島へ着いてからイスモとレンミッキは、ベルトルドとリュリュの家を回って、遅く帰ってきた事情の説明と謝罪をした。
「デザート持ってきたわ、ベルトルド」
夕食後、リビングのソファに寝転ぶベルトルドのもとへ、フルーツを入れた皿を持って、母サーラが傍らに座った。
「あなたの大好きなアナナスの実よ、食べなさい」
「うん」
跳ねるように飛び起きて、テーブルの上に置かれた皿を取る。
スプーンですくって口に入れたアナナスの実は、噛むとジューシーな果汁をたっぷりとしみ出した。よく熟れていて、甘い味が口いっぱいに広がる。
「今日は大変だったわね」
「うん…」
「あなたに怪我がなくて、本当に良かった」
「俺が怪我するわけないじゃん」
ベルトルドはムキになって、アナナスの実を3切れ口に放り込んだ。
「万が一、アルくんの魔法が当たったりしたら…」
「学校じゃ装飾品は外してもらえてるから、念力で防ぐだけさ。俺、優秀なんだぜ」
拗ねるようにサーラを見ると、サーラは深々とため息をついた。そして、握り拳を作ると、拳に「はーっ」と息をかけて、息子の脳天に叩きつける。
「……ディアのより痛いぞ母さん……」
「まったくもー!」
一発ゲンコツを見舞ったあと、サーラはベルトルドを抱きしめる。
「心配してるのよ! いくらあんたがOverランクの
「……」
「幼馴染で家族同然とは言っても、万が一ってことにでもなったら」
「万が一には絶対にならない!」
母の胸に顔を押し付けられながらも、ベルトルドはきっぱりと言った。
「ベルトルド……」
「あいつは原因もなく暴走したりしない。アルカネットが暴走したのは、ディアが危険な目に遭うかもしれない会話を耳にしたからだ」
「え?」
アルカネットが問題を起こした事情を知れば、リューディアが傷つくだろうと、イスモとレンミッキはそこまで詳細な説明をしなかった。
ベルトルドはそのことも含めてサーラに話すと、沈痛な面持ちになり、サーラは深々とため息をついた。
「そうだったの…。たしかに、リューディアちゃんが知ったら、とても深く傷つくと思うわ。優しくて責任感の強い子だもの」
「明日学校へ行けば、ディアも知っちゃうかもしれないけどな」
「そうね。口には関所がないから」
ベルトルドはソファの上にあぐらをかいて腕を組む。
「ディアのことが絡まなければ、アルカネットは暴走しない。キレやすいところはあるけど、ディアのこと以外で、あいつがキレたことなんかない」
無関心ではないが、リューディア以外のことには、あまり熱くならない。
「俺が2人をしっかり守るから、もう大丈夫だ!」
責任感の塊のようなことを言う息子を、サーラは黙って見ていた。しかし、目をスッと細めると、ベルトルドの耳元でそっと囁く。
「あんたもリューディアちゃんに、とーっても恋しちゃってるでしょ?」
すると一瞬にして、ベルトルドの顔も耳も真っ赤に染まり、蒸気でも噴射しそうな顔を向けてきた。
「ばっ…ばっ、ばっか! 何をいきなり言うんだババア!!」
「誰がババアじゃ!」
返す刀の勢いで、サーラの容赦のない肘鉄が、脳天に炸裂する。
「のおお……」
頭をかかえて、ベルトルドは俯いた。
「ホントにもう、あんたはマセガキなんだから! 10歳児のくせに、大人でも滅多にできないことをするんじゃないのっ」
アルカネットのために身を引いたことを、サーラは見抜いていた。
ぐわんぐわん脳天から痛みが押し寄せてくるが、ベルトルドは顔を上げてサーラを睨みつける。
「脳細胞が死滅する!」
「大丈夫よ、まだ若いんだから」
小児科医の母親にサラッと言われて、ベルトルドは言葉に詰まる。
「イラナイ細胞を取り払って、必要な分だけ残ればいいのよ」
「医者の風上にも置けん発言を堂々と……」
「リューディアちゃんがあんたのお嫁さんなら、二つ返事でOKしたのに」
これはサーラの本音である。
幼馴染に恋を譲るなど、健気なことをしている息子を可愛いと思う反面、そこまでしなくてもと思う。何故なら、リューディア本人はベルトルドに気があると、サーラは気づいているからだ。
ベルトルドはサーラから、フイッと顔を背けた。
「俺には家族と同じくらい、アルカネットもディアも大事だ。リューも、おじさんたちやおばさんたちも大事だから、だから、わだかまりは作りたくない」
真顔になり、正面にある飾り棚に並べられた写真立てを見つめる。
「選べないんだ。アルカネットか、ディアか。どちらかを選べば、きっと失ってしまうんだ。表面上は仲のいい幼馴染でも、きっと心に小さなわだかまりができて、それで歪んでしまうかもしれないから」
ベルトルドは
仲良しの他人同士が、実は小さなわだかまりを心の奥底に隠し持っていて、それを悟られないように、
父も母も。おじさんもおばさんも。
視えてしまうからこそ、避けたかった。そんなイヤなモヤモヤを抱えて、それを隠しながら、嘘をつきながら生きたくない。
大人になれば、そんなものはいくつも抱えていくことになる。子供の今だけは綺麗なまま生きていけるけど、大人の世界に入れば、イヤでも沢山のイヤなものを持つようになる。
それでも。
大切なあの2人とは、永遠に純粋なまま、心の底から仲良しでいたい。
そのためなら、無理に自分の恋を押し通さなくてもいい。
アルカネットとリューディアが幸せになれば、それは自分にとって幸せなのだから。
「心配すんな! 俺には世界中の女が待っている! 美人も選り取りみどり、そこで新しい恋を見つけるぜ!」
ディアだけが女じゃない! と、拳を掲げて力強く宣言したところで、サーラのゲンコツが再び脳天に炸裂した。
「息子を労われ母親……」
「いい、ベルトルド、これだけは言っておくわ」
ベルトルドの小さな耳をつまみ上げ、サーラは口を近づけて囁くように言う。
「あんたがリクハルド二世なのは、母親のわたしがよぉーっく判ってる。だから注意しておくわね。いいこと、性病にだけは気をつけなさい。あんたが星の数の女とエッチなことをしても、わたしは咎めたりしない。けど、性病をもらってきた日には、親子の縁を切るから、それだけは一生心に刻んで励むことね」
2人の様子をリビングの入口からこっそりと見ていたリクハルドは、がんばれ息子よ! と、心の中で我が子を応援していた。
* * *
ゼイルストラ・カウプンキの住人たちの殆どは、アーナンド島の周辺にある小島に住居を構えている。ゼイルストラ・カウプンキの首都でもあるアーナンド島に住居を構えると、税金が倍になり、よほど裕福な者でもない限りは、周辺の小島に住んだほうが安く付いた。
群島であるゼイルストラ・カウプンキでは、一家に一隻必ずクルーザーがある。島と島を行き来するのに必要だし、海上タクシーは割高だ。それに、アーナンド島に近い小島は、主に宿泊施設、別荘、レストラン、カジノなどの、観光者向け用に買い取られているため、やや離れたところからだいぶ離れたところに、島民の住居があった。
アーナンド島からクルーザーで1時間ほどの距離にあるシャシカラ島でも、一家に一隻クルーザーがあり、子供たちの通学用に3家でお金を出し合い、小型のクルーザーも一隻ある。
小型船舶免許は12歳から取得が可能なので、通学用クルーザーはリューディアが操縦していた。
免許はまだ取得できないが、ベルトルド、アルカネット、リュリュの3人も操縦は出来る。いざという時のために、家族ぐるみで子供たちに操縦を教えていたからだ。
授業を終え、
待ち合わせ場所は、学校の敷地内にある大きな椰子の木の一つだ。
「おーい、ディア」
ベルトルドが、先に待っていたリューディアに声をかける。
リューディアは呼ばれて顔を上げたが、その表情は辛そうに沈んでいた。そんなリューディアの顔を見て、ベルトルドは内心小さく舌打ちする。
案の定、昨日のアルカネットの騒動の内容を知ってしまったらしい。
「ベル、あのね…」
「帰ろうぜ、アルカネットも待ってるしさ」
こんなところで話したくないと、ベルトルドはリューディアの言葉を遮った。そしてベルトルドはリューディアとリュリュの手を引くと、港に向かってグイグイ引っ張るようにして走り出す。
(ねえ、ベル、やっぱおねえちゃんに話しちゃうの?)
念話でリュリュから話しかけられ、ベルトルドも念話で答える。
(たぶんクラスの連中から曖昧に聞いたんだろうな、そんな表情してるしさ。だから、ちゃんと話してやらないと、余計不安だろうから)
(そうね…)
(俺が話をするから、心配すんなって)
(うん。ベルにまかせるわ)
(おう)
アーナンド島にはいくつもの港がある。島民たちのための港の一つに、みんなのクルーザーを停めている。
「俺様のヨトゥン号よ、今日もしっかりヨロシク!」
ベルトルドは無邪気にクルーザーに笑いかけると、勢いよく飛び乗る。
「アタシ、この外装恥ずかしい。ねえ、直しましょうよ……」
リュリュが垂れ目を更に垂れ下がらせて、クルーザーを迷惑そうに見つめる。
「この俺が描いたスペシャルアートなんだぞ。カッコイイじゃないか」
甲板の上に仁王立ちで、腕を組んでふんぞり返っている。
とにかくクルーザーの数が半端ではないので、各家ひと目で判るアートが炸裂している。プロのアーティストに依頼するとバカ高い為、ベルトルドがかってでたものの、らくがきも羞恥心を覚えて逃げ出すほどのアートセンスに、霜の巨人もちゃぶ台返ししたくなるだろう。それほど酷いのである。オマケにヨトゥン号の名も、何を書いてあるか誰も読めないときている。
ベルトルドは、恐ろしく字が猛烈に下手なのだ。
「これを操縦しなくてはならないわたしの気持ちなんて、考えもしなかったんでしょうね……」
リュリュに賛同するように、リューディアは乾いたように呟いた。
二人の反応を見て、ベルトルドは片方の眉毛をひくつかせる。
「ヨトゥン号はこれでいいんだっ!」
ヨトゥン号はゆっくりとシャシカラ島を目指してへ進む。ミーナ群島の海流は穏やかなので、クルーザーはあまり揺れず、心地よい風と海鳥たちのさえずりを楽しめた。
小さな頃から両親と共に島の周囲をクルーザーで遊んでいたので、リューディアの操縦は一級品である。
「今日の宿題は、アルカネットは授業に出てないから、ちょっと難しいかもな」
「アタシも一緒に宿題する。苦手なの、数学」
「いいぜ、ビーチに行ってやろう」
基礎教育は大きく分けて、語学、数学、総合学の3種類ある。総合学は歴史、生物学、美術、料理、道徳などを教えた。
15歳になると、進路を自由に選べる。
「ねえ、ベルは将来、何になるの?」
「なんだよ、いきなり」
「だってアタシ、ベルのこと大好きだもん。お嫁さんになるから、将来の旦那様の生活設計くらい、知っておかないとダメじゃない」
「まだ言ってんのかよ。俺は、女のカラダをした女じゃないと、嫁にはせん……」
「大人になったら、性転換手術を受けるから問題ないわ」
「………」
リュリュに擦り寄られ、ベルトルドは露骨に嫌そうにジリジリと退いていく。
「とにかく、俺はお前と結婚する未来は夢見てないから、諦めてほかの男を探せっ!」
甲板の2人の様子を見て、リューディアはクスクスと笑う。
リュリュがベルトルドに本気の恋をしていたことを、リューディアは知っている。しかし、1年前にフラれていることも、また知っていた。
そして、自分もベルトルドに恋をしている。
3歳年下でまだあどけなく、自分よりも背の低い、あのおマセな少年に。
今は13歳と10歳で恋愛なんてまだまだ早いのかもしれない。でも10年もすれば、2人とも大人になって、恋愛だって当たり前に出来るようになる。
笑顔がまだ幼いけど、大人になったら間違いなく美青年に成長するだろうベルトルド。それを想像すると、リューディアの胸はドキドキと高鳴った。まだ小さく華奢な身体も、大人になれば逞しくなるに違いない。それに、あんなに子供のくせに、どこか頼りがいのあるところも、惹きつけられてならないのだ。
(わたしの気持ちに、あの子は気づいているはず。そして、あの子もわたしのことを、きっと、好きだと思う…)
それなのに、ベルトルドはいつもはぐらかす。
いつの間にかベルトルドへの想いが膨らんで膨らんで、積もり積もった矢先に、アルカネットの一件だ。
――なんか、リューディアのことであの子、暴走したって。
――そうそう、リューディアに酷いことしたとかなんとかって叫んでたらしいよ。
アルカネットは、真っ直ぐ”好きだ”という気持ちをぶつけてくる。アルカネットのことも好きだけれど、でもそれは、弟のように思っているだけで恋とは違う。
(アルカネットもわたしに、恋をしている…)
あまりにも素直に激しく。誰に憚ることもなく、ベルトルドに遠慮もしていない。そしてその強い想いは、今回の事件を起こすことになったのだ。
病院送りになった女生徒たちとはクラスメイトだ。あまり話をしたことはないが、恨まれていたのだろうか。とくに彼女らに対して、嫌われるような態度をとったことはなかったはずである。でも、知らず知らずに気に障ることでもしたのか。
アルカネットはそのことで、自分に恋をしているせいで、事件を起こしてしまった。
そのことで気が重くてしょうがない。
ため息を一つつき、ふと空を見上げる。
真っ青で、どこまでも突き抜ける広い空。
(飛びたいなあ…。)
ヴィプネン族のリューディアには、自力で空を飛ぶ術がない。ベルトルド、リュリュには
あの3と一緒に、自分も空をたくさん飛んでみたい。
あの青い空が、嫌なことも一瞬にして、忘れさせてくれるだろう。
幼い頃からずっと憧れる空。
自分の力で飛びたいと願う空。
いつか、自分の発明した乗り物で、空を飛ぶ。そのために、日々勉強を重ね、思いつく発明をスケッチブックに描いている。
(あともう少しで、空を飛ぶ乗り物の基礎設計が完成しそうなのに)
今回のアルカネットの起こした事件と、ベルトルドへの恋の悩みで、しばらくは発明に集中できそうもなかった。
そんな気分には、なれなかったからだ。