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81話:ベルトルド逃亡する

 淡い緑を色調とした豪奢な一室の上座には重厚な木彫のデスクが置かれ、中央に細長いテーブルといくつもの椅子が置かれている。そしてデスクの傍らから入り口まで、軍人や事務官達の長蛇の列が続いていた。

 デスクの主は書類を受け取ると目を通し、サッとサインをして渡す。または、内容の確認を取り、指示を出しながら書類にサインをする。

 そうした作業が毎日毎日続き、今日も飽きずに長蛇の列を処理しながら、すでに夕刻に近づいていた。それでも列は一向に途切れる様子もない。

 旧ソレル王国の首都アルイールにある王宮は、現在モナルダ大陸におけるハワドウレ皇国の重要な政治・軍事拠点となっている。一週間前に開戦から数時間で終戦した、前代未聞の超短時間大戦争により、ソレル王国、ボルクンド王国、エクダル国、ベルマン公国は、王たちが処刑され、国としては消えることとなった。

 ハワドウレ皇国の一地方県として併呑されるが、正式名称も決まっていないことなので、元の国名に旧をつけて呼び表していた。

 これら4国の事後処理、戦争の後始末、本国から送られてくる各担当者たちへの引き継ぎ、あらゆる業務が分刻みで届けられているのだった。

 それらを一手に引き受け真面目にこなしているのは、ハワドウレ皇国の副宰相兼軍総帥であるベルトルドだ。自ら戦場へ乗り込み、終戦後は一度も本国へ帰還することなくモナルダ大陸に残り、こうして政務軍務に没頭中である。

 もちろんこうして仕事をするのは当然のことだが、この戦争をここまで規模拡大した張本人はベルトルドだ。それを知る者はごく僅かな側近たちのみだが、ベルトルド自身ほんのちょっぴり自責の念にかられていることもあり、おとなしく居残りをしている。

 正規部隊の大将たちとの会議を控え、室内に入っている列の分だけ引き受けると、ベルトルドの秘書官リュリュによって列は分断された。

 最後の一人の書類にサインをしたあと、ちょうど大将たちが部屋に入ってきた。

 小休止をとる暇もなくなので、ベルトルドは拗ねた表情で肩で息をついた。


「お疲れベル。もうちょっと我慢なさい」

「おう」


 リュリュが温かい紅茶を淹れてくれて、一口サイズのチョコレート菓子の皿も出してくれた。

 ベルトルドがチョコレート菓子を口に放り込み、もぐもぐと口を動かしている頃には、8人の大将とブルーベル将軍、各将たちの副官が揃っていた。

 口の中のチョコレートを紅茶で流し込みながら、ベルトルドは室内に集った人々を眺めうんざりした。


(華も色気もないオッサンばっかりの中で、頑張って政務をこなしているというのに、気のきかない連中で嫌ンなる。腹減ったし。ああ…ばびゅっと帰ってリッキーの傍にいてやりたい)


 遺跡での一件の後、アルカネットに全て任せてしまった。一緒に飛んで帰りたかったが、大事な個人的都合によりそうできなかったのだ。せめて念話でも送ろうと思っているが、仕事が山積しすぎて余裕がなく、その日の職務が終わるとコテンと眠りについてしまう。

 日毎にキュッリッキへの心配はつのり、会えない苦しみが苛む。


(早く会って抱きしめてやりたい。頬ずりしたい。撫で撫でしたい。キスもしたい。押し倒したい。そして)


「はーーい、妄想そこまでっ」


 バシッと書類の束で頭を殴られ、ベルトルドは泣きそうな顔でリュリュを見る。


「痛いじゃないか!」

「おだまり。悶々と桃色妄想浮かべてないで、さっさと会議に入るわよ!」

「俺はな、毎日、毎日、ま・い・ん・ち! 大真面目に仕事をしているんだぞ!! 休憩もさせてもらえないしリッキーのことを想っても怒られるとか、ちょっとは労われオカマ!!」

「生意気ほざいてんじゃないよこのロリコンエロ中年!!!」


 ベルトルドとリュリュの子供じみた口喧嘩を眺め、大将たちは慄いて、顔に冷や汗を浮かべた。

 言い合っている内容がどんなにおバカでも、大将たちから見たらベルトルドは恐怖の対象なのだ。

 一方ブルーベル将軍は、2人の口喧嘩を微笑ましく見つめている。この場にいる誰よりも年長者の将軍からすれば、子供の喧嘩を眺めているようなレベルだ。


「さて、もうすぐ夕飯の時間ですし、お腹も好きましたねえ。閣下もお疲れのご様子なので、早く会議を終わらせてしまいましょうか」


 好々爺の笑みで穏やかに本題をつくブルーベル将軍は、有無を言わさないシロクマの笑顔をベルトルドとリュリュへ向ける。


「そ、そうだな」

「そ、そうねん」


 気まずさマックスの表情で2人は頷くと、ベルトルドは椅子に座り直し、リュリュは手にしていた書類をデスクの上で整えた。




 4国に配置する正規部隊をどの隊に任せるか、民衆寄りの治安のために警務部隊も配置されることが決められた。そして政治・軍事における犯罪者の取り扱いに尋問・拷問部隊も投入され、新任の知事が治安面で扱いに困らない体制を敷いた。


「送り込まれてくるのは誰だ?」

「サロモン子爵よ」

「――あー……、能無しサウッコネン伯爵一門の男だな、確か」


 記憶をたどり、社交界リストを思い浮かべる。


「ぴんぽーん。人選する時間がないとかで、取り急ぎ”代理”として着任するそうよ。さすがの宰相もサロモン子爵には渋ったらしいんだけど、暇してるのが子爵しかいなかったらしいわ。まあ、あまりにも終戦が早すぎて、本国でも大わらわですって」


 小さく「ちっ」と舌打ちして、ベルトルドは首をすくめた。「戦争を早く終わらせて文句を言われるのは俺だけじゃね?」と内心で悪態をつく。


「なるべく早めに正式な知事を立てるそうだから、その時はあーたも人選に協力しなさいですって」

「おうよ」


 地方の知事は宰相、副宰相の推薦を経て皇王が任命する。皇王の名代として行政、司法を執り、外交も行うことから、それに相応しい才覚と人望を必要とした。この場合才覚はそこそこあれば、下につく補佐官や幕僚たちが対応できる。しかし人望面、社交面は知事自身に大きくよるところがあるので、貴族や豪族の中から選ばれることもあった。

 今回は急遽ということもあり、社交面のところのみをチョイスされた人選といえるような人物が推挙されたようだ。

 話も一区切りしたところで、下官がサロモン子爵の到着を告げに来た。


「晩飯前に来るなよ……」


 思わずベルトルドが下官に愚痴をこぼしたところで、立派な成りをした小太りな男が室内に入ってきた。


「王宮が政治の拠点となるのは、気に入ったのであるよ」


 顎を反らせ、やたらと細い目を細くさせて言い放ったのはサロモン子爵だった。

 ブルーベル将軍や大将たちが席を立ち、子爵に敬礼する。ベルトルドは顎の下で手を組んで、眉間を寄せて子爵を見る。立場的にはベルトルドが上なのだが、サロモン子爵はベルトルドの態度が気に入らないようだ。


「相変わらずそなたは、態度がデカイのう」

「恐れ入る」


 サロモン子爵は後ろで窮屈そうに手を組むと、さらに顎を反らせてベルトルドをじろりと睨んだ。


「平民の若僧は、礼を知らぬで困る」

「貴族に頭を下げなくてもいい地位にいるからな、無理にご機嫌取りはせん。――着任ご苦労、正式な知事が任命されるまで任せる。んで、能無しボケジジイから何か伝言はないか?」


 能無しボケジジイ、とは現皇王のことである。この場に居るリュリュ以外の人々がギョッと目を見張った。サロモン子爵は不快感を貼り付けた顔で眉をしかめる。


「陛下のことを愚弄するとは……」

「心配しなくても、面と向かっていつも言っていることだ。んで、伝言はないな?」

「不心得者めが……。――陛下からは、明日、戦勝を祝い、ねぎらうパーティーを催すため、副宰相と将軍たちも共に出席するよう命じておられる」

「パーティー!?」


 モロ嫌そーにベルトルドが言うと、リュリュがぷっと吹き出した。


「王宮の中の連中は暇だな相変わらず。……フォヴィネンとエクルース、そしてブルーベル将軍、大変お手数おかけして超絶申し訳ないが、ジジイの命令だからしょうがなく、パーティーに出席するよう」


「お手数、超絶、ジジイ」をことさら強調して言い放つ。これに、指名された3人は苦笑を滲ませ敬礼した。


「それと、件の召喚士の少女も同席させるように言っておられた」

「リッキーを?」

「少女の名は知らぬが、連れてくるようにとのことだ」


 その瞬間、ベルトルドは椅子を蹴って立ち上がった。その勢いに思わずサロモン子爵は後ろに倒れそうになってたたらを踏む。


「俺は今すぐ帰る!!」


 バンッと机に両掌を打ち付けて、猛然とベルトルドが叫ぶ。それに動じずリュリュは首をかしげた。


「別に急がなくても、明日のパーティー前に戻ればいいんじゃない? お仕事たっくさん残ってるんだから」

「そんなモンは、こいつがやればいい」


 子爵をビシッと指差し断言する。


「リッキーのドレスを選ぶという、大事な使命が俺にはある!」


 腹の底から振り絞るような大声で、握り拳できっぱり言い放つベルトルドに、室内のいたるところから複雑な視線が投げかけられた。皇都に帰る大義名分が出来たので、それにかこつけて早く帰りたいのがみえみえだ。


「てことで、あとは勝手にやれ!」


 そうハッキリ言って、リュリュが呼び止めるのもスルーしその場からベルトルドは消えた。


「ンもーー! お仕置きよベルッ!!」


 仕事の引き継ぎやら何やら雑務があるため、秘書官まで仕事を放棄して帰るわけにもいかない。リュリュは親指の爪を噛みながら、サロモン子爵をジロリと睨んだ。


「晩飯返上で引継ぎするから、覚悟おし!!」


 オカマの最凶の表情かおを向けられ、今度こそサロモン子爵は後ろにひっくり返ってしまった。

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