誰も言葉を発さず、リュリュの話に聞き入っていた。しかしみんなの表情は、苦く辛さに満ちている。
「透視も使えないくせに、どういうわけか勘がイイのよ、アルカネットのやつ。こっちも随分頑張って、復讐計画を妨害し続けてきたけど相手があのベルでしょ。妨害しきれなくって、ついに小娘を持って行かれてしまったわ…」
まとめた荷物を手にして座り込むライオン傭兵団を見渡し、リュリュは小さく苦笑した。
「しおらしいじゃない。あーたらには、似合わなくてよ」
「…ツッコミどころが見えなくって」
頭をガシガシ掻きながら、ギャリーがため息混じりにぼやく。
「その、リューディアさんを殺した犯人は、視えたんですか?」
メルヴィンが遠慮がちに質問すると、リュリュは頷いた。
「アルから励まされたベルが、時間をかけてついに見つけ出したの。でも、真犯人を確定してそこへ至るまで、随分と長い年月を費やしたわ。ベルもアルも、それだけのために生きてきたの。そしてようやく、復讐出来るのよ」
「犯人、誰だったんだ?」
身を乗り出したザカリーに、リュリュはチラリと視線を向ける。そして、人差し指を空へと向けた。
「神様よ」
場が、一気に静まり返った。
「えと……へ?」
ザカリーが困惑を深めた声を出す。
「神の存在信じてないでしょ、あーた達。だったらどうして、召喚士がいるのよ?」
「それは……」
「フェンリルがただの仔犬だったとか、思ってたりしてんじゃないでしょうね? ちゃんとね、居るのよ、神様って」
フェンリルやフローズヴィトニルを散々見てるでしょ、とリュリュは肩をすくめる。
「だから小娘を攫っていったのよ。いい? 召喚士とは正式な名称を隠すための呼び名。すなわち、アルケラの巫女、というのが召喚士の本当の正体。神と人間を繋ぐ、唯一の接点になる存在なのよ」
「アルケラの巫女……、リッキーが巫女」
俯いて呟くメルヴィンの肩を、ヴァルトがポンッと勢いよく叩いた。
「手を出さなくてヨカッタナ!」
「えっ」
一瞬で顔を真っ赤にして慌てふためくメルヴィンを、リュリュは苦笑交じりに見つめる。
(出しておいて欲しかったけどネ…)
「んで、お嬢をどうするんです? 攫っていって」
怪訝そうにギャリーが言うと、リュリュは顎を引いた。
「もちろん、神様のもとへ案内させるのよ」
「どうやって?」
「それも説明するわ。けど、移動しながらよ。荷物持って、アタシについてらっしゃい」
ハーメンリンナに向かって歩きだしたリュリュを、皆慌てて追いかける。
「恐らく小娘は酷い目にあってるでしょうけど、それはもう阻止しようがないわ。だからあーた達は、小娘の救出と、2人の復讐の粉砕。そして」
一旦足を止めて、リュリュは身体を振り向ける。
「アタシからのお願い。――生死は問わない。ベルを、アルカネットから助けてちょうだい」
* * *
白い頬を、涙が流れていった。
(あの雷は……トールさまの
無残にも少女に降り落ちた、あの強大な雷の正体を、キュッリッキは正確に見抜いていた。しかし、何故リューディアに落とされたのかまでは判らない。
「泣いてくれるのだな、リューディアの為に」
隣に立つベルトルドが、自らの記憶を見つめながら、苦笑とも自嘲ともとれる表情で言った。
ベルトルドの意識の中に招かれたキュッリッキの意識は、共にベルトルドの過去を映像として視ている。意識同士がつながっているから、だから感じる。
言葉には出さない、ベルトルドの心の痛み、そして悲しみが。
恋をした今のキュッリッキには、ベルトルドの心が何となく理解出来る気がしていた。
判る、と言うのはおこがましい。しかし自分が同じようにメルヴィンを突然奪われ、失う羽目になったらと考えたら、きっと同じような気持ちに包まれてしまうのだろう。
「アタシと顔は本当によく似ているけど、でも、アタシなんかと違って、リューディアはとっても素敵。頭がよくって、明るくて、女の子らしくて…」
みんなのお姉さんで、そして、同じように恋をしていた。
「それに、リッキーよりおっぱいも大きかったぞ」
チラッと横目で胸のところを見られて、キュッリッキはムカッとすると、拳を振り上げてベルトルドをぶとうとした。
そこで急にハッとなって、キュッリッキは前に倒れそうになり、のべられたベルトルドの腕に倒れこむ。
「あれ?」
目をぱちくりさせると、青い部屋の中だと気づいて首をかしげた。
「意識をもとに戻したんだ。じゃないと、リッキーのグーで俺の意識を殴られそうになったからな。直接意識に攻撃が加えられると、さすがの俺でもダメージを受ける」
ニヤニヤとするベルトルドを、キュッリッキは拗ねた表情で睨みつけた。ライオン傭兵団の仲間たちに胸の大きさをからかわれるのには慣れている――当然反論している――が、ベルトルドにまで言われるとムカッとくる。
「ベルトルドさんがヘンなこと言うからなんだよ!」
「おっぱいの大きさは関係なく、俺はリッキーが大好きだぞ」
ベルトルドはキュッリッキを素早く抱きしめると、ご機嫌な様子でキュッリッキの頭に頬を摺り寄せた。
「アイオン族だから、そんなに大きくないだけなんだもん……」
ちゃんと膨らんでるもん、と唇を尖らせた。
抱きしめられながら、キュッリッキは先ほどのベルトルドの記憶に思いを馳せる。
リューディアが何をしたのか判らなかったが、彼女の命を奪ったあの雷の正体は、紛れもなくアルケラの神のひと柱トールだ。あの雷はトールの武器ミョルニルの一撃。いつも遊びに行っていたアルケラで、キュッリッキはトールのミョルニルから振り落とされる雷を何度も見たことがあった。だから、見間違いではない。
何故アルケラと無関係だろうリューディアが、トールの一撃を食らう羽目になったのかキュッリッキには判らない。ベルトルドの知らぬところで、神の怒りに触れるなにかがあったのだろうか。
ベルトルドの記憶だけでは、よく判らなかった。
「そう、俺も何故あんな雷を、リューディアが受けることになったのか判らなかった」
キュッリッキを抱きしめたまま、ベルトルドは囁くように言った。その腕の中で、キュッリッキがベルトルドの顔を見ようと、僅かに顔を上げる。
「犯人の検討もつかなかった。だが、リューディアの身体にほんの少し、残っていたんだ。雷を落とした犯人の意思が、声が」
穏やかな笑みをたたえながら、しかしベルトルドの目は笑ってはいなかった。どこか乾いたような、淡々とした色を宿している。
「アルケラの神。やはり、そうだったのだな」
ゆっくりとキュッリッキを身体から離すと、ベルトルドは悲しそうに表情を歪めた。
「リッキーが断じるのだ。――間違いないのだな?」
キュッリッキは小さく頷いた。
理由は判らないまでも、トールの一撃であることは断言できる。
「そうか。そうか…」
目を伏せベルトルドは立ち上がると、青い水晶のような床を、ゆっくりと歩く。
「俺は力を振り絞って、僅かに残る犯人に至る痕跡を探った。そして、男の声で『ならん!!』と叫ぶような声が聞こえたんだ。その声と同時に、リューディアにあの雷が降り落ちた」
肩で息をつくと、ベルトルドはキュッリッキの方を振り向いた。
「あの声を”神”だと思ったのは俺だ。そう思わせる畏れと威厳が、あの短い言葉に満ちていたからだ。人間では、ああはいかないだろう。それにあの雷の質量とコントロールだ。落ちた衝撃波はきたが、怪我もしなかったし火傷もしていない。桟橋は木っ端微塵に吹き飛んだが、雷はリューディアだけを攻撃するようにしていた。今のアルカネットにすら、あんな芸当は無理だという。ならば、人間の仕業ではない」
そう、あれほどの質量の雷を、近くにいたベルトルドたちに被害を及ばさず、小さな対象を狙うのは人間には無理なのだ。あれほどの威力なら、島全体が吹き飛んでもおかしくはない。魔法のコントロールも完璧なアルカネットにすら出来ないことならば、人外の存在を信じられる。
「犯人は間違いなく神だ。しかし同時に、相手が神だということで俺は絶望した。何故なら神など、どこにいるのかすら知らないのだからな。――この世界で神とは、御伽噺の中の空想の産物にしか過ぎない。人が神の存在を信じることがあるとすれば、都合のいい時だけ求め、敬い、拝む。普段は信仰すらしていないのにな」
「うん、そうだね……」
悲しくなって、キュッリッキは俯いた。
人間たちは神の存在を知らない。信じてもいない。
しかし、神はいるのだ。
人間たちとは異なる世界にいて、毎日人間たちを見守っている。
慈しみをこめて、優しく見守っているのだ。
神々は人間が大好きだ。だから、人間たちを大切に思っている。
キュッリッキはそのことを、よく知っている。世界中の誰よりも、一番よく知っているのだから。
だから、理由もなしに、リューディアにあんな酷いことをするわけがない。
「犯人が神だと判った、それはいい。その神とやらにどうやったら会える? 超常の存在に会う術など持ってはいないからな。だが必死に調べたさ。そしてアルケラという名前を見つけた。それが神の住む世界を示す名称であることを知った。それを手がかりに、アルケラ研究機関ケレヴィルという組織があることも知ったんだ。俺はそこに入るために、ハワドウレ皇国の学校へ進学した。アルカネット、リュリュも共に」
ハワドウレ皇国が所有するアルケラ研究機関ケレヴィル。アルケラに関するあらゆる事柄を研究し、保管している。そして、超古代文明のことにも様々な知識を有していた。ケレヴィルに入れば、一般には流出していない、アルケラの知識や情報に触れることが出来る。神の座にもっとも近い、現実的な場所だった。
「俺は副宰相というめんどくさい仕事を引き受ける一方、ケレヴィルの所長の座も手に入れた。――それが条件だったからな。そこで初めて知ったんだ、召喚士という存在を。そして、3種族の間で取り決められている決め事のこともな」
召喚
「生憎リッキーには、適用されなかったがな。イルマタル帝国の怠慢だ」
「……」
片翼で生まれてきたばかりに、家族にも同族にも国にも捨てられた存在。だから、ライオン傭兵団にくるまで、そんな法律があることなど知らなかった。
皮肉にもヴィプネン族の惑星ヒイシで、19年の時を経てやっと身の置き所と幸せを手に入れることができたのだ。それを思い返すと、自然とため息が漏れる。
「だがな、おかしいと思わないか? 確かに召喚
「……19年前に、いきなり?」
ずっと存在していなかった? それは面妖なことだとキュッリッキは思った。
「うん。人間たちの中に、いきなり刻み込まれたんだ。3種族同じようにしてな。さも昔から存在していた法律のように現れ、召喚
語尾に剣呑さを感じて、キュッリッキは苦笑する。
「それなのにだ、リッキーだけがこのシステムから省かれた。いくら片翼という障害を抱えて生まれいでたとしても、それはリッキーが悪いわけじゃない。アイオン族の中に外見の美醜を重んじる悪い習慣が根付いていただけだ。それでも、イルマタル帝国が保護を拒絶したのはどう考えてもおかしいんだ。リッキーの父母が育てることを放棄したのなら尚更だ。法律で決められていることだ、国が拒否するなどありえない」
キュッリッキは悲しい気持ちになって、顔を伏せた。
そう、片翼で生まれてきたのは自分のせいじゃないのに、どうして誰ひとり守ってくれなかったのだろう。
子供を捨ててまで、外見の美醜が珍重されるほどのことだろうか。
「リッキーのことは、ハワドウレ皇国にいる俺の耳には入ってこなかった。だが、数年前から、変わった力を持った少女が傭兵の中にいる、という噂をアルカネットが聞きつけてきてな。それであいつを調査に行かせて、リッキーの存在を知った」
悲しげな表情のキュッリッキに、ベルトルドは優しく微笑んだ。
「驚いたなんてもんじゃなかった。調査から戻ってきたアルカネットが、呆然としながら報告してきたよ、リューディアにそっくりな少女だったと。生まれ変わりなのかと思い込みたいほど、本当によく似ていて。写真を見せられて、俺も気が動転するほど驚いたさ。――リッキーがフリーになったのを知って、急いでスカウトに行ったんだよ、誰にも渡したくなくてね」
美味しそうにドリアを食べているキュッリッキの顔は、遠い昔に失った少女によく似ていた。
長い
リューディアは死んでなどいなかったんだ、そう思いたいほどに。
「リッキーが見せてくれた召喚の数々、初めて見るものばかりだった。なにせ、国が引き取っている召喚
「フェイク?」
「そう、本物の召喚士を隠すために、用意された存在だとね」
訝しむように眉間をしかめると、キュッリッキは一度だけ会った少女たちのことを思い出す。
ベルトルドやアルカネットに憧れるあまり、邪険な態度を取ってきた少女たち。
あの少女たちが偽物とは、一体どういうことなのだろう。
「……何故、そんな必要があったの?」
「1万年前と同じ悲劇を繰り返さないために、神がそう創り出したんだ」
「ティワズさまたちが……」
1万年前の悲劇、それは一体? キュッリッキの心に疑問がじわじわと広がっていく。
「だがこれでいよいよ、リッキーが本物の召喚士であることが判った。唯一の、本物の召喚士。すなわち、アルケラの巫女であると」
その時、この青い世界に、突如アルカネットが現れた。
「!?」
魔法部隊長官の黒い軍服をまとったアルカネットが、ゆっくりと歩いてきて、ベルトルドの傍らに立つ。
全身を恐怖の震えが駆け抜けていった。
キュッリッキは身を竦ませて、自然と手が身体を庇うように胸元で交差する。ベルトルド邸でされたことが、一瞬にして脳裏に蘇った。
思い出したくない、忌まわしいあの出来事が。
怖くて怖くて、こうして距離があいていても怖くてたまらない。
ここは、誰も知らないはずのベルトルドの隠れ家ではなかったのか? 何故アルカネットが。
(な…なんで? ベルトルドさんは嘘を言っていたの?)
キュッリッキの頭の中は混乱していた。
怯えるキュッリッキを、アルカネットは冷たく見つめていた。
いつもキュッリッキを優しく見つめていた目ではない。表情は淡々としていて、怒っているわけでも、笑っているわけでもない。何を考えているのか判らない表情をしている。
それがより、キュッリッキを怯えさせていた。
「ベ…ベルトルドさん……?」
キュッリッキの問いかけを無視するようにして、ベルトルドは話を続けた。まるで耳に入っていないかのように。
「本当に長かった。長い時間をかけて、ようやく神へ至る手がかりを掴んだ。31年前、リューディアの墓の前で俺たちは誓ったんだ、神への復讐を」
「えっ…」
キュッリッキの顔が、みるみるうちに驚きに塗りつぶされていく。
アルカネットの右の背から、そして、ベルトルドの左の背から、それはゆっくりと横に広がっていく。
「どうして……それ」
大きく広がったそれは、紛れもなくアイオン族の翼だった。