目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

113話:かどわかされた少女たち

 ――何故こんなことに!?


 同じ思いを抱いた少女たちが15名。


「さっさと歩け!」

「グズグズするな」


 軍人たちの厳しい言葉と乱暴な扱いを受けながら、足場の悪い斜面を、少女たちは休憩もなしに歩かされていた。

 アンティアはドレスの裾をたくしあげながら、小石で足を取られそうになる斜面を懸命に歩いている。


(どうしてわたくしが、こんな酷いメにあっているのかしら…)


 どうして。

 悪夢の中を彷徨っているような錯覚にとらわれながら、アンティアは今朝の出来事に思いを馳せた。

 朝起きると、素敵なサプライズがあった。

 ベルトルドとアルカネット両名から、「連れて行きたいところがあるから、支度してケレヴィルの本部まで来るように」そう連絡が来ていると、母親から聞かされたのだ。

 憧れていた2人からの誘いである。


「わたくしを一体、どこへ連れて行ってくれるのかしら」


 アンティアは胸をときめかせ、大はしゃぎで部屋の中を舞踊った。


「なんて幸せなのかしら。うんとお洒落をして、2人のもとへ急いで行かなければならないわ」


 衣装部屋へ駆け込むと、母親と侍女と3人でドレスを選び、髪のセットと化粧も念入りに施した。

 ゴンドラ移動ももどかしく、ケレヴィルの本部へ行ってみれば、先日の同じ召喚〈才能〉スキルを持つ少女たちが集まっていた。いないのはキュッリッキとかいう生意気な乞食猫だけだ。

 暫くすると、ダエヴァだと名乗る軍人たちが軍靴を鳴らしやってきて、荒々しい態度で少女たちを外に引っ張り出した。

 突然のことに戸惑う中、アンティアも乱暴に腕を掴まれ、まるで家畜を引っ張り出すような扱いで外に出された。


「無礼ね! わたくしたちは召喚〈才能〉スキルを持っているのよ!! このような扱いが許されるとでも思っているの?」


 勇ましくアンティアは叫んだが、


「私語は慎め!!」


 壮年の男から平手打ちを喰らい、口の端を切ってしまった。

 痛みよりも他人に手をあげられたことに驚いて、アンティアは押し黙った。そのまま力ずくで引きずられるようにして、地下の乗り物移動専用通路に連れて行かれる。そこで、荷馬車に幌をかけただけの粗末な馬車に放り込まれ、少女たちは共にハーメンリンナの外へ連れ出された。


「あたしたち、どうなっちゃうのかしら」

「怖いわ」


 舌を噛みそうなほど揺れる馬車の中で、少女たちは身を寄せ合いながら不安を口にする。

 やがて馬車が止まり外に出されると、そこは行政街ことクーシネン街にあるエグザイル・システムの建物の前だった。

 突然現れた煌びやかな少女たちに、大勢の人々が好奇の目を向ける。

 恥ずかしそうに俯く少女たちは、ダエヴァたちに連行されるようにして、次々にエグザイル・システムに乗せられる。そして見知らぬ場所に飛ぶと、やはり幌馬車に乗せられて、訳も判らず連行された。

 数時間ほど馬車に揺られて途方にくれていた少女たちは、ようやく馬車から降ろされた。

 辺り一面、真っ黒なところだ。見渡す限り黒一色で、草木一つ見当たらず、空が唯一曇天の鈍色をしているだけ。

 もう何がなんだか判らない少女たちは、無駄口も叩かずダエヴァたちに連れられ、再び歩き出した。真っ黒な小石がゴロゴロと転がる、足場の悪いところを。

 上質なヒールのなかに、粒状の小石が入ってきて足の裏を痛く刺激する。それに我慢できず、アンティアは立ち止まってヒールの中の小石を取ろうとした。ところが、


「足を止めるな!」


 近くにいた若い軍人が、手にしていた鞭でアンティアを思い切り叩いた。その拍子にアンティアは体勢を崩すと、地面に倒れてしまった。


「きゃっ」

「何をしている」


 後ろに居た他の軍人もやってきて、倒れたアンティアの髪をグイッと乱暴に掴んで、無理やり立たせた。


「痛いわっ! 止めてちょうだい」

「グズのうえに口答えするか。穀潰しどもが」


 侮蔑を込めた目でアンティアを見下ろすと、若い軍人は容赦のない力でアンティアの頬を左右叩いた。


「なん…いやよ……おかあさまあ」


 ついに堪えていたものがこみ上げてきて、アンティアは泣き声をあげた。しかし、


「五月蝿いガキが」


 今度は軍靴のつま先で腹を蹴られ、アンティアは喉をつまらせ目を見開いた。胃から這い上ってきたものが、口から外へ吐き出された。その様子を見ていた少女たちは、今度は自分がそうなるかもしれないという恐怖で、怖気付く足で急いで前に進んだ。


「おい、そのガキを止まらせるな、急いで歩かせろ!」


 先頭の方から声がかかり、若い軍人は敬礼すると、アンティアの髪を掴んで引きずって進んだ。


(なぜわたくしが……わたくしが!)



* * *



「遅くなりまして、申し訳ありません!」

「ご苦労だったな」


 ねぎらいの言葉をかける上司の前で、恐縮を貼り付けた顔をしたエーベルハルド長官は敬礼した。


「なに、深窓のご令嬢どもの運搬だったんだ。大変だったろう」


 両手を腰に当てて、ベルトルドはニヤリと口元を歪めた。


「おつかれさまでした。引き続き、近辺の監視をお願いします」


 アルカネットに言われ、エーベルハルド長官は更に姿勢を正して敬礼する。

 地位的には同格なのだが、ダエヴァにとってアルカネットの存在はベルトルドと同格である。

 特殊部隊の括りに入っているダエヴァは、大きく分けて三部隊ある。

 部隊長が長官としての地位をいただき、別の特殊部隊の長官たちと席を同じくする。しかしダエヴァはベルトルドの私兵部隊とも噂され、実際ベルトルドの私的な戦力として動くことも多い。特殊部隊の更に特殊な立場にあった。

 部下たちを指揮するためにその場を後にしたエーベルハルド長官を見送り、ベルトルドは両腕を組んで、地面に座り込んでいる少女たちを見おろした。


「ドレスにヒールか。まあ、どこへ連れて行くとは言っていなかったが、歩きづらい服装をしてきたもんだな、どいつもこいつも」


 あっぱれな女子力根性に呆れてしまい、わざとらしく肩をすくめた。


「遠足でも、もうちょっと動きやすい服装をするものですが」


 アルカネットも同様に呆れ果てていた。

 自分たちの為にめかしこんできたとは気づいているが、そんなことはどうでもいいことだ。目の前の少女たちに色目を使われても、迷惑にしか感じないからだ。

 少女たちは、憧れの2人が目の前にいても、もはや目を輝かせる元気がなかった。

 身体中くたくたで、足は棒のように固くなり、今はとにかく柔らかな自分のベッドで休みたい気分なのだ。喉だって渇いている。暖かいミルクティーが飲みたい。そんな思いが表情を覆っていた。


「さて貴様たち、遠路はるばる来てもらったが、ここがどこだか判る……わけないか。ここは旧ソレル王国にある、ナルバ山の跡地だ」


 誰ひとり興味がわかず、途方にくれたように地面に視線を落としている。


「……無反応過ぎて切ないな」


 ベルトルドは拗ねたように口を尖らせた。


「仕方ありませんね」


 苦笑気味に頷きながら、アルカネットは掌に巨大な水の球を作り出した。そしてそれを少女たちの頭上に放り投げると、ベルトルドが念力でその水の球を破壊した。

 弾けた水が盛大に少女たちに降り注ぎ、


「きゃっ」

「な、なに!?」


 小さな悲鳴を上げながら、少女たちは目をぱちくりさせて辺りをキョロキョロと見渡す。


「目が覚めましたか?」


 パンパンっと手を打ち鳴らし、アルカネットが冷ややかな目を少女たちに向ける。


「ベルトルド様からのお話ですよ。しっかりお聴きなさい」


 濡れた服が不快に身体に張り付くのを気にしつつ、次は何をされるか判らず、少女たちは口をつぐんでベルトルドを見る。


「生まれて初めてだろう? こんな野蛮で理不尽な扱いを受けるのは」


 心や記憶を読まずとも、少女たちの顔にはっきりと書いてある。

 なぜ自分が、こんなメにあわされるのか、と。


「召喚〈才能〉スキルを持って生まれてきた貴様たちは、当然のようにして国の保護のもと、贅沢三昧に暮らしてきた。何を生産するわけでもなく、貢献することもなく、無駄に贅沢をしていただけだ」


 贅沢にくるまれて生きてきた少女たち。勉強をしなくてもいい、仕事をしなくてもいい。好きなように生きることが許されてきた。


「先日貴様たちに会ってもらったキュッリッキを、貴様たちはくだらない下心で苛めていたな。彼女を乞食呼ばわりし、あまつさえ手も上げていた」


 ビクッとアンティアが身体を震わせる。――あの場にベルトルドはいなかった。では、あのキュッリッキが密告したのだろうか?


「彼女はアイオン族の生まれでな、生まれつき片方の翼が奇形なんだ。そのため生まれてすぐ両親から捨てられ、同族から疎まれ、国からも見放された。召喚〈才能〉スキルをもって生まれてきたのにな。だから、ずっと独りで生きてきた。類まれなその召喚〈才能〉スキルを活かし、傭兵として幼い頃から戦場を渡り歩き、あらゆる仕事をこなしてきた。無能な貴様たちが、召喚〈才能〉スキルを持っているという理由だけで、安全な場所でヌクヌクと贅沢を謳歌している頃、キュッリッキは弱音も吐かずに生きてきたんだ」

「そんなくだらないあなたがたが、彼女を乞食などと蔑む資格などないのですよ」


 ベルトルドとアルカネットの声の冷たさに、少女たちは心底震え上がった。

 自分たちが蔑んだキュッリッキの不幸な生い立ちを、哀れんでいる余裕すらない。キュッリッキへ同情し、思いを馳せる者は一人もいなかった。今はただ、憧れていた2人の冷たい態度に、恐怖して怯えきっていた。

 少女たちの様子を見て、ベルトルドは不快そうに目を眇める。


「貴様たちは気づいていたか? なぜ同じ召喚〈才能〉スキルを持つ者が同い年なのか。誕生日も同じだ。7月7日に貴様たちは生まれた。ここにいないキュッリッキも同じ日に生まれている」


 えっ? と少女たちは隣同士を見やった。


「そして性別も同じ女だ。どうしてなんだろうな?」


 ベルトルドは組んでいた腕を解いて、両手を広げた。


「顔を上げてあれを見ろ。立派だろう? 1万年も前に作られた神殿の遺跡だ」


 少女たちはベルトルドが示す方向へ顔を向けると、いつの間にかそこにある神殿を見て目を見開いた。

 四角い神殿だった。灰色の石造りで、華美な彫刻などは殆どない。美術的価値はなさそうだが、歴史的にはきっと重要なのだろう。正面から見ているので、奥行がどのくらいあるのかは判らなかった。


「この神殿には結界が張ってあってな、中にあるものを取り出せずに困っている」


 ベルトルドは再び腕を組むと、ちょっと首を傾げて少女たちをチラッと見た。


「貴様たち、結界を外してくれ」


 困惑した目が、ベルトルドに集中する。


「アルケラから何一つ召喚経験もなく、意識を飛ばしてアルケラの住人たちと交信経験もなく、なぜそれが召喚〈才能〉スキルなのか謎だっただろう。国は大金を毎年支払って貴様らを贅沢に養っているんだから、恩返しのひとつもしたいと思わんか? 何も貢献しないまま老後を迎えて死ぬなぞ、税金を支払っている国民が聞いたら激怒するだろうな。――なんの理由もなしに、3種族共に、国が召喚〈才能〉スキルを持つ者を無償で保護していると、貴様ら本気で思っていないだろうな? 無能な貴様らにも、大事な役目があるんだぞ」


 ベルトルドは端整な顔に、凄惨な笑みを浮かべる。


「だが生憎、貴様らのその大事な役目は、すでに終わっている。俺たちがリッキーを庇護下に置いたからな。だから、用済みになった貴様らには、最期の務めを果たしてもらおうか」


 それを合図にアルカネットが頷く。


「イリニア王女、立ちなさい」


 アルカネットに突然名を呼ばれ、イリニア王女は怯えながらもゆるゆるその場に立ち上がる。


「こちらへきなさい」


 アンティアのように乱暴な扱いを受けることが怖くて、イリニア王女は素直に従った。

 前に出ると、ベルトルドに乱暴に腕を掴まれ引き寄せられた。


「貴様のお供の、何といったか?」

「トビアス、ですね」


 アルカネットが答える。


「そうそう、そのトビアス。煩わしいから殺しておいたぞ」

「え?」


 イリニア王女は一瞬なんのことか理解できず、ベルトルドの顔を見上げた。


「この娘は、ウエケラ大陸のトゥルーク王国の王女様だ。最近国王夫妻が身まかり、近々女王として即位する。だが、残念なことに、女王に就くことはない」

「――ど、どういうことなのですか……?」


 声を震わせながらも、イリニア王女はベルトルドに食いついた。


「うん、いまから死ぬからじゃない?」

「……え?」

「死んだら玉座には就けないしな。トゥルーク王国はそのままニコデムス宰相が継げばいいさ。やつの後継は殺してやったから、これから急いで種付けすれば間に合うだろうし」


 あっけらかんと言われて、イリニア王女は愕然とした。一体この男は何を言い出すのだろうか。


(わたくしが、死ぬ?)


「貴様はリッキーを泣かせた。不安に陥れおって、本当に腹立たしい。貴様が召喚〈才能〉スキルを持っているから今日まで我慢してやったが、もう我慢する必要はない」

「ええ。死になさい、我々の役に立って」


(泣かせた? …もしかして、メルヴィン様のことなの??)


 ベルトルドもアルカネットも本気だ。けっして冗談を言っているわけではないことに気づき、イリニア王女はその場を逃げ出そうとした。


「往生際が悪いですぞ、殿下」


 茶化すようにベルトルドに言われ、イリニア王女は涙がこみ上げ首を横に振った。


「嫌です、放して!」


 イリニア王女の悲鳴に、少女たちはつられるように、小さく悲鳴を上げながら泣き出した。

 ベルトルドはイリニア王女を思いっきり神殿の方へ放り投げた。可憐な駒のようにくるくると舞うイリニア王女を、いつの間にかそこに佇んでいたシ・アティウスが受け取る。


「始めろ、シ・アティウス」

「判りました」


 シ・アティウスは無表情に言うと、イリニア王女の腕を掴んで神殿に引っ張った。


「いや……」


 抵抗しようと足に力を入れるが、イリニア王女はグイグイと神殿へ引きずられていく。


「この神殿には、1万年前の召喚士ユリディスの作り出した結界が張られている。神殿を害する力には全て結界が働くが、侵入のみに関しては結界の力は働かない。だが、数ヶ月前、キュッリッキ嬢が神殿に足を踏み入れると結界が作動した。何故だろう? ずっとそのことは疑問のままだったが、最近その謎が解けた」

「この結界は召喚士に反応するんだ。これからそれを立証した上で、結界解除を試みる。大いに役に立てよ、穀潰しども」


 シ・アティウスの説明を受けてベルトルドが継ぐと、怯え切った少女たちに無邪気な笑みを向けた。




 ――これ以上、少女たちをここへ連れてこないで…

 ――殺したくないの…

 ――……願いだから…!




 シ・アティウスに神殿の中に投げ込まれたイリニア王女は、冷たく湿った石畳の上に座り込んでいた。

 それまで真っ暗だった神殿の中は、足を踏み入れた途端激しく振動し、あっという間に様相を変じてしまった。まるで手の込んだマジックを見ているようで、恐怖と混乱だけがイリニア王女の心と思考を覆っていた。

 目の前にそびえる壁には、小さな篝に火が灯っている。幾何学模様のようなレリーフが埋め込まれているが、それがどんなものか一切興味は沸かない。

 薄暗い中で、イリニア王女は先ほどのベルトルドの発言を思い出していた。


 ――そうそう、そのトビアス。煩わしいから殺しておいたぞ


 従兄であり、実の兄のように慕っていた、大事な家族だ。叔父ニコデムス宰相の息子で、近衛騎士団の団長をしていた。いずれは父の後を継いで宰相になる人でもあった。イリニア王女が女王として即位したら、色々と支えになってくれただろうその人を失ってしまった。

 招かれたハワドウレ皇国に参じる時にも、一緒に来てくれた。


「トビアス兄様……」


 その名を呟くと、我慢していた涙が頬を伝った。後から後から涙は湧き出て、もう抑えきれない。

 何故こんなことになってしまったのだろう。




 留学先で両親の訃報を知り、悲しむ間もなく命を狙われ、学院で雇った傭兵たちに守られて無事首都に帰り着いた。しかし、そのことがきっかけで、ハワドウレ皇国副宰相に目をつけられた。

 表向きは身の安全確保のためであったが、実際は召喚〈才能〉スキルを持っているからという理由で、ハワドウレ皇国に招かれた。

 王家の娘として、更に貴重な召喚〈才能〉スキルを授かり生まれてきた。その召喚〈才能〉スキルは生憎なんのための〈才能〉スキルだか見当もつかないほど、なにもその力を発揮してはくれなかった。

 世間一般で伝えられているのは、別の次元にあるという、神々の世界アルケラを覗き視ることが出来て、そのアルケラに住まう者共を召喚し、使役することができるという。それゆえ、召喚〈才能〉スキルを持つ者を召喚士と呼称している。

 アルケラから何かを招いたことはない。同じ〈才能〉スキルを持っていた、あのキュッリッキという少女が、フェンリルとフローズヴィトニルだといった仔犬を見ても、何も感じなかった。それがなんなのかさえ判らない。

 出来なかったことは、そんなに罪なのだろうか?

 確かに貴重な〈才能〉スキルというだけで、その〈才能〉スキルのレベルを問わず、必要以上に大事にされてきた。王女であった点を除いても。

 召喚できなかったことを責められたことはない。そんなところに誰も興味を持たなかった。だから、出来ないことを罪悪に考えたことなど一度もないのだ。

 そしてベルトルドが言っていた、大事な役目。それは一体なんなのか。しかもすでに、その大事な役目は終わっているという。――キュッリッキを庇護下に置いたからということだが、謎が深まるばかり。

 それはどういう意味なのだろうか。

 疑問は後から尽きない。そして、


「貴様はリッキーを泣かせた」


 メルヴィンに惚れたことで、あの少女を自分が泣かせた。

 あの2人は恋人同士だと、アルカネットという男が言っていた。

 恋人同士である2人の間に割って入り、波風を立てるのは良くないことだろう。本来そういうことは嫌悪していたはずだったのに、イリニア王女はメルヴィンを本気で自分の恋人にしたいと願った。

 恋人がいたなど知らなかったし、知ってもなお恋心はつのっている。そう簡単に諦めて吹っ切れるほど、まだ時間は経っていないのだ。

 短期間にあまりにも色々な出来事がのしかかり、精神的にも堪えることばかりだ。

 ベルトルドもアルカネットも、結界を解け、死ねと言っていた。結界というものがどんなものかは知らないが、自分が死ねば解けるものなのだろうか?


「死ぬのは嫌よ…」


 トビアスの死を聞かされ、悲しみの中に怒りもある。たとえ小国とはいえ、王女としての矜持まで失ったわけではない。こんな理不尽な扱いを受け、言われた通り死んでやる必要などないのだ。

 トビアスの亡骸を丁寧に弔ってやりたい。

 メルヴィンへ想いを打ち明け、キュッリッキから奪ってやりたい。

 生まれ故郷である祖国の女王の座に就いて、自分が亡き両親の後を継いで国を守っていく。

 様々な思いに突き動かされて、イリニア王女は壁に手をつき立ち上がった。

 どこかにきっと、逃げ口があるはず。外は軍人たちがいっぱいいるが、逃げ延びてみる。否、逃げ延びる。そう決意して毅然と顔を上げた時だった。

 どこか生臭い臭気が鼻を付いて、イリニア王女は顔をしかめた。そして、なにかが蠢く気配を感じ、正面を凝視する。

 薄暗い中から、何かが近づいてきている。

 臭気はどんどん密度を増し、鼻と口元に手を当て臭いを防ごうとした。


「あ……あれは……なんですの……」


 薄暗い影から姿を現したそれは、赤黒い脚を前に突き出した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?