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109話:殺意

 日付も変わり、皆寝静まったその頃。

 ズンッ、という衝撃が、ケウルーレ全体を揺るがせた。

 寝ていた者は全て目を覚まし、酒を楽しんでいた者は酔いが吹っ飛ぶほど驚いた。上から落とされ地面に激突したような衝撃が、重く激しく身体に伸し掛ったのだ。


「ちょ、なんて殺意なの!?」


 リュリュはゾッとそそけ立つと、アルカネットと顔を見合わせた。


「これは、ベルトルド様ですね…」


 普段動揺など微塵も見せないアルカネットが、冷や汗を額に浮かべている。


「さっき、フラッと席を立って、そのまま戻りませんね」


 シ・アティウスも複雑な色を浮かべた顔で、メガネをクイッと押し上げる。手を震わせながら。

 朝顔の間から桔梗の間へ席を移し、おやじ衆4人は酒を飲み続けていた。そのさなか、ベルトルドが無言で部屋を出て行ってから、暫く戻っていない。そこへ、突然の激しい殺意である。

 3人はそれきり黙る。あまりにも凄まじい殺意を感じたため、身体が萎縮して動けないのだ。

 そうして暫くすると、何でもないような表情でベルトルドがひょっこり戻ってきた。


「何だお前たち、豆鉄砲でも食らったような顔をして?」


 吹き出しながらベルトルドは言うと、自分の座布団に座った。


「な、なんだとはナニヨ!」


 ハッとなったリュリュは、ベルトルドに食ってかかる。


「一体今のはナンなの!? 心底驚いたんだからっ」

「何かあったのか?」


 ベルトルドはキョトンっとリュリュを見る。


「しらばっくれてんじゃないわよっ! あの殺意はナニよ!?」

「さあ?」


 胸ぐらを掴まれたまま、ベルトルドは自分の盃を掴むと、アルカネットに酌をしろと催促した。


「これ飲んだら寝るぞ」

「ベルっ!」

「そこまでにしてくださいリュリュ。もう寝ますから、出て行ってください」

「なーによ、今夜はユリハルシラ最後の夜なのよ。ベルと朝までしっぽりぐっちょぐちょに濡れまくるんだから、あーたが出て行きなさいよ」

「ダメですよ。帰りはベルトルド様に転移していただくんですから、今夜はしっかりと休んでもらわなくてはならないのです」

「あら、普通に帰らないのン?」


 普段大勢を空間転移させろと言うと、猛烈に嫌がる。


「長時間の汽車に揺られてケツが痛くなり、監獄かと思うような狭い船室に閉じ込められ、吐き出すほどマズイ飯を出され、せっかく心身ともにリフレッシュしたのに帰宅で疲れるとかありえんからな。それよりは転移したほうがラクだ」

「そういうわけですので、出て行ってくださいな。私が一緒にこの部屋で寝ます」

「ずるいわアルカネット! アタシが代わるわよ」

「なら、私と朝までしっぽりネチョネチョいやらしくねっとり濡れまくりますか?」


 瞬間、リュリュの顔から血の気がひいた。


「おやすみ、ベル、アル…」

「はい、おやすみなさいリュリュ、シ・アティウス」




 追い出されたリュリュとシ・アティウスは、空き部屋を探しながら廊下をウロウロ歩いた。


「以前から気になっていたが、アルカネットとじゃ、イヤなのか?」


 物凄くシンプルに直球を投げつけられたリュリュは、垂れ目を眇めてシ・アティウスを睨みつける。


「イ・ヤ・よ! アタリマエじゃない!」

「そうなのか」


 プイッと顔を背けると、リュリュはゲッソリと肩を落とす。


「アイツはね、微笑みながら女を犯し、笑いながら人を殺せる男よ。顔はイイけど、昔から好きになれないわ」

「ふむ…」


 ストレートな表現だが、リュリュの言っている意味は、シ・アティウスにも理解できる。

 アルカネットは得体が知れない部分があると、常に思っていた。

 そつのない笑顔の下に潜んでいる、別の顔とでもいうのだろうか。そんなものを感じるのだ。

 誰でも他人に隠している顔はある。だが、そういったものとは違う異質さがある。


「いずれにせよ、空き部屋が見つからないな」




 リュリュたちを追い出し、テーブルの上に乱雑に置かれたグラスやつまみの皿などを、盆の上に置いて片付ける。そして、部屋全体とベランダを照らすランプを消した。灯りはベッドサイドの小さなランプのみとなる。

 上着を脱いでベッドに腰掛けると、もう片方のベッドには、もうベルトルドが横たわっている。

 仰向けに横になっているベルトルドは、両手を頭の下に敷いて枕替りにして、じっと天井を見ていた。


「さきほどの殺意は、一体なんだったのです? 私の代わりにメルヴィンでも殺してくれましたか?」

「そんなことをしたら、リッキーに嫌われる」

「じゃあなんです」


 薄暗い天井を睨むようにして、ベルトルドは「フンッ」と鼻息をつく。


「幼い頃、リッキーが過ごした奇岩の上の修道院、そこにいた孤児を殺してきた」

「え?」


 何のことかと、一瞬アルカネットは目を見張る。


「お前にも視せただろう、リッキーがあの修道院を出るきっかけとなった事件を」

「ええ…」


 孤児たちに追い立てられ、崖に追い詰められたキュッリッキは、孤児の一人に突き飛ばされて崖から落ちたのだ。


「幸いフェンリルのおかげで助かりましたが、あのまま助けがなければと思うと、ゾッとします」

「なんの因果か、この宿で働いていたんだ、あの孤児は」

「…のうのうと、生き延びていたのですか」

「ケシカランことにな」


 キュッリッキの顔を暫く思い出せずにいたアルッティ。そして、詫びることなく逃げ出した。


「だから殺してやった」


 何でもないことのように言うと、ベルトルドは起き上がって、シーツをめくって入り直した。



* * *



「生きていたなんて……、アイツ、生きてた…」


 アルッティは宿を飛び出し、ネモフィラの咲き乱れる丘まで走ってきた。

 ここは、ケウルーレに住む者は、近づいてはいけない場所とされている。神聖な場所であり、穢れなど一切持ち込んではいけないと。

 そんなことも忘れ、アルッティは逃げてきたのだ。この場所なら危害を加えられない、そう思って。

 12年前、アルッティはまだ9歳で、修道院暮らしは5年ほどになる。

 何もないつまらない場所で、似たような身の上の孤児なかま達と遊ぶくらいしかすることがない。

 しかし孤児の中にキュッリッキという、片方しか翼を持たない女児がいた。

 なんとも無様で、同族だと思うだけで吐き気がする思いだった。

 孤児達と一緒にキュッリッキを虐めた。修道女たち大人もキュッリッキを虐めるから、叱られないのでイイ。

 そしてあの日、虐めていても、殺そうなどとは微塵も思わなかった。なのに、彼女の態度にイラッときて胸を軽く押しただけなのに、キュッリッキは崖から落ちてしまったのだ。

 もう、なにが起こったのかアルッティには判らなかった。

 アルッティ自身、修道院の外には出たことがない。9歳では満足に飛ぶことはできず、あの高さから飛ぼうとしても、小さな子供では下から吹き上がる風にうまく乗れず、落ちてしまうと言われていた。だから試したことはない。

 覗き込んでも地面が見えないほど高い高い奇岩の上。そこから落ちたキュッリッキは、哀れにも身体が爆ぜて、原型をとどめないほどグチャグチャになっただろうと修道女たちは笑っていた。死骸は獣の餌にでもなればいいと。

 2つ年下の女児を、自分が殺してしまった。

 でも誰ひとり、アルッティを責めることはなかった。むしろ褒められたほどである。

 そのことに違和感を持ったが、それもすぐに薄れて忘れていった。

 そう、自分は悪くない。

 危ない崖っぷちに立ったのは、キュッリッキ自身だ。

 だから、自分は、悪くない。


「なるほど、そうやって自己弁護して忘却していたのか。呑気なものだな」

「っ!?」


 アルッティはガバッとした仕草で顔を上げる。

 いつの間にか、月を背にして男は佇んでいた。やや逆光となっているので、男の表情は判りづらい。


「だ、誰だ…?」

「貴様が侘びもせずに逃げ出したあと、リッキーは健気にも貴様を責めなかった。自分が生きていたことで、人を殺したのではないかという負い目を、貴様が背負い続けずに済んだことに安堵さえしていた。そんな優しいリッキーに、貴様は自分は悪くないと言うのか? 救えないカスだな」

「……」

「あんな豚箱のような場所に居続けたところで、微塵ほどの幸せも望めないだろう。だがな、殺されそうになってあそこを出る羽目になり、どれだけ辛く苦しい思いを味わってきたか、貴様には想像もできまい? こんな安全な場所でのうのうと生きているお前になど、リッキーの味わってきた凄絶な苦しみが理解できるか!」


 ズンッという強烈な激震が起こり、アルッティは肝が潰れるほど驚いた。

 見えない強烈な圧迫感が、ケウルーレ全体にのしかかった様な衝撃だった。


「えっ」


 それが殺意であると理解する前に、アルッティは地面に押し付けられた。そして、四肢が広げられて大の字になると、まず付け根から右足が潰れた。


「!!!!」


 重い岩が、天から落ちてきて押し潰されたかのようだ。

 骨は完全に砕かれ、皮は弾けて肉は爆ぜ、血と脂が四散する。

 あまりに強烈な痛みに悲鳴すら潰れた。下半身から突き上げてくる激痛に、脳が破裂しそうになる圧迫感に涙が弾ける。耳がキンキン雑音を鳴り響かせた。

 しかしそれだけで終わらず、次に左足が同じように潰された。

 またもや悲鳴もあげられず、アルッティは涙で濁る目を男に向ける。


「だ……しゅ」


 助けて、とアルッティは目で訴えた。しかし男は身じろぎもせずじっと佇み、こちらを向いているだけだ。

 両腕も右から順番に、付け根から潰れていった。

 意識を手放したくても、次から次へと激痛が襲う。こんなに徹底的に破損すれば、脳や心臓が無事でもショック死してもおかしくない。なのに、麻痺もせず痛みはしっかり身体全体に残り、意識も途切れない。むしろ冴え渡っている。


(もしかして、あの男は…)


 超能力サイという〈才能〉スキルがあることを、アルッティは思い出していた。


(念…力)


 意志の力で物体を動かし、破壊する超能力サイの力の一つ。

 彼の周りには、そんな凄いレア〈才能〉スキルを持つ者はいない。まさか今宿に泊まりに来ている客たちのほとんどが、レア〈才能〉スキル持ちだらけだとは知らない。

 そして目の前に立つ男が、Overランクという、前代未聞の力を備えているとは想像も出来ないことだ。

 本来ランク付けはトリプルSまでで、Overランクなど他にアルカネットの魔法〈才能〉スキルがあるだけなのだ。


(僕は、殺されるのか…。目の前の、この男に)


 幼い頃の過ちのせいで。

 キュッリッキという、片翼の無様な同族を殺しかけた罪で。


(誰が、詫びてやるもんか)


 修道女おとなたちだって、孤児なかまたちだって、誰も自分を責めたりしなかった。褒めてくれた。


(死んで当然だった!)


 そう思った瞬間、胴が突然反り始めた。


「うが……が…」


 背骨がバキッと音を立てて折れた。

 折れた骨が身体を突き破り、内蔵を傷つけ、大量の血を吐き出した。それなのに、意識はしっかりと保たれ、痛みはあるが、麻痺はしない。


(殺してくれ……殺してくれ…)


 アルッティは死を願った。この想像を絶する苦痛から解放されたくて。狂って、何もかも手放して、魂すら手放し解放されたい。


「奇岩の上から地面に叩きつけられたら、後は頭部が爆ぜて終わりか」


 ゾッとするほど冷たく、そして素っ気ない口調で男は呟くと、組んでいた腕を解き、そして右手をアルッティに向けた。

 上に向けていた掌を、グッと握る。


 ベシャッ!


 青いネモフィラが、血の色に染まる。

 月明かりのみの闇夜の中で、どす黒い血の色で染め上げられた。

 アルッティが事切れたことを確認し、月の光を浴び続けた男は、淡く白い光に溶け込むようにして、この場から消えた。



* * *



 ケウルーレを襲った凄まじい殺意。その時シグネは鏡台の前で髪を梳かしていたが、弾かれたように立ち上がって部屋を飛び出した。

 従業員たちは皆震え上がって、身動きすら取れない。

 殺意で宿が、島が震撼するなど初めての体験である。

 従業員たちには、宿と宿泊客たちの安全を確認しに行くよう申し付け、シグネは急いで宿を出た。


(嫌な予感がする…)


 ネモフィラの咲く丘へと急いだ。

 鼻を掠める血臭に顔をしかめ、そして、


「…なんてことを…」


 原型などとどめていない、誰かもわからないほどに潰された死体を見つけた。

 シグネはグッと目を強く瞑り、眉間を指で押さえる。そしてゆっくりと目を開き、丘全体を見渡す。


「そう、ですか。そういうことで、ございましたか」


 幻視の力で、この場に残る記憶を視た。

 死体の残酷さよりも、この場にくすぶり続けるベルトルドの怒りを、シグネは心底怖れた。

 こんな激しい怒りは見たことがない。それだけに、愛は深く大きい。

 アルッティが何をしたかは、シグネの幻視でも視ることはできなかった。


(あの男がこれだけの残虐性を見せるなんて…。それほどまでアルッティが犯した罪が重いというのだろうか)


 シグネは残念そうにため息をつくと、アルッティの死体に背を向けた。


「さて、早急にこの場を清めなくては」

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