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114話:壊された結界

 ――いやああああああああっ!!


 けたたましい悲鳴が神殿の中から外に流れ出て、少女たちは身体をビクつかせて顔を上げた。あんな切羽詰まった悲鳴は、これまで聞いたこともない。


「始まったな」


 腕を組んで神殿を見上げていたベルトルドは、満足そうに頷いた。


「良かったなあ、ユリディスは貴様らを”召喚士”と認めたようだぞ」

「飾り物の〈才能〉スキルでも、一応は召喚士なのですね。リッキーさんに失礼な気もしますが」

「失礼のレベルを超えてますね。――なんにせよ、結界解除が叶うのも時間の問題です。次々投げ込みましょうか」

「うん」

「あの時は、キュッリッキ嬢の命に関わる事態でしたから、ライオン傭兵団の判断は正しかった。ですが」

「言うな。リッキーの命には変えられん。連中はよくやってくれた」

「そうですよ。そのことだけは、褒めてやりたいところです」


 今の発言を聴いたら、ライオン傭兵団の連中はどんな顔をするだろう。これまで散々、キュッリッキの怪我をした原因を責め立てられていたというのに。

 親バカ、という言葉が頭に浮かび、思わずシ・アティウスは吹き出してしまった。


「ん? どうした?」

「いえ、何でもありません。次いきます」




 舞踏会や晩餐会などでよく見かけるベルトルドやアルカネットは、貴婦人たちの憧れの的だった。

 もう四十を超えているというが、とてもそんな風には見えない。二十代後半で時を止めたかのように、整った美しい顔立ちと、スラリと脚の長いプロポーション。そつのない柔らかな笑顔と、とくにベルトルドの場合、どこかやんちゃな笑顔を見せる。

 16歳で社交界デビューをしたエリナは、貴婦人たちに取り囲まれるベルトルドとアルカネットを見て胸をときめかせた。いつか自分も一緒にワルツを踊ってもらいたい、そう胸に願いを秘めて、日々ワルツの特訓を繰り返していた。そして、ついに一度だけアルカネットに踊ってもらえたことがあった。

 優しくリードしてもらい、永遠に続くかと思われた感動の中、1曲を踊りきった。その嬉しい体験は、エリナの一生の宝物になった。それなのに、今目の前にいるアルカネットは、エリナの知らない男だ。冷たい表情と残酷な言葉の数々を口にする、知らない男。


「次はあなたです」


 そう言ってギュッと腕を掴まれ、強引に立たされた。そして神殿のほうへと引きずられていく。


「アルカネットさま……おやめになってくださいまし」


 エリナはか細い声を振り絞った。しかしアルカネットは振り返らず、一言も発しなかった。

 目前に暗闇が見えて、エリナはもう恐怖が足元から這い上がってきて、大声で泣き喚いた。腕を掴むアルカネットの手に爪を立て、必死に踏ん張った。


(こんなのは愛おしいアルカネット様の手じゃないわ!)


「やれやれ……ここまできて往生際の悪い。ワルツを踊っていた時は、もうちょっとしとやかなレディだと思っていたのですが」


 ため息混じりの残念そうな声がして、エリアはハッと顔を上げる。


「えっ!?」


 覚えていてくれた? たった一回のワルツを、覚えていてくれた。

 途端、感動するエリナの全身から、フワフワと力が抜けた。


「ごきげんよう」


 アルカネットは容赦なく、エリナを神殿の中へ放り投げた。

 エリナが最後に見たアルカネットの顔には、残酷なまでに柔らかな笑みが浮かんでいた。


「よく覚えていたなあ」


 戻ってきたアルカネットに、ベルトルドが感心したように言う。


「何がです?」

「あの娘とワルツを踊ったこと」

「覚えてませんよ。ただ、ああ言えばおとなしくなるかなと思ったので、試しに言ってみただけです。案の定効果覿面でしたね」

「えげつない奴だな……」

「それにしても、火事場の馬鹿力は凄いですね…。手袋越しに爪が布を突き破って手の甲に刺さってきました」

「血が出ているな」

「巫山戯た娘です」


 心底不愉快そうに、アルカネットは眉を眇めた。




 じっと神殿の様子を伺っていたシ・アティウスは、神殿の様子に変化が生じたことを感じ取った。

 1万年前の召喚士ユリディスが張った結界。この結界には、意思がある。エルアーラ遺跡にヒューゴという1万年前の青年が残留思念を残していたように、この結界にもユリディスの気配が確かにある。

 次々と投げ込まれる召喚〈才能〉スキルを持つ少女たちに、明らかに動揺しているようだった。


「耐え切れないだろうな。どういう意図から召喚〈才能〉スキルを持つ者に反応する結界にしたのか判らないが、人殺しは辛かろう」


 召喚〈才能〉スキルを持つ少女は、あと一人。


「ベルトルド様、そろそろ神殿を吹っ飛ばす用意をしてください」

「おう、やっと出番か」


 やや退屈そうにしていたベルトルドが、待ってましたと意気揚々にシ・アティウスの隣に立った。


「もう壊せそうなんだな?」

「ええ。最後の一人を投げ込めば、ユリディスの思念結界は崩壊します。すでに結界自体に、動揺の気配が顕著に出ています」

「よし。アルカネット、頼む」

「はい」


 アルカネットは地面に座り込んでいるアンティアの腕を握った。


「あなたで最後です。さあ」

「いやああ」


 アンティアは涙でぐじゃぐじゃになった顔で見上げて首を振った。


「さっさと死んでしまえば、恐怖などすぐに感じなくなりますよ」


 どこまでも優しい笑顔でアルカネットは言うと、力ずくでアンティアを立ち上がらせた。


「いきましょう」

「お願い、やめてええ」


 精一杯力を込めて踏ん張ろうとした。そして憚ることなく泣き喚いた。

 周りにいる軍人たちは、冷ややかな目でアンティアを見ている。同情のヒト欠片もない。


「死にたくない、殺さないでえ」


 心からの叫びは、しかしこの場にいる誰の心も動かすことはできなかった。


「ごめんなさい許しておねがい」

「さようなら」


 アルカネットはアンティアを神殿の中へ投げ捨てた。

 アンティアの身体が神殿に吸い込まれた。その瞬間、神殿がこれまで以上に激しく振動し、辺り一面も地震のように大地が震えた。

 常人の目には見えていないが、ベルトルドの目にははっきりと映っている。

 シャボン玉のように七色の光が織りなす透明な膜が、激しく歪みを繰り返し、細い光の筋を膜に走らせていった。ベルトルドはその中心点に意識を凝らすと、膜を引き裂くようなイメージで破壊した。


「おっと……」


 シ・アティウスは足を取られそうになって後ろにたたらを踏む。アルカネットも体勢を崩して前かがみに足を動かした。

 結界が裂かれた衝撃が、再び地震のようにして大地に走る。


「なんとか15人で解除がかなったな。穀潰しの始末も出来たし、一石二鳥だ!」


 両手を腰に当て、ベルトルドがふんぞり返って威張る。そこへ、ダエヴァの下士官が駆け寄ってきた。


「閣下、失礼します! リュリュ様から電報が届いております」


 ベルトルドは物凄く嫌そうな顔をして、差し出された紙を受け取る。


「あいつの名前を聞くと、股間と尻の穴に危機感が迫る……」

「バカなことを言ってないで、なんです? 電報の内容は」

「うーんと、…ふーん、穀潰しの親どもが、娘が帰ってこなくて心配で、宰相府や総帥本部に詰め寄ってきているらしい」

「中でミンチになってるでしょうし、肉片でも送りますか? どれが誰だか判りませんが」


 しごく真顔でシ・アティウスが言うと、ベルトルドは「フンッ」と嘲笑する。


「そんな面倒なことはしてやらんでいい。親どもも逮捕し極秘裡に始末、資産もなにも全部押収だ。結構な額になるだろうし、あとで使い道を考えよう。福利や医療方面へ流れるようにしておきたい」


 腕を組みながらベルトルドが言うと、アルカネットが頷いた。


「さて、神殿も破壊して、レディトゥス・システムを取り出そうか。――ようやくだ。31年だ、あれから」

「長かったですね……」


 アルカネットの顔に、複雑な色が広がっていく。


「さあユリディス、貴様の抵抗もここまでだ」


 ベルトルドは掌に電気エネルギーを集める。物凄いスピードでエネルギーは凝縮され、三叉戟の形をとり始め、黄金のような光沢を放ち始めた。


「1万年もの間、ご苦労だったな!」


 雷霆ケラウノスが神殿に落雷した。




 ――結界が壊されてしまった。


 たくさんの少女たちを手にかけた。その罪悪感が結界に歪みをもたらし、維持することができなくなってしまったのだ。


 ――ごめんなさい、イーダ、ヒューゴ。

 ――そして、アルケラの神々たち。

 ――どうか、私と同じ悲劇が起きませぬよう……どうか……。

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