目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

84話:忌まわしいサプライズゲスト

 先頭の女と、後ろに続く男女に見覚えがある。

 思い出すのも忌まわしい、幼い日々を過ごした修道院で。そして、自ら会いに出かけたあの町で。

 小さな震えが伝わってきて、ベルトルドはハッとなる。アルカネットに目配せすると、アルカネットは小さく頷いた。




 ――なんてことだ…、片方の翼がまともに生えていないではないか!

 ――こんな恥ずかしい子を、私が産んだなんて、認めたくないわ!


 アイオン族は背に翼を2枚持つ有翼人である。生まれ出てくるとき、柔らかな翼が身体を包み込むようにして生えていて、7つの歳になるまで翼は出しっぱなしで成長する。その成長の過程で、翼の上腕骨や骨組みなどがしっかりと育ち、7つの歳を迎えると自由自在に出し入れが可能になるのだ。

 キュッリッキは片方の翼だけが正常に生え、もう片方の翼は惨めにも千切り取られたような形で未発達のままだった。

 アイオン族は他種族に比べると、異常なまでに容姿に重きを置く。有翼人であるアイオン族の子供が、奇形の翼を持って生まれたなど、恥以上のなにものでもない。そう実の親が考えるほど徹底されていた。

 大方の奇形児は、事故や病気と称して闇に葬られることが多い。かつてはそれが法律化され、国民に徹底されたこともあった。その時からの忌まわしい慣習が、すでに撤廃された現在においても深く根付いている。

 キュッリッキも本来はそうした運命を辿るところだったが、持って生まれた〈才能〉スキルが、彼女の命脈を救った。

 まだ皮のようにふにゃりと柔らかな翼と、外の世界を初めて見たその瞳には、虹色の光彩が散りばめられていたのだ。それは、レア中のレアとされる、召喚〈才能〉スキルを持つ者の証だ。


 ――召喚〈才能〉スキルを持つとはいえ、我が子と認めることはしたくない。

 ――どこか、遠くへやってしまって!


 奇形児を生んでしまったことを罪悪のように感じる若い夫婦は、キュッリッキを手元に置いて育てることを徹底放棄した。それは、イルマタル帝国に保護をされる権利を放棄したことになる。一生王侯貴族のような生活を拒んでまでも、キュッリッキを育てることを嫌がった。

 このような行為は、ヴィプネン族やトゥーリ族から見れば残酷な親だ、人間じゃないと非難を受けるところだ。しかしアイオン族は、この若い夫婦の行動を称え、賞賛し、応援した。そしてあろうことか、イルマタル帝国政府もまた、キュッリッキの引取りを拒んだのだ。

 こうしてどこからも引き取りを拒絶されたキュッリッキは、病院から修道院へ移され、そこで辛い幼少時代を送ることになる。

 全ては”片方の翼が奇形だった”、たったそれだけのことでキュッリッキの人生は大きく狂ったのだ。




 こんな自分を、この世に生み出した父と母が、目の前にいる。

 一度だけ、会いに行こうとした、父と、母が。

 心臓が早鐘を打つように激しく鼓動を早め、キュッリッキは立っていられないほど足が震えて腰から崩れ落ちそうになった。それを後ろに居たアルカネットが素早く支え、ベルトルドが慌ててキュッリッキの腕を掴んだ。


 ――出来損ないの自分を拒絶した、受け入れてくれなかった両親!


 目の前が真っ暗になりかけ、自然と涙が目に滲む。幼い頃の気持ちが一気に溢れてきて、心が痛くて引き裂かれそうだ。


「大丈夫か、キュッリッキ」


 壇上の上から、気遣わしげな皇王の声がかかる。ホールもザワザワと騒がしくなった。

 腰を支えられて、キュッリッキはベルトルドの胸元の軍服を掴んだ。全身の震えはまだ止まらない。


「なんとも、無礼な出迎えだねえ」


 その様子を面白そうに眺めていた女が、キンッとよく通る声でククッと喉を震わせ笑った。


「野放図に育った娘は、行儀が悪い。調教のしがいがあるではないか、のう?」


 女は後ろに控えるように立つ男女に首を向けると、男女は額に汗して深々と頭を垂れた。


「皇王殿も社交界に招くなら、よく躾てから呼びつけたほうがよかったのではないかえ? 招待客の前で無様を晒すなど、相変わらずみっともない。その、奇形の片方の翼のように、心底みっともない娘だ」


 女は手にしていた扇を広げると、口元を隠して目を眇めた。まるで、汚いものでも見るかのように、キュッリッキを冷たく見おろしていた。

 キュッリッキの呼吸は荒くなり、今にも卒倒しそうである。涙があとからあとから溢れてきて止まらない。幼い頃の記憶と気持ちが一気に吹き出したため、感情が乱れて自分ではどうにもできなかった。

 ベルトルドとアルカネットが必死になだめ、落ち着かせようとするが、キュッリッキの様子は悪化するばかりだ。


「わざわざこんなところまで出向いてきた甲斐がない娘じゃ。さっさと要件を済ませて本国へ帰ろう」


 そう言って女は、壇上の皇王を居丈高に見上げた。


「そこのみっともない娘を、我がイルマタル帝国が引き取ろうと思うての」

「ほほう?」


 皇王は玉座に座すと、女を見おろした。


「奇形児じゃが、一応は我々アイオン族の者ゆえ、イルマタル帝国が引き取るのが筋というもの。こうしてわらわ自らと、二親が首を揃えて迎えに来てやったのじゃ」


 倒れそうになるのを必死で堪えて立つキュッリッキに、痛々しそうな視線を向けていた皇王は、深々とため息をつくと、


「嫌だ」


 とだけ言った。


「なんじゃと?」


 女の細い眉が、ぴくりと反応する。


「聞けば、そなたらイルマタル帝国は、キュッリッキを引き取ることを拒否したそうではないか。それも、まだ生まれたばかりの赤子の頃に。その後ろにおる二親とやらも」


 ホールの客たちが、再びざわめいた。


「召喚〈才能〉スキルを授かって生まれてきた子供は、国が保護をして大切に育てるものだと、三種族共に決めたことではなかったのかな? それを退けてまで拒否したキュッリッキを、何故今頃になって引き取るなどと言いだしたのか、カステヘルミ皇女」


 皇王の表情は温厚そのものだ。しかし、その青い瞳には冷たい色が浮かんでカステヘルミ皇女を見つめていた。

 これまで余裕の笑みを浮かべていたカステヘルミ皇女は、忌々しげに皇王を睨みつけている。


「噂通り、乱暴で怖い皇女殿下のようだの。もう五十路に王手をかけているということだが、未だ独身というのも……ああ、これは秘密じゃったかな」

「わざとらしさが滲みまくりです、陛下」


 傍らにおとなしく控えていた宰相マルックが、小声でつっこんだ。


「ベルトルドのようにはいかんか」

「俺ならもっとストレートに言います。この”行き遅れのババア”、と」

「しょうがありませんよ、貰い手がいないのですから」


 しれっとアルカネットがツッコミ混ざる。

 ホールのあちこちから、しのび笑う声や、露骨に吹き出すものまで現れ、次第に笑いはホールを駆け抜けていった。


「先日の、我が国の流した式典の放送を見て、急に欲しくなったのだろうの?」

「そんなところでございましょうな。あれほど見事にアルケラの神々を呼び寄せるなど、見たことがございませぬ」


 宰相マルックも、カステヘルミ皇女に含むように言った。

 カステヘルミ皇女は微笑みもせず、また怒りもせず、氷の彫像のように固まっていた。しかし、まるで冷気でも漂わせるかのように、全身からは冷たい雰囲気が滲み出している。


「下賤の者共は礼儀を知らぬ者がなんと多すぎることか……。わらわを侮辱した罪、外交問題になるぞ」


 水がひいたようにホールが静まり返る。それに気をよくしたように、カステヘルミ皇女は「フンッ」と笑った。


「首に縄を引っ掛けてでも、イルマタル帝国に連れて帰る。ほれ、そこなみっともない娘、こちらへくるのじゃ。手を焼かせるでない」


 キュッリッキはベルトルドにしがみつきながら、首を横に振った。


 ――もう、あんな辛い思いをした、あの惑星ほしには帰りたくない…


 自分キュッリッキを拒絶したアイオン族の国へなど、絶対に帰りたくない。思い出せば今でもこんなに辛いのだ。

 目の前にいる両親は、けしてキュッリッキと目を合わせようとしない。皇女の後ろで目を伏せている。その様子を見ただけで、キュッリッキの帰還を望み、親子の縁を修復して一緒に暮らしたいと、そんなことは全く望んでいないことが判る。2人の本心は、今すぐ手ぶらで国へ帰りたい、そう思っているのだろう。


「ベンヤミン、アンネッテ!!」


 皇女の甲高い一括に、後ろで黙って控えていた2人は、ビクッと身体を震わせ顔を上げた。そして、


「さ、さあ、帰ろうキュッリッキ」

「いらっしゃい、妹も待っているのよ」


 引きつった笑みを浮かべ、キュッリッキに手を差し伸べてくる。

 その瞬間、キュッリッキは心が急激に冷えていくのを感じていた。


(アタシを捨てた両親だけど、会って抱きしめてもらいたかった。本当は捨てる気などなかった、あんなことをして悪かった、そう謝ってもらいたかった。一緒に暮らしてみたかった。甘えてみたかった。優しく頭を撫でて欲しかった…)


 皇女に命令されて、自分を迎えに来た両親。たとえここで素直にあの両親のところへ戻ったとしても、一生後悔し続けるだろう。

 もうあの2人のところに、居場所なんてないのだから。幼いあの日にも、そう確信したのだ。


「帰らない。イルマタル帝国に、アタシの帰る場所なんてないから」


 キュッリッキはそれだけをしっかり言うと、ベルトルドの胸に顔を伏せた。ベルトルドは優しく笑んで、キュッリッキの背を優しく撫でてやる。

 その様子を見て皇王は深く頷くと、扉を指さした。


「召喚士キュッリッキの意思は伝わったな? お帰りいただこうか、カステヘルミ皇女」

「なにを馬鹿なことを! 同族の民をわらわが自ら迎えに来たというのに、手ぶらで帰れと?」

「この子は我がハワドウレ皇国の民じゃ。戸籍も既に登録しておるでな、マルック」

「はい、これでございます」


 宰相マルックが一枚の書面を皇王に手渡した。


「皇帝エサイアス殿から正式に譲り受けた、キュッリッキの戸籍じゃ。もう3ヶ月も前に正式な手続きを行い、我が国に戸籍を移しておる」

「なんじゃと!?」


 これにはカステヘルミ皇女が驚いた。そしてキュッリッキもびっくりして顔を上げた。


「リッキーに黙っていてすまなかったが、面倒な役所ごとの手続きは全て済ませてある」


 にっこりとベルトルドに言われて、キュッリッキは目をぱちくりさせた。


「厄介払いしたがっていたようだったからな、申し入れたら快く書類を渡してくれたよ。全く、国の頂点がそれでは、リッキーに安寧の地はないな」


 ベルトルドは侮蔑を顕に、カステヘルミ皇女に嘲笑を投げかけた。


「わらわは聞いておらぬぞっ」

「方々で随分勝手な振る舞いをしていてほとほと困っていると、エサイアス帝がもらしておったぞ。行く先々で問題を起こして、後始末が大変なのだそうな」


 チラッとカステヘルミ皇女を見やり、皇王は小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。それを忌々しげに見上げ、カステヘルミ皇女は親指の爪を噛んだ。


「今度のこともエサイアス帝に断りもなく、独断でノコノコやってきたようだの。一応はイルマタル帝国の顔を立ててこのパーティーへの出席を許したが、あなたの言動は目に余る。あれほどキュッリッキを傷つけ貶め、心の傷を抉り、とてもマトモとは思えぬ」


 玉座から立ち上がると、皇王は控えていた宮殿騎士たちに命じた。


「即刻この国から追い出せ」

「はっ!」


 5人の宮殿騎士たちは、カステヘルミ皇女とキュッリッキの両親の腕を丁重に、しかし力ずくで掴むと、扉のほうへ引っ張っていった。


「無礼者ども!!」


 キンキン響く金切り声で、カステヘルミ皇女は抵抗したが、やがてホールから追い出されていった。


「ふぅ…。ん?」


 皇王はわざとらしく肩に手をあて首を振っていたが、ベルトルドの視線を感じて下を見る。


「な、なんじゃ」

「俺の真似して、何見せ場をとってるんだ、このジジイ」

「う…」

「このタヌキジジイめ、まあいい。俺のリッキーのために頑張ったということで許す」

「誰があなたのですか、私のリッキーさんですよ」


 誰が皇王なのさ!? という周囲のツッコミは無視して、ベルトルドとアルカネットはいがみ合っていた。


「あー…、では皆のもの、待たせたな。舞踏会を始めよう、盛大にな」


 皇王が招待客たちに声をかけると、宮廷の楽士隊が音楽を奏で始めた。

 紳士淑女たちは待ちかねていたように、パートナーと手に手を取って踊り始めた。




 ベルトルドとアルカネットに付き添われて、キュッリッキは一旦控え室に戻った。

 身体の震えはおさまったが、ホールでの一件で身体が疲れてしまっていたのだ。

 身体を横たえることができる長椅子に座らせてもらうと、キュッリッキは疲れたようにクッションにもたれかかった。


「大丈夫ですか、可哀想に。でも、よく頑張りましたね」


 アルカネットが優しく頬を撫でてくれて、キュッリッキは小さく笑んだ。


「本当だったらね、両親に会えて嬉しいはずなんだよね。でも、ちっとも嬉しくなかった。胸が苦しくて痛くて痛くて、頭の中グラグラしちゃって……」


 ベルトルドとアルカネットは、キュッリッキの前に片膝をついて、じっと話を聞いている。


「いっぺんに昔の嫌なこと、ずっと気にしていることを思い出しちゃって、死んじゃいたいほど苦しかった」


 カステヘルミ皇女の言葉が、見えない刃となって、心に突き刺さってきて痛かった。


「皇王さまが、この国の民だって言ってくれて、急に心が軽くなっていったの。この国に居ていいよ、て言ってもらえた気がして。家も国もなくて、アタシ一体どこの子なんだろうってずっと思ってたの。傭兵だから関係ないって思ってても、やっぱりどこの子なのかなあって。帰る国が出来て、今とってもホッとしてるの」


 心底安堵したようにキュッリッキは微笑んだ。

 生まれ落ちてすぐに両親から拒絶され、生まれた国からも拒絶され、仕方なく引き取られた修道院でも居場所がなかった。

 修道院を出てからずっと、フェンリルとともに家なし子生活。色々な国や町や村を転々とし、ライオン傭兵団という新しい住処を得た。しかし、自分はどこの国の子なのだろう。それが心に延々と引っかかっていた。

 今夜、キュッリッキはハワドウレ皇国の国民なのだと、正式に認められた。自分が居てもいい国が出来た。


「ああ、リッキーはこの国の子で、俺の大事な大事な恋人で花嫁で妻だ」

「何をどさくさに紛れて厚かましいことを言っているんですか。リッキーさんは私のものですからね」

「うるさいぞむっつりスケベ。お前は一生独身を貫けばいいんだ、あの女狐みたいに」

「手当たり次第女に飛びついてるオープンスケベなあなたが、一生独身でいればいいんですよ。やりたくなったら好きなだけ取っ替え引っ替え出来るでしょう」


 またもや目の前でしょうもないことでいがみ合い始めた2人に、キュッリッキは疲れたようにため息をついた。


「アルカネットさん、アタシのお化粧なおして。戻らなきゃ」

「え、あ、はい。もう大丈夫ですか?」

「うん。皇王さまにお礼を言わなくっちゃなの」

「そうですね。では、ドレッサーの前に」


 キュッリッキをドレッサーの前に座らせて、アルカネットは化粧ポーチを開いて化粧品を取り出した。


「あんなジジイに礼なんていらないぞ、リッキー」

「ダメなの。ちゃんと、お礼言うんだから」


 この国に居てもいい、この国の子だと言ってくれた皇王に、キュッリッキは心を込めて「ありがとう」と言いたかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?