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124話:アルケラの門

「さあリッキー、目を開けてごらん」


 耳元で囁くように言われて、キュッリッキはゆっくりと目を開いた。


「うわっ」


 目に飛び込んできたそれにびっくりして、キュッリッキは胸の前で手を組んだ。

 それは、巨大な白い月だった。

 丸くて大きな、大きな月。


「あれ、本物の月なの?」


 隣に座るベルトルドに顔を向けて、小さく首をかしげる。


「月の映像なんだ。実際の月はもっともっと大きいんだよ」

「そうなんだ~。凄い迫力だけど綺麗、とっても」


 丸い輪郭は、柔らかな白い光に覆われていて、濃紺の空間に凛と浮いている。

 キュッリッキは周りを見回すと、とても不思議な空間にいることに気づいた。

 天井や壁は吸い込まれそうなほど透明で青く、まるで水底を彷彿とさせる。そして床もキラキラと青い水晶のようで、そこに置かれたソファに座っていた。

 つい先程までアジトにいたのに、一瞬でこんな不思議で素敵なところに移動してしまっている。そうキュッリッキは思っていた。しかし、意識を奪われ、その間に色々なことが起こったことは知らない。それはベルトルドによって意識を奪われていたからだ。


「ここが、ベルトルドさんの隠れ家なの? あの月の映像がコレクション?」

「そうだよ。リッキーが俺の所へ来る前は、一人になりたい時はここへきて、あの月をじっと眺めるのが好きだったんだ」


 とても穏やかで優しい口調のベルトルドに、キュッリッキもつられて小さく微笑む。


「なんか、気持ちが落ち着く部屋だね。水の中にいるような気分」

「そうだろう。俺は、青い色が大好きだ」

「アタシもそう。でも、アタシの好きな青は、空の色なの。高く高く続く深い青い色。ここの青は、水の底みたいな深い青だね」

「ああ。リッキーとは逆に、俺は水の底の青が好きなんだ」


 同じ青でも、見ている場所は違う。

 キュッリッキは飛べない空に憧れているから、空の青が大好きだった。自分の目で見える空の青は、水色に近い色をしている。しかし、自由に空を飛べたら、きっともっと濃くて深い青色が見えるだろう。

 アルケラから召喚した空を飛べるものたちに連れて行ってもらえば、好きな青色を見ることができる。しかし、翼を授かって生まれてきたアイオン族であるキュッリッキは、自分自身の翼で空を翔け上がりたいのだ。

 でもそれは、願望でしかない。生まれつき片方の翼が奇形で育っておらず、自力で空を飛ぶことができないからだ。

 飛べないからこそ憧れる空。自由に羽ばたきたいと願う空の青い空間。飛べないと判っていても、願いは青色に込めて、気持ちの中に持ち続けていた。

 同じように青色が好きなベルトルドは、一体どんな思いを込めて、水の底の青色を見つめているのだろうか。


「リッキーは、月の別名を知っているかい?」

「別名? 月にほかの名前があるんだ?」

「うん」


 ベルトルドはにっこりと笑いかける。


「アルケラの門、と昔は言っていたんだよ」

「アルケラの門……」

「そう、あの月を通って、神々の世界アルケラへ行けるのだと、昔の人々は信じていたんだ」


 キュッリッキはアルケラへ意識を飛ばすことが出来る。しかし、月を通って意識が飛んでいくようなイメージは一度もない。召喚〈才能〉スキル持ちの者の、その独特の虹色の光彩が散りばめられている瞳でアルケラを視て、瞬時に意識を飛ばせるからだ。

 それをベルトルドに言うと、ベルトルドは面白そうに目を見開いた。


「なるほど。そうだな、リッキーは意識を飛ばせるから、生身で行くということはないのだな」

「生身で行く方法は、アタシも知らないな~。行くとしたらあの月から行くことになるのかな。でも、ずっとずっと高い空にあるんでしょう、月って?」

「宇宙、という場所にあるんだ。空のずっとずっと、遥か高みにある」

「んー……宇宙ってところへ行く方法がないかも。ある程度空を飛べる子は召喚出来るけど、宇宙ってところへ行く子は、アタシには判らない」

「そうか。我々人類は、空を飛ぶ術がないからな」


 途端、ベルトルドの表情が曇った。

 空を自由に飛べることができるのは、人間の中では翼を持つアイオン族だけで、〈才能〉スキルで言えば、魔法と超能力サイだけである。

 技術的には空を飛ぶ乗り物は発明されておらず、多くの人々は自由に空を飛ぶことができなかった。


「エグザイル・システムがあるから、移動する術にはあまり困らない。大陸間でも惑星でも自由に瞬時に行き来できるからだ。人間はそう、馴らされてしまっている」


 誰が作ったか解明されていないエグザイル・システム。1万年前の超古代文明の遺産だと言う者もいるが、定かではないのだ。


「人間が、誰もが自由に空を飛べるようになれればいい。それが、俺とアルカネットの願いの一つだ」

「アルカネット…さん」


 キュッリッキはビクッと身体を震わせ、恐ろしげなもののように、アルカネットの名を呟いた。

 それに気づいたベルトルドは、気遣わしげにキュッリッキの頭を優しく撫でた。


「本当に怖い思いをさせてしまって、申し訳なかった。アルカネットのペルソナがもう崩壊しかかっていたことに、俺が早く気づいていれば、あんなことにはならなかったのだが……」

「ペルソナ?」


 ベルトルドは迷うように目を伏せる。


「リッキーが知っている”アルカネット”という人物は、アルカネットが世間で生きていくために作り出した仮面ペルソナなんだ。そして、リッキーに酷いことをしたアルカネットこそ、本物のアルカネットだ」

「……本当のアルカネットさんは、怖い人だったんだ…」


 とても残念そうに言うキュッリッキに、ベルトルドは首を横に振った。


「本当のあいつも、いいやつなんだ。ただ、あることをきっかけに、壊れてしまったんだ」


 ベルトルドはキュッリッキの手を取ると、そっと自分の頬にあてた。


「リッキーには本当のことを知る権利がある。アルカネットがあんなふうになってしまった、その理由を」


 ベルトルドの悲しげな瞳を見て、キュッリッキは不安で顔を曇らせた。怖いけど、知らねばならない。そう、心の中で呟いた。


「俺の記憶を見せながら話そう。とても長い長い話を、リッキーに聞いてもらいたい」




 キュッリッキはフワッと身体が浮いたような感覚がして、ハッと意識を凝らす。

 とても薄暗い中に、ぼんやりとした光をまとってキュッリッキは立っていた。


「ここは、俺の記憶の入口だ。ようこそ、俺の頭の中へ」


 笑い含むようなベルトルドの声がして、いつもの真っ白な軍服姿のベルトルドが姿を現した。


「記憶の入口?」


 キュッリッキは目をぱちくりさせながら、小さく首をかしげる。


「うん。リッキーの意識だけを、俺の頭の中に招いたんだ」


 そう言われてキュッリッキは素直に納得した。自分がアルケラへ意識を飛ばしているように、ベルトルドがそうしてくれたのだと、すぐに理解出来たからだ。


超能力サイは便利だろう?」


 ベルトルドはにっこり微笑むと、つられて笑むキュッリッキの手を優しく取る。意識同士の触れ合いなのに、ベルトルドの手はほんのりと温かい気がした。


「それではお姫様、俺たちの過去という名の舞台を、どうぞごゆっくりお楽しみください」


 芝居がかった口調で言うと、ベルトルドは手振りで暗闇の先を示す。

 キュッリッキは示された方角へ目を向ける。

 やがてゆっくりと闇は晴れていき、真っ青な空とエメラルドに輝く海が、視界に広がっていった。

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