人でいる時間を無くすこと。二つ目、外に出ているときは自分の役を演じること…今のところはそれくらいでしょうか。」
「一人の時間を無くす…それは寝るときも誰かが傍にいる方がいいということですか?」
「…出来るなら、それが最善ですね。」
ステファンの話した制限は納得できる。しかし、一人の時間が無くなることは少しストレスだった。それでも、ハインツと一緒ならそれでもいいかもと思った。しかし、そんな都合のいい考えを持った自分に呆れた。
「ステファン、お前…最初からそのつもりだったな。」
「他にいい案が出ていたら、これは言わないつもりでしたよ。」
ハインツとステファンは、すでにこの作戦を実行するつもりらしい。僕はヒカルに目をやった。彼女は何やら考え事をしているようだった。
「ヒカルとトモルの護衛を強化するなら、騎士団にも話をしなければいけません。」
「そうですね。それはハインツ殿下がしてくれるでしょう。」
ハインツはため息をつきながら、ステファンの遠回しな要求を呑んだ。
「騎士団に女性はいるんですか?」
「いえ、ほとんどが男性です。」
「ヒカルの護衛も男性がするんですか?昼間はよくても、寝ているとき近くにいるのは女性の方が良いんじゃないでしょうか。」
僕の言葉にステファン達は「確かに」という顔をした。アルバも心配そうにヒカルを見たが、当の本人はきょとんとしていた。
「…メイドを置きますか?」
「誰も置かないよりは、その方が良いだろうな。」
「ですが、第一王子に口答え出来る者は限られてますよ。」
「それを言ったら、トモルの部屋に騎士を置くことも意味が無い。そもそもトモルの部屋に私以外が入って寝るなんて反対だ。」
「私情を持ち込まないでください。」
相変わらず、ハインツとステファンは言い合いをしている。アルバもあの二人が話始めると口を挟めないのか静かだ。そして、解決策が出ないまま時は過ぎて行った。二人が何も言えなくなって、静かになった頃、ヒカルが口を開いた。
「私、アルバと一緒の部屋がいい。」
ヒカルの発言に僕を含めた全員が驚いた。誰よりも驚いていたのはアルバだった。ステファン達が声を出すより前にヒカルに「何言ってるの?!」と叫んだ。
「だって、私は研究者ってことになっているんだからアルバ達と一緒の方が本当っぽくていいじゃない。」
「それはそうだけど、僕たちの部屋は四人部屋で他にも研究者がいるんだ。男四人の中に一人だけ女はまずいだろ!」
「女装が趣味ってことにする?」
「どう見ても女でしょ。」
ヒカルの突飛な発言にハインツも賛成することは出来なかった。しかし、そこからが大変だった。ヒカルはアルバと一緒の部屋がいいと駄々をこね始めたのだった。
予想外の彼女の反応に全員戸惑ってしまった。ステファンが説得を試みるも「嫌だ」の一点張りで、どうにも出来そうに無かった。それを見たアルバも苛立ったのか、強い言葉が飛び交う始末になった。ハインツとステファンよりも激しい言い合いが始まった。
二人を落ち着かせようとステファンがアルバの前に立つも、アルバもヒカルも口を閉じなかった。僕はヒカルを押さえながら「落ち着いて」と何回も言った。
「ヒカル落ち着いて、女の子が男の部屋で寝ることが難しいことをヒカルも分かっているでしょ。」
「そんなのアルバが何とかしてくれればいいじゃない!」
そのヒカルの言葉を機にアルバは何も言わなくなった。ステファンもアルバを掴んでいた手を緩めた。それを見て、僕はヒカルにもう一度、話しかけた。
「ヒカルの言いたいことも分かるよ。ここにいる人たちの事を信頼しているのも分かる。ねえヒカル、僕たちがヒカルのこと心配しているのは理解できる?」
「…うん、分かってるよ。」
「ヒカルが男だらけの部屋で寝泊まりしていたら、事情を知らない人達がどう思うかを想像できない?」
「そんなの分かってる。でも、私は何言われても平気だから…!」
「じゃあ、アルバはどう思われるか想像できる?それを許可しているハインツやステファン達も何も知らない人から見たら、どう思われる?」
「それは…」
ヒカルは冷静になった。僕が言いたいことを理解したようで、静かに「ごめん」と呟いた。そして、ハインツとステファンにも謝った。もちろんアルバにも。アルバも「僕のほうこそ」と言うが、ヒカルとは目を合わせようとしなかった。再び、部屋の中は沈黙が広がった。
「今日はひとまず、みんな冷静になろう。私も他にいい案がないか考える。また明日、ここに集まろう。」
「そうですね。アルバ、ヒカルさんを送り届けてください。」
アルバは返事をして、ヒカルの元へ。
「行こう。」
「うん。」
相変わらず目を合わせないアルバにヒカルは少し涙目になっていた。二人が部屋から出て行って、僕たち三人だけが残った。これはこれで気まずさが残った。
「私と殿下には権力があります。ですが、アルバにはまだ何もありません。私の第一助手というだけで、ヒカルさんを守ることは出来ない。それは彼が一番分かってるはずですから…何も出来ない自分に腹が立ったんだと思います。明日になれば、いつものアルバに戻りますよ。」
ステファンの言葉にハインツは頷いた。言われてみれば、ヒカルの「アルバが守ってくれうる」という言葉を聞いた瞬間、黙ってしまった。あれはそういう事だったのかと納得すると同時にステファンは僕を部屋に返そうとした。
「トモル君も今日はもう部屋に…どうしたんですか。」
「ステファンちょっと話したいことが…」
僕は思わず、ステファンの服の裾を掴んだ。それを見たハインツは「私も残る」と言い出したので、僕は咄嗟に「ダメ!」と叫んだ。
「ト、トモル?」
「あ、いやあの…ノエルさんの日記についてなんだけど、ハインツには見せられない内容というか…」
「え、悪口とか書いてあったのか?」
「いや!そう言うのではないんだけど…」
なかなか引き下がらないハインツにステファンは「早く仕事に戻ってください」と一蹴した。それでも帰らないハインツ。しかし、そこにちょうどいいタイミングでハインツの執事のセバスが彼を連れ戻しに部屋に入ってきた。ハインツは駄々をこねたが為す術なくセバスに引きずられていった。その去り際に彼は僕に「夕食で会おう」と言って微笑んだ。僕はそれに頷くことしかできなかった。
ハインツがいなくなったことで日記についてようやくステファンに話すことが出来る。しかし、いざ話すとなるとやっぱり胸が痛くなった。
ステファンは「紅茶を用意する」と言って、一度部屋を出た。僕はソファに座り、呼吸を整えた。そして、日記を取り出してもう一度開いた。ノエルの気持ちが痛いほどよく分かる。まるで自分の事のようだった。
「トモル君」
「ステファン…あ、紅茶ありがとうございます。」
ステファンから出された紅茶を一口啜る。相変わらず、少し苦い。しかし、その味にも慣れて最近は美味しいと感じる。紅茶なんて全く分からなかったが、最近は良さが分かってきた。
「今日は大変でしたね。」
「そうですね。ヒカルとアルバは大丈夫でしょうか。」
「どちらも強情ですからね。でも、きっと二人は大丈夫ですよ。それより、日記について話したいとヒカルさんから聞きました。」
「あ、そうなんですけど…ちょっと衝撃的だったというか。」
「衝撃的?」
僕はステファンに日記を手渡した。彼は何も言わずに日記を読み進めていった。ステファンは僕に読んでもいいのかと尋ねた。僕は頷いた。彼は丁寧に一枚ずつページをめくっていった。
「なるほど。」
「…どうしたらいいんでしょうか。」
ステファンは僕を心配そうに見つめている。ハンカチを渡され、僕は泣いていることに気づいた。何とか涙を止めようとするが、何度拭いても目から溢れてくる。
「ノエルさんはもう半月もしたらこっちの世界に戻ってきます。それはきっと僕も同じで…元の世界に戻ることが僕は確定しています。ノエルさんはハインツが自分を好きにならないことを受け入れていたのに、戻ってきたら自分に似た誰かを好きになっていたなんて…つらすぎる。」
「トモル君…」
「ハインツも僕と同じ気持ちだって分かってます。でも、きっとこの気持ちは伝えちゃいけない。」
涙が止まらない僕を見かねたのか、ステファンは僕の背中をさすってくれた。何も言わずに、僕が落ち着くまで傍にいてくれた。