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85話:皇王様とのダンス

 アルカネットに化粧を直してもらい、ドレスもきちんと整えると、2人にエスコートされてキュッリッキは再びホールへ戻った。

 先ほどとは打って変わって、音楽が間断なく鳴り響き、ホールの中心ではワルツを踊り楽しむ人々がたくさんいた。そして飲み物や軽食を置いたテーブルの周りには、談笑に花を咲かせる人々が居る。先ほどの騒動などなかったかのように、皆舞踏会の雰囲気に酔いしれていた。


「こっちだ、リッキー」


 ベルトルドに手を引かれ、ドレスの裾を踏まないか気をつけながら、キュッリッキは人々の間をするすると歩いていく。

 玉座の置かれた壇上の前にたどり着くと、皇王から名を呼ばれて、キュッリッキは顔を上げた。


「もう大丈夫か? 先程はすまなかったのう。あんな口の悪い女狐をこの場に呼ぶことになってしまって、そなたには申し訳ないことをしてしまった」


 キュッリッキは小さく首を横に振ると、にっこりと皇王に笑いかけた。


「ありがとうございます、皇王様。アタシをこの国の仲間に入れてくれて」


 皇王は一瞬目を見張り、そして優しく顔をほころばせた。


「こちらへ来なさい」


 片手でちょいちょいっと手招きする。

 キュッリッキはちょっと首をかしげると、ドレスの裾を小さく持ち上げて、壇の階段をのぼった。

 ベルトルドとアルカネットが訝しんでいると、皇王は目の前に立つキュッリッキに、いきなり抱きついた。


「あああああっ!! 何をしてるんだジジイ!!」

「何ということをっ!! 手をお離しなさい皇王様!!」


 喚く2人に、皇王は小さく「べーっ」と舌を出して、ふふんっと嫌味な笑いを向けた。


「あんまりにも可愛いから、つい抱きしめてしもうたわい。随分と華奢じゃのう、ワシの連れ合いの若い頃を思い出す」

「そ、そうなんですか…」


 どう対応していいか困って、キュッリッキは苦笑を浮かべた。いきなり抱きつかれることにはベルトルドとアルカネットで慣れているが、皇王が抱きついてきたのは驚きだった。


「どれどれ、せっかくの舞踏会じゃ。一緒に踊ろうかの」

「えっ」


 皇王は玉座を立つと、驚いているキュッリッキの手を取って壇を降りた。


「まだまだ若いモンには負けぬぞ。ワシの華麗なるステップを、とくと見るがよい」


 皇王は素早くキュッリッキの手を取り腰に手を回すと、ホールの中心に颯爽と踊りながら移動していた。それは、あまりにも突然だったので、ベルトルドとアルカネットは意表をつかれてすっかり出遅れてしまった。


「こんのぉ……クソジジイっ!」


 ベルトルドは握り拳をワナワナ震わせ皇王を睨みつける。


「リッキーさんのデビューの相手が、よりによって皇王様とか」


 心底悔しそうにアルカネットが歯ぎしりした。

 社交界デビューを果たした娘は、ワルツを一曲招待客たちに披露する。その時の踊る相手を、ベルトルドもアルカネットも虎視眈々と狙っていた。なぜなら、最初に一曲を踊った男女は結ばれるという伝説が、実しやかにあるからだ。

 もちろんそんなものは信じていないが、それを餌にキュッリッキに信じ込ませようという下心があったりする。ところが、あっさりと皇王にその大事な役を取られてしまい、玉座の壇上前で憤慨する羽目になっていた。

 皇王が踊り出てきたので、踊っていた招待客たちは花びらが舞うように場をあけていく。

 ホールの中心に落ち着いた皇王は、まだたどたどしいキュッリッキを優しく、そして優雅にリードしていた。


「ごめんなさい、まだちゃんと踊れなくって」

「よいよい。初々しくて可愛らしいしの。こんなもんは、ワシに任せて音楽に乗れば良い」

「はいっ」


 一応セヴェリを相手にベルトルド邸で1時間ほど練習はしたのだが、いざ本番となると頭が真っ白だ。周りの招待客たちの好奇の視線も気にならないほどに。


「のう、キュッリッキよ、誰ぞ好きな者はおるか?」

「え?」


 皇王の足を踏まないように必死になっていたキュッリッキは、唐突な質問にきょとんとした顔を上げた。そして、質問の意味を理解して、ボッと顔を真っ赤にする。

 そんなキュッリッキを見て、皇王はにこにこと笑った。


「どんな男かの? まさかベルトルドやアルカネットじゃあるまいな?」

「え、えと、えと、あの……メルヴィン」


 と言って、耳まで真っ赤になる。どんな男なのかと聞かれていたのに、うっかり名前を言ってしまって更に焦る。

 皇王はしばし目線を天井に向け、


「ああ、あの実直そうな剣術使いか」


 ふむふむと頷く。


「し、知ってるんですか!?」

「ほほ、あやつはこの国でも五指に入るほどの剣士じゃからの。昔御前試合で何度かその勇姿を目にしたことがあるんじゃ」

「うわぁ……そうなんだ~」


 皇王に覚えられるほど、凄い剣士であるメルヴィン。自分が褒められたわけではないのに、何故か嬉しくてしょうがない。キュッリッキは顔を赤らめたまま、嬉しそうに微笑んだ。


「して、もう、ちゅーはしたのかの?」

「ちゅー?」

「ちゅー。キスじゃ」


 瞬間、キュッリッキは後ろにひっくり返りそうになり、皇王は慌てて腰に当てている手に力を込めた。


「き、きききききキスなんてそんなそ、ま、まだ告白も出来てないのにっ」


 狼狽えまくるキュッリッキを面白そうに見て、皇王は首をかしげる。


「まだ好きも言っとらんのか?」

「……うん……いえ、はい……」


 途端にキュッリッキに元気がなくなり、落ち込んだ様子に再び首をかしげた。


「何故言わんのじゃ?」


 キュッリッキは言いづらそうに顔を伏せていたが、やがてぽつりとこぼした。


「この間ね、仕事のときに、見られちゃったの。………片方しかない翼」

「ふむ…」

「メルヴィンびっくりした顔をしてたの。きっと、みっともないって思ったんだと思う」


 言いながら、キュッリッキの声はますます沈んでいく。

 皇王は暫く黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「メルヴィンは、そなたがアイオン族であることを、知っておったのか?」

「たぶん、知らなかったと思う。ライオンのみんなには、言ってなかったから。一部を除いて」

「なるほどなるほど。それならば、メルヴィンがびっくりしたのは、そなたがアイオン族であったことについて、だろうの」

「えっ?」

「アイオン族は翼をしまっていると、ヴィプネン族と見分けがつかないから。それに、さっきの女狐のように、少々アイオン族は他種族に偏見があるところが目立つしの。それで驚いたのじゃろう」

「……そうなの、かなあ……」

「そりゃそうじゃ。なにせこんなに素直で可愛いアイオン族など、ワシは初めてお目にかかったくらいじゃ」

「ふ……ふむり」


 キュッリッキはちょっと照れくさそうに、目だけを下へ向けた。

 本当にそれだけだったのなら、どんなに嬉しいだろう。


「ワシはの、皇后に10回もフラれておる」

「ふぇ?」

「まだ皇太子だった頃じゃが、ワシの連れ合い、皇后にプロポーズしたが、10回もフリおっての。11回目にしてようやく結婚の承諾を得たときは、嬉しいを通り越して、疲れておったわい」


 皇王は「ぶはははは」と声を上げて笑った。そんな皇王の顔を、キュッリッキはびっくりして見上げた。


「皇后は実に可憐で愛らしく、控えめでいて、そのくせ頑固でな。もともと貴族階級の出身ではなかったから、身分違いだと頑なじゃった」


 現皇后エヴェリーナは、巨万の富を蓄える大商人の娘だった。その圧倒的な財力を背景に上流階級に仲間入りを果たしていたが、貴族階級から見れば成り上がりものである。

 エヴェリーナは時々社交界に顔を出していたが、貴族たちの間ではあまり馴染めず浮いていた。


「この知的でイケメンのワシのプロポーズを断るなど言語道断。じゃが、中々受けてはくれなんだ」


 何故受けてくれないのか、とにかく当時の皇王は必死だったという。


「ワシもあの頃は若かった。エヴェリーナが受けてくれないその気持ちを察してやる余裕すらないほど、とにかくエヴェリーナを手に入れたくてしょうがなくての。ようやくエヴェリーナの思いに気づいてやれたのは、結婚して10年経ってからじゃ」

「10年……」

「長いじゃろう、だがそんなワシを、エヴェリーナは優しく支えてくれた。――何故エヴェリーナは、ワシのプロポーズを拒み続けていたと思うかの?」


 いきなり質問されて、キュッリッキは戸惑った。


「えと…」


 キュッリッキはしばらく考え込んだ。


「皇后様は、自分に自信がなかったから?」


 皇王は目を見張り、やがて小さく笑った。


「恋する乙女は鋭いの。そう、彼女は自分に自信が持てなかったんじゃ」


 身分違いというのは建前で、エヴェリーナは沢山のことに臆病になっていた。自分をこんなに求めてくれているのに、ずっと変わらず愛し続けてもらえるのか。飽きられたらどうしようと。


「キュッリッキよ、恋愛は勇気じゃ。そなたが片翼であることに、これまで沢山辛い思いをしてきたのは片鱗だがワシにも察しがつく。もし片翼であることが理由でフラれるのであれば、それは幸いじゃ。相手の苦しみを受け入れられない男など、言語道断じゃからの。だがメルヴィンがそなたの全てを受け入れられる男ならば、これ以上の幸せはない。気合と勇気で全力アタックじゃ」


 そう言って皇王はウィンクした。

 キュッリッキはにっこり笑うと、そうかもしれない、と心の中で頷いた。

 片翼であることは、やはり辛い。そんなすぐに克服できるほど、軽いものではないのだ。しかしそれは一生抱えていく問題。皇王が言うように、メルヴィンがあんなに驚いた顔をしていたのが、片翼のことではなくアイオン族だったからというのであれば。

 それでもまだ、心が躊躇してしまう。

 でも、とキュッリッキは思う。思い切ってメルヴィンに告白できるよう、勇気を持とうと。すぐには無理でも、勇気が持てるよう、そう考えようと。


「皇王様に話せて良かった。すぐには無理だけど、でも頑張ってみる。後悔しないように、アタシ頑張ってみる」

「うんうん、その意気じゃ」


 はにかんで微笑むキュッリッキに、皇王も優しく微笑み返した。


「そうじゃ、そなた、ベルトルドは好きかの?」

「? はい、好きです」

「そうかそうか。あれは女好きでエロいのが玉に瑕じゃが、好い男じゃ。あやつをよろしく頼むぞ」


 キュッリッキは素直に頷き、そしてふと思っていることを言ってみた。


「皇王様より偉そうだよねベルトルドさん。なにか弱みを握られてるの?」


 皇王は「ギクッ」と顔を明後日の方へ向けて、渋面を作った。


「気のせいじゃ」

「気のせい?」

「うむ」


 そこへ、噂の本人が肩をいからせてズンズン歩いてきた。今にも噴火しそうな顔をしていると、キュッリッキは思った。


「いい加減リッキーを解放しろっボケジジイ!」

「そうですよ、一体何曲踊らせるおつもりですか!」


 アルカネットに指摘されてみると、もう3曲目に入るところだったらしい。


「話し込んでいたら、すっかりじゃった」

「年寄りは椅子に座って見てろ、シッ、シッ」

「ワシは犬か」


 手で払われる仕草をされてベルトルドを悲しげにみやると、皇王は腰をトントンッと叩いた。


「どれ、五月蝿いお邪魔虫がきたから、ワシは引き下がるかの。キュッリッキよ、今日は存分に楽しんで参れ。ではの」

「はい。ありがとうございました、皇王様」


 厄介払いをした2人は、意気揚々と身を乗り出した。


「さあ、俺と踊ろうな、リッキー」

「いえ、私と踊りましょうね」

「お前は壁際で見学してろ」

「あなたこそ、あの群がるご婦人がたのお相手でもしてればいいんですよ」

「あれはお前のファンだろが。ケツ振ってお前を見てるぞ」

「あなたのでしょう。私はリッキーさんがいれば、それでもう充分です」

「疲れたから、アタシはジュースでも飲んでくる」


 キュッリッキは呆れたようにため息をつくと、軽食や飲み物を置いてあるテーブルのほうへスタスタ歩いて行ってしまった。


「リッキー」

「リッキーさん」


 額を突き合わせていがみ合っていたベルトルドとアルカネットは、慌ててキュッリッキのあとを追いかけた。



* * *



 深夜、ベルトルドはこっそりと、キュッリッキの部屋の中へ空間転移した。

 風呂上がりにバスローブを羽織ると、急にキュッリッキの顔が見たくなって侵入してきたのだ。何せパーティーではオイシイところを皇王に持って行かれ、舞踏会では土下座までして頼み込み、キュッリッキと一曲だけを、ようやく踊ってもらえたのだ。そのため欲求不満が溜まりまくってしょうがない。

 正攻法で部屋へ入ろうとすれば、どういうわけだかアルカネットにバレてしまう。なにか特殊な魔法でも張り巡らせているとしか思えない。そうでなければ、野生の勘以上である。

 一緒に寝るために特注で作らせた広すぎるベッドに、キュッリッキはいつもの定位置で寝ていた。

 ベルトルドとアルカネットがキュッリッキを挟んで寝るものだから、自然と身体がその位置を覚えてしまっているのだろう。

 仰向けに身体を横たえ、ぐっすりと眠っている。寝顔はとても穏やかだ。

 ベッドに腰をかけ、ベルトルドはそっとキュッリッキの頬に触れた。なめらかで手に吸い付くような肌の感触がとても気持ちがいい。

 寝てるのをこれ幸いにと撫で繰り回していたが、目を覚まされたら激怒するだろうと予想し、ベルトルドは手を引っ込めた。怒っている顔もそれはもう愛らしいのだが、嫌われたら目も当てられない。それなりに気にしているのだった。

 しかしよほど疲れているのだろう、眠りはとても深いようだ。


「無理もあるまい。初の社交界、嬉しくもないサプライズゲスト、舞踏会……。ああ、男の身体と、性的な意味も知ったのだったな」


 ベルトルドは苦笑をにじませる。

 教師役を押し付けたヴィヒトリが、ベルトルドが大事に隠し持っていたポルノ映像データを見つけ出し、それをまさかキュッリッキに見せるとは予想していなかった。

 流石にあれは、キュッリッキにはどぎつかっただろうに。そのおかげで、すっかり”汚らわしいエロオヤジ”を見る目で見られてしまったのだが、そればかりは自業自得かと自嘲する。

 ベルトルドは暫くキュッリッキの寝顔を見つめていた。

 愛おしむように、慈しむように。キュッリッキにしか見せない、優しい表情かおで見つめていた。

 どのくらいの時間が経ったのか、ベルトルド自身判っていない。こうして愛しいキュッリッキを見つめているだけで幸せだ。時間など気にならないほどに。そしてこの幸せは、いつまで続くのだろう。

 常人には理解出来ないほどの、波乱な過去を生きてきたキュッリッキ。ようやく居場所を見つけ、そこで初めての恋をした。もとより美しい娘だが、恋をしたことによる内面的な華やぎが、より美しさを際立たせている。眩しくて仕方がないとさえ思えるほどに。

 そうさせた男が自分ではないことが、悔やまれてしょうがない。だが、まだ負けたわけではない。所詮初恋は麻疹と同じ、すぐに目が覚めて、自分ベルトルドを愛するようになる。そうさせる自信があり、それを寸分も疑っていない。


「リッキーは俺のものだ。ずっと、俺だけのものだ」


 そう呟いてふと顔を上げる。レースで編まれた薄いカーテンの隙間から、明るい月明かりが部屋に差し込んでいる。もう少しすると、ベッドにまで明かりが伸びそうだ。

 もしかしたら、明かりで目を覚ますかもしれない。そう思ったベルトルドは念力を使い、重厚な布で作られたカーテンで窓を覆った。

 再び暗いなかに落とし込まれたキュッリッキの部屋の中で、ベルトルドはそっと囁くように呟いた。


「これから俺がしようとすることに、リッキーを巻き込むことになるかもしれない。もしそうなったら、俺を許してくれるか? それとも怨むか? それでも、俺の愛も想いも変わらない。永遠にリッキーを愛している。それだけは、どうか信じていて欲しい…」


 そう言って、小さく寝息をたてるキュッリッキの口に、そっと自分の唇を重ねた。

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