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123話:連れ去られたキュッリッキ

《お前はキュッリッキを、どうするつもりなのだ》


 頭内に低く浸透する男の声に、ベルトルドは面白そうに目を見開いた。

 目の前には、白銀の毛並みの美しい狼が佇んでいる。普通の狼に比べると倍大きな身体をしていた。


「言葉を喋るのだな。初めて聞いたぞ」

《キュッリッキ以外の人間と言葉を交わす必要など、我にはなかった…。だが、こうなった以上そうも言ってられまい》


 キュッリッキが恋い慕うメルヴィンは吹き飛ばされ、仲間たちは雷霆ケラウノスの餌食になった。

 意識を奪われ、ベルトルドの腕の中に囚われてしまい、慌ててキュッリッキの影に潜んでついてきた。

 アルケラの巫女を守るために降臨した、巫女の護衛であるフェンリルは、キュッリッキを守りぬく義務があるのだ。

 そして、義務以上に、フェンリルはキュッリッキを失うことを心底恐れている。

 1万年前のあの日の後悔を、再び繰り返すことだけは、絶対に避けなければならない。

 悔やんでも悔やみきれない、ユリディスを失ったあの日のことは、今もフェンリルの心に重くのしかかっていた。


《キュッリッキを返すのだ。もう、人間ごときに巫女を託してはおけぬ!》


 フェンリルのその言葉に、ベルトルドは苦笑をもらす。


「その人間ごときに後れを取って、1万年前大失態を犯したのだろう?」

《……貴様》

「一度あることは二度あるという。この俺を、ただの人間と同じと侮ると、こうなるぞ!」


 ベルトルドは瞬時に無数の小さな電気の玉を出現させると、腕を横にないだ。

 電気の玉はフェンリルに襲い掛かり、その巨体を絡め取るように包み込む。


「サンダースパーク!」


 指を鳴らすと、それを合図に電気の玉は個々に爆発した。そして爆発とともに、フェンリルの身体に稲妻を絡ませていく。


「もっといくぞ」


 同じ作業を何度も繰り返され、その都度フェンリルの身体を電気の爆発と稲妻が襲う。


《この程度で…》

「そうだな。神には効かぬだろうが、これならどうだ」


 再びサンダースパークが襲いかかったとき、フェンリルは不意に後ろ脚を折って床に倒れた。


《……!?》


 後ろ脚に力が入らず、続いて前脚も折れて、フェンリルは巨体を横向きに倒れさせた。

 何事かと自らの脚に視線を向けると、フェンリルは激しく愕然とする。


「懐かしかろう。1万年前から遡ること、何代か前の巫女が作らせたというグレイプニル。強大なフェンリルの力を封じ、拘束することのできる唯一の足枷だ」


 漆黒に染めたような、光沢のある縄だった。それがフェンリルの四肢に巻き付き、動きを封じ込んでいる。


「グレイプニルの存在をお前は忘れていたようだな。これに動きを封じられ、ユリディスを守れなかったのだから。――守るべき対象者である巫女が、そんなものを作らせたなど、さぞショックだっただろうに」


 哀れみを込めてベルトルドは言った。


「神とは言え、所詮は獣だからな。グレイプニルを作らせた当時の巫女は、そんな風にお前を見ていたのだろうよ」

《キュッリッキを返すの……だ……》


 全身から力が抜けていく。忌まわしい1万年前にも、同じ屈辱を味わった。昨日のことのように思い出され、フェンリルは低い唸り声を漏らし続けた。

 サンダースパークに気を取られて、グレイプニルを投げつけていたことに気付かなかった。目の前の男は超能力サイ使いだが、唯一空間転移を操ることのできる能力者であることを、失念していたことは不覚だった。


「そのグレイプニルには多少改良を加えてある。1万年前のように暴発されても困るのでな。おとなしくそこで寝ていろ、番犬ごときが」


 蔑むように言いおくと、片腕に抱いていたキュッリッキを両手に抱え直し、ベルトルドは踵を返して空間に溶けるように消えた。


《おおお……ティワズよ……このままでは悲劇が再び繰り返される……》


 フェンリルの視界は闇に染まり、意識は深く沈んでいった。



* * *



 むずむずっとしたこそばゆさに、ザカリーは目を開いた。


「む? なんだなんだ、停電か!?」


 辺り一面真っ暗で、ザカリーは腕を無闇矢鱈に動かす。すると、つるつるとした感触がして、それが何かの毛であることに気づく。真っ暗な毛をかき分けて突き進んでいくと、突如真紅の光が飛び込んできて目を細めた。


「って、おい!?」


 今度は一面紅蓮の炎に包まれた光景が飛び込んできて、ザカリーは悲鳴に似た大声を張り上げた。


「うっせーぞ、ザカリー」


 頭上から忌々しげに言われて、ムッと上を見上げる。


「あん? ギャリーか。これどういう」

「軽い記憶喪失か? 御大の雷霆ケラウノスが飛んできてこうなったんだ」


 腕を組んで渋面を作り、ギャリーは炎を睨みつけていた。


「そういやあ……。つーか、オレたちよく助かったな?」

「コイツのおかげだ」


 親指でクイッと示された方へ顔を向けると、その黒いものが超巨大な狼だと気づく。


「………キューリのペットのか?」


 目をぱちくりして言うと、ぬっと鼻面を突きつけてきて、フローズヴィトニルが小さく鳴いた。見た目は恐ろしげな巨大な狼なのに、妙に人懐っこい雰囲気をまとっている。

 フローズヴィトニルの鼻面を押しやりながら、ザカリーは毛並みの中から這い出した。


「みんな無事なのか?」

「ああ」

「フェンリルは?」

「いない。おそらくキューリと一緒だと思うが」

「そっか…」


 ザカリーは上を見上げる。


「お前はついていかなくてよかったのか? いてくれたおかげで助かったけど」


 フローズヴィトニルは目を細めると、小さく頷いた。

 彼らが死ねばキュッリッキが悲しむ。そうフローズヴィトニルは判断し、フェンリルと共には行かずに留まり、ライオン傭兵団を守ったのだ。


「意識が戻ったか、ザカリー」

「おう」


 白い頬が若干煤けたタルコットが、憮然とした表情で歩いてきた。


「ご近所さんはどうだったよ?」

「フローズヴィトニルが守ってくれたのは、ボクたちライオン傭兵団だけだったみたい。ちなみにキリ夫妻も無事だよ」

「そうか……キリ夫妻が助かっただけでもよかった」


 ホッとしたようにギャリーは頷いた。巻き込んだ近所の傭兵たちには、心底悪いことをしたと胸中で詫びる。


「メルヴィンは起きたか?」

「うん。背中を強く打ち付けてるからちょっと辛そうだけど、キューリが連れ去られたことのほうが、もっとショックがデカイみたいだ」

「そりゃそうだ……」


 ギャリーは深々とため息をついた。

 反撃する余裕すらないほど、徹底的に吹き飛ばされていた。あまりにも一瞬の出来事だったとはいえ、キュッリッキを守れなかったことはショックだろう。


「あらん、あーたたち無事だったようねん」


 そこへ聴き慣れたオネエ声がして、ギャリーたちはゾクッと鳥肌をたてて振り向いた。


「リュ、リュリュさん……」


 腰に手を当てて、くねっと立っているのは、ベルトルドの秘書官リュリュだった。

 タルコットはジリジリと、ギャリーの背後に隠れるように移動する。


「ンふ、タルコット久しぶりじゃない。相変わらず綺麗な顔ね、好きよ」


 ペロリと舌舐りするその顔を見て、タルコットはブルブルと顔を横に振りまくった。

 昔風呂に入っていたところに押しかけられ、身体中を撫で繰り回され、舐め回された経験があるのだ。腕力には圧倒的な差があるというのに、何故かリュリュの腕力にかなわず、好きなように許してしまったのは、今でも屈辱の思い出だ。それが脳裏に蘇り、発狂したくなるほどの怖気が襲いかかっていた。


「そ、それにしても、なんでリュリュさんがこんなところへ?」


 ザカリーがおっかなびっくり訊くと、リュリュは真顔になって、垂れ目を眇めた。


「ちょっとあーたたちに話があるのよ。ほかの連中はどこ? 案内なさい」




 背中の痛みは大して気にはならなかったが、意識を失っている間にキュッリッキを連れ去られてしまったことは、不覚としか言い様がない。

 メルヴィンは瓦礫に寄りかかり、座り込んで項垂れていた。その傍らにいるカーティスとランドンは、かける言葉が見つからずに、困ったように佇んでいる。


「カーティス」


 ギャリーに名を呼ばれ顔を向けると、カーティスは「ゲッ」と小さく驚いて目を見開いた。


「リュリュさん」


「なあーにが”ゲッ”よ。失礼しちゃうわねン」


 あの距離で聞こえたのかよと、カーティスはうんざりと胸中でため息をついた。

 カーティスの足元に座り込んでいるメルヴィンに目を向け、リュリュは肩をすくめる。


「随分と容赦なく吹っ飛ばされたようね。怪我自体はたいしたことなくてよかったわ」

「あ~れぇ、パウリじゃん~~」


 集まってきたマリオンが、リュリュの背後に控えている男に手を振る。


「やあマリオン、元気そうだね」


 パウリ少佐は柔らかな笑みをマリオンに向ける。

 モナルダ大陸戦争時に世話になったダエヴァのひとだ、とルーファスは思い出す。マリオンとパウリ少佐はかつて恋人同士だったと、ベルトルドが言っていたことも思い出した。


「さて、みんな集まったかしらん」


 リュリュは集まった面々を見渡し、キュッリッキを除く全員が集まったことを確認する。


「ベルの雷霆ケラウノスの攻撃は、そこの狼ちゃんが守ってくれたようね。よくやったわ、フローズヴィトニル」


 褒められたフローズヴィトニルは、嬉しそうに小さく鳴き声をあげた。


「正直言うと、ベルがここまで徹底的にやるとは思ってなかったわ。よっぽどストレス溜まってたのか、いよいよかと気持ちが昂ぶって抑えきれなかったのか……」


 リュリュは口をへの字に曲げて、肩で息をつく。

 エルダー街のライオン傭兵団のアジトを中心に、半径5キロほどの広範囲を炎の海に沈めているという。ハーメンリンナは強固な城壁に守られて、火の驚異から免れて無事らしい。

 炎に包まれる広大な街を目にし、改めてベルトルドの力が強大なものであると、皆痛感していた。


「リュリュさん、あの人は一体何をしようとしているんですか? キューリさんを攫って」


 カーティスが不安げにもらすと、リュリュは目を伏せる。


「それをあーたたちに教えに来たのよ。そして、小娘を救い出し、ベルの計画を阻止してもらうために」

「リッキーを救い……何か、リッキーが危険なめにあうと言うんですか!」


 メルヴィンは顔を上げてリュリュを睨む。

 痛いほど真っ直ぐなその目を見て、リュリュはフイっと顔を背けた。そして小さくため息をつく。


「これからちょっと、長い話を聞いてもらうことになるわ。話を聞きながら、戦闘準備をなさい。必要なものはこちらで用意させてあるから」


 リュリュが手をスッと上げると、背後に控えていたパウリ少佐が敬礼した。そして数名のダエヴァの軍人たちに合図をすると、様々な荷物を抱えた軍人たちが、それをライオン傭兵団の前に積み上げていく。


「話をよく聞いて、各自しっかり覚悟を決めなさい」

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