人はたくさんの仮面をかぶっている。目には見えないその仮面を取り替えながら、他者を欺き、自分を守り、広い世界の中を生きていく。
その仮面はあくまで”演じている自分”である。自分というものがそこにあって、環境や状況に合わせて別の自分を作り演じている。それを他人がどう思い、見ようと、あくまでひとつの人格が見せる表情のようなものだ。
しかしアルカネットの中には、仮面ではなくもうひとりの人格が潜んでいた。それは自らを”イーヴォ”と名乗り、表に出てくるときは主人格である”
何故人格が2つも生まれることになったのか、原因はアルカネット自身も判らない。
家庭環境は極めて良好で、ほかに兄弟もいないから両親はアルカネットを一番に考える。叱るときは暴力も暴言もなく、判るように諭しながら優しく大切に接してくれる。
両親は共働きだが、ベルトルドとリュリュの家も同じなので、そのことに不満を覚えたことはない。
ただ、自分の強大な魔法
”
善悪の意志が両極端に分かれ、それぞれ人格を持ってしまったということなのだろうか。
結局判らないまま現在まで来てしまっていた。
常に反し合う2つの人格は、善の”
”
そしてリューディアを恋しく想う一方、”
「2人がくっつくなんて、そんなことは絶対に許されない!」
”
最も効果的で、リューディアがベルトルドのことを嫌いになるような、ベルトルドの心が傷だらけになるような、そんな良い方法はないものだろうかと。
あるとき”
「僕がリューディアに告白するから、ベルトルドは引き下がってね」
試しに言ってみた。ほんの少し”
「あっははっ。ベルトルドの動揺を隠せないあの
幼い日の2人の約束で、ベルトルドはアルカネットの言うことに逆らえなくなっている。
「これで、リューディアは僕のものになる!」
それなのに。
目的が達成される前に、突然リューディアの命が奪われてしまった。
彼女がどんな姿になろうとも、”
「――なぜ!?」
歯の根が噛み合わないくらい、”
リューディアの死が怖いわけではない。
真っ黒になった彼女の遺体が怖いわけでもない。
リューディアの居ない世界が、居なくなったこの現実世界が、心底怖かったのだ。
輝くような美しい笑顔も、小鳥が囀るような生き生きとした声も、もう2度と見られないし、聴くことはできない。
自分に微笑みを向けることも、優しく名前を呼ぶこともない。
「イヤダ…」
その現実を思い知った時、”
そんな時、弱々しいまでに頼りなげなベルトルドの声が、”
いつもの自信に満ち溢れる声ではない。誰も知らない弱い顔のベルトルドの声。
でも自分に話しかけてきているわけではない。ベルトルドの心が発する心の中の独白だ。
どういうわけかもっと幼い頃から、”
はっきりと聞こえだしたのは、ベルトルドの母サーラが流産して、生まれてくることのなかった弟を悼んで悲しみに心が張り裂けそうな声が初めてだった。それまではどこか曖昧だったのだ。
それからよくベルトルドの心の声が、はっきりと”
今回もまた、リューディアを失った悲しみと死を認めたくない気持ち。そして、本気で恋をしていたという想いが一緒になった声が、”
その声に突き動かされるように、”
ベルトルドはリューディアの死の原因を探ろうとしていた。誰がリューディアをあんなめにあわせたのか。そのことは”
それにもまして、ベルトルドの心の中にリューディアへの想いが残っていることも許せない。
普段威張り散らしているが、本当のベルトルドは弱い。弱さを隠して、強く振舞っているだけだということを”
生まれてこなかった弟を失ったベルトルドは、浜辺で一人コソコソと泣いているような弱虫だ。だからほんの少し、ベルトルドが望むことを口にすれば簡単に心を支配できる。
「ボクが、ベルトルドのおとうとになってあげる」
こんな言葉一つで、ベルトルドは簡単に支配できた。アルカネットのことを本当の弟のように思い大事にしてくれる。どんなワガママも聞くし、アルカネットのためになんでもしてくれた。
リューディアへの想いも、封印してくれた。
「フンッ、なんておもしろい男だろう」
リューディアと相思相愛になるのは
「雷に撃たれたのがベルトルドなら、心底良かったのに」
リューディアの死の真相を暴き、犯人に復讐する。その為にベルトルドには身を削って働いてもらうのだ。
「しっかり役目を果たせるように、呪文をかけてあげよう」
妨げになるリュリュの存在は鬱陶しかったが、リュリュには知らない魔法の言葉でベルトルドを完全に支配する。”
「ボクが犯人を殺してあげるよ。だから、絶対見つけ出してね、”おにいちゃん”」
ほら、簡単にかかった。
「あのベルトルドの顔を見てごらんよ!」
凍りついたような顔の奥底で、アルカネットの中の”
「……昔の思い出など見せて、一体、なんの真似です」
”
「精神の均衡を保つため、”
”
「リューディアの死によって、心が苛まれる”
”
「そうでしたね。あの忌々しい男が、”
リューディアの死から数ヵ月後のことだった。
”
この時初めて、アルカネットの両親やベルトルドたちは、アルカネットが解離性同一症であることに気づいた。
そして壊れかかっていたアルカネットを救うため、ベルトルドはアルカネットの心を探り、そこでもうひとつの新たな人格を発見した。その新しい人格を引っ張り出し、”
「ですが、あなた方はやがて一つの人格として融合していった…。リューディアへの想いはそのままに、”
長い年月の中、”
キュッリッキとの出会いである。
リューディアと同じ顔を持つ少女の存在は、奥底で眠っていた善悪の人格を光で照らすように揺さぶった。しかしキュッリッキの生い立ちは不幸を極め、置かれている境遇も、けっして幸せとは言い難い。
哀れみを覚えるより、何故か怒りを覚えた。
リューディアは幸せな少女だった。だから、同じ顔を持つキュッリッキも幸せでなくてはならない。幸せに笑い、幸せに輝いていなくては認めることなどできないのだ。それなのに、こともあろうに”
心の底から、本気で愛し始めていたのだ。
”
リューディアただ一人を、永遠に愛し続けなくてはいけないのだ。
”
時折”
幸いベルトルドはそのことに全く気づいていなかった。
ところが、キュッリッキがアルケラの巫女であることが判明する。この衝撃は”
リューディアを無惨に殺した神、その神に愛される巫女であるキュッリッキ。
”
アルケラの神々に向けられていた憎悪は、そのままキュッリッキへも向けられる。
”
そしてついに、最悪な形で”
ベルトルドとキュッリッキの
何故なら”
不幸な生い立ちのキュッリッキを慰め、慈しみ、守っているうちに芽生えた愛情はベルトルドとは違うもの。キュッリッキを独占し、自分だけのものにしたかったのは父性としての愛。
ベルトルドが望んでいるのは男女の愛だというのに、2人の姿はまるで親娘のようなのだ。
”
表に出た”
「完全に消し去ったと思っていたのですがね。しぶとく潜んでいたとは」
「……私は、あなたが壊れ始めた時に生まれました。だから、私にとって愛する者とはリッキーさんだけです。これまで”
ひたと”
「今すぐ彼らと手を組み、ベルトルドを止めるのです。彼もまた、あなたに操られ心を大きく傷つけている」
「フンっ。傷ついている割には、巫女を犯すことに躊躇いはありませんでしたよ。性の限りを謳歌するように、愉しんでいたじゃないですか」
痛みに泣きじゃくるキュッリッキなどお構いなしに、犯し続けていたベルトルドの姿を思い出して下卑たように笑い含む。その”
「犯したことは許しがたいことですが、リッキーさんに救いと慰めを求めてのことです。あなたも知ってのように、本当のベルトルドは心の弱い男です。無抵抗にした少女に救いを求めるような弱い…。それを、あなたがそばにいることで回避できなくしてしまった。復讐を果たすという約束のもとに。結果的に、双方を傷つけたあなたの企みが成功したと言えるのでしょう」
ククッと愉快そうに喉を震わせ”
「おもしろい見世物でしたよ、巫女が汚れていく様は。おかげでフリングホルニは飛び立ち、アルケラの門を開くところまできました。――本当に長い31年だった。私はリューディアを殺した神を必ずこの手で殺す。その為にはあなたも邪魔なのですよ、”
次の瞬間、”
「ぐぅっ…精神世界の中とはいえ……やはり、あなたの人格、いえ、”イーヴォ”は
苦痛に表情を歪める”
「何故2つの人格が生まれたのか、誰も判らなかったのですが…。本来なら一人で2つの
「くっ…」
「あなたの役目はもう終わったのです。いらなくなったのですよ、
グッと手に力を込めると、”
「あっ」
アルカネットを透視していたルーファスは、ハッとなって狼狽えた声を出した。
「”
「ふふ…。本当に忌々しいものを、今度こそ消すことができました。ある意味礼を言いますよルーファス。あなたのおかげで、ゴミクズのような”
震えを誘うような、その凄絶な笑顔。ガエルすら、生唾を飲み込むほど圧倒された。
「一体何がどうなったんです、ルーファス?」
不安そうにカーティスが声を上げると、ルーファスは困ったように床に視線を落とす。
「簡単に言うと、アルカネットさんは多重人格の持ち主だってこと。で、元々のアルカネットさんと悪い人格が合体して、”
そして、とルーファスは更に困惑したように唾を飲む。
「信じられないことなんだけど……、アルカネットさんは魔法だけじゃなく
え!? と皆ギョッと目を見開いた。
レア
「ほ…本当なんですかそれは……?」
「どのへんまで
「化物か、あの人は」
うんざりしたように、ギャリーは吐き捨てた。
片方だけしかない漆黒の翼を悠然と広げ、残忍な笑みを浮かべたアルカネットは、悪魔のようだとギャリーは思った。
「ビビっていてもしかたがない。倒さなくてはキューリを助けることは出来ないんだ」
ずしりと重みを帯びた声が、静かに仲間たちの心に響く。
ガエルを振り仰いで、ギャリーは口の端を不敵に歪める。
「ああ、そうだったな。キューリが待ってるんだったよな」
ガエルも凄絶な笑みを浮かべた。
「ルーの気持ちも判らないでもないが、”
拳を握り、上腕筋が膨らんで、殺気と闘気がガエルの全身を覆っていく。
「格好悪くても良い、全力で殺せ!」
そう吠えると、ガエルは床を蹴って前に飛び出した。